「はい」




─────等と、当たり前のように差し出されてしまったから、




「ん」




……等と、当たり前のように受け取ってしまった。



手渡されたのは、縦10センチ横15センチ程の長方形の箱。
シンプルな和柄の包装紙でラッピングされたそれが何であるのか、京一には判らなかった。

その外観をしばし眺め、両目を窄めて、これを手渡した男を見る。




「………なんでェ、こりゃ」




妙なものじゃないだろうな、と疑ってしまうのは、相手が相手だからだ。
煮ても焼いても食えそうにない、八剣右近と言う人間なのだから、仕方がない。


胡乱な目を向けられた八剣は、問いに対して、またしても当たり前のように答えた。




「今日は、ホワイトデーと言う奴だからね」
「あー……って、待てコラ」




納得しかけて、それも可笑しいだろうと京一は頭を切り替える。



ホワイトデーとは、バレンタインデーに女性からチョコレートを贈られた男性が、お返しをする日だ。
製菓会社と「贈るばかりでは不公平」と唱え出した女性の陰謀によって制定された日である。


バレンタインには京一もチョコレートの恩恵に預かった。
筆頭として『女優』の人々(毎年恒例)と、クラスメイトの葵、他には顔の良く知らない後輩等々。
小蒔と遠野から「意外とモテるよね、京一って」等と言う一言を貰う位には、戦利品を得たものである。

そのお返しをするのが今日と言う日だったとは。
道理で、龍麻がいつも以上に苺の菓子を配って歩いていた訳だ。

ちなみに京一は特にお返しについては考えていないし、当日である今日も催促される事はなかった。
元々行事に疎い上、そう言った行事毎を「ガキ臭ェ」と一蹴するのが京一と言う人間だ。
周囲もそれは理解しており、葵は勿論、『女優』の人々も、名も知らぬ後輩達も何も言わなかった。
だから今の今まで、京一は、今日がホワイトデーと呼ばれる日であるのだと気付かなかったのである。


そんな具合で京一にとっては、平時と何も変わらないホワイトデーであったのだが。




……何故、此処でそのホワイトデーのお返しらしき代物を受け取らねばならないのか。




「オレ、お前になんか渡したか」
「いいや」
「……だァな。ンな事ある訳ねェし」




記憶違いが無くて良かった。

渡したのに忘れたなんて、莫迦みたいじゃないか。
更に言うなら、この男に自分が何かを差し出すなんて構図が薄ら寒くて仕方がない。



渡された箱を上から下から、眺めてみる。
箱をひっくり返してみると、筆のような書体で、恐らくこれを買ったのだろう店名が書かれていた。

………読んでから後悔した。
とんでもなく高級と評判のある老舗和菓子屋の名前がある。
以前、葵から「余ったから皆で食べようと思って」と配られた事があるが、その時に金額を聞いて目玉が飛び出た。
やはり金持ちは食ってるものからして違う────と呟いたのは、まだ記憶から褪せていない。




「美味いんだよ、それ」
「……知ってる。この前食った」
「ああ、あの気の強いお嬢さんかな?」
「そーそ、葵。お嬢様だからな、アレ」




こういうものを当たり前のように、まるで普通の茶菓子のように配られた。
彼女にとってはそれで普通なのだろうが、京一にとってはそうじゃない。

増して、こんな風に覚えの無いお返しのようにして渡されるものじゃない。


貢癖でもあるのか、八剣は何かと京一に物を渡す。
曰く似合いそうだったから、曰く美味しそうだったから、曰く喜びそうだったから、と。
そう言って、まるで軽い出来事のように、極当たり前に高級品を差し出して来ることがある。
小市民としての自覚のある京一にとって、心臓に悪いことこの上ない。




「俺のお奨めなんだけどね。ホワイトデーだし、丁度良いと思って買って来たけど…そうか、もう知っていたか」
「とか言う前にだな。お前ェ、こんなモンをオレに寄越すなって前から言ってんじゃねェか」




欲しいと言ったものならともかく。
そんな事を露ほども思った事もないものを押し付けられても、困惑するだけだ。

社交辞令として素直に「ありがとう」の一言で片付けても良いのかも知れない。
だが、そうするには手の中の箱の中身が京一にとって高級過ぎて、もう恐怖の対象に近い。
これをどうやって感謝の言葉に押し込められようか。


…ついでに言うと。
うっかり「ありがとう」だの喜びの言葉なんて口にしたら、明日には『女優』にこの菓子が大量に届く事になる気がする。
有り得ないと言い切れないのが、目の前で考え込んでいる男の所業だった。



更に付け加えるならば。

結局、京一がなんと言って拒否しようとしたところで、この男は聞かないのだ。
突き返そうとしても受け取らないし、一週間なり二週間なりと経った頃には、また何某か貢いで来るのだから。




「あのお嬢さんが持ってきたのは、どんな菓子だった?」
「聞いてねェな、オレの話……確か白い饅頭だったと思うぜ。うぐいす餡の」
「ああ、あれか。じゃあ良かった」
「何が」
「俺が買ってきたのは茶饅頭でね」




どれでも同じだ。
喉まで出掛かった言葉である。



何やら解説を始めた八剣の言葉を右から左へ聞き流し、京一は小奇麗な包装紙を破る。
試行錯誤してデザインされたのだろう包装紙も、絵柄も何も興味のない京一にとってはただの邪魔な紙だ。
柄紙を剥いで、その下にあった薄い和紙を剥いで、箱を開けて敷かれていた広告を兼ねた和紙を捨てる。

箱の中身は、綺麗な和紙に綺麗に包まれた饅頭が三列並んで五個ずつ。
一つ手に取って、片手で器用に包装を剥いで見れば、和紙は薄手のものが二枚重ね合わせて使ってあった。
……過剰包装だ、と面倒臭さに辟易しつつ思う。


ようやく取り出せた饅頭は、茶色の焼き饅頭。
二、三回鼻で匂いを嗅いでから、ぽいっと丸々口の中へ放り込む。




「どうかな?」




饅頭の皮の香ばしさと、丁寧に漉された餡の甘さ。
甘いものが苦手な京一でも食べられる、少し渋みの混じった和風の味。






ちらりと見遣った男の顔には、いつもの三割り増しのにこやかな笑み。

なんだか無性に腹が立ったので、感想なんて殊勝なものは絶対に言わない事にした。








2010/03/14

うちの八剣には貢癖があります。
京ちゃんが喜びそうなものは勿論、“似合いそう”とか思った着物も勝手に買ってきて贈ります。
高級品でも「いいな」と思ったら見境ありません。

京一にとっては良い迷惑(笑)。でも食べ物関係はしっかり貰う。