「鐘を突いた程度で、人間の煩悩が消えるかよ」



炬燵に入って蜜柑の皮を剥きながら言った京一に、それは言わない約束だろう、と思いつつ、八剣は苦笑した。

ごぉーん、と言う音が遠くで鳴っている。
都心の真ん中でもあちこちに神社仏閣はあるから、何処かしらから鐘の音は届いて来る。
その音を耳にしながらの、先の京一の言葉であった。

八剣は淹れたばかりの茶と茶菓子を炬燵テーブルに置くと、京一の隣に腰を下ろした。
炬燵は二、三人が入れる程度の大きさはあるが、それも四方向から入っての事で、一辺に二人が並ぶと少し窮屈だ。
その上、京一は堂々と辺の真ん中を陣取っているので、その隣に八剣が入るとなると、中々に狭い。



「お前、邪魔」
「うん、ごめんね」



悪びれる様子もなく邪険に扱う京一に対し、八剣は詫びたがその場からは退かなかった。
京一はしばらく顔をしかめた後、真横からの存在感を嫌って、渋々と言う表情で少し体をずらす。

因に、此処は八剣が住んでいる拳武館の寮である。
だから部屋の主は八剣なのだが、来訪者と言う立場である京一はそんな事は何処吹く風で、まるでこの空間の王様のように振る舞っている。
それは昨日今日に限った話ではなく、八剣もそんな彼を許しているので、こうしたやり取りも京一の態度も、日常茶飯事であった。

京一は、大きめの蜜柑を半分に割ると、五つほど連なっている房を小分けにせず、丸ごとぽいっと口の中に放り込んだ。
膨らんだ頬袋をもごもごと動かしながら蜜柑を粗食する京一を、八剣はじっと眺める。



「大体よ。鐘鳴らすだけで煩悩が消えるんなら、今頃世の中に事件だなんだって起きてねえだろ」
「そうだねえ」
「俺らが鬼だなんだってのに巻き込まれて、死にかける事もなかった訳だし」
「まあ、それはそうかもね」



蜜柑のもう半分を、もう一度京一は口の中に放り込む。
噛んだ瞬間、薄皮の破れた隙間から蜜柑の果汁が溢れだして、京一の唇を濡らす。

八剣が湯飲みに注いだ茶を京一の前に差し出すと、彼は湯飲みを目視しないまま、手探りでそれを取って口に運んだ。
口の中にあった蜜柑を飲み込んで空にすると、京一はやはり隣の男を見ることなく、湯飲みに口をつける。
蜜柑を食べた味が消えない内に飲んだ所為か、「…苦ェ」と小さな呟きが溢れた。

八剣が茶菓子の入った皿を差し出すと、また見ないまま京一は茶菓子に手を伸ばす。
醤油煎餅をぱりぱりと噛み砕きながら、京一は眺めていたテレビのチャンネルをいじり、面白そうな番組を探す。
その傍ら、愚痴かぼやきにも似た呟き────独り言は続く。



「首絞められたり、バカみてぇな高い所から落とされたり。串刺しにされたりとかな。なんか碌でもねえ一年だったぜ」



最早、煩悩云々と言う話からは遠くかけ離れているが、八剣は何も言わない。
いつものように口許に薄く笑みを透いたまま、煎餅を食べながらテレビを眺める京一の横顔を眺めている。



「厄年だったのかもな」
「でも、そう悪い事ばかりでもないだろう?」



溜め息でも吐きそうな京一に、八剣は言った。
すると、じろり、と苛立ち混じりの瞳が八剣を睨む。

八剣が黙って茶請けの饅頭を差し出すと、京一はそれを奪うように取って自分の口へと持っていった。
甘いものは余り得意ではない京一だが、和菓子の類は案外と舌が肥えているらしく、八剣が用意する和菓子は無条件に旨いものとして認識しているようで、それを食べる事は嫌いではないらしい。

こし餡入りの饅頭をもぐもぐと粗食しつつ、「どうだかな」と京一は言った。



「ションベンくせぇガキどもとつるまなきゃならなかったってのは、面倒だったな」



京一が言っているのは、真神学園で共に過ごしている仲間達の事だ。

くすり、と八剣は小さく笑う。
そんな事を言いながら、京一が彼らの事を憎からず思っているのは、誰の目にも明らかだ。
この冬休み中でも彼らは折りさえ合えば、逢って何処かに遊びに行ったり、冬休み中の課題に奮闘したりと、仲睦まじく過ごしている。
特に親友であり相棒である緋勇龍麻とは、恋人である八剣よりも共に過ごしている時間が多いのではないだろうか。

だが、根本的に素直になれない京一は、何があろうと、意地でも他人を誉める事はしない。
彼の場合は逆に、好きなように言っても良い、と認識している相手程、好意と信頼のある人間と思っていると言って良いだろう。



「……おいコラ。何笑ってんだ、気持ち悪ィ」



テレビを眺めていた京一が、いつの間にか此方を向いていた。
細められた眼が八剣をじっと睨んでいる。



「なんでもないよ。ただの思い出し笑いだから」
「……やっぱ気持ち悪い」
「酷いねェ」



傷付いたように眉尻を下げる八剣だが、京一は鼻で笑っただけで、またテレビに視線を戻した。
八剣は、饅頭の最後の一口を頬張る京一の横顔を見つめながら、ぽつりと呟く。



「俺は、結構良い一年だったと思うよ」
「拳武館があんな事になっててもか?」
「それを言われると厳しいけど。終わり良ければ、と言う意味では、そう悪い事ばかりでもなかったね」
「ふーん」



京一の反応は、如何にも興味がないと言った風だ。
実際に彼は、八剣がこの一年間をどう感じているか等、興味どころかどうでも良いと言い切れる事なのだろう。

八剣の手が、京一の後ろ髪に触れる。
指先に絡む京一の髪は、相変わらず傷んでいて、毛先には枝毛もあった。
勿体無いね、と八剣が呟くと、無言で京一の手が八剣を振り払う。



「……京ちゃん」
「なんだよ」



名前を呼ぶと、京一は振り返らずに返事だけを寄越した。
テレビには毎年恒例のバラエティ番組が流れており、今は丁度盛り上がりに差し掛かっているらしく、彼の意識は全てそちらに向けられている。

八剣の手が京一の髪をもう一度撫でると、後ろ髪の隙間に覗く項に指が滑る。
ぴくっ、と京一の肩が微かに跳ねて、紅の混じった瞳が八剣を睨む─────瞬間、その眼が大きく見開かれ、彼の視界が金色に染まる。



「…んっ、ぐ……っ!?」



くぐもった音が漏れて、京一の腕が暴れようと振り上げられる。
それを捕まえてやると、八剣は京一の腕を自分の首へと回し、京一の背中を抱き寄せた。
そうして密着する事が嫌いな彼は、益々暴れようとしたが、八剣は構わず彼を押し倒して、床へと彼の体を縫い止めた。

覆い被さる男から逃げようと暴れる京一だったが、口付けが深くなり、長い時間が経つにつれて、その勢いは段々と衰えて行く。
やがて、八剣の首に回された京一の腕から力が抜け、指先が何かを迷うように八剣の上掛の襟を引っ掛ける中、八剣はそっと重ねた唇を放した。



「っは……、…っの、軟派野郎っ……」
「酷いねェ」



憎まれ口を叩きながら、京一は肩で呼吸し、服の袖で口許を拭おうとする。
その手を捕まえてやんわりと阻むと、この野郎、と射殺さんばかりの眼光で八剣を睨んだ。

その眼差しを見つめ返しながら、八剣は柔らかな笑みを浮かべ、



「概ね良い一年だったよ。何せ、京ちゃんと逢えたんだから」



八剣の言葉に、京一はぱちり、と瞬きを一つ。
それから、頬から耳から一気に赤くして、じろりと八剣を睨み付ける。



「俺は最悪だった」
「そう。良かったね」
「…人の話聞け」



忌々しげに睨む京一の言葉に、聞いてるよ、と八剣は言って、もう一度唇を重ねた。





「お前、今直ぐ寺行って煩悩根こそぎ祓って来い」
「それ位で祓えたら、人間は苦労しないんだろう?」






2014/01/01

家でだらだら年越しな八京でした。

パワーバランスは一見八剣<京一ですが、こうなると八剣>京一。
素直になれない(ならない)京一と、そんな京一を寛容してる八剣が好きだ。