のんびりとした朝を迎えて、のろのろとベッドから下りる。
眠い目を擦りながら着替えを済ませ、ベッド傍に立て掛けていた木刀を取り、欠伸を漏らしながら部屋を出た。

洗面所の冷たい水で顔を洗い、ようやく目は覚めたが、頭の芯はまだぼやけている。
昨晩は遅くまで起きていて、ビッグママに言いつけられた算数ドリルの宿題をやっていた。
大嫌いな勉強に勤しんだ事、昼間は師の下で稽古をしていた事もあって、昨夜は直ぐに眠りについたのだが、それだけでは疲れた脳の回復には足りなかったらしい。


稽古は毎日の日課で、怠った分だけ自分にツケが回って来るのは知っているが、今日ばかりは体を動かす気にはならない。
予定としては、今日も師に稽古をつけて貰う予定だったが、それはナシにさせて貰おう。
とにかく、今は頭も体も重くて仕方がない。

朝飯食ったら少しはやる気が出るかな、と思いつつ、京一は店舗へのドアを開ける。
トントンと包丁が打つリズムの良い音が聞こえ、焼き卵の香りが京一の鼻をくすぐった。



「あらァ、おはよう、京ちゃん。今日は随分のんびりねェ」
「んー……」



アンジーの挨拶に、京一はカウンター席の椅子に登って、目を擦りながら頷く。



「寝る前に頭使ったから疲れたんだよ」
「ああ、宿題やってたの。随分、頑張ってたみたいだったものねェ。どう?全部解けた?」



クスクスと笑って問うアンジーは、京一から聞かずとも、答えを察しているらしい。
意地の悪いアンジーの表情に、京一は唇を尖らせた。



「……半分」
「おや。意外と頑張ったね。一ページで止めるかと思ったんだけど」
「オレだってそうしようと思ったけどよ〜…」



途中でギブアップした所で、ビッグママが許してくれる訳がない。
溜めた宿題に加算して、次の宿題を出されるので、溜めれば溜めた分だけ自分の損になる。
面倒な物は、出来るだけ早く片付けて置くに限る────結局途中でギブアップしたのは事実だが。


疲労具合を体現するように、京一はテーブルに突っ伏した。
その横に朝食のオムライスが置かれ、京一は潰れた格好のまま、スプーンを取る。
行儀の悪い格好で食事をする京一を、咎める人はいなかった。

砂糖控えめの代わりに、生クリームを混ぜる事で、ふんわり半熟に出来上がったオムライス。
美味しいものは活力になるもので、寝起きからだるくて仕方がなかった体に、心なしか生命力が甦る。


京一はのそのそと身を起こして(けれども猫背である)、改めてオムライスを食べ始めた。
そうして、カウンターの端に置かれていた置物に気付く。



「……なんでェ、こりゃ」



割り箸の上に糸を貼って、糸の先端には紙で作られた魚。
たらんと垂れた糸に釣られた魚は、上から青と赤が一匹ずつ、一番下には短冊状に細く小さく切られた紙が数枚。

腕を伸ばして、それを手元に寄せてみると、ゆらゆらと揺れた。
寄せ終われば、たらんと重力に従って落ちる。
胡乱な目で魚を見詰める京一に、テーブル拭きをしていたサユリが気付いた。



「ああ、それはねェ、鯉のぼりの代わりよ」
「鯉……ああ、あれか。ガキの日」
「子どもの日、ね」



くすくすと言い直されて、京一は判り易く頬を膨らませる。
どっちでも一緒じゃんかよ、と。

京一は拗ねた表情のまま、釣られた魚をスプーンの柄尻で突く。


子供の日、と言われて、京一が思いつくものと言ったら、柏餅が精々だ。
鯉のぼりもなくはないが、大きなものを見て単純にはしゃいでいた幼い頃と違って、腹が膨れないものには興味が湧かない。

同じ子供の日────端午の節句云々と言うなら、京一は鎧兜の方が興味があった。
実家の剣道道場では、この日が近くなると、道場の上座に鎧兜が飾られていて、傍には刀も置いてあった。
それが本物なのか、模造刀なのかは知らないが、面白がって振り回し、拳骨を貰ったのはまだ記憶に鮮やかな光景であった。


つん、つん、とつまらなそうに小さな鯉のぼりを突く京一を見て、アンジーが眉尻を下げる。



「京ちゃんには、こっちの方が似合うわよね」
「あ?」



なんの話、と訊こうと顔をあげようとして、出来なかった。
ぱさっと頭の上で軽い音がして、何かが乗せられている事を知る。

京一は、スプーンを咥えたまま、頭の上に乗せられたものを手に取った。



「……なんだこれ」



沢山の文字の羅列で埋められた、薄い紙。
それをあっちへこっちへ折り畳んで作られた、



「兜よォ。京ちゃん、格好良いわァ!」



きゃぁ〜!と黄色い感性を上げる『女優』の面々に、京一は顔を顰めた。
こんなチープなもので格好良いと褒められても、あまり誉められた気はしない。
寧ろ、子供扱いされているとしか思えなくて、京一はそれが嫌いだった。

……嫌いだったのだが、此処にいる人々が、芯から京一を好いてくれている事は判る。
だから、顔を顰めて見せながらも、京一の頬はほんのりと赤らんでいた。



「っつーか、鯉のぼりとかコレとか……わざわざ作ったのかよ」



暇なのか、と悪態のように呟きつつも、京一の顔は朱色を帯びている。
耳まで赤くなっている子供を見て、アンジーはにこにこと嬉しそうに笑っていた。

彼女達がそんな調子だから、子供扱いは嫌いだけれど、京一は『女優』の人々を突き放す事が出来ない。




持っていた兜を被って、顔を隠す。

似合うわよ、と言われて、そりゃどーも、と呟くのが精一杯だった。





2012/05/06

うちの『女優』の面々が催し物に敏感なのは、京一の為です。
京一の色んな反応が見たいから、行事ごとに託けて、あれこれやってるのです。
京一は子供扱いされてて恥ずかしいけど、どうしても『女優』の面々には弱い。お世話になってるし、好いてくれてるのが判るから。自分も兄さん達が好きだしね。