今日と言う日が“こどもの日”であると気付いたのは、預かり子を保育園に連れて行った時だ。
真神保育園の園内に立てられた長いポールの上で、宙を泳ぐコイがいるのを見て、ようやく、である。

そのコイを見上げた時、あの子供が俄かに興奮したように声を漏らした。
気付いて見下ろせば、直ぐに赤くなって明後日の方向を向いてしまったが、それこそが先の反応の証明だ。
屋根より高い空を泳ぐコイのぼりに、京一は確かに喜んだのである。




そうと判れば、八剣の行動は早かった。



アルバイトの家庭教師の家に行く前に、コンビニに寄って折り紙を買った。
家に帰れば京一が遊ぶ為に常備してあるが、残念ながら、家に帰るまでの時間の余裕はない。


女子中学生や女子高校生に問題の説明をしながら、その片手間に折り紙を折る。
少女達は滅多に見ない八剣の行動に興味津々だった。
いつもはしない折り紙を始めた家庭教師に、彼女達はなんでどうしてと、当然ながら訊ねてくる。
こどもの日だし、歳の離れた弟がね、と真実をぼかしながら説明すれば、直ぐに納得してくれた。

授業が終わると、八剣は少女達にも完成した折り紙を手渡した。
今日と言う日に見合うコイのぼりや兜ではなくて、鶴やアヤメや燕を。
子供扱いだと怒る少女もいたが、大抵は喜んでくれた。


渡した鶴やアヤメを持って喜ぶ少女達に、さてあの子は喜んでくれるだろうかと、ついつい考える。
そうして思い浮かぶのは、子供扱いに機嫌を損ねてしまうと言うものであった。




評判の良さのお陰で、八剣が受け持つ生徒の数は多い。
全員の授業が終わった時には、外が暗くなってしまうのは、残念ながら常の事であった。


電車を乗り継いで最寄り駅まで着くと、八剣は早足で改札を抜ける。
辿り着いた保育園はとうに静かになっていて、帰る子供は皆帰り、泊まる子供は殆ど寝付いてしまったらしい。
園舎の玄関を潜って下駄箱を伺ってみれば、既に殆どの子供の靴がなかった。

玄関で少し声を大にして挨拶をしてみると、遊戯室からチーフのマリア・アルカードが顔を出した。




「ああ、アナタでしたか」
「どうも、また遅くなりまして」
「いいえ。京一君、お迎え来たわよ」





さて、今日はどの位で出て来てくれるだろう。
思いながらすっかり空いてしまった下駄箱をちらりと見遣った。

と、下駄箱の上に綺麗に並んだ、色とりどりの小さなコイを見つける。


作ったのは、勿論、この保育園で日々を過ごす子供達だろう。
綺麗に折られて、見栄えのするウロコの描かれたコイもいれば、シワシワになっているコイもある。
怒った顔のコイや、困った顔のコイ、噴出しを描いて「たべないで!」と喋っているコイもいた。
ウロコの形も一つ一つ違っていて、中にはウロコの一枚一枚を全て違う形で描いてあるものあった。

子供の発想とは、自由で且つ無限大だ。
美術大学に通っている八剣だが、子供の想像力に勝るものはない、と思うのはこんな時である。




(京ちゃんのは……)




いつものように、預かり子の作品を探してみる。
が、幾ら見てもそれらしいものは見当たらない。

幾つかシワの跡を沢山残したコイがいる。
不器用な子だから、きっと自分では上手く折れなくて、誰かに折ってもらったのだろう。
この保育園には随分仲の良い友人が出来たようだから、そういう事も自然と有り得る。




(細かいことが苦手だからねェ、あの子は)




そういう所は、あの子も父親によく似ている。

苦笑してコイ達を眺めていると、規則正しい軽い足音。
コイから前へと視線を移せば、眠そうに目を擦る京一と、背中を押すマリアがいる。


八剣はしゃがんで京一と目線を合わせた。




「お待たせ、京ちゃん」
「……べつに」




いつも通り、素っ気無い。
けれども表情は少し冴えなくて、眠気を我慢するのに必死になっているのが判る。


京一は、八剣の迎えがどんなに遅くなっても、ずっと起きて待っている。
マリアが迎えが来たら起こしてあげるからと言っても聞かないそうだ。
八剣がちゃんと迎えに来るまで、京一は絵を描いたり本を読んだりして、他の子達が帰って、泊まりの子達が眠ってしまってからも、一人でじっと迎えを待っているのだと言う。

だから八剣も出来るだけ早く迎えに来たいのだが、これが中々難しい。



京一が靴を履いている内に、八剣は肩にかけた鞄の蓋を開けた。
いつにない行動に気付いて、京一が不思議そうに顔を上げる。

取り出したのは、下駄箱の上を泳ぐコイ達と同じ、折り紙と割り箸で作られたコイのぼり。




「はい、京ちゃん」
「……ンだ、これ」
「あげるよ。プレゼント」




八剣の言葉に、京一は判り易く顔を顰めた。
予想通り、はっきりと。

いらない、と京一が言う前に、八剣は京一の手にコイのぼりを握らせる。
話を聞かない八剣に京一がムッとしたのが判ったが、八剣は気にしなかった。
気にしていたら、この子は何も受け取ってくれないから。


小さな京一を軽々と抱き上げて、八剣はマリアに挨拶をして園舎を出る。




「ンだよ、これ。いらねェよ」
「いいからいいから」
「よくねェ。ガキあつかいすんな!」




そうは言っても、京一はまだ四歳。
十分子供だ────それを言ったら怒るくらいに。


いらないいらないと言う京一に、八剣は笑いかけ、




「京ちゃん、その鯉のぼり、風車ついてるだろう」




言うと、京一はぱちりと瞬き一つして、手に握ったコイのぼりを見る。

確かに、このコイのぼりには、三匹のコイの他に、天辺に風車がついている。
勿論、これも折り紙で八剣が作ったものだ。
これを糊などで貼る事はせず、風車の真ん中を割り箸にピン留めで差して固定している。


だから、




「その風車、ふーっと吹いてごらん」
「………?」




八剣の言葉に、京一は意味が判らないと眉根を寄せた。
それでも興味が沸いたようで、言われた通り、風車にふーっと息を吹きかける。

─────かさかさ、風車が回る。




「……………」




京一は何も言わない。
声も上げない。

けれど、その目はきらきらと輝いている。







帰り道。

いつも中々笑ってくれない預かり子は、ずっと無邪気に、風車を吹いて遊んでいた。










20010/05/05

京一は絶対折り紙とか苦手だと思う。
八剣はめっちゃ綺麗に折ると思う。

風車ネタの提供は、姉貴です。
「ネタくれ!」と言ったら、折り紙でコイのぼりネタを貰った後に、「風車がついてて、しかも回ると子供は喜ぶよ」………ちび京にやらせるしかないじゃないか!!