スカイ・ウィンド


 何事も先ずは基本から。
そんなティーダの台詞から、青空の下でTボード講習は始まった。
Tボードの各部名称の呼び名については、追々覚えて行く事として、ともかく体で覚えてしまおう!と言うのがティーダの基本方針である。
彼らしいと言えば彼らしい。

 やる気満々で講習を受けていたジタンは、ぐんぐんその腕を上達させた。
バランス感覚については、生まれ持った尻尾と言う特別なアイテムもあり、ティーダよりも上手く保つ事が出来ている。
多少無茶な姿勢になっても、転ぶ事はなかった。
ヴァンの方は、ジタンに比べると入口で躓くように何度も転倒していたが、コツがつかめてくると、直ぐにジタンに追い付いた。
スコールはそれをベンチに座って眺めている。

 元々、バラムガーデンの体育や戦闘実技に置いて、好成績を残している面々である。
それぞれのタイミング、バランス感覚が掴めれば、単純に乗るのであれば然程難しくはなかった。

 二人が乗り方を理解し、体感し、そこそこ覚えた所で、ティーダは次のステップに進む事にした。


「じゃ、そろそろエンジンつけてやってみよっか」
「お、やっとか!」


 ティーダの言葉に、ジタンが握り拳で食いついた。


「オレさ、あれやってみたいんだよ。こう、斜めのボードに乗ってさ、移動しながらぐるぐるって回転する奴!この間テレビで見た奴なんか、ものすげー高速回転してて、見てて痺れたぜ!」
「それって、ムーブインポッシブルの事っスか?あんなのいきなり無理だって!俺だって出来ないし」


 無茶だと言われ、ジタンの尻尾がへにゃりと下がる。
判り易くテンションが落ちたジタンに、ヴァンが言う。


「最初はなんでも簡単な所からだって、兄さんが言ってたぞ」
「そうっスよ。まだスタンドだってやってないんスから」
「……判ってるけどさぁ、やっぱ理想形ってあるじゃん。出来るだけ早く、ああなりたいな〜みたいな、さ?」
「だったら尚更、基礎から練習っス!」


 基礎なくして応用なし、基礎を怠ればそれは全て自分にミスとして返って来る。
大怪我しても良いなら別だけど、と脅しの入ったティーダの台詞に、それは流石に御免だとジタンが首を横に振った。


「それに、エンジンかかると一気に加速がつくから、今までと全然感覚が変わるんだ。自分の意思と関係なく進むし、重力もかかって来るから、バランスの取り方も違って来る。……ま、その辺の事は、取り敢えず乗って見たら分かるかな」


 ティーダはボードのエンジンスイッチのホールドをオフに切り替え、右足を乗せると、傍に立っていた二人に離れるように言った。
ジタンとヴァンが距離を取ったのを確認し、ティーダはノーズ───デッキ前部───にあるスイッチを踏んだ。
カチ、と小さな音が鳴った後、エンジンがキュコォォオ……と空気を鳴らし始める。
エンジン音が安定したのを見計らって、ティーダの左足が地面を蹴る。

 金色の髪が吹き抜ける風を受けて、揺れて光る。
ティーダは噴水傍から離れると、階段のある土手へと向かった。
階段に差し掛かる前にティーダはテールを踏み、ノーズを浮かせてデッキを斜めに立てる。
地面の形に沿うようにTボードが軌道を変え、階段をまるで坂道を滑るように上り切った。
時折マラソンに勤しむ人がいるだけの土手の上を走り、土手下に無人のバスケットコートを見付けると、ティーダは其方へ降りて行く。
真っ直ぐにバスケットコートを横断した後は、船をイメージした大きな遊具の周囲をぐるりと周回し、公園端に並んでいた鉄棒へ。
ティーダはぐっと体重をかけてボードを押した後、上からの圧力と反作用して生まれる浮力の反動を利用し、ボードと共にジャンプする。
ボードが細い鉄棒の上を滑って潜り、鉄棒を飛び越えるティーダを見て、ジタンとヴァンが歓声を上げた。

 溝を飛び越え、遊具をスラロームの要領で避けて進み、ティーダは広場をぐるりと周って戻ってきた。
最後に右へ左へ蛇が進むように進路を揺らしながら、エンジンのスイッチを切り、惰行の速度が落ちて来たのを見計らい、下半身を大きく捻ってデッキを回転させて停止した。


「────大体、こんな感じっスかね」


 浮遊停止していたボードを蹴って起こし、持ち上げて、ティーダは言った。
その間にもジタンのきらきらと輝いた眼差しが向けられている。
それがどうにもくすぐったくて、ティーダは赤らんだ頬を隠すように、がしがしと乱暴に頭を掻いた。


「すげぇすげぇ!な、早く教えろよ!」
「はーいはい。慌てない慌てない」


 急かすジタンに、ティーダが茶化すように言って宥める。

 ティーダからTボードを受け取って、ジタンがリーシュコードを足に巻く。
そしてジタンがTボードのノーズにあるエンジンスイッチに左足を乗せる。
すると、キュコォォ……とエンジン音が鳴り始めた。


「お、と、とっ」


 足が持って行かれる────そんな感覚に、ジタンは目を丸くした。


「うっわ、これ結構凄いな」
「右足浮かせたら進むっス。最初は、先ず片足浮かせてバランス取れるようになる所から……」
「ちょ、ちょっとタンマ。これ、もうちょい勢い弱く出来ないか?」
「出来る出来る。じゃ、ちょっとボードから足離して」
「は、離して吹っ飛んでったりしないか?」
「大丈夫、コードついてるから」
「あ、そうか……」


 ティーダの言葉にほっと一息吐いて、ジタンがボードから足を離す。
揚力に従ってボードが飛び出すように前進したが、リーシュコードが限界まで伸びると、その場で留まった。
エンジン音が消えるのを待ってから、ティーダがTボードに手を伸ばす。
Tボードのテールに装着されているエンジンの噴射口の傍らにある、調整ノズルを回す。

 Tボードが地面に戻され、ティーダがエンジンスイッチを踏んだ。
細いエンジン音が鳴り始めるが、その音は先程よりも小さなものになっている。


「結構弱くしちゃったけど、もうちょっと強い方が良いっスか?」
「いや、これくらいで良いぜ。思ったより早そうだったからなぁ、慣らしていかないと」


 ティーダがスイッチから足を離すと、程なくエンジン音も消えた。

 ジタンは、リーシュコードを引っ張ってTボードを足元に寄せ、改めてエンジンスイッチを踏む。
出力と浮力のバランスが安定する角度を確かめつつ、ジタンは地に下ろしていた足を持ち上げる。
すぅー…と早歩きほどのスピードでTボードが滑り始めた。


「早い方が格好良いと思うけど」
「オレだって、怪我、したくは、ねーんだよっ」


 様子を眺めていたヴァンの言葉に、ジタンは平衡バランスを保つ努力をしながら言った。
視線は足元のボードに向けられており、尻尾が忙しなく右へ左へ動いている。


「おお、うぉ、おわっ!」


 耐え切れなくなったジタンの体が反って引っ繰り返り、投げ出される。
尻餅をついたジタンに、ティーダが拍手を鳴らした。


「いてて……」
「上手いっスよ、ジタン。結構乗れてるっス」
「本当か?」


 嬉しそうに目を輝かせるジタンに、ティーダは頷いた。
それを見たジタンは、直ぐに気を取り直して立ち上がる。
尻についた砂埃を払って、Tボードを引き寄せ、エンジンスイッチを踏む。

 ヴァンは、そんな友人達のTボード講習の様子をしばし眺めていたが、ふと、講習が始まって以来、物静かにしている人物の事を思い出した。
広場の中心位置となる噴水の方へ視線を向ければ、ベンチに座っているスコールがいる。
彼は腕と足を組み、俯き加減で目を伏せている───ティーダの到着を待っていた時と同じスタイルだ。
彼は、ティーダのTボード講習教室が開かれて直ぐ、あの格好に落ち着いて、それから動いていなかった。

 スコールが流行ものに興味がないのは常の事だし、ヴァンもどちらかと言えば流行には疎い方だ。
しかし、楽しそうに遊んでいるティーダやジタンを見ていると、ちょっとやってみようかな、と思う。
Tボードは一つしかないし、今はジタンが夢中になっているから、後でまた教えて貰おうと考えていた。

 暇を持て余している事もあって、ヴァンはスコールの下へ向かった。
足音が聞こえたか、スコールが顔を上げる。
不機嫌な雰囲気を滲ませる青灰色に構わず、ヴァンはスコールを見下ろす位置で足を止めた。


「スコールはやらないのか?Tボード。面白いぞ」
「……興味がない」


 思った通りの返答だ。
しかし、ヴァンは違和感を感じて首を傾げた。
興味がないのに、スコールはこの場から去ろうとしない。
勝手に帰ったりしたら、後でティーダに何か言われるのは目に見えているから、それを避けているのかも知れないが、


「スコールは乗れるのか?」


 カーブの練習をしているジタンを指差して、ヴァンは言った。
ぴく、とスコールの整った眉が僅かに跳ねる。

 エネルギーの噴射音が近付いて、ヴァンが振り返ると、ジタンがゆらゆらと進路を揺らしつつ此方に近付いて来ていた。
残り十メートル程になった所で、ジタンは片足を地面に下ろしてブレーキをかけた。
ズズ、と微かに足が地面を抉った後、Tボードの揚力が殺されて停止する。


「スコール、お前も見てばっかいないで、一緒にやろうぜ!」


 高揚を隠さないジタンの明るい声。
しかし、スコールは露骨に顔を顰めて見せた。

 ジタンの後ろからついて来たティーダが苦笑いを浮かべていた。


「スコール、一回くらい乗ってみろって」
「断る」


 ティーダの言葉に、スコールはきっぱりと言い切った。
けんもほろろな態度の幼馴染に、ティーダの表情には益々苦みが滲む。

 頑なな態度を見せるスコールだったが、ジタンとヴァンは気にしなかった。
二人でスコールの腕を掴み、引っ張って立たせる。


「そう言うなって。楽しいぜ!」
「面白いぞ」
「ちょっ…あんた達、離せ!」


 二人を振り払おうとするスコールだったが、二人は離れようとはしなかった。

 ジタンは自分の足からリーシュコードを解くと、スコールの左足に括り付ける。
その間に、ティーダがTボードをホールド状態に設定し、エンジンスイッチの反応を切る。
低空で停止したTボードがスコールの前に設置され、これで準備は万端だ。
しかし、スコールは立ち尽くしたまま、足元の板を睨むように見詰めている。

 まるで竦んだように硬直しているスコールの様子に、ジタンとヴァンが首を傾げて、詳細を求めてティーダを見る。
しかし、ティーダはそれに肩を竦め、


「なんか判んないけど、乗りたがらないんだよ、いつも」
「あー…じゃあ、悪い事しちまったかな」
「でも、乗った事もないんだろ?」
「多分」


 少なくとも、ティーダが知っている限りで、スコールがTボードに乗っている所は見た事がない。
ジェクトにTボードを買って貰ったばかりの頃、乗ってみる?と何度か誘った事があったが、スコールは頑として首を横に振るばかりだった。
スコールが流行に興味がないのは昔からだし、無邪気に元気に遊び回るような性格でもないから、ティーダはそんな幼馴染に特に疑問を持った事はなかった。
けれど、此処までお膳立てが揃った状態になっても動かないスコールを見ていると、単に気分が乗らない────それだけが理由ではないような気がしてくる。

 でも、折角だから、やっぱり皆で楽しみたい。
見ているのも楽しんでいる内って言う場合もあるぞ、とレオンに言われた事もあったが、ティーダはどうせなら皆で同じ感覚を共有したいと思うのだ。

 スコールが諦めたように溜息を吐いた。
いつもの運動神経の良さが何処かに消えたかのような、ぎこちない動きで片足を上げて、Tボードのデッキに乗せる。
トッ、と地面を蹴れば、スゥー……とボードが前進し、


「なんだ、乗れるじゃん」
「だなー……あ、」


 数メートルを進んだ所で、スコールがバランスを崩した。
尻から落ちたスコールの下に、三人が駆け寄る。


「スコール、大丈夫かー?」
「怪我はしてないな?」
「………」
「へーきへーき、これ位よくある事っスよ。もう一回頑張ろ!」


 不機嫌な面持ちで立ち上がるスコールをティーダが眺め、Tボードをスコールの足下に戻す。

 スコールはまたしばらくボードを睨んだ後、やはりぎこちない動きで片足をデッキに乗せた。
しかし、今度は中々地面を蹴ろうとしない。
踏んだデッキを硬い表情で見詰めて……いや、睨んでいるスコールに、ティーダ、ヴァン、ジタンは顔を見合わせ、に〜っと悪戯っ子の笑み。


「ほら、押してやるよ!」
「な、」
「行くぞー」
「そーれっ!」


 どんっ、と三人が勢いよくスコールの背を押す。
気持ちボードに体重をかけていた所為で、地面につけていたスコールの足が宙に浮き、ボードが前に進む。


「足乗せて、足!」
「……っ!」


 宙に浮かせていた左足をテールに置くスコールだったが、もう駄目だった。
ボードは左右に蛇行するように揺れて、一向に安定せず、ブレーキを踏もうと後部に体重をかけてしまった所為で、デッキのノズルが上に向かって傾いた。
そのままスコールの体も持ち上げられて、宙へ放り出される。

 尻餅どころか、背中から落ちたスコールに、ティーダが慌てて駆け寄った。


「スコール!大丈夫か!?」
「……っつ……」


 強かに打ち付けた背中をさすりながら、スコールが起き上がる。
ボードはリーシュコードが伸びた所で、上下逆さまに引っ繰り返って芝生の上に落ちていた。

 ヴァンとジタンもティーダを追って合流し、友人に怪我がない事を確認してほっと息を吐く。
それから、ヴァンが座り込んだままのスコールをしげしげと見つめて呟いた。


「意外だなー。スコールがTボード全然乗れないって。バランスも取れてなかったし」


 ボードが止まった状態でも危なっかしそう、と言うヴァンに、ジタンが頷いた。


「だよなぁ。乗った事ないにしたって、此処までとは思わなかったぜ」
「スコールにも出来ない事ってあるんだな」
「あー。そう思ったら、オレちょっと安心した。なんでも完璧に出来てたら、マジで敵わなくなるじゃん!良かった良かった!」


 けらけらと笑いながら言うジタンに、ヴァンもつられて笑い出す。
二人の笑い声に感化されて、ティーダも「そりゃスコールだって出来ない事あるっスよ」と眉尻を下げて笑った。

 静かなスコールの硬質的な雰囲気を拭うように、友人達の明るい笑い声が響く。
それは決して悪い意味の笑い声ではなく、出来ないからって気にする必要はない、と気遣ってのものだった。

 ─────しかし、


「…………」
「おっ?」


 スコールは手早く足下のリーシュコードを解くと、隣にいたティーダに押し付けるように渡し、すっくと立ち上がった。
やばい笑い過ぎたか、と慌ててティーダ達が笑みを引っ込めるが、スコールはそれすら視界に入れていない。

 スコールは、無言のままで三人に背を向けると、そのまま足早に歩き出した。


「ちょ、スコール、」
「帰る」
「え!?」
「おい!」


 ティーダとジタンが慌てて呼び止めるが、スコールは構わずに進んで行ってしまう。
背中から発する不機嫌なオーラが、言葉なく「ついてくるな」と言っているのが感じられて、さしものティーダも追って行くのを躊躇ってしまった。
三人はそのまま、スコールが運動公園を出て行くのをじっと見送るしかなく、彼の姿が見えなく奈rまで、その場で立ち尽くしているしか出来なかった。

 いつものメンバーから一人欠いた状態になって、きょとんとした表情でスコールを見送っていたヴァンが二人を振り返り、


「俺、なんか悪いこと言ったかな?」
「あー……いや、オレらも、だから……お前だけが悪い訳じゃないと思う。多分」


 誰か個人の発言と言うよりも、三人が場を和ませようと笑った事が、反ってプライドの高いスコールの癇に障ったのではないか。
そう考えるジタンに、ティーダも頷く。


「……まあ、ほら。スコールの事は、後で俺が様子見に行くからさ。気を取り直して、もう一回やろう!」


 気難しい性格の幼馴染である。
此処で自分達が幾ら気を揉んでも何も変わらないし、下手に追い駆ければ余計に機嫌を損ねるだろう。
それを熟知しているティーダの、殊更に明るさを持たせた声に、ジタンとヴァンも頷いたのだった。






 ────海の向こうの夕暮れの光が、窓から差し込んで来る。
直射で当たると熱い日差しだったが、見ているだけならば不思議な情緒を感じさせる色味がある。
一日が終わると言う寂しさか、侘しさか、消えゆく陽が最も明るく眩しく輝く瞬間……そんな風にも見受けられた。

 時刻は午後5時過ぎ────夕日の日差しが一番強くなる時間だ。
その頃になって、スコールは一階の玄関がノックされる音を聞いた。
幼馴染の呼ぶ声も聞こえたが、自室に篭っていたスコールは、その声に返事をせずにベッドに俯せになっていた。
そのまましばらくすると、ノックの音は消えて、隣家のドアの音が薄らと聞こえた気がした。

 それからも、スコールはしばらくの間ベッドから動かなかったのだが、夕飯を作らなければ、と思い至って体を起こした。
しかし、あまり空腹を感じる気もしないので、やっぱりいいか……ともう一度ベッドに体を倒す。
ぼすっ、枕に顔を埋めた状態で、スコールは目を閉じる。


(……悪いことをしたな)


 昼間の出来事を思い出して、自己嫌悪。
スコールは家に帰ってきて以来、ずっとこれを繰り返している。

 ────スコールはTボードに乗れない。
この原因は、5歳の時に見た光景に由来する。

 Tボードがバラムで流行したのは、今回が初めてではない。
まだクレイマー夫妻がガーデンと孤児院の経営を同時に行っていた頃にも、一度Tボードは話題のアイテムとなり、若者達の間でおおいに人気が高まった。
これに孤児院の子供達も触発され、サイファーやゼルがTボードに乗りたがり、イデア・クレイマーに仕切りにおねだりし、皆で仲良く共同で、ケンカをしないで順番を守る、遊ぶ時にはセーフガード等をちゃんと装備して、必ずシド・クレイマーかレオンの監督で、と言う約束の下、一枚のTボードが購入される事となった。

 一番に上手くなったのはゼルで、次がサイファー、セルフィだった。
スコールは大人しい性格で、あまり外遊びが好きでもなかったから、いつも見ているだけだったが、楽しそうな仲間達を眺めているのも、スコールには十分楽しいものだった。
しかしある時、言い付けを破って子供達だけでボードを取り出した日のこと。
ヘルメットなしで遊んでいたゼルが転んだ拍子に後頭部を強かに打ち付け、落ちた場所に尖った石があった為に、派手に出血する事態が起きた。
丁度良く買い出しから戻ったレオンによって、ゼルは急いで病院に運ばれ、数針を縫って直に退院して来たものの、言いつけを破った罰にイデア・クレイマーから目一杯叱られ、Tボードも三ヶ月没収される事になった。

 ゼルが怪我をした時、スコールは孤児院の家の中から、その様子を見ていた。
金色の彼の髪が、真っ赤に染まって行く風景が、幼いスコールにはトラウマになってしまった。

 それ以来、Tボードを見るとその時の光景が頭を過ぎる。
誰かが遊んでいるのを見る分には問題なかったが、自分が乗って見ろと言われると、どうしても足が竦む。
小さな子供ではないのだし、いつまで昔の事を引き摺っているのかと自分でも思うが、こればかりは、どうにもならなかった。

 孤児院があった頃の話だから、この出来事をティーダは知らない。
スコールも話す気はなかった。
幼い頃のトラウマを引き摺り続けていると打ち明けるのも恥ずかしかったし、ティーダに変に気を使わせるのも嫌だった。


(……でも、あんな事してたら……結局、一緒だよな…)


 昼間、公園に友人達を置いて帰って来た事を思い出して、何度目か知れない溜息が漏れる。
明日は平日だから、ティーダは勿論、ヴァンやジタンともガーデンで顔を合わせる。
その時には、やはり謝った方が良いだろう。

 スコールはもう一度溜息を吐いて、ベッドから体を起こした。
腹は減っていないが、せめて水分位は取って置こう。
────そう思って一階に降りたスコールだったが、冷蔵庫の蓋を開けて、顔を顰める。


(茶……ないな。葉も切れてたか。水道水は、ちょっとな…)


 ティーダが来た時の為のジュースはペットボトルで置いてあるが、それは飲む気にならなかった。
スコールは気の進まないながらも、明日帰って来る予定の兄を思うと、切らしたままにはしておけない、と財布を取りに部屋に戻る。

 冷製用の麦の茶葉と、そう言えばコーヒー豆も切れていたような。
それだけ買い揃えて戻ったら、今日は早めに風呂に入って寝てしまおうと決め、スコールは家を出て、最寄のスーパーに向かおうとした所で、


「………」


 隣家────幼馴染の家の玄関横に立て掛けられたTボードが目についた。

 上手く乗れないスコールを見て、ティーダ達が笑っていたが、それが悪意からではない事は判っている。
乗り始めに躓いてやる気をなくす、と言うのはよくある事だから、彼らはそれを払拭しようと思ったのだろう。
けれどもスコールは、自分の失態を見られている事が何よりも恥ずかしくて堪らなかった。

 ティーダの家のリビングには、電気がついていなかった。
恐らく、二階の自分の部屋に行ったのだろう。


「…………」


 徐に手を伸ばして、Tボードを手に取る。
雑に括られていたリーシュコードが解けて、スコールの足下に散らばった。


(ちゃんと結んでおけよ……)


 呆れながらコードを拾い、確りと結び直そうとして、その手を止める。
ノズルを持って、猫の額ほどの庭に持ち出して、地面に置く。
ふわり、と魔石の力でボードが浮き上がって、スコールの足下で静止した。

 リーシュコードを足に括り付けて、デッキに足を乗せる。
ふわ、と足下が不安定に浮かんでいる感覚がして、スコールはがち、と固まった。


(……何してるんだ、俺)


 一つ息を吐いて、そっと地面を蹴る。
すぅ、と浮遊感と不安定感が一挙に襲ってきて、


「………!!」


 息を飲んで、落ちる。
どっ、と尻餅をついて、スコールは顔を顰めた。

 リーシュコード一杯の長さで、ボードが止まっている。
軽く勢いをつけて足を寄せれば、余力でボードが此方に近寄って来た。


(…俺だって……別に、乗りたくない、訳じゃない。でも……)


 Tボードに乗ってみたい、と思った事がない訳ではない。
ゼルやサイファー、セルフィ、そしてティーダが楽しそうに滑っているのを見て、憧れたのは一度や二度ではない。
幼い頃は、ゼル達にせがまれた兄が乗っているのを見た事もあった。
レオンは昔から何でも無難にこなせる方だったから、Tボードも直ぐに上達し、そんな兄はスコールにもとても格好良く見えたものだった。

 ゼルの怪我の一件は、言い付けを破った子供達だけで、ガードを付けずに遊んでいた事が原因だ。
あの以後、彼らはちゃんと反省し、言い付け通りにガードをつけて遊ぶようになり、あんな大怪我は二度としなかった。
最近は、ゼルが勢いをつけすぎてガーデンの女子トイレに突っ込むと言う、別の意味で派手な事件を起こしているらしいが。

 Tボードで遊んでいた友人達を見ても、あのトラウマは消えない。
3年前にティーダが初めてTボードを乗った時にも、スコールの脳裏にはあの赤色の光景があった。
怪我をしていた張本人のゼルは、あれに懲りずにずっとTボードに乗り続け、今やバラムガーデン屈指の腕前だと言われるほどに上達している。
あの瞬間から記憶を停滞させているのは、スコールだけなのだ。

 立ち上がってもう一度デッキを踏んで、地面を蹴る。
坂道がある訳でもないから、ボードは至って真っ直ぐに進んでいるだけ────なのに、


「……っ!」


 ぐらりと揺れた体のバランスを保とうとして、失敗する。
どっ、とまた尻餅して、スコールは痛む臀部を摩りながら起き上った。

 空から呼ぶ声が降って来たのは、そんな時。


「スコール!」


 耳に馴染んだ声に、ぎくり、とスコールは身を固くした。
眉間にあらん限りの皺を寄せて顔を上げれば、二階の窓から顔を出しているティーダがいる。


「なーにしてるんスか?」


 にやにやと笑みを浮かべている幼馴染に、スコールは顔を顰める。


「なんでもない」
「そうは見えないっスけど。へへっ」


 スコールの言葉に、ティーダは楽しそうな笑みを深めると、窓から顔を引っ込めた。
それから数秒して、玄関のドアが開かれる。


「練習するなら、付き合うっスよ」
「別に」


 立ち上がって視線を反らすスコールに、ティーダは眉尻を下げる。


「昼に俺達が笑った事、怒ってんの?」
「……別に」


 子犬のような顔で覗き込んでくるティーダに、スコールは短い答えしか返さない。
ティーダは、常に言葉の少ない幼馴染の顔をじっと見詰めた。

 目を逸らすスコールと、覗き込むティーダと。
潮騒が鳴る家の前で、二人はじっと立ち尽くしていた。
根競べでもしているかのように、覗き込んで、逸らして、覗き込んでと言う行動が延々と繰り返される。


「スコール」
「……」
「なあ、ごめんって。笑ってごめん」
「……それは、別に」


 どうでも良い、とスコールは小さく呟いた。
本当に?と覗き込んでくるティーダから目を逸らさずにいると、下がっていたティーダの眉が元に戻って、人懐こい笑顔が浮かぶ。


「へへっ」
「……笑うような事か」
「だってホッとしたからさ。怒って帰っちゃったと思ってたから。玄関ノックしても出て来なかったし」


 聞こえていたけれど、起き上がる気力がなくて半ば無視していたノック音。
これに対し、悪かった、と一言でも言えれば良かったのだろうに、スコールは口を噤んでしまった。
けれども、気まずげな光で揺れる青灰色に、ティーダの青が柔らかくなる。

 ティーダは、スコールの足下で静止していたTボードに爪先を当てた。
す、と軽くTボードが揺れる。


「スコールなら大丈夫だよ。直ぐ乗れるようになるって」
「……」
「だから取り敢えず、掴まり立ちから。な?」


 そう言って手を差し出す幼馴染に、スコールは気恥ずかしさを感じながら、手を伸ばしたのだった。





楽しい事は皆で共有。

スコールにだって、苦手な事はあると思う。その多くの理由は精神的な所から来そう。
其処さえ克服すれば、この四人はアクロバット技も出来るようになりそうだ。