1 days album


 頭上で鳴り響く不愉快な音から隠れるように、布団の中に頭を突っ込む。
しかし薄手の毛布で守り切れるほど、音は細やかなものではなく、それはしつこくしつこくスコールの覚醒を促した。

 ああもう、煩い。
そんな事を思いながら、不承不承に起き上がり、ベッドヘッドの棚に置いてある目覚まし時計を叩く。
ばしんと穏やかでない音が鳴った後、ジリリリリリリリと言う煩い音が止んで、部屋の中にようやく静寂が訪れる。

 本音を言えばこのまま二度寝に突入してしまいたかったが、今日は平日、学生であるスコールはガーデンに行かなければならない。
二度寝をすれば間違いなく遅刻してしまうので、これまた不承不承にベッドから出て、自室を出た。
短い廊下の突き当たりにある階段を下りれば、リビングだ。
窓から差し込む暖かな日差しに照らされた室内で、欠伸を一つ漏らしながら、スコールはリビングの窓を開ける。

 スコールが住むのは、熱帯気候に位置したバラムと言う小さな島国にある、唯一の街。
家があるのは海岸通りに面した場所で、窓一枚向こうには、エメラルドグリーンの広い海原。
今日も今日とて好天に恵まれたバラムの空には、太陽からの恵みの光が降り注ぎ、海面をきらきらと輝かせていた。
それが、スコールが毎日のように見る、生まれ故郷の景色である。

 日差しを浴びると、多少は体も活動しなければと思い直したようで、睡魔の所為だったのだろう気だるさも消えてくれた。
となれば、先ずは朝食の用意をしなくてはなるまい。
冷蔵庫から食パンと牛乳を出して、食パンはトースターへ、牛乳はマグカップに注いで蓋をして電子レンジに入れる。
この間にスコールは洗面所に向かい、寝癖のついた髪を梳き、セットする。
柔らかなダークブラウンの髪は、どうやら癖のつきやすい髪質らしく、それ程酷い寝相をしていないのに、毎日のように酷い有様になるのだ。
鏡と睨めっこしながらセットを終えてリビングに戻ると、キッチンの方からタイミング良く電子レンジの温め終了の音がなり、トースターの方も焼きあがっていた。

 リビングの窓辺にあるテーブルで、朝食を採る。
その窓辺には一枚の写真が飾られていた。
其処には、スコールとよく似た面立ちの女性が映っており、日差しの中で柔らかな笑みを浮かべている。
今は亡きスコールの母───レインを写した、この世でたった一枚の写真だった。

 スコールに両親の記憶はない。
物心ついた頃には既に亡く、父は十七年前のガルバディアとエスタの戦争で、母は自分を生んで間もなく息を引き取ったと、人伝に聞いた。
バラムの町の外、花の咲き誇る岬に両親の墓はあると言うが、スコールは其処に行った事はない。
生まれた時に既にいなかった両親と言う存在は、スコールの中で酷く希薄なものであったから、親でありながら、何処か他人以上に思う事が出来なかった。
寂しい息子だと思う人もあるかも知れないが、今の所、スコールのこうした感覚を咎める者はいない。

 手短に食事を終えると、食器を片付け、二階の自室に戻る。
夜着である薄手のシャツとズボンを脱いで、一日を過ごす為の服を着る。
その上に、ガーデンの制服となっている藍色のジャケットに袖を通した。
ボストンバッグの中に必要な教材が入っているのを確かめて、肩にかけた───丁度その時。


「おーい、スコール!」


 外から通りの良い声が聞こえた。
朝から元気だなと一つ息を吐いて、スコールは足早に階段を下り、玄関を開ける。

 待っていたのは、太陽のように金色の髪を煌めかせ、健康的に肌を日焼けさせた、青い瞳の少年───隣家に住む、幼馴染のティーダだった。


「おはよっス!」
「ああ」


 短い挨拶を交わして、スコールは玄関の扉に鍵をかけると、二人連れたって歩き出した。





 バラムの町の出入口からは、幾つかのバスが発着する。
小さな島国で、町と言えばこの一つしかない。
だから市内を回る巡回バスを除くと、街の外へと向かう路線は二つしか存在しなかった。
一つはスコール達が通うガーデンに向かうバスで、もう一つは、バラムの町から少し北上した所にある、巨大な高層ビルとを往復する路線だった。

 高層ビルの持ち主は、ミッドガルと言う名のセキュリティ会社だった。
ミッドガル社は、三十年ほど前にバラムを拠点として設立された会社で、現在はセキュリティを担う会社としては最大手と言われている。
主としているのは要人警護とされているが、魔物の討伐依頼も受け付けており、世界各国で業績を上げている。
そのような巨大な会社が、どうしてバラムと言う小さな島国を拠点としているのか、スコールは知らない。
だが、ミッドガル社は浅いながらスコールと関係を持っていた。

 ミッドガル社行のバスが発車する傍ら、スコールとティーダは隣の乗り場にあったバスに乗車する。
バスの先頭には『バラムガーデン行き』の文字があった。

 バラムガーデンとは、バラムの島にある、就学機関である。
学園長を務めているのはシド・クレイマーと、妻であるイデア・クレイマーの二人。
夫妻は、両親を持たないスコールにとって、親代わりのような存在だった。
彼らは十二年前からガーデン経営を初め、当時育てていた身寄りのない子供達に教育を施した。
それから時が経つにつれてガーデンは少しずつ大きくなり、現在はバラムの他にも、大国ガルバディア、極北の大陸トラビア、千年の歴史を誇るスピラ大陸にも分校を構えるようになった。
ガーデンと施設は、今現代において、世界で最も有名且つ大きな就学機関となったのだ。

 ガーデンに入学できるのは五歳からで、二十五歳まで在籍できる。
幼年部・初等部・中等部まではエスカレーター式で学年が上がり、高等部からは成績が悪ければ留年となる。
十九歳以上は大学部となり、専攻したい学部によっては、他ガーデンに留学する事も可能だ。
また、高等部を終えた時点で、希望があれば卒業試験を受ける事も出来、クリアすれば大学部在籍をしないまま、ガーデンを卒業して就職する事も許されている。

 スコールとティーダは、共に高等部二年生に在籍している。
スコールはガーデン設立の五歳の時から、ティーダは七歳の時からガーデンに通っているので、此処での生活も慣れたものだった。

 校門前で停止したバスから降りて、ガーデンの敷地内へ入る。
少し進むとカードリーダーがあり、スコールとティーダは鞄から取り出した学生証を其処に当てた。
ピ、と電子音が鳴って、リーダーの扉が開く。
二人の周囲には、彼らと同じように制服を着た生徒達が教室へ向かおうとしていた。

 学生証を鞄に仕舞った所で、なあ、とティーダがスコールに声をかける。


「スコール、G.F学の課題、やって来た?」
「当たり前だろう、今日が提出日なんだから。……まさか、お前」


 胡乱な目をしたスコールに、ティーダがへらりと愛想笑いを浮かべる。
その後、ティーダは両手を顔の前に合わせて、頭を下げた。


「お願い、写させてっ」
「またか。今月に入って何度目だと思ってるんだ?」
「だってG.F学って難しいんスよ〜……」


 眉尻を下げて、お願い、とティーダはもう一度繰り返す。
子犬を思わせるような丸い青い瞳に、スコールは溜息一つ吐いて、鞄から一冊のノートを取り出す。


「昼までに終わらせておけ。提出は放課後にするから」
「サンキュー、スコール!愛してる!」
「くっつくな!」


 抱き着いて来たティーダの肩を押して拒否しようとするスコールだったが、ティーダの方はお構いなしだ。
肩を抱いてスコールを腕に閉じ込め、ぐりぐりと頬擦りしてくる。

 周囲からクスクスと笑う声がして、スコールの頬に朱が上った。
目立つのをとことん嫌うスコールにとって、ティーダの大声の宣言もこの行為も、スコールにとっては恥ずかしいばかりだ。
本気で力を込めてティーダを離させ、周囲の視線から逃げるように歩く速度を速める。


「置いてくなよ、スコール」
「知るか」


 直ぐに追い掛けてきたティーダに素っ気ない言葉を返して、スコールは丁度良く到着したエレベーターに乗り込んだ。
閉じかけた扉の隙間を通り抜けて、ティーダも乗り込む。


「挟まるぞ」
「スコールが開きボタン押しててくれたら挟まんないよ」


 エレベーターが上昇を始めて、数秒後、チン、と音が鳴る。
円筒の形をしたエレベーターが停止して、扉が開く。

 空中回廊を通り抜けて、円を描く内周廊下を進む。
周囲には幾つも扉が並び、その全てがバラムガーデンの教室だった。
それぞれの教室に所属学部とクラス数字が振り分けられている。
スコールとティーダは、高等部二年のB教室に入った。


「スコール、ティーダ」


 扉が開くなり呼ぶ声がして、声のした方向を見れば、学習用パネルから乗り出して手を振っている、淡い髪色の生徒が一人。
クラスメイトのヴァンだった。


「はよーっス」
「おはよ」
「ああ」


 駆け寄って挨拶したティーダに、挨拶を返すヴァンと、ティーダの時と変わらず短い反応だけを返すスコール。

 ティーダがヴァンの隣に座り、その隣にスコールが座る。
三人が固まって行動するのは、毎日の事だった。


「なあ、スコール、G.F学の課題やった?」
「やってるやってる」


 ヴァンの質問に答えたのは、ティーダだ。
早速先程スコールから借りたノートを取出し、自分のノートと並べている。


「終わったら貸すよ」
「お前が決めるな、ティーダ」
「助かるー。俺、G.F学って苦手なんだ」
「誰も貸すとは言ってない」
「でもいつも貸してくれるだろ」


 だから今回も貸してくれるんだろ、と殆ど決定事項で言うヴァンに、スコールは溜息一つ。
貸さないと後で煩いだろ、とスコールは思うものの、ヴァンの言葉は確かに真実であったから、返す言葉を失ってスコールは口を噤む。
ヴァンはマイペースなもので、駆け足でノートを書き写しているティーダを横から覗き込んでいる。


「G.F学も苦手だけどさ、二時間目の魔法物理も苦手だな。眠くなるんだ、あれ」
「だよなぁ。おまけに先生のボソボソ喋りがまた眠くてしょーがないんスよ」
「なんであの先生、あんなに声小さいんだろうな。あの先生の授業、俺いっつも寝ちゃうんだ」
「俺も!でも、スコールは寝ないよな」
「凄いよなー」
「……そもそも、授業中に寝るな」


 冷ややかな目を向けるスコールだったが、ティーダは書き写しに夢中で気付いておらず、ヴァンは「だって眠くなるから仕方ないだろ」と開き直る始末。
スコールは深々と溜息を吐いて、言うだけ無駄だと、前々から知っていた事を改めて認識し直す。

 チャイムが鳴って、ティーダが書き写す手を慌てて早める。
ただでさえ綺麗とは言えないティーダの字が、益々形を崩していくのを見て、スコールは眉根を寄せた。


「落ち着け、ティーダ。昼休憩までに返せばいいって言っただろ」
「あ、そっか」


 なんとか半分までは書き写し終えて、ティーダは一端ノートを閉じる。
パネル下にある教材置場の隙間に入れて、HR後の休憩時間に続きを書く事にした。

 生徒達が慌ただしく自分の席に着いた所で、教室のドアが開く。
教員用の制服に身を包んだ、金髪に眼鏡をかけた女性が入って来た。
高等部2年Bクラスの担任をしている、キスティス・トゥリープである。
教室の其処此処で小さな歓喜の声が上がったのは、恐らく、彼女のファンクラブ会員だろう。


「皆、おはよう」


 整った面を笑みに変えての挨拶に、「ああ……」と誰かが昇天したのが聞こえた。

 キスティスは生徒の出席を確認した後、手元にあるプリントに書かれている、今日の諸連絡と注意事項を読み上げた。


「今日は午後から訓練施設が解放になります。ただし、アルケオダイノスが繁殖期に入ったので、使用する人はなるべく三名以上のパーティを組んで行くように。遭遇したら真っ先に逃げる事。念の為にテレポストーンを一人ずつ携帯して行きなさい。それから、校舎とグラウンドの間にあるテラスに、スプレーで落書きをした人、ちゃんと自分で消しに行くように。誰がやったのかネタは割れてるから、隠しても駄目よ。自主的に行動しない場合、罰則処分になりますから、きちんと反省するように」


 げえっと言う声が上がって、生徒達の視線が其方に向いた。
声の持ち主は学習パネルに隠れており、同じ列の生徒以外からは顔が確認できない。

 他にも幾つかの連絡事項を読み上げてから、キスティスは教卓を立った。


「では、HRはこれで終わりになります」
「起立!」


 クラス委員の女子生徒の声に、生徒達は椅子から立ち上がり、号令に合わせて頭を下げた。

 キスティスが教室を出て、直ぐにまた教室内は賑やかさに包まれる。
ティーダも早速ノートを取出し、書き写し作業を再開させた。





 四時間目が終わると、昼休憩となる。

 スコールは、四時間目が終わるなり、ティーダとヴァンに急かされながら食堂へ向かう事になった。
正直、人が多い食堂と言う空間はスコールにとって苦手な場所なのだが、弁当も何も持って来ていないので、昼食を取ろうとしたらどうしても食堂へ向かわなければならない。
購買にも食べるものは売っているのだが、この時間帯は食堂と同じく混雑しているので、どちらに行くのもスコールにとっては対した差がなかった。
結果、二人の友人に引き摺られる形で、毎日食堂へ向かう事となる。

 ボリュームたっぷりのセット定食を頼むティーダと、丼物や麺類を三つ頼む食べ盛りなヴァンの横で、スコールはA定食を注文する。
あんた相変わらず細いねえ、ちゃんと食べなきゃ駄目だよ、等とお喋りな食堂のおばちゃんに軽く口撃を喰らいつつ、トレイに乗せられた定食を受け取り、ティーダ達の待つテーブルに向かった。

 食堂に並べられたテーブルの多くは、四人掛けのとなっている。
だからスコールがティーダ達に合流した時には、席が一つ余るのだが、程なく、其処を定位置している人物が現れた。


「よっ、お待たせ」


 ティーダとはまた違う、少し色素の薄い金色の髪の、尻尾を持った小柄な少年───一つ年下の後輩、ジタンである。
彼は、いつもこうして先輩達の輪の中に加わって、昼の一時を過ごすのである。

 ジタンは開いていた席を陣取って、サンドイッチの入ったプラスチックパックの蓋を開ける。
その手間の間に、ジタンは大きな欠伸を一つ。


「眠いのか?ジタン」
「あー……さっきの魔法物理学の授業で寝ちゃってさ」
「あの先生の授業、やっぱり皆眠いんだな」
「そりゃそうさ。ぼそぼそしてばっかだから何喋ってるのか判んないし、それがまた寝るのに丁度良い音量なもんだから、寝るなってのが無理だって」
「でもスコールは寝た事ないんだってさ」
「…だから、授業中に寝るのが……いや、いい。なんでもない」


 今朝も思った事をもう一度口にしかけて、スコールは止めた。
言うだけ無駄な人物が一人増えただけなのだから、やっぱり言うだけむだなのだ。

 ティーダが大きな天麩羅を頬張りながら問う。


「次の授業、なんだっけ」
「古代史」
「あ、教科書忘れた」
「ヴァンは取りに戻れば間に合うだろ、寮なんだから」


 ガーデンには寮がある為、他国からでも入学する事は可能だ。
スコールとティーダはバラムに家があるので通っているが、ジタンとヴァンは寮生である為、ほぼ毎日をバラムガーデンの施設内で過ごしている。

 じゃあ食べ終わったら取りに行ってくる。
そう言って、ヴァンは手元のラーメンを勢いよく啜った。


「二年の古代史の先生って、誰なんだ?一年生と一緒?」
「ヤマザキ先生だ」
「一緒かあ。あのセンセー、堅物だから苦手なんだよなあ」
「確かにちょっと厳しいよな。でも授業は面白いっスよ」
「確かに退屈しないけどさ。なんてーか、授業じゃなくて普段のさ、ユーモアに欠けるって言うか」
「生徒指導もやっている筈だから、仕方ないんじゃないか」


 基本的にバラムガーデンは生徒の自主性を尊重しており、開放的な雰囲気がある。
しかし校則と言うのは、緩いとは言え確かにあるので、これを破れば罰則されるのは当然の事、その是非を厳しい目で判定する人も必要だ。
真面目な気質のスコールにしてみれば、校則を守っていれば教員が堅物だろうが柔軟だろうが、大して関係はないと思うのだが、ティーダ達にとってはそうではないらしい。


「もっと愛想良くしてくれれば、もうちょっと印象代わるのになあ。悪い先生じゃないんだし、勿体ないっスね」
「怒るとすげー怖いんだよな。直ぐに成績に響くしさ」
「ジタン、なんか減点されるような事したんスか?」
「……まあちょっと」
「どうせ女子寮に侵入しようとして見付かったとか、そんなのだろ?」
「人聞き悪い事言うな!女子寮の風呂が壊れたって聞いたから、麗しいレディ達が風呂に入れないなんて苦しみを味わう事がないように、ちゃちゃっと行って直そうと思ってだな……」
「何やってんだよ…」
「男は女子寮進入禁止だろ」


 呆れた表情のティーダと、箸を加えて呟くヴァンに、いや許可は取った!とジタンは叫ぶ。
しかし、原則として男子は女子寮に、女子は男子寮には進入禁止であると、校則にも書かれている。
寮生活をしている家族に対してもそれは同じで、非常事態による緊急時や、大掛かりな作業を行うに当たって男手が必要な時以外は、絶対に入ってはいけない事になっている。
例え寮内にいる女子生徒や寮長から許可を貰っていても、その話が教師に届いて正式許可として認められるまでは、校則違反として見做される。

 ジタンは、女子生徒と寮長からの許可は貰ったものの、教員からの許可を貰う前に女子寮に入ってしまった。
入る時は教員に見付からなかったのだが、運悪く、出て行く時にヤマザキに見付かったのである。
紳士を豪語するジタンとしては、風呂場故障と言う、女性にとって早く解決してほしいトラブルの為に勇んで向かったのだが、それが仇になって帰って来たと言う訳だ。
最も、成績マイナスと言う罰則を喰らっても、優先すべき事は果たす事が出来、女子生徒からも感謝されたので、ジタンにとって何もかも悪い出来事と言うことはなかったのは不幸中の幸いと言ったところか。

 賑やかな会話をBGMに、スコールは一人食事を終えていた。
食後のコーヒーも飲み干すと、空になったトレイを持って席を立つ。


「じゃあ、俺は教室に戻る」
「もう?まだ早いじゃん、もうちょっとのんびりして行けよ」


 尻尾をゆらゆら揺らしながら引き留めるジタンに、悪いが、とスコールは前置きしてから、


「6時間目に提出する生物学のレポートが途中なんだ。今の内に仕上げたい」
「うわっ、忘れてた!」
「あ、それも寮に忘れてた」
「スコール待って、俺も行くからノート見せて!」
「ティーダはG.F学の方があるだろ」
「あれは放課後提出だから後回しっス!」
「昼には返す約束だっただろう」
「わー!待って待って!」


 どちらにしろティーダも急がなければならないと気付いたようで、慌てて残りの食事を平らげると、スコールを追って席を立つ。
ティーダはスコールと並んで返却口に食器を返すと、すたすたと歩いて行くスコールに追いすがる。


「レポート真っ白なんスよ、俺。だから見せて!で、G.Fの方は放課後まで待って!ちゃんと間に合わせるから」
「知らない」
「スコール〜!」


 お願い助けて、ノート見せて!
叫ぶティーダに声が食堂に反響したが、スコールにとっては幸いな事に、賑やかな食堂内でその声が殊更目立つことはなかった。

 遠ざかって行く二人を眺めて、飽きないなあ、とヴァンとジタンは呟いたのだった。





 ティーダがスコールから借りたノートからG.F学の課題を写し終え、更に同じノートからヴァンが書き写しを終えた時には、空はすっかり夕日色に染まっていた。
課題の提出はなんとか間に合ったものの、時間にして事務局閉鎖の三分前と言う正に瀬戸際で、これに一番肝を冷やしたのは、実はスコールであった。

 今朝まで課題の事すら忘れていたティーダとヴァンが単位減点されるのは自業自得だが、スコールは昨日の夜にはきっちり済ませて来たのだ。
ティーダにノートを貸していなければ、朝の内にでも事務局に寄って提出する積もりだった。
それが、予定とは正反対となってしまった原因は、他でもない、幼馴染とクラスメイトの所為だ。

 ティーダがノートを書き写した時点で、ヴァンはティーダに見せて貰えば良いと言ったのだが、慌てて書き写したティーダのノートは酷い有様で、同じ程度に字が汚いヴァンにもろくろく読めなかった。
これはこれで結局減点対象になるんじゃないかとスコールは思ったが、幸か不幸か、G.F学の教師は提出物の内容にはあまり口を出さない。
書かれている事、提出されている事が先ず大事、と言うスタンスらしく、読めるか読めないかはあまり重視していないようだ。
だが、これで困るのはヴァンである。
写そうにもティーダのノートは宛に出来ないので、結局彼もスコールに頼る事になった。

 事務局で三人のノートを提出した後、校門へと向かう道すがら、スコールは長い溜息を吐いた。


「間に合って良かった……」
「っスねー。ギリギリセーフ!」
「スコールのお陰だな」


 俺のお陰?違うだろ、あんた達の所為だろ。
あんた達の所為でこんな遅い時間になったんだろ。
スコールの胸中はそんな言葉で一杯だったが、じゃれ合う二人を見ていると、それを言うのがどうにも馬鹿馬鹿しい気がして(多分聞いていないし、応えないだろうから)結局スコールは口を噤む。
頼むから次の時は、書き写すにしてももう少し早く済ませてくれ、と思いつつ。

 三人並んで円形の廊下をぐるりと回り、カードリーダー前に来た所で、尻尾の少年と、銀髪に羽飾りをつけた小柄な青年が並んでいるのを見つける。
ジタンと、彼の兄であるクジャであった。


「あれ、クジャ、帰って来てたんスか?」
「───ああ、君達か」


 声をかけたティーダに振り返ったクジャが、並ぶ三人を見て口元を緩める。


「確か、モデルの仕事でザナルカンドに行っていたとジタンから聞いていたが」
「昨日まではね。終わったから帰って来たんだよ。ああ、これ、君達にお土産」
「マジっスか!?」
「食い物?」
「意地汚いぞ、お前達……」


 クジャの差し出した紙袋に、礼を言うよりも先ず一番に中身を知りたがる二人の友人に、スコールは呆れたと息を吐く。
しかし、クジャの方は気を悪くした様子はなく、


「構わないよ、いつもの事だし。それより、君の方こそたまには子供らしく喜んでみたら?」


 等と言って、笑みを含んで見せる始末。
そんなに子供じゃない、と言うスコールだったが、クジャは仕方のない子だねとでも言うように肩を竦めた。


「おっ、ブリッツボール饅頭!」
「美味いよな、これ。ほら、スコールの分」
「……ああ」


 きちんと三人分、三箱並んでいた箱の一つを、ヴァンがスコールに差し出す。
スコールはそれを受け取って、ボストンバッグの中に入れた。
ティーダも鞄の中に箱を入れて、紙袋に残った一つは、ヴァンが寮に持って帰る事となる。


「ジタンは何貰ったんスか?」
「オレもブリッツ饅頭と、あとはスフィアゼリー」
「なんだ、それ?」
「新商品だってさ。って言っても、中身は単なるブルーソーダ味のゼリーなんだけど。仕事の合間に貰って食べてみたら、意外と美味しかったから買って来たんだよ。君達の分は在庫切れで買えなくてね、次行った時にでも買って来てあげるよ。覚えてたら、だけど」


 判り易く残念そうに眉尻を下げるティーダとヴァンに、クジャは宥めるように言って、ひらりと踵を返す。
仕事帰りで疲れているのだろう、その足は住まいである寮へと向かっていた。
その背中に、ありがとな、とティーダが大きな声で言って手を振る。

 残された四人の中で、ジタンが他三名をぐるりと見回し、


「こんな時間まで残ってるなんて珍しいな。ティーダはともかく、スコールとか」


 ヴァンは寮生なので放課後にガーデンにいるのは普通だが、スコールとティーダは通学生だ。
特にスコールは授業が終わると、ブリッツボール部に所属しているティーダと違い、ほぼ毎日直ぐ帰路に着く。
帰って夕飯の準備であったり、課題を片付けたりするからだ。
そんなスコールが西日が随分低く傾くまでガーデン内にいるのは珍しい事だった。

 ジタンに指摘されて、スコールはちらりと隣にいるクラスメイト二名を見遣り、溜息を吐いてやる。


「課題の提出があったんだ」
「ふーん。その様子だと、まーたティーダの写し待ちだったんだな」
「ヴァンの方も、だ」


 二人分の転写作業の終了を待っていたら、この時間。
二人の作業が終わるのを待っていた間、教室の時計を見ながら苛々とした時間を過ごしていたのを思い出し、スコールは事の原因となった二人をじろりと睨み付けた。
ティーダとヴァンはその視線から逃げるように、二人同時にふいっと明後日の方向を向く。

 ティーダとヴァンの課題忘れは、いつもの事と言えば、いつもの事であった。
ヴァンは兄と一緒に寮で過ごしているので、兄に促されて手を付ける事もあるが、苦手な科目に関しては思うように捗らず、兄に手伝って貰ったり、スコールのノートを見せて貰ったりと言う事が頻繁にあった。
ティーダの方は更に酷く、ただでさえギリギリの成績である事も忘れ、就学時間が終わると、課題提出物の類の事は綺麗さっぱり忘れてしまう。
特にブリッツボールの大会や強化時期が近付くと、頭の中はブリッツボール一色で染まり、他の事には全く手を付けなくなる。
そうして提出日である事をスコールに指摘されて初めて思い出し、真っ白なノートやプリントに絶望し、スコールに泣きつくのがパターンとなっていた。

 案外スコールって付き合い良いよな。
呟いたジタンに、スコールは好きで付き合ってる訳じゃない、と呟く───心の中で。
口に出した所で、じゃあどうして今日はまだガーデンに残ってるんだと言われると、スコールには返す言葉がなかった。


「ま、そうカリカリするなよ。提出は間に合ったんだろ?」
「ギリギリでな」
「じゃあ結果オーライだ。帰って饅頭食べて、機嫌直せよ」


 ぽんぽんと背中を叩くジタンに、お前が買ってきた訳じゃないのに、どうしてお前が偉そうなんだとスコールは思う。
だが無事に終わった事をいつまでも引き摺っていても仕方がない。
ティーダやヴァンとの付き合いを続けていれば、こんな事は過去にも繰り返されているのだから、愚痴った所で何を今更と言うものだ。

 ぐしゃりとダークブラウンの髪を掻き混ぜて、スコールは肩にかけた鞄の位置を直し、リーダーに通す学生証を取り出した。


「じゃあな、ジタン、ヴァン」
「おう、さいならー」
「また明日な!」
「じゃーなー」


 スコールがカードリーダーを通り抜け、直ぐにティーダが追い駆けてくる。
それを寮生二人は見送り、通学生二人が校門をくぐったのを見届けてから、自分達も我が家である寮へと戻ったのだった。





 バラムの街には、景観を守る為に高さ制限が設けられている為、高く天に聳えるような建物がない。
唯一バラムホテルだけが一つ跳びぬけて高いのだが、それも街の北に位置するミッドガル社の高層ビルのお陰で、それ程高さがないように見えてしまう。
しかし、沿岸の灯台を除けば、バラムホテルが街一番の高さのある建造物である事は間違いなく、街中にいれば何処からでもその姿を臨む事が出来る。
このバラムホテルには、十年前から街頭テレビが取り付けられており、これも方角さえあっていれば街の何処からでも見る事が出来る。
とは言え小さな街であるから、このテレビも街頭テレビにしては小さなもので、ガルバディアの首都デリングシティやティンバーにあるものと比べると、とても質素なものであった。

 そのバラムホテルの前を横切った所で、スコールの隣を歩いていたティーダが足を止めた。
どうしたのかとスコールも一拍遅れて足を止め、振り返ると、幼馴染はじっと街頭テレビを見上げている。
倣って顔を上げれば、テレビ画面一杯に映る、髭を蓄えて不敵に笑う男の顔。


「……クソ親父。鼻の下伸ばしてら」


 テレビが流していたのは、ザナルカンドで行われていた、ブリッツボールチームの強化練習の様子だった。
画面に映っている男はジェクトと言う名で、『ザナルカンド・エイブス』と言うブリッツボールチームに所属し、若くしてキング・オブ・ブリッツの名を冠するスター選手であり、ティーダの実の父親だった。

 ティーダはこの父親に対して、絶賛反抗期の真っ最中だ。
顔を合わせれば喧嘩をする、声を聞けば喧嘩をする、何もなくても喧嘩をする───とにかく毎日のように親子喧嘩を繰り広げては、隣家のスコールの家に転がり込んで不貞腐れるのだ。

 画面に映ったジェクトの前に、マイクを向ける女性インタビュアーがいる。
ティーダはそれでジェクトが鼻の下を伸ばしていると言うのだが、スコールにはそうは見えなかった。
が、それを言ってもティーダは聞かないので、黙ったまま、画面を睨むティーダの気が済むのを待つ。
ジェクトは次の大会への意気込みや、体の調子などを聞かれ、鍛え上げられた筋肉を叩き、絶好調だと白い歯を見せて笑う。
豪胆にして大胆不敵なその様に魅せられるファンは多く、スコールはブリッツにはあまり興味を持てなかったが、ジェクトのようにあそこまで豪快である所を見せつけられると、清々しくさえ思えて来るのだが───身内であるティーダにとっては、中々そうは思えないらしい。

 画面が切り替わって他の選手が映ると、ようやくティーダの意識はテレビから逸れた。


「ワリ、行こう」


 短い詫びを入れて帰路を指差すティーダに、スコールは頷いて、再び並んで歩き出した。
広い大きな通りを曲がり、海岸沿いの道に出れば、程なく二人の家に行き付く。

 家の前でまた明日、と別れを告げ、それぞれの玄関の鍵を開ける。
───と。


「お帰り、スコール」

 通りの良い、耳に心地良い低い声音が聞こえて、スコールは顔を上げた。
自分と同じ、けれど肩下まで伸ばされたダークブラウンの髪と、これもまた自分と同じブルーグレイの瞳。
リビングのソファに腰掛けて、長い脚を組んでいたのは、長身の男。
その面立ちはパーツや色味も含め、スコールとよく似ており、違いと言ったら筋肉のついた体格位のものだろうか。

 四日ぶりに顔を合わせる事となったその人は、スコールの血の繋がった兄、レオンであった。


「レオン、帰ってたのか」
「ああ」
「何時頃?」
「バラムに帰ったのは正午だ」


 レオンとスコールの間は、八歳の年齢差がある。
レオンは現在二十五歳で、バラムガーデンを十九歳の時に卒業後、ミッドガル社に就職して兄弟の生計を立てている。
ミッドガル社は世界各国から護衛や派遣依頼を受けている為、レオンはその依頼によって世界のあちこちに出張し、仕事を終えるとバラムまで帰ってくると言う生活を送っていた。


「食事は?」
「昼は帰ってから済ませた。晩はこれから作ろうと思っていたんだが…」
「じゃあ俺が作る。レオンは休んでいてくれ」


 バラムは小さな島国であるから、国外へ行くとなると、かなりの時間を要する事になる。
何処に行くにも、先ずはガルバディアに行く必要があり、バラムとガルバディアを繋ぐ海底トンネルを走る列車───通称、大陸横断鉄道を使わなければならない。
この鉄道でガルバディア大陸のティンバーに到着すると、此処から更に乗り継ぎ乗継ぎを繰り返さなければならなかった。
船はあるものの、ガルバディア大陸北部のドール、スピラ大陸の都市ルカ、トラビア大陸唯一の都市であるザナルカンドへ繋がる直行便がそれぞれあるのみ。
バラムから西にあるエスタ大陸やセントラ大陸は地形の関係で船の接岸が出来ず、南方にあるイヴァリース大陸は、現在アルケイディア帝国とラバナスタ王国が緊張状態にある為、不用意に外国の船が近付く事が出来ない。
しかしミッドガル社への依頼は、そうした地理条件の厳しい場所からも舞い込んでくるので、レオンは仕事の度に長時間の長距離移動を余儀なくされている。

 そんな疲れの溜まっているだろう兄には、出来るだけゆっくりして貰いたい。
彼が仕事をしてくれるお陰で、スコールは不自由ない生活を送れるのだ。

 窓辺のテーブルに鞄と制服の上着を置いて、スコールはキッチンに向かった。
冷蔵庫の中身は昨日の夜にチェックしたものを覚えているから、その中から献立を作る。


「豆腐とひき肉の余りがあるから、麻婆豆腐を作ろうと思うんだが、それでいいか?」
「ああ」


 冷蔵庫から必要な材料を取り出して、包丁を入れる。
その手つきは危なっかしさもなく、手慣れたものだった。

 米は昨晩多めに焚いていた残りを冷凍していたので、電子レンジに入れて解凍させる事にする。
その間に、ニラや長ネギ、刻んだ生姜を鍋に入れて炒め、次にひき肉を入れて火を通す。
それが終わると、醤油や味醂、料理酒等を加え、更に炒めてから、水気を切って食べやすい大きさに切った木綿豆腐を加える。
そのままもう暫く火を通した後で、片栗粉を溶かした水を加え、とろみを出せば完成だ。

 六年前、レオンがガーデンを卒業するまでは、家事はレオンと当時一緒に暮らしていた姉のエルオーネが交代で行っていた。
しかしレオンがミッドガル社に就職し、多忙になって以後は、仕事の関係上長く不在である事が増えた為、自然とスコールが担うようになった。
兄弟揃って余り量を食べる方ではないので、一人分が二人分になった所で、作るのにそれ程手間はかからない。

 米の解凍も終わり、スコールは二人分の食事をトレイに並べて、リビングへ運ぶ。
弟がキッチンから出て来たのを見たレオンは、ソファから立ち上がり、窓辺のテーブルへと移動した。

 二人で向き合うように座って、手を合わせる。


「頂きます」
「…頂きます」


 レオンから一拍遅れて食事の挨拶。
それから二人は、いつもよりも少しばかり遅めとなった夕食を口に運んだ。


「美味いな」
「……ん」


 誉める兄の言葉に、素直にありがとうと返すのが恥ずかしくて、赤くなったスコールの返事は、それが精一杯だった。






このシリーズのスコールは結構家庭的。
お兄ちゃんお姉ちゃんに愛されて育ったので、割と素直な方です。