かぜが吹いた日


 冬の最中の、とある朝。
妹と一緒に朝食の準備をしていたレオンの下に、預かり子である少年が、眉尻を下げた表情で抱き着いて来た。


「どうした?ティーダ」


 金色の髪の少年を見下ろして尋ねれば、困った表情が此方を見上げている。
シャツの裾を握る小さな手にぎゅうう、と力が篭って、其処を起点に皺が出来る。
ティーダは真一文字に唇を噤んでいて、それが泣き出す手前の表情であると、レオンは知っていた。

 持っていた包丁を手放して、レオンは膝を曲げて幼い子供と目線を合わせる。
それだけで、ティーダは幾らか安心してくれたようだった。


「お前一人か?スコールは?」


 預かり子であるティーダと、レオンの弟であるスコールは、毎日一緒のベッドで眠っている。
だから目覚めて一階のリビングに降りてくる時も毎日一緒だったのだが、今日はまだスコールの姿が見られない。

 ティーダは泣き出しそうな表情のまま、声を震わせながら答えた。


「スコール、変……」
「変?……まだ寝てるのか?」
「起きてるよ。でも、起きれないって」


 目は覚めているのに、起きれない。
ティーダの言葉に、レオンは直ぐに立ち上がった。


「スコールの様子を見てくる。エル、ティーダを頼む」
「うん。おいで、ティーダ」


 エルオーネが両手を広げて見せると、ティーダは直ぐに彼女に抱き着いた。
不安を和らげてやるように、白く細い手がティーダの背中を撫でる。

 レオンはキッチンと間続きになっているリビングを通り抜けて、二階の寝室へ向かった。
寝室は手前と奥の二つがあり、手前がレオンの部屋で、奥がスコール・ティーダ・エルオーネの部屋になっている。
奥の部屋の扉が半開きになっているのは、ティーダの仕業だろう。
扉を更に大きく開かせて中に入ると、ベッドの上にこんもりとした小さな山が一つ、時折もぞもぞと身動ぎしていた。


「スコール」


 山の正体である弟の名前を呼ぶと、身動ぎしていたそれがぴたりと動きを止めた。
頭まで被った毛布の端を摘まんで持ち上げると、赤い顔をした弟がレオンを見上げる。


「……おにいちゃ……」
「どうした?気分が悪いのか?」


 心なしか呼ぶ声が震えていて、青灰色には先程のティーダと同様に、泣き出しそうな色が滲んでいる。
それを安心させるように、努めて柔らかな声で話しかけると、小さな手がレオンへと伸ばされた。
その手を握って、レオンはスコールの額に自分のそれを押しあてる。

 ───熱い。

 レオンの脳裏に、三日前にガーデンで渡された連絡事項のプリントが思い出された。
毎年のように流行する急性感染症について、注意を促す旨と、家族や友人などが発症した際の対処方法などが書いてあった。
一ヶ月前にも同様のプリントは配られており、その時にバラムガーデンの生徒は予防接種を義務付けられているのだが、ワクチンを打ってもやはり発症する事はある。
スコールやレオン、ティーダとエルオーネも同様で、予防接種はちゃんと済ませた(注射嫌いのティーダとスコールが泣いて大変だった)のだが、スコールは元々あまり体が丈夫ではない。
だから常日頃、外から帰ったら手洗いうがいを徹底させて気を付けていたのだが、やはり完全に防ぐことは難しいのだ。

 時期から言って、これにかかってしまった可能性はある。
しかしこの急性感染症は、冒頭は風邪の症状とよく似ている為、素人では一見しても区別がつかない事が多い。


(どちらにしても、ガーデンは休ませた方がいいな。念の為、エルとティーダも)


 押し当てていた額を離すと、ふえ、とスコールの涙声が聞こえた。
直ぐに頭を撫でてあやしてやる。


「スコール。熱があるみたいだが、他に何かあるか?寒いとか、痛いとか」
「…わかんない…」
「朝ご飯、食べれそうか?」


 ふるふる、小さく首が横に振られる。


「そうか……判った、もう少し寝ていろ」
「ガーデン……」
「今日は休んでいい」
「…うん……」


 レオンの言葉に、スコールはほっとしたように頷いた。

 コンコン、とノックの音がして、振り返ると、ドアの隙間からエルオーネとティーダが顔を出している。


「スコール、どう?」
「多分風邪だと思うが、この時期だからな。病院に連れて行かないと判らない」
「レオン。スコール、病気?」
「ああ。だからティーダ、お前は部屋に入るなよ。エル、カドワキ先生に連絡してくれるか。それと、今日はお前達もガーデンを休め。念の為だ。後……スコールに粥を作ってくれ、食べさせたら病院に連れて行くから」
「うん、判った。おいで、ティーダ」


 エルオーネに促されて、ティーダも階下へと降りて行く。
ちらちらと振り返りながら遠ざかる幼子は、いつも一緒に過ごしているスコールの事が心配で堪らないのだろう。

 レオンは部屋の扉を閉めて、ベッドに蹲っているスコールの下へと戻る。
見た所では咳やくしゃみを我慢している様子もないので、はっきりとした病状としては発熱のみであるが、悪寒や節々の痛みは本人にしか判らず、それに関しては「判らない」としか言えない。

 床に膝をついて、ベッドサイドに寄り掛かる。
スプリングが鳴ってベッドがほんの少し傾くと、ころん、とスコールが寝返りを打ってレオンに近付いた。
シーツの上に置いていたレオンの手に、弟の小さな手が重なる。
それを拾って包むように柔らかく握ると、大きくて丸い青灰色がほっとしたのが判った。

 寝癖の付いた柔らかなダークブラウンを撫でる。
離してしまうと、きっとまた泣き出しそうになるから、レオンはずっと撫で続けた。


「寒くないか?スコール」
「……ちょっとさむい……」
「頭、痛くないか?」
「…ううん……」
「そうか。喉は?イガイガする?」
「…ううん」


 レオンは一端頭を撫でるのを止めて、ずり落ちた毛布を引き上げて、スコールの首元までかけ直す。
それから赤らんだ頬に手を当てると、熱のあるスコールにはレオン手が冷たく感じられたようで、ちょっと気持ち良い、と笑みが零れた。
それに答えるように笑みを浮かべてみせると、甘えるようにスコールが身を寄せてくる。

 そのまま、何をするでもなく、レオンはスコールをあやし続けた。
スコールは眠るかと思ったが、そうでもなく、ずっと自分の手を握ったレオンの手を見詰めている。

 コンコン、と二度目のノックの音がした。
立ち上がろうとレオンが腰を浮かせると、握っていた手がぎゅっと強い力でそれを引き留めた。
見れば、ほんの少しでも離れるのを不安に思っているのが判る、ブルーグレイが兄をじっと見詰めている。
レオンは小さく笑みを浮かべて、ぽんぽんとスコールの頭を撫でてやった。
何処に行く訳でもない、そんな音にならない言葉を感じ取ったか、握っていた小さな手から、ゆるゆると力が抜けて行く。

 ベッドを離れてドアを開けると、エルオーネがトレイに粥と体温計を乗せて持って来ていた。


「ちょっと少な過ぎるかな?」
「いや、大丈夫だろう」
「食器は後で私が取りに来るから、レオンはスコールを見ててね。ティーダの事は、任せておいて」


 そう言うと、エルオーネはトレイをレオンに渡して、急ぎ足で階段を下りて行った。
下で待っているもう一人の弟を不安にさせない為に。

 ベッドの横にある低いチェストにトレイを置いて、レオンはスコールを起き上がらせた。
枕をクッション代わりに背中に敷いて、寄り掛からせる。
小さな土鍋の中で湯気を昇らせている粥飯を、レンゲで掬って息を吹きかけて冷ましてから、スコールの口元へ運ぶ。


「ちょっとだけでもいいから、食べろよ。ほら、あーん」
「…んぁ……」
「よし」


 はむ、とレンゲの端をスコールの小さな口が咥えた。
もくもくと顎を動かす弟に、良い子だ、と頭を撫でる。

 結局、スコールが食べれたのは、半分にもならなかった。
元々小食な方であるから、エルオーネも少なめに作ってくれたようだが、後は口元に近付けても、いやいやをするように首を横に振るので、レオンも無理に食べさせる事はしなかった。


(後はティーダが食べるかな。冷めてしまうが、仕方ない)


 体調不良の弟と一緒に眠ったもう一人の弟は、至って元気だ。
時折、スコールの事が心配なのか、部屋の外からそれらしい足音が聞こえてくる。
直ぐにエルオーネに連れ戻されて、不満そうな声を漏らしていた。

 粥をトレイに戻して、体温計をスコールの脇に挟ませる。


「お粥、どうだった?」
「おいしかった……でも、残っちゃった」
「構わないさ。あれだけ食べれたんだから、十分だ。吐き気はないか?我慢しなくていいからな」
「うん…だいじょうぶ」


 ───ピ、ピ、と電子音が鳴って、スコールが自分で体温計を取り出す。
はい、と差し出されたそれを受け取って、表示を確認した。


「38度2分か……」


 表示を消して、体温計をトレイに置く。
布団で小さな体を包ませておいてから、レオンは部屋のクローゼットを開けた。
スコールの厚手の上着と、その上に被せられる大き目のダウンを取り出す。


「スコール、病院に行くぞ。外は寒いけど、少しだけ我慢しろよ」


 パジャマの上から上着を着せて、ダウンも羽織らせ、もこもこに着膨れさせて、レオンはスコールを抱き上げた。
その振動が頭に響いたのか、スコールは首が座らない赤ん坊のようにゆらゆらと頭を揺らす。
それを自分の肩に落ち着けさせて、レオンは部屋を出た。

 階段を下りて行くと、窓辺のテーブルで退屈そうに足を遊ばせていたティーダが顔を上げた。
ティーダは椅子を飛び降りて、レオンの脚元に駆け寄って来る。


「スコール、スコール。大丈夫?」
「…ちょっとさむい……」
「ティーダ、エルは?」


 スコールの返事に不安そうに眉尻を下げるティーダに、レオンは見当たらない妹について尋ねた。
ティーダが指差したのはキッチンで、其処から食器を洗う水音が聞こえてくる。


「エル」
「あ、レオン。スコール、どう?」
「粥は半分食べた。今から病院に連れて行く」
「レオンもちゃんと着て行かなきゃ駄目だよ。上着取ってくるから、ちょっと待ってて」


 エルオーネの言葉に、自分がインナーの上に長袖のシャツを一枚着ていただけだった事を思い出した。
スコールの事ばかりに気を遣っていて、完全に失念していたようだ。

 二階に上がって行ったエルオーネが、レオンのジャケットを持って駆け足で戻ってくる。
レオンは一端スコールを床に下ろして、ジャケットに袖を通すと、もう一度スコールを抱き上げる。


「今日はエルもティーダも外に出るなよ」
「スコールは外出るのに?」
「病院に行くだけだ。それとも、ティーダも病院に行きたいのか?」


 意地悪く言ったレオンの言葉に、ティーダがぶんぶんと首を横に振る。
一ヶ月前に予防注射に連れて行った所為だろう、『病院=痛い所』と言う方程式がティーダの頭に根付いたらしい。
青い顔で拒否するティーダに、レオンとエルオーネはくすくすと笑う。

 財布や保険証を入れた鞄を肩にかけて、レオンは家を出る。
吹き付ける冷たい海風から、小さな弟を庇いながら、病院へと向かって歩き出した。




 今日はガーデンはお休み、と聞いたティーダの一番のリアクションは、万歳上げての喜びの反応だった。
けれども、普通の休日のように外に遊びに行ける訳ではないと説明すると、一転してしょんぼりしてしまう。

 スコールの病気がガーデンで注意を促された感染症かは判らないが、いずれにしろ、今日と言う日は大人しく家の中で過ごすしかない。
昨日も一緒のベッドで眠ったティーダも、スコールと同じウィルスが入り込んでいるかも知れないのだ。
少なくとも、病院に行ったスコールが戻って来て、病状が判るまでは、ティーダを外に遊びに行かせる訳には行かない。

 レオンがスコールを病院へと連れて行った後、エルオーネとティーダはリビングでテレビを見て過ごしていた。
子供向けチャンネルを点けていて、ティーダもしばらくはテレビに合わせて歌ったり踊ったりしていたのだが、歌の番組が終わると退屈になってしまった。
歌番組の後の学習番組は、スコールは好きでよく見ているのだが、ティーダには余り面白くないらしい。


「んむー……」


 ティーダは、手の中で丸いスノードームをくるくると回して遊んでいる。
ドームの中には、ブリッツボールのミニチュアが入っていて、ティーダが引っ繰り返す度、水の世界をふわふわと漂う。
それと一緒にきらきらと紙吹雪が光って、ティーダの目を楽しませてている───が。


「うー」
「退屈?」
「うん」


 テーブルに顎を置いて唇を尖らせるティーダに、エルオーネは眉尻を下げて苦笑する。


「カードする?」
「カードよくわかんない」


 バラムで流行っているトリプル・トライアドと言うカードゲームは、スコールのお気に入りなのだが、ティーダにはその面白さがよく判らないらしい。
だからやらない、と言うティーダに、エルオーネはしばらく考えて、


「じゃあ、お勉強する?」
「やっ!」
「でもティーダ、宿題あったでしょ?」
「……うー……」
「教えてあげるから、今の内に終わらせちゃお。ね?」


 プリント持っておいで、と言うと、ティーダは渋々と言った様子で椅子を下り、二階へ上がって行く。
転がったスノードームを拾って、窓辺の写真立の隣にある台座へと嵌めた。

 ティーダはプリントと一緒に教科書と筆記用具も持って降り、椅子に上ってそれを広げた。
プリントの問題は幾つか解いてあるものの、まだまだ空欄が目立っている。
判らない所は飛ばし飛ばしにして、判る所だけを埋めた結果だ。
これはスコールとは正反対で、スコールは判らない問題があると、其処でずっと考え込んで止まってしまう。

 エルオーネは問題を上から順番に見て、最初の空欄を指差した。
時計の計算問題で、書いてある時計の指している時間から、指定の時間まであと何分か、と言う問題。


「じゃあ、ここからね。この時計は、今何時?」
「……1時…えっと……いち、にー、さん、しー…」


 ティーダは時計の目盛を一つ一つ数えて行く。
スコールはもう大きな目盛=5分ずつと覚えたが、ティーダはまだそれが出来ない。


「1時50分!」
「問題は、3時まであと何分、か……まず、2時まで後何分か数えてみようか」
「2時…2時…えーっと、10分?」
「そうそう」


 鉛筆で時計の短針を書き足す。


「長い針がぐるーっと回ったら、短い針が大きい目盛を一個動くのは、判る?」
「うん」
「長い針がぐるーっと回って一時間。一時間って何分?」
「60分!……あ、判った!」


 プリントの解答欄に『10分と60分』。
間違いじゃないんだけどなあ、とエルオーネは眉尻を下げる。


「ティーダ、答えは一個だけだよ?」
「これ違うの?」
「10分と60分、足して何分?」
「10+60…ろくじゅーいち、ろくじゅーに、ろくじゅー…」


 プリントの端に数字を並べながら、声に出して数えて行くティーダ。
数字が増えるごとに端から1、2、3、と数えて、数字が10個分増えるまで書き続ける。


「70……70分!」
「正解〜!」


 ぱちぱちと拍手してやれば、ティーダが嬉しそうに笑う。
うきうきと答えを書き直して、次の問題も同じように解いて行く。

 じゃあ次は、とティーダが飛ばしたままにしている問題を指そうとした所で、エルオーネは手を止めた。
家に繋いでいる電話がコールを音を鳴らしている。
ちょっとごめんね、とティーダは席を立って、電話を取った。


「もしもし、レオンハートです」
『おう、エルの嬢ちゃんか。ジェクト様だぜ』
「ジェクトさん?」


 エルオーネが繰り返しに名を呼ぶと、おう、と言う声。
同じタイミングで、ティーダがプリントから顔を上げた。


「ティーダ、お父さんだって」
「貸して、貸して!」
「ティーダに替わりますね」
『ああ』


 駆け寄ってきて受話器を求めて飛び跳ねる弟。
エルオーネは落ち着いて、と金色の髪を撫でてから、受話器を差し出した。


「もしもし!」
『おう。元気にしてるか、チビ』
「チビじゃない!」
『へいへい。お前、レオンや嬢ちゃんに迷惑かけてねぇだろうな?』
「かけてない!」
『本当かぁ?お前、泣き虫だからな。ピーピー泣いて困らせてんじゃねえか?』
「泣いてない!」


 どんどん剥れるティーダの顔に、エルオーネは苦笑する。
貸して、と言って手を差し出すと、ティーダは拗ねた顔のまま、エルオーネに受話器を渡した。


「もしもし、ジェクトさん。駄目ですよ、またティーダが拗ねちゃいますよ?」
『あー……軽い冗談なんだがな』
「もう。……あ、ティーダ」


 ティーダはテーブルに戻ると、プリントの上に顔を突っ伏した。
床に届かない足がぷらぷらと揺れて、ティーダの不機嫌を如実に表わしている。


「ジェクトさん、あんまりティーダに意地悪すると、その内電話にも出て貰えなくなっちゃいますよ」


 ジェクトが何かとティーダを揶揄って泣かせるのは、レオンとエルオーネにとって、日常的な光景となっていた。
そんな父親でも、唯一無二の家族であるから、ティーダにとって掛け替えのない存在である事は間違いない。
しかし、ティーダは今でこそ素直な性格だが、これから一次成長が始まる次期だから、天邪鬼が顔を出す事も増えるだろう。
そんな時までジェクトが今の調子だと、ティーダの方が意地悪な父親を嫌いになってしまうかも知れない。

 離れた場所で暮らす親子である。
父とて何も息子に嫌われたい訳ではなく、寧ろ、好いて欲しいと思っている筈だ。
しかしどうした訳か、ジェクトは息子に素直に接してやる事が出来ないようで、たまに帰って来たと思ったら、意地悪を言って息子を泣かせてしまう。
これが後の成長に響かなければいいが、とレオン等はひっそりと心配していたりする。

 エルオーネの言葉に、電話の向こうのジェクトが気まずそうに口籠る。
悪かったよ、と言う声が聞こえたが、


「それはティーダに言って下さい」
『…手厳しいな』
「そうじゃないと、男の子三人の面倒なんか見れませんから。結構大変なんですよ?」
『嬢ちゃんにかかっちゃ、レオンもチビ共と同じ扱いか』


 くくっと笑う声が聞こえて、当然ですよ、とエルオーネは返す。

 内気な弟と、元気な弟がそれぞれ手がかかるのは当然だ。
それに比べれば兄のレオンは確り者だが、妙な所で抜けている面があるので、エルオーネから見れば彼も十分危なっかしい。
先程だってスコールの風邪ばかり心配して、薄着のままで外に出ようとしていた。
ああ言う事が度々起こるから、エルオーネは自分が確りしなきゃ、と思うのだ。


「───所で、今日はどうしたんですか?突然電話なんて…」


 ティーダも喜ぶので、ジェクトから突然の電話がある事自体は構わない。
しかし、何か急用でもあるのかとエルオーネは思う。

 ジェクトは息子をレオンとエルオーネに任せ、ザナルカンドでプロのブリッツボール選手として活躍している。
テレビでもその活躍振りは度々映されており、夕方のスポーツニュースにも出演する事も多い。
特に現在はザナルカンド都市内の大会が行われている為、ジェクトは練習・試合本番後のインタビュー等で度々テレビに顔を出していた。
正にシーズン真っ最中と言う訳だ。

 そんな忙しい時期にジェクトから電話がかかってくるのは珍しい。
息子の事を気にしながらも、彼はレオンやエルオーネ、その後見人であるクレイマー夫妻を信頼してくれているので、この時期は基本的に自分の試合に集中しているのが常である。

 何かあったんですか、と問うエルオーネに、「いや」とジェクトは言った。


『こっちが何かって言うよりも、そっちの方がちょいと気になってな。うちのチームにバラム出の奴が一人いるんだが、今の時期、バラムってなんか毎年病気が流行るんだろ?だから、ほれ……うちのチビがやられて、お前らに手ぇかけさせてねえかと思ってな』


 ───心配になったと、素直に言えばいいのに。
どうして素直になれないのだろうと思いつつ、エルオーネは笑みを零す。


「ティーダなら元気ですよ。でも、スコールがちょっと。感染症だと大変だし、念の為にって今日は皆ガーデンをお休みしてます」
『……ああ、だから昼間なのに家にいたのか』


 今更ながら、とジェクトが納得したように言った。


『スコールは大丈夫なのか?』
「今、レオンが病院に連れて行ってます」
『そうか。嬢ちゃんは?問題ねえか?』
「私、結構丈夫ですから。でも変だなって思ったら、直ぐ病院に行くようにします」


 そうか、じゃあいいか。
電話の向こうから、仄かに安心したような、低い声が聞こえる。
その後にジェクトを呼ぶ声があって、


『ああ、悪い。今から試合なんだ』
「はい。行ってらっしゃい。ティーダも、ほら。ジェクトさん、これから試合だって」
「………」


 エルオーネが受話器をティーダに向けるが、ティーダはつーんとそっぽを向いてしまった。


「怒ってますよ、ティーダ」
『……悪かったよ』
「だから、ティーダに言って下さい」


 きっぱりと言った後、その内な、と言う返事があった。
それからツー、ツー、と通信が途切れてしまい、エルオーネは受話器を睨んで「もう!」と呟いた。

 受話器を元の位置に戻して、エルオーネはテーブルへ戻る。
ティーダはテーブルに頭を預けていて、窓辺で日差しを浴びてきらきらと煌めくスノードームを見詰めている。
伸ばした小さな手が水の結晶に触れて、拗ねたように唇が尖る。


「ティーダ」
「………」


 ぷく、と膨らんだ丸い頬。
エルオーネは手を伸ばして、つん、とそれを突いた。


「今度ジェクトさんが帰って来たら、一杯ワガママ言っちゃおうね」
「……うん」


 小さく頷いたティーダの頭を撫でて、どんな無茶をお願いしようか、とエルオーネは生まれついての悪戯心を働かせるのだった。




 レオンとスコールが病院から帰って来たのは、昼前の事だった。
やはり時期が時期であった事もあって、病院には沢山の患者が訪れており、中々スコールの診察順が回ってこなかった。
熱と寒さで震え、心細さで縋り付いて来るスコールに、レオンは「大丈夫」と繰り返して、根気強く宥め続けた。

 幸い、スコールは感染症による症状ではなく、ごく普通の風邪である事が診断された。
レオンは風邪薬を貰って病院を後にし、急ぎ足で家に帰ると、直ぐにスコールを自分の部屋に寝かしつけた。

 それから夜になるまで、レオンはスコールに付きっ切りで看病した。
エルオーネは食事や時折様子を見に来た時に少し部屋に入るだけで、ティーダは絶対に部屋に入らないように言い付けた。
件の感染症ではなかったにせよ、ウィルスが拡がるのは防がなければならない。
ジェクトにも心配された事はエルオーネから聞いたし、彼に余計な気を遣わせない為にも、まだ幼いティーダに風邪を伝染させる訳には行かない。

 スコールは、何度か寝て起きてを繰り返した。
昼食と夕食は朝と同じ粥で、やはり食べられたのは半分まで。
けれど、苦いのを堪えて飲んだ薬のお陰か、空が暗くなる頃にはスコールの熱は引いていた。

 押し当てていた額を離して、よし、とレオンは頷いて見せる。


「大分熱が下がったな。吐き気はないか?」
「うん」


 こくんと頷いた弟の頭を撫でて、レオンは用意して置いた換えのパジャマをベッドに乗せる。


「寝る前に体を拭いて、着替えよう。汗、一杯掻いただろう」
「うん。……僕、自分で脱げるよ、お兄ちゃん」


 スコールの言葉に、レオンはパジャマのボタンを外そうとしていた手を止める。
小さな手が一所懸命にボタンを外して、もぞもぞと袖から腕を抜く。
その間にレオンは、エルオーネが持って来てくれていた湯を張った洗面器にタオルを浸し、軽く絞る。

 パジャマを脱いだスコールの体は、熱が下がったとは言え、まだ常よりも少し赤らんで見える。
じっとりと滲んでいる汗を、丁寧に、優しく拭き取って、レオンは替えのパジャマを着せてやった。
脱いだパジャマは手早く畳んで、明日の朝、洗濯機に入れて洗う事にする。

 着替えを済ませたスコールがベッドに潜り、ベッド横に座っているレオンを見上げる。


「……お兄ちゃん」
「うん?」
「…ティーダと、お姉ちゃんは?僕、こっちで寝ていいの?」


 部屋の時計は午後8時を指している。
いつもなら、この時間には自分達の部屋に戻って、ティーダと一緒に布団に入り、エルオーネも弟達に合わせて寝る準備をする頃だった。
しかし、今日は病院から帰って来てから、ずっと兄の部屋にいる。

 レオンが一人部屋で寝るようになったのは、遅くまでガーデンの課題をするようになったからだ。
レオンは高等部に入ってから、ガーデンに通い、弟達の世話をする傍ら、アルバイトを始めた。
その為に勉強時間が大幅に削られ、夜にならなければ勉強をする時間がなくなってしまったのである。
スコールやティーダは午後8時に寝る習慣がついていたので、その横でいつまでも電気を点けて勉強をする訳には行かないと、部屋を別にするようになったのだ。

 それなのに、今日はずっとこの部屋で過ごしている。
ティーダとエルオーネは、いつも通り、隣の部屋にいるのだろうか。
眠る前にいつも傍にあった存在がいないのが落ち着かなくて、スコールはなんだか心許なかった。

 不安そうに見上げてくるスコールの頭を、レオンが優しく撫でる。


「ティーダとエルなら、隣の部屋だ。でも、スコールは今日はこっち。風邪が伝染っちゃいけないからな」
「…お兄ちゃんも、うつっちゃう…」
「俺には伝染らないよ」


 小さな弟の可愛らしい心配事を、レオンは笑って拭ってやる。
勿論そんな根拠などないし、レオンも無理をすれば体調を崩してしまうが、もうスコール達のような小さな子供ではないから、多少の誤魔化しは効く。
その誤魔化しがエルオーネにバレてしまうと、中々耳に痛い言葉を貰ってしまうのだが、今はそれよりも、不安そうな弟を安心させてやる方が大事だ。

 レオンはスコールの位置を少しずらして、ベッドに潜り込んだ。
風呂は夕飯前に済ませたので、レオンも後は寝るだけだ。
自分よりも暖かい、小さな弟を抱き締めてやれば、スコールの小さな手がきゅっとレオンのシャツを握る。


「…お兄ちゃん」
「なんだ?」
「…お兄ちゃんと一緒に寝るの、ひさしぶり」
「……そうだったな」


 ガーデンに入学して、高等部に進学して間もなく、部屋を別々にした。
それをスコールが随分寂しがっていたと言うのは、エルオーネから聞かされた事がある。
それまでレオンとエルオーネとスコールは、違うベッドで眠る事はあっても、部屋を別々にした事はなかったからだ。

 ティーダを預かるようになってから、小さな弟達は一緒のベッドで眠るようになり、あまり寂しくなくなったようだった。
けれど、やはり病気になってしまうと、安心できる温もりが欲しくなるのだろう。

 こしこし、スコールが眠たげに目を擦る。


「眠いか?」
「…うん……」


 昼の間に大分寝かせたのだが、習慣だろうか、体は今が寝る時間だと認識しているのか。
ふぁ、と欠伸を漏らす弟に、レオンは小さく笑みを漏らす。
少し前まで毎日のように見ていた仕草なのに、部屋を別々にして以来、久しぶりに見る姿だった。

 殆ど瞼が落ちているスコールを、腕の中に抱き込んで、レオンは自分の胸へと押し当てた。
遠い記憶の日、母に同じように抱き締められたことを覚えている。
あの日の優しい記憶が、腕の中の小さな弟にも伝われば良いと思った。





インフルエンザの季節と言う事で……
風邪っぴきなちびスコ。お兄ちゃんお姉ちゃん大忙し。

エル姉ちゃんが謎のやる気を出しました。後日帰ってくる予定のジェクトに死亡フラグw