悲鳴も上がらなかった。
それぐらいの痛み。




ぎちぎちと足に何かが食い込んでいる。



痛い。
痛い!
痛い痛い痛い!!

助けて!
誰か助けて!!



叫びたくても叫べない。
喉が灼けて酷い引き付けを起こしたみたいに、音が其処から出てくれない。

幸いだったのかも知れない、狼や熊や梟が跳んで来なかったから。
でも代わりに誰も気付いてくれないし、何よりさっきの大きな音で近くの気配は皆一気に散らばった。
もう誰も助けてくれない。




暗闇に慣れた目で足を見れば、ギザギザの鉄が足を噛んでいる。
森の中に似合わない色と匂いのそれは、明らかに人間の仕掛けたワナと言う代物だった。
こういうものには気をつけろと、父にいつだった教えて貰ったのを覚えていた。


挟み込むような形になっているそれを外そうと、子狐は足を振った。
ぎっちり食い込んだそれが傷を引っ張って広げて、余計に痛くなる。

押し広げようと手で引っ張ってみる。
子狐の力で外せるような代物ではなく、それはがっちりと子狐の足に食いついて離れなかった。
噛まれた場所が酷く痛くて、どくどくと血が出て来て、それがまた子狐の手を滑らせる。



血の匂いを長い時間振りまくのは良くない。
さっきの大きな音で辺りの気配は散らばったけど、血の匂いなんかいつまでもさせていたら、折角何処かに行ってくれた怖いものが戻ってくる。

こんなものに噛まれていたら、見付かったらもう逃げられない。
守ってくれる人なんか此処にはいないのに。




(外れろ、外れろ!)




挟んでいる鉄と繋がっている鎖を引っ張ってみる、びくともしない。
びくともしなかったから噛んでみる、口の中が痛くなった。




(取れろ! 外れろ! 畜生!)




小さな手が、がつがつと鉄のギザギザを殴った。
まだ柔らかな皮膚は鉄のギザギザに負けてしまって、子狐の手の方がボロボロになって行く。



一番最初の怖かった瞬間から、ずっとずっと我慢していた涙。

泣いたって何も変わらない。
変わらないし、自分はオスだから、泣いてなんていられない。
父がいない間は、自分が母と姉を守らなきゃいけなかったから、ちょっと怖いくらいで泣いてなんていられない。
ずっとずっと、そう思っていて────事実、父からも母からも、姉からさえも、守られていたのは自分だったけど。
それでも、簡単に泣いちゃいけない事だけは、判っていたつもりだった。


なのに─────許したつもりはないのに、勝手に目から零れて落ちた。




(外れろ! 帰ンだ! 帰ンだから、外れろッ!)




こんなの引き摺って帰れない、姉ちゃんが泣く。
こんなのでいつまでも此処にいられない、母ちゃんが怒る。

父ちゃんは──────………




(外れろ、外れろッ! 痛い! 外れろ! 痛い…! 畜生ッ……!!)




過ぎる現実を頭の中から必死になって追い払って、鉄をがつがつ殴る。
右手が先に駄目になって、次に左手が駄目になって、鎖を噛んだ口の中が鉄錆と痛みで血だらけになった。
目から大きな雫がぼろぼろ落ちて、情けなくて悔しくて、怖くて痛くて苦しい。



ギザギザに噛まれた足。
痛みがなくなってきたのは何故だろう、手で触っても足は触った感覚がない。
比例したように、もう足はぴくりとも動いてくれない。

血が止まらなくて、自分の匂いでも、酷い匂いがしている気がした。
暗くてよく見えないけれど、多分、あっちこっちに血が跳んでる。



腹が減った。
あれだけ走ったのに、何も食っていない。
もうネズミだって此処には来ない。


ふと思い出す。
怪我をした時、母が怪我を舐めてくれた事。

体を丸めて、少し苦しい姿勢になったけれど、気にしないでギザギザに噛まれた所を舐めてみる。
凄く不味くて、顔を顰めて、ちっとも痛みがなくならないのがどうしてだろうと思った。
母が舐めてくれた時は、それだけで痛いのがなくなったような気がしたのに。




(痛い。冷たい。寒い。いやだ。帰りたい)




帰らなきゃいけないと思っていた。
母と姉の待つ家に。
だって自分はオスだから、自分が守らなきゃいけないから。

でも今は、帰らなきゃいけないんじゃなくて、帰りたい。
一人ぼっちの暗い森の中から抜け出して、温かい母の尻尾に顔を埋めて眠りたい。




帰りたい。
帰りたい。

痛い。

帰りたい。

痛い。

帰りたい。
帰りたい。


痛い。



帰りたい………








………子狐がその場に蹲り、動かなくなるまで、それ程時間はかからなかった。










2009/02/25

終わりじゃない! 終わりじゃないよ!! まだ続くよ!!