鬼さん、どちら?


 朝からスコールとティーダが落ち着かない。
スコールはびくびく、ティーダはそわそわ。
種類は違えど、二人くっつきあって、まだかな、まだ来ないのかな、と囁き合っているのが聞こえた。


「二人はどうしたんだ?」


 レオンがエルオーネに尋ねると、エルオーネはくすくすと可笑しそうに笑いながら答える。


「鬼さんが来るのを待ってるの。あ、スコールは怖がってるのね」
「鬼さん……ああ、」


 レオンは壁にけられたカレンダーを見て、エルオーネの言葉の意味を理解した。
2月3日は節分の日。
良くない事を家から追い払うために、良くない事をする鬼を追い出す儀式────豆蒔きをする日だ。

 レオンはもう一度スコールとティーダを見て、口元を隠してこっそりと笑う。
ティーダは今から準備万端で、テーブルの上に升に盛られた豆を置いている。
いつでも来い、とばかりに、ティーダは臨戦態勢だった。
対してスコールの方は、ティーダの陰に隠れるようにしてくっつき、家の戸がいつ開けられるか戦々恐々としていた。

 二人とも、本物の鬼が今直ぐにでも家を襲撃してくると思っているらしい。
シミュレーションするようにティーダが素振りをしているのが、なんとも微笑ましかった。


「まずは顔だっ」
「それ、絶対怒るよ。鬼さんが怒ったら、僕たち食べられちゃうよ」
「怒らないよ。鬼は豆がダイッキライだから、怒らないで逃げるに決まってる」
「キライなものぶつけられたら、ティーダ怒るでしょ。だから鬼さんも怒っちゃうよ」
「じゃあ、もっとぶつける!」


 鬼を怒らせるのが怖いスコールと、果敢に挑もうとしているティーダ。
正反対の弟二人の様子が、レオンとエルオーネには愛おしい。


「やっつけるぞー!おー!」
「お、おー……」


 勢いよく拳を振り上げて鴇の声を上げるティーダに、スコールも一緒に拳を上げる。
眉尻を下げた表情のまま、怖々と。

 レオンはそれを眺めながら、キッチンでよいしょ、よいしょと太巻きを作っているエルオーネに言った。


「スコールが節分で泣くのは毎年の事だけど、ティーダは大丈夫そうだな」
「そうかな。私は、そうは思わないけどなあ。ティーダ、スコールと同じ位によく泣くでしょ」
「あれは悔し泣きだろう。サイファーに笑われたとか、セルフィに身長を抜かれたとか」


 スコールもティーダもよく泣くが、二人は基本的に真逆の性格をしている。
内向的で怖がりなのがスコールで、明るくて人懐こいのがティーダだ。
好奇心旺盛で、何にでも首を突っ込みたがるのも、躊躇わず一歩踏み出すのも、いつもティーダが先だった。
スコールはそんなティーダに手を引かれて、ティーダの背中にくっついて、恐る恐る周りを見ているのが常である。

 ────レオンはそう思っているのだが、エルオーネは違うらしい。


「レオン、部屋を別にしたから知らないよね。ティーダ、夜になると一人でトイレに行けないの」
「……それ位なら、スコールもそうだろう?」
「うん、そう。だから多分、一緒だと思うよ」


 くすくすと笑うエルオーネに、レオンは不思議そうに首を傾げる。
しっかり者の兄が時折見せる、こうした表情を、エルオーネはこっそり気に入っていた。


「それより、レオン。恵方巻、輪切りにした方が良いよね」
「ああ。その方がスコール達も食べ易いだろう」


 伝統に則るならば、丸かぶりをするのが正しいが、7歳の子供には辛いだろうし、喉を詰まらせては大変だ。


「巻き寿司って、切るの難しいのよね……」
「コツがいるんだ。俺がやろう、貸してみろ」


 エルオーネの手から包丁を受け取って、彼女の代わりにキッチンに立つ。

 包丁を濡れた布巾で拭いて、太巻きの高い位置に根本を当て、手前に引きながら半分ほど切る。
それから奥へと進めながら刃を落として、切り離した。
太巻きは、まるで店で売られている商品のように、切り口も形も綺麗なものになった。
エルオーネはその手捌きをじっと見詰めていて、レオンは手を進めながら説明する。


「真っ直ぐ、上から下に刃を落とそうとすると駄目なんだ。海苔やワカメも、それだと切れないだろう」
「こっちに引いて、向こうに……刃は斜め?」
「気持ち程度、な。やってみるか?」


 レオンの言葉に、エルオーネが大きく頷いた。

 手元に注意しながら、エルオーネが恵方巻に包丁を当てる。
レオンの手本を思い出しながら、記憶に倣って腕を引いて、次に奥へと押す。
切り分けて断面を確認して、綺麗な形に残っているそれに、エルオーネが嬉しそうに笑った。

 ぱたぱたと走って来る音がしたかと思うと、レオンの腰にどんっと軽くぶつかる。
振り返って見下ろせば、金色とダークブラウンがくっついていた。


「レオン、鬼まだ来ないの?」
「鬼さん、もう来ないの?」


 早くやっつけたいティーダと、出来ればこのまま平和なままが良いと言うスコールと。
どう答えたのものかと迷った挙句、レオンは「さあ、どうだろうな」と曖昧に笑った。





 平和な一日だった。
鬼がいつ来る、いつ来る、と小さな弟達は戦々恐々としていたが、それも含め、平和な一日であったと、レオンは思った。
────それが崩壊したのは、四人揃って夕飯を囲んでいた時。

 ドンドンドン、と荒々しい音が玄関を叩いた。
途端、びくっ!とスコールとティーダが大きく肩を跳ねさせた後、カチンと硬直する。


「客かな」
「レオン、出てくれる?」
「ああ」


 レオンは席を立って、玄関へと向かう。
それを四つの小さな手が引き留めた。


「だ、だ、だめ、お兄ちゃん。ドア開けちゃだめ」
「どうしてだ?お客さんなら、出迎えないといけないだろう」
「だめだめだめ!」
「鬼だよ、レオン!鬼が来た!」


 ぐいぐい、ぐいぐい。
小さな手が一所懸命に兄を引き留めようとするが、レオンは二人の頭を撫でて宥める。


「大丈夫だ。それに、もし鬼が家に来ても、ティーダとスコールがやっつけてくれるだろ?」
「う、あう……うぅ…」
「う、うー……うん……」


 昼間の勇ましい様子は何処へやら、スコールだけでなく、ティーダももじもじとして自信がなさそうな表情を浮かべている。
ブルーグレイとマリンブルーに、それぞれ薄らと透明な滴が浮かんでいて、レオンは昼のエルオーネとの会話を思い出して苦笑した。

 レオンが玄関へ向かうのを、丸い眼がじっと具に見詰める。
鍵を外して、ドアハンドルを握り、玄関を押し開く。

 ─────野太い声が響き渡った。


「ウガー!!」
「うっ!」
「ふえっ!」
「うわああああん!出たーっ!!」


 レオンを押し退け、家の中に入って来たのは、大きな体に赤い顔して、二本の角を生やした鬼だった。
スコールとティーダは竦み上がって、直ぐにエルオーネの下に駆け寄り、彼女の陰に隠れる。
エルオーネはそんな二人を庇うように立って、鬼の前に立ち塞がった。


「スコール達には、指一本触れさせないっ」


 キッと眉根を引き上げて、凛々しく叫んだ少女に、鬼がゆっくりと近付いて行く。
レオンは押し退けられた時に壁にぶつけられて、床に座り込んでしまい、動けなくなっていた。

 スコールとティーダの世界の中で、一番強くて頼もしいのは、他でもない、兄であった。
その兄が立ち上がれなくなっているのを見て、スコールとティーダは益々震え上がり、自分達を庇ってくれる姉にしがみ付く。
レオンが痛めたらしい肩を押さえて起き上がろうとするが、直ぐに床に倒れ込んでしまった。


「おにいちゃ……」
「うえ、え、ふえぇえええ……!」


 恐怖で一杯一杯になったティーダが泣き出す。
スコールも一緒に泣き出して、エルオーネは二人を庇ったまま、大丈夫だから、と言い聞かせた。


「大丈夫、大丈夫だから」
「ひっく、ひっく…お姉ちゃ…エルお姉ちゃん…お兄ちゃあん…」
「えっく、ふえ…とーさ…とーさぁん……!」


 助けてくれる兄と姉を、此処にいない父を呼ぶ子供の声を聞いて、ぴたっと鬼の動きが一瞬止まる。
が、直ぐにまた動き出して、丸太のように太い腕がエルオーネへと伸ばされた。


「きゃあっ!」


 ごつごつとした大きな手が、エルオーネの白く細い腕を掴み、力任せに引っ張る。


「エル姉ちゃん!」
「お姉ちゃん!」


 頼る者をなくした子供達の、悲痛な叫び声が響く。
エルオーネは二人に向かって自由な手を伸ばそうとするが、鬼に引っ張られて、彼女の手は愛しい子供達へは届かなかった。

 鬼は彼女を連れて、玄関へと向かって歩き出す。
異形の来訪者が、大好きな姉を何処か遠くへ連れて行こうとしているのだと気付いて、スコールが蒼褪めた。
スコールが弾けたように叫ぶ。


「だめ!お姉ちゃん、連れて行っちゃだめー!」
「エル姉ちゃんを返せー!」


 小さな体が二つ、大きな鬼に跳び付いた。
しかし、鬼が体をぶんぶんと振り回す力に抗い切れず、二人揃って床に落ちてしまう。
尻餅の痛みと、敵わない悔しさで、二人は声を上げて泣き出した。


「スコール、ティーダ!助けて!」


 エルオーネの悲痛な叫び声に、二人はぐすぐすと泣きながら、もう一度立ち上がる。
しかし、じろりと鬼に睨まれて、二人は完全に竦み上がってしまった。
お姉ちゃんを助けなくちゃ、と何度も自分に言い聞かせてみるけれど、足は固まったように動かない。

 鬼がずんずんと歩いて、玄関に近付いて行く。
しかし、それを阻止する者がいた。


「エルオーネを放せ」


 玄関の前で立ち塞がっていたのは、レオンだ。
痛めた肩を押さえながら、鋭い光を宿した青灰色が鬼を睨む。
ウウウ、と鬼が唸るように音を鳴らして、レオンを睨んで立ち止まる。
それが好機。


「スコール、ティーダ!豆をぶつけろ!」


 レオンの声を聞いて、そうだ、と二人は思い出した。
大急ぎでテーブルに置いていた升を取って、小さな手一杯に豆を握って、鬼に向かって投げつける。


「えいっ!お姉ちゃんを返せーっ!」
「エル姉ちゃんを返せ!うちから出て行けーっ!」


 二人は休む暇なく、次から次へ豆を鬼に投げつけた。
それを受けた鬼は途端に焦り始め、ウウ、ウウ、と唸りながら、苦しそうにもがき出す。
その隙にエルオーネが鬼の腕を振り払って、子供達の下へ駆け寄ると、升から豆を一握り掴む。

 二人から三人がかりになって、鬼に無数の豆の弾が降り注ぐ。
鬼は弱々しく背中を丸めながら、玄関を蹴破る勢いで開けて、外へと逃げて行った。

 ────脅威が去った家の中で、スコールとティーダは、しばらく豆を握り締めたまま、開けっ放しの玄関をじっと睨んでいた。
放って置くとストップがかかったように硬直していそうな二人を現実に戻したのは、頭を撫でた優しい手。
ぱちりと瞬きをして二人が顔を上げると、頬を赤らめて、嬉しそうに笑う姉がいる。


「ありがとう、スコール、ティーダ。頑張ったね。二人なら、きっとやっつけてくれるって信じてたよ」


 膝を曲げて、同じ目線の高さでそう言ったエルオーネに、二人の頬が赤らんで────……泣き出した。


「おねえちゃぁあん」
「ふええええ、怖かったよぉお」
「あらら」


 ぎゅうっと抱き着いて来た二人に、エルオーネは眉尻を下げる。
それから栗色の瞳はレオンへと向けられて、此方もエルオーネと同じような表情を浮かべていた。

 レオンは、泣きじゃくる二人の弟の下まで行くと、ぽんぽんと二人の頭を撫でてやる。


「よく頑張ったな、お前達」
「お兄ちゃん……お兄ちゃん、痛いの、平気…?」
「ああ。もう何ともない。スコール達が頑張って鬼をやっつけたから、痛いのも、もう治ったよ」
「ふえっ、えっ…レオン〜」
「よしよし。ほら、ティーダ、鼻かもうな。凄い顔になってるぞ」


 レオンはテーブルの上のティッシュを取って、ティーダの鼻に当てる。
ティーダは涙に鼻水に、おまけに涎と、汗もあって、顔から出るものが全部出てしまっている。
凄い有様だな、と思いつつ、レオンは新しいティッシュを取って、ティーダの顔を丁寧に拭いてやった。
スコールの方も(ティーダ程豪快ではないが)似たような状態で、エルオーネが優しく涙を拭き取っているが、安心感からだろう、中々涙は止まりそうにない。

 ティーダの顔を拭き終わった所で、レオンとエルオーネの目があった。
栗色が意図する所を読み取って、それじゃあ、とレオンはティーダをエルオーネに預け、家の外へと向かった。




 玄関を出て、レオンは家の裏に回り込んだ。
其処には不要なものを入れている大きな木箱があって、その陰に何か大きなものが隠れている。
レオンは小さく苦笑して、木箱の陰を覗き込んだ。


「大丈夫か?」


 声をかければ、角を生やした赤鬼が振り返る。
お面をした赤鬼が。

 ゆっくりと鬼が立ち上がると、その身長は、平均的な数値から考えれば体格に恵まれているであろうレオンですら、見上げなければならない程の大きさだった。
これを子供が見上げれば、きっと更に大きなものに感じるだろう。
分厚い胸板を前にして、まるで壁みたいだな、とレオンはぼんやりと思った。

 ざんばら髪をぐしゃぐしゃと掻き毟りながら、鬼が呟く。


「…ったく。ガキは手加減ってモンを知らねえなあ」


 少ししゃがれた低い声。
それは、レオンだけではない、エルオーネもスコールも聞き覚えのあるもので、ティーダにとっては唯一無二のものだった。

 鬼が顔に手を当てて、ゴムで固定されていたお面を外す。
頬に大きな傷を残した、無精髭を生やした男の顔が露わになって、その表情はやや疲労の色を滲ませている。
レオンがいつもテレビ越しに見る、豪快で豪胆な男の顔は其処にはなく、あるのは子供の思い付きに振り回される、一人の父親の顔。

 ティーダの父、ジェクト。
それが、子供達をパニックに陥れた鬼の正体だ。


「ガキどものは覚悟してたけどよ。なんでエルの嬢ちゃんまで一緒になって投げて来たんだ?」
「多分、昔に戻った気分だったんだろう。よくやってたからな、あの頃は」


 ───無邪気な父と、無邪気な妹と、それを呆れながら見守る母と自分。
そんな情景を思い出して、レオンは堪え切れずに笑った。


「なんか、嬢ちゃんの投げた奴が一番痛かった気がするぜ」
「もう11歳だからな。ガーデンの体育の授業でソフトボールもやったらしいし。投げ方も中々堂に入っていた」
「勘弁してくれよ。ガキどものだけでも痛ぇっつーのに」
「普段、まともにティーダを構ってやらない罰だろうな」


 レオンの言葉に、ジェクトはぐうの音も出ず、些か気まずそうに頭を掻く。
俺だって気にはしてるよ、と呟くのが聞こえて、ならそろそろ戻ろうか、とレオンは踵を返した。
その後ろをジェクトが遅れて歩き、今正にザナルカンドから帰って来た、と言う体で玄関を潜るのだ。

 たまにしか帰って来ない父親に、子供達はきっと、今日の武勇伝を話して聞かせるに違いない。
ただし、泣いていた事は秘密にして。




お兄ちゃんお姉ちゃんが異様にノリノリです。十中八九、父親の影響。
ジェクトは「なんで俺が…」とか言いながら、本番になったらやり切ってくれそう。

スコールが節分の時に毎年泣いてたのは、豆まきをする時、シドが鬼役でお面を被っていたからです。
鬼のお面が怖くて、毎回泣いてました。