其処に残った薄い痣は、数日の内に消えるだろう。


─────────だけど。

















Joke and worry

















「京一に酷いこと言われた」

「だから、あれはオレじゃねェって言ってんだろ」

「首も絞められた」

「人聞き悪いこと言うな! つか、あれはお前からやってきたんだろうが!」

「…………」

「……お前なぁ……」






…………その場のその状況を観ていなかった者にしてみれば、とんでもない会話である。




仲間同士───特に常に行動を共にし、今となっては傍目にも“親友”と言えるだろう、龍麻と京一の二人だが、
彼等の口から出てきた台詞は、どれも仲間同士、親友同士が互いに向けて発するにはあまりにもおっかない代物。


龍麻の“酷いこと言われた”というものなら、まだ想像できないでもない。
何せ京一は口は悪いし、態度も粗暴だ。
辛辣な言葉を隠そうともしないし、確かに人によっては酷い言われ方だと思う言動も目立つ。
しかし、龍麻は寛容なのか単純に気にならないのか、京一のそんな言を特に気に留めない。
そして京一が“オレじゃねェ”とずっと弁解を図っているから、何某か、敵の思惑にハメられたのだろうと思う。

だが聞き逃せないのはその後に続く言葉だ。


“首を絞められた”なんて、全くもって穏やかではない台詞だ。
おまけに京一も“お前からやってきた”と言い出す。
つまり、龍麻は京一に首を絞められたが、それよりも先に龍麻の方が京一の首を締めていたと言うのだ。



「もういい加減にそれに拘るの止めろっての」
「だって、苦しかったし」
「オレだって死ぬかと思ったぜ。お前、加減しなかったじゃねェか」
「京一だってそうだろ」
「それもオレの意思じゃねェよ!」



話は堂々巡りだ。

如月骨董品店で、京一曰く雷野郎────雨紋雷人と、今回の鴉事件の犯人の行方を追って集まった頃から、
龍麻と京一はこの調子で、延々と口論と言うには中身のないケンカを続けていた。


龍麻はずっと拗ねた口調で(その割に表情はいつもとあまり変わっていない)、
京一は呆れた顔をしたり、怒り顔になったり、最後はやっぱり呆れたりという顔で忙しない。
会話を聞いていると専ら責めているのは龍麻の方で、京一は付き合うのも疲れてきたようだった。




「癪に障るけどよ、あの野郎の仕業だってのはお前も判ってんだろうが」
「うん。でも、本当に死ぬかと思ったし。京一に殺されそうになるなんて、思わなかったな」
「オレだってお前に殺されるとは思わなかったぜ」




言って、京一は盛大な溜め息を吐いた。




「確実に頚動脈入ってたぞ、アレ……」




左手で自身の首筋を擦る京一。
触れると其処にまだ圧迫感が残っているようで、京一は顔を顰めた。

同じように龍麻も自身の首に触れている。



そんな彼等を遠目に見ながら、醍醐、小薪、葵はなんとも言えない表情をしていた。




敵に操られての不本意な行動だったとは言え、その時の彼等を想像すると本当に怖い。
徒手空拳を得意とする龍麻の握力は並大抵ではないし、京一も毎日木刀を握っている。
半端ない弾力感やら、防御力を持つ鬼を相手にしても木刀を手放さないその握力は、龍麻に負けるとも劣らぬだろう。
そんな二人が力の加減もなく首を絞め合っていたら、遅からずどんな事になってしまうか……容易に想像が尽く。

その場にいたのが二人だけではなく、雨紋の存在があったのは実に幸いだった。
彼が今回の事件の犯人であり、二人を操った亮一を止めなければ、龍麻と京一は此処に戻ってはいまい。



身体が言う事を聞かず、酸素が欠乏し、だと言うのに友を殺そうとする腕は離れない。
それは他者には想像することなど出来ない程、恐ろしいものではないか。

小薪だって葵を自らの手で貶めたくはないし、葵だってそれは同じ。
醍醐も慕情を寄せた相手や、気心の知れた友人をこの手で死なせたくない。
例えそれが己の意志ではなかったとしても。


遠退く意識の中で、同時に己の手の中で友の鼓動が弱まっていく。

──────考えるだけで、空恐ろしい。





そして、不本意であろうとそんな事態になった後で、こんな風に軽口めかしてその出来事を口に出すなんて出来やしない。




「京一、爪伸びてるだろ」
「あ? なんだよ、急に」
「食い込んで痛かったんだよ。多分、痕残ってる」
「そんなトコまで責任取れるかよ。ンな事言うなら、お前だって」
「僕はちゃんと切ってるよ」
「下手なんだろ。尖ってるんじゃねえか、なんか刺さった感じしたぜ」




……尚且つ、こうして普段と同じように振る舞うなんて、無理だ。


幾ら操られていたという理由があろうと、後ろめたさはあるだろう。
相手が何度“気にしていない”と言った所で、自身の中に蟠りは残る。

龍麻のように、責める割には、なんでもない事のように。
京一のように、ただ同等に、なんでもない事のように。
その出来事について話すなんて、如何考えても出来なかった。





「それよか、見てみろ。オレなんか痣残ったんだぜ」





京一が頭を上げ、首に当てていた手を話す。
如月骨董品店の鏡で垣間見たのだろうか、確かに其処には薄らと痣が残っていた。

龍麻がそれを覗き込む。




「ホントだ。きれーに残ってる」
「暢気な事言ってんじゃねえよ、テメェは…」




そのきれーに残った痕。
それを残したのが誰であるのか、考えなくても判るだろう。
まして龍麻は当事者である。
…にも関わらず、龍麻はサラリと言ってのけた。

京一の首をぐるりと一周している、常人よりも少し大きめに見える、手形。
龍麻の伸ばした手が其処に触れると、ぴったりと寸分の狂いなく大きさが一致する。



「お前、半分本気だったんじゃねェか?」
「あ、酷い。京一、僕のこと信じてないの?」
「でなきゃこんなに痕が残るかよ」
「僕、一所懸命抵抗してたのに。京一こそ…」



責め合いをしているというのに、本人たちの空気は至って和やか。
テンポの良い会話が飛び交い、醍醐達は口を挟めない。



「死ぬかと思った」
「僕も」
「あんな間抜けな死に方、御免だっつーの」
「うん、僕も」



いつもの何気ない会話と何ら変化はない。
京一の軽口に、龍麻がノったり、諌めたり、そんな程度のものと同じ。

……内容は、甚だ穏やかではないけれど。




「……ボクには理解できないよ……」
「…同感ですね…」




呟いた小薪は、これ以上この会話にはついて行けない、と早足になった。
醍醐もそれを追い駆け、未だ物騒な会話を続けている龍麻と京一を置いて行く。





「……ちょっと、羨ましい…って言ったら…怒られるかしら……」




─────葵のその呟きは、幸いと言うべきだろうか。
前を歩く小薪と醍醐にも、後ろを歩く龍麻と京一にも聞こえなかった。



葵は進む足を止めぬまま、こっそりと、肩越しに後ろを振り返って見る。


いつものように龍麻の肩に腕を回し、口角を上げて軽口を叩いている京一。
それを常と変わらぬ柔らかな笑みを浮かべ、一言二言、返している。

そうして顔を突き合わせ、クツクツ笑う、クラスメイト二人。



何を言っても、赦し合える。





ささやかな焼餅を隠して、葵は前を歩く二人に並ぶ為に足を急がせた。


















───────ひたり、と。
首筋に触れた指先をいぶかしんで、半ば無意識に眉根が寄っていた。
が、その出所が何であるのか気付くと、眉間の皺は少し薄くなる。



痣の残った京一の首に、龍麻が触れている。




「苦しかった?」




かけられた問いは、京一にとって愚問以外の何者でもない。




「当たり前だ」
「だよね」
「お前もだろ」
「うん」



不本意にも、互いの首を絞めあった。


最初に龍麻に首を絞められた瞬間、京一は我が目を疑った。
故意にしろ不本意にしろ、龍麻にそんな事をされるなんて思ってもみなかった。

洒落になってない、と言った京一に、龍麻が違う、と言った。
その目は自分のよく知る親友の色をしていたから、その時はほんの少しだけ安堵した。
良かった、こいつの意志じゃない────そんな風に。

それから自身の腕が持ち上がり、龍麻の首を絞め始めた時、止めろ、と叫びたかった。
自分の意志じゃなくても、龍麻にそんな事をしたくはなくて。



だから、苦しかった。



酸素の欠乏など、些細な事だ。
意識が朦朧としていく事だって。
その先に待つのが、望んでもいない形の死であるとしても。

その瞬間に苦しかったのは、確実に近付く死への階段ではなく。
手の中にある友の鼓動が、少しずつ、弱くなっていくこと。





「ごめんね、京一」





僕が操られたりしなかったら、こんな事にはならなかったのに。

詫びた龍麻の顔が、何よりも雄弁に語っていた。
最初のあの時、自分がもっと抗っていたら、と。


正面から見たその顔に、京一はがしがしと自身の後頭部を乱暴に掻く。






「……ま、無事だったし、な」





龍麻のように、素直に謝る事は出来なかった。
もう気にしてねェよ、と言うのが精一杯。





「ごめんね」
「もういいって」
「ごめん」
「……龍麻」




繰り返し詫びを告げる龍麻に、京一が顔を顰めた。

その侘びが何に向けられているのか、何を根源としているのか。
龍麻は自身で十分理解していたし、京一も判っている。





酷いことをしてごめん。
酷いことをさせてごめん。
怖い思いをさせてしまって、ごめん。

例えそれが、君の意志ではなかったとしても。
君の手で僕を殺す事になりそうだったなんて、そんな事。


酸素が欠乏するよりも、意識が朦朧とするよりも。
望まぬままに目の前の存在の命を奪おうとする手が、何よりも憎かった。
相手にそんな事をさせていると判っていながら、抗えなかった自分が憎かった。
何度謝ったって、足りない位に。





自分が死んでしまうより。
彼の手で自分が死んでしまうことが、自分の手で彼を殺してしまうことが、怖かった。







「生きてんだから、もう謝るな」






それでも、確かに自分達は生きている。
あの場に雨紋がいてくれて、本当に良かった。

龍麻は京一を殺さなかったし、京一は龍麻を殺さなかった。
それで済んだ、二人とも生きていた。
皆の前で冗談めかして軽口を叩けるのも、生きているからこそ。


こうして隣に並んでいられるのも、生きているからこそ──────……







「痣、早く消えるといいね」
「………ああ」











この痣は、君の傷。

だから早く、消えるといい。



君と殺し合った過去なんて、跡形もなく。














アニメ4話の、二人のあの掛け合いが可愛くて大好きです。
序にあの首絞めのシーンに萌えたって言ったらダメですか…

無意識にラブラブの二人。