「塗り潰したら、消えるかな」






零れた言葉に、親友は眉間に深い皺を刻む。
けれども龍麻は顔を上げず、目の前にある大きな傷痕をじっと見る。


触れると、其処の皮膚だけが不自然に盛り上がっていた。
一度裂かれて分かたれた所が、接ぎ合わさって癒えた部分なのだから当然だ。

癒えを待つ間に大人しくしていれば、もう少し綺麗な傷痕になったのだろうか。
相変わらず深夜まで不夜城を歩き回り、ふとすれば荒事の中心にいて、大立ち回りも毎度の事。
そんな生活を送っているものだから、この傷の治りは、丈夫な彼にしては頗る遅かったと言って良い。



す…と傷の形をなぞる龍麻に、京一は止めろ、と小さく吐き捨てる。




「気持ち悪い」
「そうなの?」
「とにかく離せ」




振り払うように手を叩かれて、龍麻は大人しく引っ込むことにした。
けれども、瞳はじっと傷を見詰めているままだ。

居心地の悪さを感じたのだろう、京一は一つ舌打ちすると、散らばっていた包帯に手を伸ばす。
それはつい先程、龍麻が解き去ったものであった。




「もう巻くの?」
「……もう十分だろ」




龍麻が彼の包帯を取るに至る経緯は、至っテシンプル。
拳武館との闘いの際に京一が負った傷が見たい、と言う要望による。

そんなものを見て何が面白いのか、京一にはまるで判らなかったが、断る理由もなかったので見せてやる事にした。
学ランを脱いで赤のインナーシャツを脱いだ所で、龍麻が京一の手を止め、包帯は自分が解くと言い出した。
またも意味が判らなかった京一だが、これも断る理由がなかったので好きにさせた。


時間にして、総合すると約五分。
短いようで長い間、龍麻はじいと京一の胸から腹を裂く斜めの刀傷を見詰めていた。



京一のその傷は、別段、見られて困るものでなければ、見られる事に抵抗がある訳でもない。
一度とは言え敗北した事の証明であるようで、自分で見るのは腹が立つが、相手が龍麻と言うなら関係ない。

だから見せていたのだが─────そろそろ服を着たい、寒くなって来た。


手早く包帯を巻き直して行く京一。
龍麻はしばらくそれを見詰めていたが、ふ、と思って手を伸ばす。




「ねえ、京一」
「何……おい、手ェ退けろ。巻けねェだろ」
「うん。だからちょっと待って」
「おい……」




京一の声に怒気が混じったが、龍麻は気に留めなかった。
半分程巻き終えていた包帯を躊躇いなく解き、また白い線が床に散らばっていく。
京一はその様子を、溜息を吐いて眺めた。



隠れた傷がまた露になる。


この傷がいつか消えるのか否か、龍麻には判らないし、京一も知らない。
綺麗な刀傷は綺麗に塞がると言うけれど、今こうして残っている痕を見ると、到底消えるとは思えなかった。

龍麻の指が傷をなぞり、京一の手がそれを振り払う。
それでもまた龍麻の指が傷をなぞり、京一は諦めたように息を吐いて畳に倒れた。
無抵抗に大の字になった親友の上に跨って、龍麻は走る傷へと顔を近付け、




「────ッ……」




つ、と這わした舌に、京一の体がピクリと跳ねる。




「塗り潰しても……消えないよね、きっと」




呟いた言の葉は、二人それぞれの鼓膜に確りと届いている。
しかし京一は無言のままで、ただ無機質な昏い天井を見上げていた。



またゆっくりと、傷をなぞる。
指ではなく、舌で。

このまま瘡蓋を剥いで、抉ったら、目の前にあるこの傷は消えるだろうか。
代わりに残る傷痕は、自分が作った傷痕になるのだろうか。


……京一には、きっとどうでも良い事なのだろう。
誰が残したものだろうと、京一にとって傷はただの傷であり、それ以上の意味を持たない。
今この傷が彼にとって特殊な意味を持つのは、初めて剣で負けた相手に負わされたものであるから、ただそれだけ。
もしも同じ理由で龍麻が彼に似たような傷を負わせたとしても、彼はそれ以上の意味を抱く事はないだろう。




だからこれは、龍麻のただの自己満足。

彼の躯に刻むのは、自分が残したものだけでいい。




「消えないかなあ」
「知らねえよ」




独り言のように零れた言葉に、相変わらず冷たい声が返って来た。








早く消えてしまえばいい。
そして忘れてしまえばいい。

そうして今度は、僕の痕だけ刻んであげる。











2011/07/26
傷痕ネタでだらだら書いたらこうなった。
……前にも似たような話書いた気がする(毎度ながら進歩ねえ!)

書いてたのは6月22日でした……