七夕の日と言う事で、保育園には大きな笹が運び込まれてきた。
その全長はマリア先生や犬神先生を抜いて、園舎の屋根に届きそうなほど。

登園して来た子供達は、皆揃ってその笹に驚き、目を奪われていた。




「そっかあ、たばなたなんだァ」




呟いたのは小蒔だ。
葵もそうねと頷いて、それじゃあお願い事を考えなくちゃと胸を弾ませる。

京一はそれを横目に見ながら、ちらりと笹を見遣っただけで、さっさと園舎に入って行った。



遊戯室に入ると、遠野先生がドアの横で待っていて、一枚の紙を渡す。
色紙よりもちょっと硬い細長い髪で、上に穴が開いてリボンが通してある。
紙には金色がちらちらと散らばってあった。
遊戯室を見渡してみれば、雨紋、亮一、壬生も同じものを持っている。

何かの目的で渡されたのは判ったが────その目的が判らなくて、京一は眉の間にシワを作る。




「これなんだ?」




質問した京一に、遠野先生は一度ぱちりと瞬きする。
が、直ぐに笑みを浮かべて、




「短冊よ。お願い事を書く紙なの」
「おねがいごと?」
「今日は七夕だから。なんでもいいの。好きなこと書いて、マリア先生に渡してね」





タナバタだからどうしてお願い事を書くのか、京一には判らない。
でも取り敢えずやらなければならないのは感じたので、お願い事を考える事にする。


鞄をロッカーに置いて、クレヨンだけ取り出した。
適当に床に座って短冊を眺める。

なんでも良い、と言うのは、結構困る。
こういう時、実はなんでも良くなかったりする、と言うのもあるのだ。
書いた後になってから、もっとこういう事を書きなさい、と言われたりとか。




「ボク、おとうとほしいなァ」
「もういるんじゃないの?」
「もっとほしいの。いっぱいいると、やっぱりたのしいし」
「わたしはワンちゃん」
「あおい、ワンちゃんいっぱいいるじゃん」
「うん。でも、もっといっぱい、いてほしいの」




遊戯室に入ってきた小蒔と葵が楽しそうに話をしながら、短冊のお願い事を考えている。
二人のお願い事は直ぐに決まりそうだった。

その後に入ってきた醍醐は、なんだか随分と考え込んでいる。
視線は時々、葵と話をしている小蒔に向けられて、直ぐに逸らされる。
京一はなんとなく、醍醐が考えているお願い事が解った。
そして多分、そのお願い事を短冊に書くことはないだろうと────見られたら恥ずかしいから。


京一よりも先に短冊を渡されただろう、雨紋と亮一を見てみる。




「らいとと、ずっといっしょ」
「そんなことより、もっとでっかいことかけよ」
「おっきいよ。らいとは?」
「オレはしょーらい、ビッグになって大成功するんだ!」
「すごいなあ……」
「お前もいっしょだぞ、亮一!」
「……いいの?」
「ああ!」




なんだか随分アバウトなお願い事のような気がする。
が、それをわざわざ本人に言う必要はないだろうと、京一は疑問は飲み込むことにした。


壬生はどうかと覗きに近付いてみると、既に此方は書き終わっていた。

近付いた京一に気付いて、壬生が顔をあげる。
京一は壬生の顔を見ることなく、子供にしては綺麗な字で書かれた短冊を見た。

其処には、“おかあさんがげんきになりますように”と書かれていて。




「……何?」
「べつに」




静かな声で問い掛けてきた壬生に、京一はツンとそっぽを向いた。


壬生の短冊を見て、京一はもう随分と顔を見ていない父親と母親、姉を思い出す。

でも、それとお願い事は繋がらなかった。
普通だったら此処で────と思ってから、それを振り払うようにぶんぶんと頭を振った。



とん、と背中に何かが乗って、京一は床に倒れそうになる。
なんとか踏ん張ってから振り返ると、其処には龍麻がにこにこと笑って、京一に乗っかっていた。




「重てェよ」
「うん」




苦情一つに頷いて、龍麻は京一の上から退く。
彼の手には、やはり短冊があった。




「きょういち、おねがい書いた?」
「まだ。っつか、おねがいなんかねェし」
「ぼくはあるよ」




にこにこ笑って言う龍麻が、京一はちょっとだけ羨ましくなる。




「おなかいっぱい、イチゴたべたいな」
「…そんなの、母ちゃんにおねがいしろよ」




龍麻のお願い事は、今更お願いするようなものではない。
京一はそう思ったが、龍麻はもうこれに決めているようで、クレヨンで早速書き出した。


そうだ。
お願い事はなんでも良い。
遠野先生がそう言った。

そして多分、本当に何でも良いのだ、此処でなら。
マリア先生や犬神先生も、書き直せなんて言わない。

だから龍麻みたいなお願い事でも、誰も駄目だなんて言わない。



“ない”と書くのは、流石に駄目だろう。
先生達は何も言わないかも知れないけれど、きっと良くは思わない。




「……ラーメンくいてェ」
「イチゴの方がおいしいよ」
「おまえといっしょにすんな」




京一の素っ気無い言葉に、龍麻はむぅと眉毛をハの字にした。
けれど、ようやく短冊にクレヨンを乗せた京一を見て、またにこにこと笑い出す。







子供達の書いた短冊は、その日の内に犬神先生が笹に飾ってくれた。
子供を迎えに来た親達は、其処に書かれたささやかだったり、大きかったりするお願い事に笑みを漏らす。

そして──────その日の京一の晩ご飯は、八剣特製のラーメンだった。










2009/07/07

京一の短冊は、シンプルに“ラーメン”とだけ書いてありました。