「たぁつま」




甘えるような声で名前を呼ばれた。
それに振り返って答えるよりも早く、背中にぶつかってくる熱の塊。




「たつま」




上掛の肩口を引っ張る手。

青年とも少年とも呼べる大きさの、剣胼胝のある手。
決して小さくはない筈のそれに、一瞬、柔らかい丸っこい手が重なって見えた。


振り返れば、ふわふわと笑うこどもがいる。
自分よりも少し低い背、赤茶けた髪、埃だらけの学生服。
肩を掴む手と逆の手に握っているのは、紫色の太刀袋に入った彼の愛刀。




「たつま、どうした?」




じっと見詰める此方に、不思議そうに覗き込んでくる尖り勝ちの双眸。
常に強気に、憮然とした光を灯している其処に、今は何処か─────ゆらゆらと頼りない光が映っている。




「…なんでもないよ」
「ないのか?」
「うん」




言葉を選んで答えれば、こどもは不思議そうにことりと首を傾げたが、訊ねてきたのはそれきりだった。
肩を掴んでいた手を放し、ととっと軽い足取りで離れて行く。

一人にする訳にはいかない。
後を追って足を動かせば、こどもはそれをちらりと見遣って、駆け出した。
こどもは数メートル離れると振り返り、此方が近付いて来るのを待ち、距離が縮まるとまた走り出す。



─────鬼ごっこをしているようだ。
前を歩く、走るこどもを見て、思う。

こどもは無邪気に笑っている。
二人の距離が空いて、此方が歩みを止めていない事を確認する時だけ、少し不安そうな顔をする以外は、ずっと。
駆け出す瞬間などは、鬼さんこちら、と歌いだしそうにも見える。


彼がこんな風に笑う事があるなんて、一体誰が予想できただろう。
彼が懇意にしている店の人々でさえ、過去はともかく、今の彼が無邪気に笑い遊ぶなんて思わなかったのではないだろうか。




「おせーよ、早く来いよ」




のんびりとした歩みを止めない此方に、彼は拗ねたように唇を尖らせて言った。
それでも相変わらず、マイペースに歩いていると、焦れた彼の方が此方へと駆け寄ってきた。




「なあ、早く来いって。飯、食いっぱぐれるだろ」
「そうだね」
「なんだ? なんか、やっぱヘンだぞ、お前」
「大丈夫だよ」




覗き込んでくる彼の表情は、いつも浮かべていた揶揄っているようなものではなくて。
純粋に心配している、気になる、不安、怖い─────それらがごちゃ混ぜになっている。



手を伸ばしかけて、止める。

傷んだ髪を撫でたかった。
でも、“彼”はそんな事をしないから、してはいけない。




「大丈夫だよ、京一」




名を呼べば、こどもは照れ臭そうに笑う。


大丈夫。
大丈夫。

このこどもは、まだ、大丈夫。
まだ消えていない、まだ失われていない、まだ此処で笑っている。
例え壊れてしまった心でも、夢の世界に生きているのだとしても。

それでも生きていればいつか、バラバラになったピースも組み立てなおせる筈。




でも、

……その前に、






俺の方が駄目になりそうだよ──────京ちゃん。








2011/03/21

最終決戦後、トラウマ発動から精神崩壊してしまった京一。
いつも一緒にいた筈の親友がいなくなって、“あいつがいなくなる訳ない”と言い聞かせてる内に、ずっと傍にいてくれた人を彼だと思うようになってしまった。
(おまけに幼児退行気味と言う……)

説明しないと分かり難い! おまけに誰も報われないよ、この話…!!