獅子の目覚め


エルオーネが生まれた時、レオンは生まれてから四つを数えていた。
小さな小さな村の、小さな小さな家の中で、小さな小さな命は産声を上げた。

 レオンの両親と、エルオーネの両親は、懇意の仲だった。
小さな村の中、唯一の外からの来訪者であった所為で、村人から父への風当たりは冷たかったが、そんな中でエルオーネの両親だけが違っていた。
古くを辿れば彼らの祖先も外の生まれであったとの事で、それももう何代前の話か判らないものだったのだが、ともかく、そうした経緯でエルオーネの両親は、レオンの父を疎ましく思う事もなかったのだそうだ。

 だからエルオーネが生まれた時、レオンもその場で彼女の誕生を祝った。
レオンとてまだ四つになったばかりの幼児であったが、そんな自分よりも、小さな小さな赤ん坊。
その小さな小さな手に、レオンは指先をぎゅっと握られて、思った─────「守りたい」と。

 レオンはエルオーネの世話を焼いた。
おしめの換え方も覚えたし、ミルクの作り方も覚えたし、お風呂にも入れたし、一緒に昼寝もした。
父もエルオーネを可愛がり、自分もやりたいやりたいと言ったが、母から「絶対ダメ!」と言われた。
何故なら、父は優しいのだけれどおっちょこちょいで、ミルクを作っている時に火傷したり、高い高いで危うく落としそうになってしまったりと、とにかく危なっかしいのだ。
大切な友人の、大切な娘に怪我をさせる訳にはいかないと、母はエルオーネの世話を父に任せる事はなかった。
とは言っても、触ったり話しかけたりは普通に許されていたので、父は時々不満そうに唇を尖らせる事はあったけれど、最終的には「そうだな、怪我させちゃ可哀想だもんな。うん。だから頼んだぞ、レオン」と言ってレオンの頭を撫でるのだった。

 母にも任されたし、父にも「俺の分まで頼むな!」と言われたし。
エルオーネの両親は畑仕事で中々暇な時間が作れないし。
何より、レオンはエルオーネが可愛くて堪らなかったから、レオンは夢中になって面倒を見た。

 エルオーネが最初に喋った言葉は、「パパ」でも「ママ」でもない、いつも遊んでくれる「おじちゃん」でもない。
「レオン」と一番最初に呼ばれた時、レオンは嬉しくて堪らなかった。
舌足らずに呼ぶ声がとても愛しくて、この声に呼ばれたら、きっとどんなに離れていても聞こえる、と思った。

 レオンが愛情を注ぐ分だけ、エルオーネもレオンに懐いてくれた。

 レオンがエルオーネの家から自分の家に帰ろうとすると、火がついたように泣き出した。
あんまりにもエルオーネがレオンに懐くものだから、エルオーネの両親から焼きもちを貰った位だ。
レオンもレオンで、エルオーネが自分を好いてくれるのが嬉しかったから、益々エルオーネに夢中になった。

 レオンにとって、エルオーネは守りたい存在だった。
それが「守るべき存在」となったのは、エルオーネの両親が事故で亡くなった時の事。

 長雨が続き、それが過ぎた明くる日、土砂崩れが起きた。
エルオーネをレオンに預け、山の麓にある畑へ行っていた彼女の両親は、土に埋もれて帰らなくなった。
父と村人達が必死になって探したが、遺体すら見付からないままだった。

 両親と村人達が、崩れた山の事と、一人残された小さな赤ん坊の今後について話し合っている時、レオンはエルオーネの傍にいた。

土砂崩れが起きた時、エルオーネはレオンと一緒に昼寝をしていたのだが、彼女は突然目を覚まして泣き出した。
レオンがどんなに宥めても泣き止まず、後になって、きっとあの時からエルオーネは感じていたのだと思うようになった。
大好きな両親が、もう二度と自分の下に帰って来てくれないのだと。

 話し合いの時には、泣き疲れて眠っていたエルオーネだったが、その手はぎゅっとレオンの手を握って放さなかった。
これ以上温もりが離れて行かないように、一人ぼっちになりたくないよ、と。

その時、レオンは決めた。
何があってもエルオーネを守る。
エルオーネを守って、エルオーネと一緒にいる。
一人ぼっちになんて、絶対にさせない。

 そう決めると、レオンは眠るエルオーネを抱いて、話し合いを続けている大人達の下に向かった。
そして言ったのだ、「エルオーネの兄ちゃんになる。家族になる」と。

 真っ先に賛成してくれたのは、父だった。
「よく言った!」と言ってエルオーネごとレオンを抱き締め、ぐしゃぐしゃと母に似たダークブラウンの髪を撫でた。
母も驚いた顔を引っ込めて、レオンの頭を撫でた。
二人が、村人達に対し、エルオーネを引き取ると言っていた事を知ったのは、それから随分後の事。

────父は村人から冷たく当たられていたけれど、村の子供達には人気があった。

 村は酷く寂れた場所にあったから、行商人だって殆ど来ない。
村の若者は皆外界に出て行って、時折ふらりと帰ってくる程度。

 そんな村の中にあって、外からやって来た大人が聞かせてくれる外界の話は、子供達にとってファンタジーの世界の話だった。
父は色々な場所を巡り巡って、この地に辿り着いたらしいから、本当に色々な話を知っていた。
村で一番の長生きだと言う老人は、村の子供がこういった話を聞く事に余り良い顔はしなかったけれど、「聞かせるな」と言うと、父ではなくて子供達の方から「どうして?」の嵐。
実際、幼いレオンも、父の話の何がいけないのか判らなくて、他の子供達と一緒になって「どうして?」と聞いた。
結局、老人も他の大人達も、誰も子供達の疑問には答えてくれず、父のファンタジー話はその後も続く事になった。

 それと加えて、村の若い大人が殆どいない中、父は子供達にとって格好の遊び相手だったのだ。
子供だけでも盛り上がる遊びはあるけれど、例えば怪獣退治ごっことか、そうした遊びは大人がいてくれた方が楽しい。
子供同士だと殆どの子がヒーロー役をやりたがり、倒される怪獣よりも、格好よく活躍したいと言う子が多かった。

 其処で父の登場だ。
父はなんでもオーバーリアクションで答えてくれて、例えば一人の子供が「○○○光線!」(何と言ったのかレオンは覚えていない。多分、父が話した何処かの国で人気だったらしい、テレビアニメのキャラクターの必殺技だったと思う)とか言ってポーズを決めると、胸を掻き毟りながら「ぐああああー! そ、その技を使える奴がいるとは…ううう、苦しい〜!」などと言って地面をごろごろ転がりまわるのである。
技を決めた子供にしてみれば、応えてくれるのは勿論、父の動きが面白いので、益々調子に乗る事が出来て楽しいのだ。
レオンはそうした遊びの輪に加わって、無邪気に駆け回るような子供ではなかったが、見ていて面白かったのは確かだ。

 そんな父も、レオン同様、殊更にエルオーネを可愛がった。
小さくて柔らかい彼女は、息子のレオンとはまた別の意味で、父にとって可愛い可愛い存在だったのだ。

 そして勿論、レオンの母も、エルオーネを可愛がった。
べたべたに甘い父と、どうにも“怒る”“叱る”と言う行為が苦手な息子に代わり、エルオーネにきちんと躾をした。
細くて整った眉を吊り上げて怒る母に、逆らうまいと、レオンと父に続いてエルオーネが覚えるまで、そう時間はかからなかった。
それでも抱き上げる時はとても優しい顔をしていて、絵になるよなあ、と言った父に、レオンは小さく頷いた。

 彼女の両親の分まで、レオンとレオンの両親は、エルオーネに愛情を注いだ。
その甲斐あってか、エルオーネはすくすくと育ち、村で一番愛される女の子になった。

 レオンはよく、小さな妹と一緒に、母が丹精込めて育てた花畑で、一緒に花冠を作った。
作った冠はレオンが母に、エルオーネが父にあげた。
母は少し照れ臭そうに「ありがとう」と息子と娘の頬を撫で、父はこんな時にもオーバーで、泣きながら喜んで息子と娘に抱き着いてキスをした。
エルオーネはこれにも嬉しそうに笑ったが、レオンは母はともかく父にそうされるのは恥ずかしくて、じたばたと暴れて逃亡を試みたが、結局徒労に終わった。

 エルオーネと過ごす時間は、くすぐったくて、あったかくて、柔らかくて。
レオンにとって幸せ一杯の時間だった。
村はとても小さくて、村人達は皆知り合いで、エルオーネを苛めるような人はいなかった。
けれど、エルオーネを怖がらせるものは確かにあった。
そえはぶちゅぶちゅな虫とか、ぶんぶん飛んでる虫とかだ。
レオンは男の子だから、それを怖がる事はなかった。
だから虫がいるのを見つけると、エルオーネがそれを見つける前に退治した。
花畑の中にいるのは、花の蜜や種を運んだりするのに必要だったから不用意に殺してはいけなかったけれど、代わりに土の中に埋めたり、追い払ったりして、エルオーネを守った。
時々イタズラ好きの村の男の子が毛虫を捕まえては女の子を追い駆けてきゃあきゃあ泣かせていたけれど、レオンはそんな時、絶対にその子供をエルオーネに近付けなかった。
子供達も、エルオーネを泣かせると、滅多に怒らないレオンが烈火の如く怒るのを知っていたから、捕まえた虫は精々遠くから見せるだけで、後は直ぐに標的を変えた。

 そんな日々が続く中で、歳月は流れ、レオンは八歳になった。
赤ん坊だったエルオーネも成長して、利発な女の子になった。
空と同じ、水色のワンピースがよく似合う女の子で、毎日母の手で丁寧に梳かれた髪は、太陽の光を反射させて綺麗な光沢を放つ。
父は、「村で一番かわいいのはエルだ!」と豪語した。
そして「一番格好良いのはレオンだな!」と言うので、これは酷い親バカだ、とレオンは小さく呟いた。
こっそり嬉しかったなんて事は、絶対に言わない、と心に決めた。

 ガルバディアとエスタの戦争が始まって、父が村人を人質にされた形で徴兵された後も、村は平穏な日々が続いた。
時々帰ってくる父が、顔や腕に包帯やガーゼを巻いていなければ、レオンは今が戦時中である事など、実感する事もなかっただろう。

 レオンは母のカフェバーの切り盛りを手伝い、エルオーネも真似事をするように、レオンと一緒にカフェバーにいる事が増えた。
母と話をしにやって来る人々に、注文を貰いに行ったり、メニューを運んだり。
小さな店だし、知らない客など滅多に来ないから、子供二人が手伝いをしなければならない程、繁盛している事は少ない。
それでもレオンは母の手伝いがしたかったし、エルオーネもレオンや母と一緒にいたがった。
店の手伝いが一段落したら、店の裏手にある花畑の手入れをする。
父が徴兵されてしまった所為で、村には若い男手が足りなくなっていたが、レオンはその分まで頑張った。
村の子供達の中でも、レオンは年上で兄貴分だったし、父の代わりは自分の役目だと自負していた。
手本になるようにしないと、と言う自覚があったのだ。

 怪我をして、時々帰ってくる父は、いつも通りだった。
遊んでくれる大人の凱旋を無邪気に喜ぶ子供達に、父は嫌な顔一つせず、肩車しておんぶして抱っこして、とまとわりつく子供達に答えた。
レオンはそれを離れた場所で見ているのが常だったが、そうしていると、絶対に父は気付いて駆け寄って来る。
そして肩車をして、息子が頭に掴まったのを確かめて、エルオーネを抱き上げるのだ。

 ───戦争なんて、レオンには関係のない話だったのだ。
村のあるガルバディアと言う国が、どういう理由で戦争をしているのかも、戦っているエスタと言う国がどんな国であるのかも、どうでも良かったし、考える事もなかった。
父は元気な顔をして帰って来るし、時々やって来る行商人から話を聞いても、外の世界もそれ程慌ただしくはなかった。
それが、子供に聞かせる話ではあるまいと、大人が真実をぼかして話していたのだとレオンが気付くのは、ずっとずっと後の事。

 だからレオンは、いつかまた、父が当たり前のように傍にいてくれる日が来ると疑わなかった。
レオンは子供の割に聡く、頭の回転が速かったが、そうした所まではまだ“戦争”がどう言うものであるか、知らなかったのだ。

 広い世界の片隅の、小さな村の中。
小さなカフェバーで、小さな手を握って、母がいて、父がいて。
それだけでレオンは幸せだった。
その幸せが壊れる日が来る筈なんてないと、信じていた。

 けれど、夢が夢でしかない事を、希望が希望でしかない事を───願いが願いでしかない事を、レオンは知った。

 何度目になるか、村を離れて行く父を見送った後日、小さな村の様相は一変した。
広いガルバディア大陸の中でも、辺境の地と言っても良いような場所にある小さな村に、銀色のパワードスーツを着た集団が押し寄せて来たのだ。

 大人の男など、殆どいないような村だ。
いるのは女子供と老人ばかり。
皆家に篭って子供達を守ろうとしたが、彼らは木造の扉を壊し、銃を構えて引き金を引いた。
遠くで起きていた戦争と言う出来事が、まさにそっくりそのまま、小さな村を襲ったのだ。
いや、あれは戦争とは呼べない。
村人達は抵抗する術を持たなかった。
彼らは一方的に村を襲い、家を怖し、人の命を奪って行った。
そして───村人達に愛された小さな少女を攫って行ったのである。

 いつものように、二人で母の花畑の手入れをしていた時だった。
淡い色を灯す花畑の向こうから、緑の溢れる丘陵の景色に酷く不似合いなパワードスーツの集団が現れた。
小さなエルオーネが首を傾げている間に、レオンは家の向こうにある村の様子が可笑しい事に気付いた。
直ぐにエルオーネを抱えて、母がいる家に戻ろうとして、間に合わなかった。
スーツの集団はレオンからエルオーネを取り上げた。
妹を呼ぶ息子の声に気付いて、家から飛び出して来た母に、スーツの集団は矛先を向けた。
野太い腕が刃渡りの長いナイフを突出し、母に向けられたのを見て、レオンは吼えた。
無我夢中で地面を蹴って、母に詰め寄るパワードスーツに跳び付いた。
パワードスーツは、子供の思わぬ行動に驚いて、腕にしがみついた子供に刃を向けた。
それが明確な殺意を持っていたのか、単に混乱の末に振り解こうとしただけだったのかは、判らない。
いずれにせよ───その瞬間、レオンの視界は赤い華で染まり、母と妹の呼ぶ声を最後に、レオンの意識はブラックアウトした。

 次に目を覚ました時には、心配そうな母がいた。
母だけが。

 守るべき手を、守れなかったのだと、レオンは知った。
自分の顔を覆う包帯の事など、気にならなかった。
傷一つがなんだと言うのか。
そんなものよりも、守ると誓った小さな手が守れなかった事の方が、レオンの心に影を落とした。

 パワードスーツの集団の襲撃によって、村は廃墟同然の有様となった。
エルオーネが生まれた家には生々しい銃痕があった。
其処に住む人は既になく、エルオーネはレオン達と一緒に過ごしていたけれど、あそこは彼女のはじまりの場所だったから、レオンにとって特別な場所だった。
彼女の両親が過ごしていた名残もある。
それを突然の襲撃者達は、根こそぎ撃ち抜いてボロボロに壊してしまった。
母のカフェバーは運良く無事だったけれど、其処は穏やかで優しいカフェバーではなく、さながら野戦病院の様を呈していた。
大怪我をしたのはレオン一人だったが、小さな怪我を負った子供は少なくなく、老人達も気持ちの落ち込みから沈み込んでしまっていた。
母だけが皆を励ますように笑っていたけれど、彼女が誰もいない所で泣いていたのを、レオンは知っている。

 帰って来た父は、呆然としていた。
軍事に関わるようなものなど何もない、最寄の都市に行く公共交通網すらない、本当に辺鄙な土地なのだ。
誇れるものがあるとすれば、咲き誇る花と、人の手の入らない自然ぐらいのもの。
だから父も、幾ら戦時中とは言え、世界の片隅にあるような辺境の村が、集中砲火を喰らうように、敵国の強化兵の襲撃を受けるとは思っていなかった。

 顔に包帯を巻いた息子を見て、父は泣いた。
もう痛くない、とレオンが言っても、泣き続けた。
母ですら其処まで泣いていないのに、と思ってから、母が自分の前で泣けなかった事に気付いた。
泣いている父を見たら、自分も泣きそうになって来て、けれど泣いたら父がもっと泣くのが判ったから、唇を噛んで耐え続けた。

 父の提案で、生まれ育った村を離れる事になった時、レオンは少しだけ、村に残っていたい、と思った。
思い出があるから───それもあるが、エルオーネが帰ってくる場所がなくなる気がしたのだ。
レオンと同じように、エルオーネもまた、この村で生まれ育っていて、彼女と彼女の両親の思い出があちこちにある場所だから。

 けれど、母は父の言葉に頷いた。
包帯を巻いた息子の頬を撫でて、彼女は少しだけ寂しそうに、けれど柔らかく微笑んだ。
もう誰にも傷付いて欲しくない。
自分を庇って傷付いた息子を見詰める、母の瞳に滴がある事に気付いて、レオンは自分の声を飲み込んだ。
それに、父は約束してくれた。
エルオーネを必ず助けて、きっと二人の所に送り届けてみせるから、と。

 僅かな人が村に残り、他の村人と子供達は、生まれ育った村を出た。
村を離れれば、戦争の火の手がなくとも、魔物が出る。
護衛には父と、軍で知り合ったと言う二人の友人が護衛してくれた。
襲い掛かってくる魔物を次々と退治して行く姿を見て、レオンは、あんな風に強かったら、と思った。
そうしたら、母と繋がれた反対の手が空白になる事も、きっとなかった筈だから。

 強くなりたい。
レオンは思った。
守りたいと思ったものを、全て守れるように、強く。
この手に握り締めたものを、二度と失う事のないように。




この頃のレオンの世界の中心は、エルオーネです。