判るから、だから


焦燥感は、募る














To catch up with you, all

















「京一が勉強してるー!!!」




盛大な声を響かせたのは、遠野杏子であった。
響いた声にその場にいた生徒達はビクリと肩を跳ねさせ、振り返る。


場所は真神学園、3-C教室。
窓際に椅子を寄せ、椅子と一体になっている机を出し、本を開いている男子生徒が一人。
それだけならば、学校と言う場所である事も含め、ごくごく有り触れた光景であった。

─────そこにいる人物の特性を除いては。




ある意味、不名誉とも入れるリアクションを取られた当人は、向けられる無数の視線に気付き。




「……………文句あるか、コラ」




開いていた本から目線を離し、隣クラスの友人、遠野を見て忌々しげに呟く。



「文句はないわよ、学校なんだから。問題は、アンタが本を読んでるって事よ!」
「オレが本読んでちゃ悪ィってのか」
「だから、悪いとは言わないわよ! でも大問題じゃない!」



遅刻に無断欠席、サボタージュは当たり前の京一。
課題の提出が遅れるのも毎度のことで、彼の鞄の中は大抵空ッポ。
勉強という言葉が似合わない、校内有数の不良生徒である。

そんな彼の事、読書なんて言葉とは縁遠い。
しかも遠目に見る限り、読んでいるのは漫画雑誌などではなく、教科書のような味気ないもので。



「アンタ、一体何があったの!?」
「………なんもねェよ」
「─────蓬莱寺君!!」
「どわっ!」



遠野の言葉に面倒臭そうに答えた京一に、美里葵が詰め寄った。
その後ろでは、胡乱げな目をした小蒔と醍醐がいる。



「やっと真面目に勉強してくれる気になったのね!」
「……そういう訳じゃ……」
「いや、葵…水を差すようだけど、コイツに限ってそれは絶対ないと思う」
「ケンカ売ってんのか、桜井」
「俺も桜井さんと同意見だな……頭でも打ったのか? 京一」
「醍醐……テメェ等オレをなんだと思ってやがる!」



葵の反応は、判らないでもない。
何かと授業を抜け出す京一を、生徒会長という役職もあってか、生来の真面目さからか───葵は気にしていた。
折角受けられる授業をサボってしまうなんて勿体無い、と。
京一は、毎回けんもほろろに取り合わなかったけれど。

やっと自分の努力が実を結んだかと、感動しているようにも見える葵。
隣で否定を示す友人二人の声など、まるで聞こえていないらしい。



「それで、なんの勉強をしているの?」
「あ! バカ、見んなッ!!」





机の上に開いたままだった本を、葵が覗き込もうとする。
しかし、咄嗟に京一が本を閉じてしまい、中身は見られなかった。
表紙はと言えば、ご丁寧に本屋のマークの入った紙のブックカバーが取り付けられている。
透明ビニールではなく、紙の、だ。
これでは見る事が出来ない。


見られることを断固と拒否したその姿勢に、小蒔がニヤリと笑い、




「──────判った。勉強なんかじゃないんだ。なんか如何わしい本読んでるんだろ」




中身は見せない、カバーも見せない。
そして、蓬莱寺京一という人物性。

それらを見越して出した小蒔の結論を、否定する者はいなかった。



「あー、ちょっと安心した。明日は天変地異かと思ったよ」
「まぁ……そうですね」
「蓬莱寺君……ダメよ、そういうもの学校に持って来たら」
「ちぇーっ、スクープかも知れないと思ったのにィ」



すっきりした表情の小蒔と、それに同じる醍醐。
途端に失望したような、残念そうな顔の葵と、つまらなそうに呟いて背を向ける遠野。

本当にオレをなんだと思ってるんだ、と言いたげな顔をした京一だが、今日ばかりは堪える。
此処で何かを言えば、だったらソレはなんなんだ、と問われるに決まっている。
適当にあしらっても、彼女等は食い下がるだろうし、信実を言うまで引き下がらないだろう。


バラバラと自分の教室に、自分の席にと散っていく友人達。
それらが各々向かう先に辿り着くのを(遠野は教室から出て行くのを)見て、京一はまた本を開いた。





其処で、じっと事の成り行きを見守っていた龍麻は、動いた。





「京一」

「っっっ!!!!」





バタン!! と。
盛大な音と共に、また京一の本が閉じられる。

そろそろと、窺うように京一が龍麻へ振り返る。



「な、なんだ、龍麻か……」
「うん。でも珍しいね、京一が勉強してるの」
「…別に勉強とは限らねェだろ」
「それなら、さっき美里さん達にそう言うだろ」



開いているのが漫画であれ、なんであれ、勉強に関わるものではないのなら、京一はきっぱりそう言う筈だ。
勉強なんかやってられねェよ、と。

けれども、京一は言わなかった。
葵達は気付かなかったようだけれど、龍麻はその微妙な差に気付いた。




「どうしたの? マリア先生に怒られたとか? あ、犬神先生かな」
「マリアちゃんはともかく、なんで犬神なんだよ」
「会う度に言われるから、今日位は真面目にしようかなとか」
「犬神の言うことなんざ、誰が聞くかッ」



吐き捨てるように言う京一は、本当に生物教師の事が嫌いらしい。




「じゃあ、どういう風の吹き回し?」
「……ただの気紛れだ」




それこそ有り得ないだろう、と龍麻は胸中で呟いた。
単なる気紛れで、彼が嫌いな勉強を始めてみようか、なんて。
そんな日が来たら、小蒔の言う天変地異も遠からず起こる気がする。



隠されれば気になるのが人間の性。
どうにか本の内容が判らないかとじっと見ていると、その視線に気付いたのだろう。
京一は本を横にかけている鞄の中に放り込んでしまった。

何を聞かれても、“勉強”の内容は教えるつもりはないらしい。





そっぽを向いた親友が、それ以上の質問を拒否しているのは判ったから、龍麻は結局何も判らぬまま、自分の席に戻った。



















昼休憩になると、京一は誰よりも一番早く、教室を出て行った。
それも廊下に繋がるドアではなく、窓からグラウンドに向かって。

三階の教室から飛び降りるという男子生徒の存在は、最早この真神学園では普通となっていた。



それを追い駆けて自分も出て行こうとして、龍麻は踏み止まる。
京一が駆けて行く校門の方には、彼を「アニキ」と慕う舎弟達の姿があった。

そして、校門へ走る親友の手に抱えられたもの。
購買で買った昼飯のパンでもなく、真新しい紙のブックカバーに覆われた、一冊の本。
今朝、京一が断固として中身を人に見せようとしなかった本だ。


校門に辿り着いた京一は、一言二言会話をした後、吾妻橋達と校外へ出て行ってしまった。
午後の授業はサボるつもりだろうか。
いや、今はそれよりも。




(……あの人達は、知ってる……?)




京一が隠している内容を、京一が本を読んでいる理由を。
あの舎弟達は、知っていると言うのだろうか。

──────自分が、知らないのに。



むう、と龍麻は顔を顰めた。




「緋勇くーん」




小蒔の呼ぶ声が、後ろから聞こえた。
揃って皆で昼食を食べよう、という誘いだろう。
振り返ってみれば、やはり、それぞれの弁当を持った見慣れたメンバーが手招きしている。

が、龍麻はそれを辞退した。




「ごめん、今日は……」




そこから先、上手い言い訳が思いつかなくて、詰まってしまった。


迷っている暇はない。
早く行かないと、京一を見失う。

だから結局、其処から先は何も言わずに、龍麻は窓からグラウンドへと飛び降りた。

















馴染んだ気配を追い駆けて、辿り着いたのは真神学園からそれ程遠くない場所にある、川原。
ジョギング中の老人ぐらいしか、この時間は見かけることがない。
さらさらと静かに流れる水面に陽光が反射し、うららかな午後の演出に一役買っている。


京一がいたのは、その川にかかっている橋の下。
吾妻橋達もいる。

吾妻橋達が買ってきたのだろうパンを齧りながら、龍麻の方向に背を向けて俯き加減になっている。
このまま近付こうかと思った龍麻だったが、教室での京一の反応を思い出した。
なんだか悪い事をしているような気がしないでもなかったが、龍麻は遠回りをして橋へと辿り着いた。



そっと、橋の柱の影に隠れて、京一達の会話に耳を欹てる。




「だから、違いますって。其処は…」
「……判ってる、ちょっと待て。今確認してんだよ」




吾妻橋の言葉を、京一の声が遮った。

風が吹いて、パラパラと紙の擦れる音がした。
あ、と京一の声。




「くっそー…何処だか判んなくなっちまった……」




そっと柱の影から窺うと、京一はブツブツ呟きながら本を捲っていた。
教室でも呼んでいた、紙のブックカバーをつけた本だ。




(─────僕には見せなかったのに)




むぅ、と唇を尖らせる龍麻だったが、この場では全く意味がない。


隠し事をされて、別に怒れるような立場ではないし、そんな間柄でもない。
誰にでも言いたくない事の一つや二つはあるもので、龍麻も京一に話していない事は山ほどある。

だけれど、理屈と感情は別物で。
そして自分が知らされないことを、他の誰かが知っている、知らされていると思うと。
寄せた想いは暗い感情を作り出し、嫉妬と言う形になってしまうのである。




「──────ん?」




ひょいっと京一が顔を上げて、龍麻は慌てて隠れた。
今此処で自分が見付かったら、京一は益々“勉強”の内容を教えてくれないに違いない。




「アニキ? どうかしました?」
「……いや……気の所為だ、なんでもねぇ」




しばらく龍麻の方へと視線が向けられていたが、直にそれは逸らされた。
そっと窺ってみると、京一はまた本に目線を落としている。




「それにしても…わざわざ、こんな所まで来なくてもいいんじゃねえんですかぃ?」
「……文句あんのかよ、吾妻橋」
「いや、滅相もない! そういう訳じゃないんスけど」




睨む京一に、吾妻橋が両手と首を使って否定を示す。
眉間に皺を寄せた京一の顔は、見るからに凶暴さが滲み出ていた。




「アニキも案外照れ屋サンっスね……だああッ、すんません!!」




遠目に見ても明らかな怒りのオーラを放つ京一に、吾妻橋が逃げる。




「バカ言ってねェで、次! 次の問題だ!」
「へ、へい……」




問題。
…まさかクイズ等ではないだろう。

ひょっとして、そのまさかのまさか、本当に勉強をしているとでも言うのか。


それにしては不自然な点が多過ぎて、龍麻は首を傾げた。




「前方の信号が長い間青色であるときは、黄色に変わることを予測して、減速しながら接近するとよい」
「×」
「クラッチレバーを握ると、エンジンの動力が車輪に伝わるようになる」
「×」
「徐行や停止をするときは、合図のしようがないので合図をしなくてもよい」
「×。……なんか×ばっかの選んでねェか…」
「偶然ですよ。ンじゃあ、えーと……」




つらつらと並べられていく問題の内容。
それを○×の二択で答えているらしい、京一の回答。




「追い越しをする時、前車が右折するため道路の中央に寄っている場合以外は、前車の右側から追い越さなければならない」
「だから×……ん? お前、さっきもその問題読んでなかったか?」
「それより答え、答えですよ。どっちスか?」
「………ちょっと待て、もう一回言え」




澱みなく、すらすらと同じ問題を読み上げる吾妻橋。
京一は、再度猛一回言え今度はゆっくり、と言い、二度目の読み直しになる。

龍麻から見える京一は、手元の本に視線を落とし、ブツブツと吾妻橋の読んだ問題を反芻し。
単語単語に区切って考え込む京一の回答を、舎弟となった四天王達は根気良く、急かす事もなく待ち続けた。



頭から湯気が出そうなほど考え込んでいる京一。
吾妻橋達はそろそろ我慢の限界が近いようだが、相手が京一だからだろうか。
律儀に黙したまま、京一の考えが良かれ悪しかれ結論に辿り着くのを待っている。



そのまま、どれ程の時間が流れただろうか。
実際には5分も経っていないのだが、熟考している京一及びそれを待つ周囲にとっては長い長い時間だった。
いつの間にか、見守るように息を詰めて様子を窺っていた龍麻も、同じく。


──────我慢の限界が最初にキたのは、京一だった。




「だーッ!! クソ、やってられっか!!」
「ってアニキ、その台詞もう4回目ですぜ」




立ち上がり、本を地面に叩きつけて怒る京一。
吾妻橋達は凡その予想は出来ていたらしく、特に同じることはなかった。

吾妻橋が真新しい紙のカバーに付着した土を払い、はいどうぞとご丁寧に本を京一に差し出す。
京一は数秒それを睨み付けていたが、結局は受け取り、腰を落とした。




「そんななら、止めますかい?」




そう言った吾妻橋の声は、労わりの情が滲んでいる。


京一は、がしがしと乱暴に頭を掻いて、手元の本に視線を落とす。
─────その時の表情を、龍麻は忘れない。

悔しそうな、痛そうな────泣きそうな、顔に見えたから。




「──────そいつは、駄目だ」





本を開き、パラパラと紙の音を立てながら京一はページを捲る。




「なんでですかい? 俺達ゃアニキの為なら、幾らでも体張りますぜ」
「……バぁカ。そんな事で、自分の命無駄にすんじゃねえよ」
「無駄じゃありません。アニキの為ですから」




ぴたり、ページを捲る音が止まる。
俯いて目元を指で押さえ、長い溜め息を漏らす。




「そうかよ」
「へい」
「……悪ィな、付き合わして」
「それこそ何言ってんですか。アニキの為なら、幾らでも!」




俯いたままの京一の言葉に、吾妻橋は嬉しそうに笑う。
相変わらず、彼は京一に心底惚れ込んでいるらしい。
他の三人も心なしか嬉しそうだった。


────いつもなら、その様子を隣で見ているものなのに。
どうして自分は、今あそこの輪の中に入れないのだろうかと、龍麻は眉根を潜めた。




「にしても────そろそろ、理由ぐらい教えちゃくれませんかね」
「……何が」
「何がって、コレですよ。なんで急に、バイク免なんか取ろうと思ったんで?」




────────バイク免。

すなわち、自動二輪車免許である。




其処で龍麻も合点が行った。
先ほど吾妻橋が読み上げていたのは、自動車免許を取るに当たって必要になる交通ルールに関する問題。
自動車教習所など行った事がないので、細かいことはよく判らないが、それ位は理解できた。




「………お前等にだって都合はあんだろ、毎回巻き込めるかよ。それに、」



京一が一呼吸、間を開ける。
本を持った手に、僅かな力が込められたように見えた。






「───────オレは、すぐに捜しに行きてェんだよ」






風が吹いて、ページの捲れる音がした。
まただ、と忌々しげに呟いて、京一は元のページを探す。

中々見付からないページに苛々した京一に見かねて、吾妻橋が手を出す。
元のページを開いて京一に本を返し、京一もそれを受け取ると、文章に目を落として───いや。
その時は、眺めている、と言うのが一番正しかったのではないだろうか。


文章に落とした眼は、文字の羅列を追っている様子はない。




「すぐに、ですか。でもそんな焦らなくても、アニキ、判るじゃないですか」
「別にそんなのじゃねェよ。ありゃあ……氣を追い駆けたら、辛うじてって感じだし」
「そんでも判るんでしょう? だったら」
「バカ野郎」




吾妻橋の言葉を、はっきりとした声で京一が遮った。




「居場所が判るからなんだってんだ。其処に行けなきゃ意味がねェ。其処にいなきゃ、結局なんにも出来やしねえんだ」




どんなに力があろうと、どんなに気持ちが急いていようと。
その場に辿り着くことさえ間に合わなかったら、何が出来ても、如何しようもない。


そう語る声には、悔しそうな色が滲み出ていて─────龍麻は思い出す。


それ程遠くはない以前の話、龍麻が九角の罠に陥り、危うい状況であった時。
誰よりも先に違和感に気付いていた京一は、龍麻の行動にも気付いていたけれど、龍麻はそれを遮った。
今だけは、と言って、龍麻はあの少女と共に、一人遠い地に赴いて。

九角の術から逃れても、疲弊しきっていた龍麻を救ったのは、他ならぬ京一の乱入だった。
彼が現れなければ、あの時自分がどうなっていたか、容易に想像はつく。
何処にいるかも判らない───龍麻もあの時、あそこが何処のどういう場所なのか判らなかった───龍麻を捜し、
京一は吾妻橋を引っ張り出して足にして、九角の結界内に閉じ込められた龍麻の氣を探り、あそこに辿り着く事が出来たけれど。
あと少し彼の到着が遅れていたら──────




似合わない“勉強”を始めた理由が、もし、それなら。



誰にも知られたくない理由が、もし。




(────────なんだ)




何を、妬く事があったのだろう。
こんなにコソコソと、探る必要があったのだろう。


笑みが零れて、心なしかささくれ立っていた心が凪のように穏やかになる。
現金だなと思いつつ、龍麻は隠れるのを止めた。

土を踏む音に、京一が顔を上げ、吾妻橋達が振り返る。




「きょーいち」
「──────たッ……」




気配に敏感なのは京一も同じで、それは彼も自覚があった。
けれども完全に気配を殺した龍麻の存在に気付かなかった事に、そして龍麻がずっと此処にいた事に、
────退いては数分前の“気の所為”が何であったかも理解して───京一は固まった。




「お、前ッ……いつから……」
「結構前から、かな」




さらりと言ってのけた相棒に、京一は開いた口が塞がらないらしい。
同じように、吾妻橋達も間の抜けた顔でぽかんと龍麻を見上げていた。



数秒たっぷりと固まった後、状況諸々を理解したのだろう、京一の顔が蛸宜しく真っ赤になる。

顰め面ばかりしている事が多いと思っていたら、結構表情豊かなのだ。
よく動く表情筋でコロコロと変わる面持ちを、龍麻はとても気に入っていた。
クスクスと笑って歩み寄ると、赤い顔のまま、慌てて手元の本を閉じる。


真新しい紙のブックカバーに覆われたそれが、教則本であると、龍麻はもう気付いた。
それでも隠そうとする京一が無性に愛しくて、龍麻は京一の目の前にしゃがむ。




「もう隠さなくてもいいんじゃないの?」
「なッ…べ、別に……ってオイッ!!」




焦っている隙に、京一の手元から本を攫う。
パラパラと捲ってみればやはり思った通り、自動車教習の教則本だった。




「返せ!」




龍麻の手から本を奪い返した京一の顔は、耳まで赤くなっている。
それに気付いてしまったら、睨まれたって怖くもなんともない。
照れ臭いのだと、判ってしまうから。


口元が緩むのが抑えられなくて、京一に益々睨まれる。




「京一が勉強なんて珍しいと思ったけど……京一、バイク乗りたかったの?」
「……なんでお前に教えなきゃいけねェんだよ……」
「京一の事だったら、なんでも気になるから。教えてくれるんなら、教えて欲しいよ」




そっぽを向いた京一の横顔に言うと、余計に京一の耳が赤くなった。

教えてくれるよね、と顔を覗き込むと、京一は龍麻のその視線から逃れるように顔を背けた。
その向けた顔の先には、成り行きを見守っている舎弟達がいて。




「……お前等、ちょっとあっちに行ってろ」
「はい?」
「いいから行ってろッ!!」




睨まれて、吾妻橋達は慌ててその場から退散した。

とは言っても、頭上の端の上から気配は動きを止めたが。
声が聞こえるか否かは判らないが、それ以上は移動しないつもりらしい。



龍麻が京一を見遣ると、がしがしと乱暴に頭を掻いている。
耳まで赤くなっているのがなんだか可笑しくて、龍麻はじりじりと京一との距離を縮めてみる。

そっぽを向いた京一の顔を、回り込んで覗いてみる。
が、視線に気付いた京一は、また明後日の方向を向いてしまった。
顔を見られたくないのは、やはり照れているからか。


京一は龍麻の顔を見ないまま、




「───────龍麻」




聞こえるか聞こえないかの声で、龍麻を呼んだ。


何? と問い掛けの形で、聞こえていることを伝える。




「お前は、フラッといなくなるだろ」
「………そう?」




なんの話だろう、と思いつつ、龍麻は京一の言葉に首を傾げた。
そうだろ、と押されるように言われたが、龍麻自身にはよく判らない。




「この間だってそうだろうが。オレが……気にかけてやってんのに、お前と来たら、あんな場所であんな事になってて……」




ああ、あの子の時の事か────と、ようやく気付く。
やっぱりそれが発端だったのかと。




「うん。ごめんね、京一」
「…とか謝っときながら、またフラッと何処か行くんだろうな、お前は」
「しないよ、そんな事」
「どうだか」




どうやら、あの一件でかなり信用を失くしたらしい。
無理もない、だって京一は、あの時の不自然な点に気付いていたのだから。




「吾妻橋にバイク出させるまででも、苛々してたんだ」
「そう」
「早く行かねェと、どうなるか判んねェだろ」
「うん」
「なのに何処にいるのか判んねェとか……」
「だよね」




自分だって、京一が途端に姿を消したら探し回る。
京一の強さは知っているから、大丈夫だとは思っていても────やはりこの目で見なければ安心できない。

《力》持つ者であるとは言え、その体はごく普通の人間と同じなのだ。
多少打たれ強くはあっても、皮膚が裂ければ血が流れるし、その血が失われれば死んでしまう。
一人で鬼と闘って、万が一のことがないとも言えない。


龍麻があの結界内にいる間、京一はどんな心境だったのだろうか。
掴めない相棒の氣を捜して。



隣にいるなら、傍にいるなら、何も不安はないけれど。





「────…オレの見てねェ所で、あんな事になってんじゃねェよ……」






其処にいなきゃ、助けることも出来ないじゃないか───────






辛うじて掴んだ気配は、酷く稀薄で擦れたもので。
舎弟を引っ張り出して巻き込んで、手掛かりと言えば自分自身の勘と僅かに感じる気配だけ。

微かにしか感じることの出来ない気配に、脳裏を過ぎったのは在り得ない、けれども絶対にないとは言い切れない景色。
何もないのならそれで構わない、余計な心配をさせるなと一発殴ってやれば気が済むから。
でももしも殴ることすら意味がなくなっていたら──────


吾妻橋を急かしながら、募るのは焦燥ばかり。
その吾妻橋を捉まえるまでにも、京一の焦りはあったのだ。
早く、早く行かなければならないと。
早く見つけなければならないと。

理屈ではなく本能的に感じていた。
あいつなら大丈夫だと言い聞かせても、意味がない程に。




「見つけりゃお前は血塗れで……ぶっ倒れやがるし」




抱えた時にヌルリとした赤黒い液体に触れて、間に合わなかったのかと思った。
血の気を失って意識を飛ばした相棒に、まさかと思った。

あの時、意外に冷静でいられたのは、奇跡だったのかも知れない。




「もっと早く見つけてりゃ………」




もっと早く。
もっと早く。

誰よりも早く。


気持ちばかりが急いて。
どうしてもっと早く動けないのか、仕様のない話でも腹が立った。





手の中の教則本を握り締めると、真新しかったブックカバーがくしゃくしゃと音を立てた。
その紙の音に、沈みかけていた自分の思考に気付いたのか、京一はがしがしと頭を掻いた。

とにかく、と話を無理矢理切り替えようとする声は、幾らか上ずっているようにも聞こえる。
それが照れている時の声だと、龍麻は知っている。




「とにかく、そういう訳だからな。毎回吾妻橋を引っ張り出す訳にも行かねェから、自分でバイクでも乗れりゃと思って……」




ブツブツと続ける京一は、また耳まで赤くなっている。
こっそりと横顔を覗いてみると、案の定、顔に血が上っていた。

その横顔に顔を近付けると、接近に気付いた京一が逃げるように身体を退こうとする。
肩を捉まえてそれを制し、龍麻は益々京一に顔を近付ける。
自分の宣告の告白と相俟ってか、京一は更に顔を赤くしていた。




「それってつまり、僕の為?」
「なッ……バ、バカ言えッ! そんなんじゃねェッ!」
「違うの?」




半ば確信があって言った台詞だったが、返って来たのは否定の言葉。
じゃあ何、と続けて問うと、京一はギリギリ歯を噛んだ後、また視線を逸らし、




「オ───オレ、が、そうしたいだけだッ! お前の為なんかじゃねェッ!!」




真っ赤になって怒鳴るように告げられた言葉に、浮かぶのは笑み。




「何笑ってんだ!」
「なんでもないよ」
「じゃあ笑うなッ!」
「無理みたい」




なんでだよ、と睨む相棒を、龍麻は微笑んで見つめ返す。



だって仕方がないじゃないか。

傍にいないと、早く捜しに行きたくて。
その為に似合わない“勉強”を始めて。
その切っ掛けは、フラリといなくなる相棒を早く見つけ出したくて。


──────つまりは、龍麻の姿が見えないと、京一は不安になるという事で。




(自惚れかも、知れないけど)




嬉しいと思ってしまう。
自分の事で、京一がそんな風に必死になってくれるのが、無性に嬉しくて仕方がない。




「僕も付き合うよ、京一の“勉強”」
「……どーせ止めろっつっても聞かねェんだろ…」
「だってずるいよ」




龍麻の言葉に、京一はどういう意味だと首を傾げる。
龍麻は笑顔のままで、その疑問に答える気はなかった。



──────ずるい。
それは、吾妻橋達の事だ。

自分に似合わない“勉強”を始めた京一が、茶化されるのを避けて、それを隠そうとしたのは判る。
一人でやってもどうせ長続きしないと考えて、吾妻橋達を引っ張り出したのも、容易に想像がつく。


でもやっぱり、最初に自分の所に来て欲しかった。
……それこそ、京一にとっては一番隠したかった相手でもあるのだろうけれど。




龍麻の言葉の意味が判らず、不思議そうな顔をしている京一。
なんでもないよ、と言うと、胡乱げな目を向けられた。
言う気がないのはどうやら判ってくれているようで、追求はなかった。





行くなと縛ることはしない。

止めろと留めることもしない。


行くのなら行けばいいと、束縛しないのが君らしくて。





追い駆けてやるというその言葉が、嬉しかった。








アニメ第一幕十一夜では吾妻橋をアッシーにしてたのに、第二幕六夜で自分でバイク運転してた京一。
時間的にはバイク免を取るぐらいの余裕があった筈なので(9月〜12月?)、隙間を捏造してみました。

京一は実技は一発OK出そうだけど、教習の方は時間かかりそうだなーと……
吾妻橋の読んでる問題は、実際に効果測定で出てくる問題です。
“〜以外の場合”って問題嫌いです……(問題じっくり読まないから(爆))


実はめっちゃ難産でした。書き出してから終わるまで一週間。日々書き直し。
京一が中々白状してくれなかったんだよ…!
ツンデレって難しいですね(普段はぽけぽけした子ばっか書いてるから…)

そして長いね。区切れるトコがなかった…