スカイ・ロンド


 レオンが本社へ任務完了の連絡と、簡素な報告書の送信を終えた時、エスタの空はすっかり闇色になっていた。
あちこちに明瞭な街灯があるお陰で、街並みはあまり夜らしくは見えないが、流石に光は空の彼方まで届かない。
けれども、バラムに比べると遥かに明るく、都市の形が浮き彫りになる程の街灯の数は、何度見ても凄いと思う。
ザナルカンドもそうだが、こうした光景は、都市全体の技術レベルが高くなければ難しい。
無論、レオンは育ったバラムの静かな潮騒の街並みや、生まれた小さな村で見た、夜の花畑も好きだが、それとは別の感情で、夜の都市の色も素晴らしいと思う。

 いつもなら、任務が終わって直ぐに帰路に着くレオンだが、今晩はエスタで過ごしてから、早朝に帰る予定になっていた。
時刻が午後11時を過ぎた今から、バラムに帰る手段がないからである。
早く家族の待つバラムに帰りたい気持ちはあるが、手段がないのであれば仕方がない。

 携帯電話のメールで、明日の帰宅予定の時間を弟に連絡した後、レオンは携帯をベッドに投げた。
2つ並んだベッドの片割れには、パートナーであるクラウドの荷物が乱雑に投げられている。
持ち主の男は、仲の良い同僚に誘われて、夕飯ついでに街へ遊びに行った。
しかし、時間で言えばそろそろ帰って来ても可笑しくない筈なのだが、


(……何処かでトラブル起こしてるんじゃないだろうな)


 流石に遅過ぎる、とレオンは顔を顰めた。
同僚────ザックスが一緒にいるので、一人で歩かせるより問題は置き難いと思うが、絶対とは言えないのが辛い所だ。

 クラウドの携帯電話や無線機は、他の荷物と一緒にベッドの上に投げられている。
仕事柄、連絡手段は常に一つは持ち歩いておくようにと言っているのだが、彼は一向に聞かない。

 レオンは一つ溜息を漏らして、投げたばかりの携帯電話を手に取った。
通話履歴から『Zack』を探し、発信ボタンを押す。
三回のコール音の後、通信が繋がった。


「もしもし。レオンだ。ザックスか?」
『……ザックスの携帯』
「…クラウドか……ザックスはどうした?一緒にいるのか」


 聞こえた相棒の声に、安堵と呆れの混じった溜息を漏らして問うと、うん、と短い返事。


『いるけど、今電話は無理だな』
「何してるんだ。今、何処にいる?」
『ホテルの下』
「帰ってるのか?」
『一応。……ザックス、電話。レオンから』
『────ほい、もしもーし』


 聞こえる声が変わって、陽気な同僚の声が聞こえてきた。


「何やってるんだ、こんな時間まで。飯はもう済んだのか?」
『おう。悪い悪い、連絡すんの忘れてた』
「それは、まあいい。何も問題がなかったのならな。それで、今は何をしているんだ?」


 まるで保護者と被保護者の会話だが、レオンとて、クラウドやザックスの身を心配して連絡をつけている訳ではない。
レオンは派遣されているミッドガル社所属のSEED勢の中で、指揮官的立場にある。
だから、任務地や宿泊先でSEEDがトラブルを起こしたり、巻き込まれたりすれば、それはリーダー役のレオンの責任になる。
ザックスに関しては問題ないと思っているが、生憎、クラウドの方はそうではなかったから、パートナーであると言う立場も含め、レオンはこうして連絡を取るように心がけているのである。

 電話口のザックスは、心なしか息が上がっていた。


『いや、ちょっと面白いっつーか、懐かしいもの見付けたからさ。夢中になっちまった』
「懐かしいもの…?」
『レオンも降りて来いよ。本社への連絡は終わっただろ?俺の超テク見せてやるからさ。んじゃ、待ってるぜ!』
「は?おい、ザックス!」


 一方的に携帯の通話が切られ、プー、プーと間の抜けた電子音が鳴る。
レオンは溜息をついて、通話の切れた携帯をジャケットの胸ポケットに入れた。

 部屋を出てエレベーターで一階ロビーまで降りると、レオンは辺りを見回した。
壁一体の窓ガラスの向こうに、金色の鶏冠頭が映り込んでいるのを見つけると、レオンは其方へと向かう。

 ホテルの玄関口を抜けて、外に出る。
ひんやりとした風が頬を打った。


「おーい!」


 頬にかかる髪を避けていると、軽快な声が、キュオォオ……と言う細いエンジン音とともに聞こえてきた。
その方向へ目を向ければ、地を滑るように駆け抜けるボードに乗っている同僚の姿。

 ザックスは大きく蛇行しながらレオンに近付くと、ボードを傾けて板後部を地面すれすれのまま滑り続け、スピードを落として行く。
人の歩行スピード程度まで速度が落ちると、ボードを蹴ってボードごとジャンプし、跳ねたボードを手に掴んで着地する。


「へっへー。どうよ!」


 Vサインして誇らしげに言う、少年のような男に、レオンは眉尻を下げて息を吐く。
ザックスの手には、小型噴射口のついたエンジンが取り付けられたボード────Tボードがあった。


「懐かしいものって、これか?」
「おう。十年ぐらい前に、ゴンガガでもちらっと流行った事があってさ。最近また世界中でブームらしいんだよな。エスタでも遊んでる奴らがいて、またちょっと乗ってみたくなったんだよ」


 そう言ってザックスが差し出して見せたボードには、『RENTAL』の文字が入ったシールが済に貼られていた。
恐らく、昨今のTボードブームに便乗したジャンク屋がレンタル業を始め、ザックスは目敏く見つけて早速借りて来たのだろう。
明日には返却してバラムに帰らなければならないから、今晩の内に乗り倒すつもりなのだ。

 昼間の魔物退治の疲れを見せない無邪気な男に、元気だな、とレオンは苦笑する。
其処へ、すぅー、と音なく近付いて来る気配があって、振り返ってみればクラウドがマフラーを靡かせながら此方に寄って来ていた。
足元にはザックスと同じデザインのボードがある。


「お前もやってたのか」
「ん。……スノボみたいで割と面白い」
「スノボなんてやった事あったのか?お前」
「ああ、ほら。ゴールドソーサーのゲームだよ。あったろ?」
「……ああ」


 ゴールドソーサーとは、ガルバディアにある世界最大規模の巨大テーマパークだ。
クラウドは其処の常連客となっており、多い時には一ヶ月に一度のペースで足を運んでいる。
レオンのパートナーとあって、レオンとほぼ同じ仕事数に従事させられる人間が、行くだけでそこそこの時間を要する場所に行く回数で考えれば、かなりの頻度であった。
特に大きな仕事の後などは、ご褒美と称して二・三日分の休暇をまとめて申請し、末日まで遊び倒してからバラムに帰っている。
レオンも何某かの大きな催しや、某国の王族や貴族などが此処で遊楽する際には、警備・護衛として訪れた事があった。
その度、クラウドがゲームコーナーなりコースターなりで遊びたがる為、手綱を握るのに一苦労していたりするのだが、それは今は別の話である。

 レオンは、ザックスの手にあるボードと、クラウドの足下のボードを交互に見た。
クラウドの足下で低空を浮いているボードは、レオンにも見覚えがある。
随分と幼い頃の話ではあるが。


「それで、お前達はいつまで此処で遊んでるつもりなんだ?」


 一つ嘆息を漏らして、レオンは腕を組んで二人の顔を見る。
レオン達がエスタを発つのは、明日の午前中────明朝とまでは言わないが、早い時間であった筈。
適当に見切りをつけて眠らないと、搭乗予定の飛空艇に乗り遅れてしまう可能性がある。

 エスタ〜バラムの往復は、ガルバディア大陸のデリングシティ〜バラム間と同じだけ時間がかかる。
エスタ〜バラム間に直接航路がない事を考慮すれば、距離にしては随分早い方だと言えるが、手間はデリングシティ方面に向かうよりも手間がかかる。
海抜が高い所為で、エスタ大陸はその全域に置いて船の接岸が出来ない為、エスタ国に入国する為には、エスタが一日に数回往復させている飛空艇を利用するしかない。
しかし、エスタと航路が直接繋がっているのは、トラビア大陸の機械都市ザナルカンドのみ。
4年前まではイヴァリース大陸の帝都アルケイディア、ダルマスカ王国とも繋がっていたのだが、両国の戦争勃発に伴い、現在は運航停止状態にある。
そしてバラムは勿論の事、ガルバディア大陸では都市部にすら空港施設が作られていない為、バラム・ガルバディアの国民は簡単にエスタ大陸に近付く事すら出来なかった。
二十年前にはエスタ大陸〜ガルバディア大陸を繋ぐ、海を横断する“ホライズン・ブリッジ”の上を電車が走っていたが、これもエスタ、ガルバディアの間で戦争が起きた頃に廃止されてしまい、現在も復興の目処は立っていなかった。
その代わりに、エスタが飛空艇を1艇使用して、ガルバディア大陸側のホライズン・ブリッジ先端と、エスタの空港間とを繋いでいる。

 こうした国際交通網の事情により、バラムの国民は、エスタに向かう際、大陸横断鉄道を使用してガルバディア大陸を経由し、南西部の岬にあるホライズン・ブリッジ近郊まで向かう必要がある。
路線で言うと、バラム〜ティンバーで電車の乗り換えをし、ホライズン・ブリッジで飛空艇に乗り換える、と言う順番になる。
レオンもクラウドもザックスも、仕事柄、あちこち飛び回るのも、長時間の移動も常の事ではあるが、疲労の原因の一つになる事は変わりないし、一つ乗り遅れると後々が面倒であるのは確かなのだ。

 こうした交通事情を考えると、今日はそろそろ眠って、明日の帰路に備えた方が無難……なのだが、


「今寝たら、帰りに寝れない」


 無表情でそう言ったクラウドに、ああ、そういう理由もあったか、とレオンは思い出す。
クラウドは乗り物酔いが酷く、ほんの数分の移動でも顔を蒼くする。
それがバイクでも、車でも、船でも、飛空艇でも、ヘリコプターでも同じだ。
振動の少ない乗り物や、自分で動かす時───何かに集中している時───は酔わないようだが、仕事に使う移動全ての乗り物移動を、彼の手で運転が出来る訳ではない。
寧ろ、任務中・任務外に問わず、乗り物に乗る時は“客”として搭乗する身が殆どある。

 だからクラウドは、酔い止めの薬を常備している────筈なのだが、彼は度々その酔い止めの薬を本社の寮に忘れて出発する。
今回も忘れて出て来ている為、移動中の乗り物酔い回避手段として、睡眠を利用する事にしているのだ。


「だから今日はもうちょっと遊んでる」
「俺も!」
「………」


 明日の帰り路云々ではなく、単純に遊んでいたいのではないか、とレオンは思ったが、それをわざわざ口に出しはしない。
子供や学生ではないのだから、自己管理は全て自分自身で努める事だ。
仕事は既に終わっているから、明日の朝、クラウドとザックスが寝坊しても、レオンには何の責任もない。

 ザックスが手に持っていたボードを傾けて、地面に落とす。
ふわりと浮いたボードのデッキに、ザックスが片足を乗せた。


「折角だからお前も見て行けよ。俺のテク!」
「俺はそろそろ寝るつもりだったんだが……」
「そう言うなって。クラウド、行くぞ!」
「ん」
「おい!」


 レオンの止める声も聞かず、ザックスがTボードのエンジンスイッチを踏む。
キュコォ、と出力を上げたエンジンに押されてボードが滑り出し、続いてクラウドもスイッチを踏んで、地面を蹴った。
残されたレオンは溜息を吐いて、ホテル玄関横の壁に凭れる。

 ホテルの玄関前の道は、大型車両数台が並列に並べる程に広い。
クラウドとザックスは、その道の両端でスタンバイすると、ザックスの「せーの、」と言う掛け声に合わせて同時にエンジンを噴射させた。
緩く弧を描きながらボードを滑らせ、二人で大きな円を描く。
一周、二週、三週と走り続けながら、二人は徐々に体重を円の内側へと傾けて行き、道一杯に作られていた円が少しずつ狭まって行く。
やがて、手を伸ばせば届き合う程の近距離まで狭まり、傍目に見ていればそれはぶつかるのではないかと思う程だ。

 デッキが傾き、ノーズが上を向いて、エンジンが強く噴射された。
ボヒュッ、と強い力が地面を押して、二人を乗せたボードが宙へ飛び出す。


「よーし、調子出てきた!行くぞ、クラウド!」


 元気の良いザックスの声に、クラウドは頷いた。

 道の両端には、一般道へと連なっている坂道がある。
それは通路として確保されているものではなく、壁同様の単なる斜面なのだが、上ろうと思えば登れる程度の傾斜だった。
ザックスがエンジンの加速を上げながら其処へ突っ込んで行く。
Tボードが地面の傾斜に沿って角度を上げ、斜面を半円状に走り抜けた。

 斜面は、二段構えになっており、中腹に平らなスペースがあった。
ザックスは其処まで登ると、反転し、今駆け上って来たばかりの坂道へ走る。


「ひゃっほーっ!」


 空へ飛び出したザックスは、そのまま宙返り。
エンジンの切れたTボードが足から離れ、宙から投げ出されたが、リーシュコードのお陰で彼方へ飛び去りはしない。
縦回転の動きに倣って足を引き寄せると、コードが繰られてボードはザックスの足下に戻って来た。
エンジンスイッチを踏むと、噴射孔からエネルギーが噴き出し、ザックスの体が空中で跳ねる。

 緋色のマフラーが靡いて、クラウドが空へと飛んだ。
ジャンプの瞬間にデッキサイドを蹴ったボードが、クラウドの足下で回転する。
回転が終わった時、デッキは吸い付いたようにクラウドの足へぴったりと添って離れない。
エンジンスイッチを踏むと、クラウドがザックス同様に宙で跳ねた。
マフラーが長い尾のように翻る。

 ザックスとクラウドは、断続的にエンジンスイッチのオンオフを切り替えた。
空中で落下とバウンドを繰り返す二人は、水面を飛び跳ねるトビウオのように見える。


(ゼルがやりたがっていたな、あれ)


 レオンは、妹弟と共に面倒を見ていた、幼い子供の顔を思い出した。

 まだクレイマー夫妻が孤児院を経営していた頃、元気に泣いて元気に駆け回っていた子供────ゼル。
彼が発端となって、クレイマー夫妻に頼んでTボードを買って貰った事を思い出す。
必ずレオンかシドと言った監督者のいる時に遊ぶ、と言う言い付けを破って、大怪我をしたのは彼だった。
けれど、本人はそれで怖がったりする事もなく、夢中になってアクロバット技の練習をしていた。
レオンもそんな彼に付き合って、一緒に技の練習をした事がある。

 空中を連続して跳ねる技は、幼いゼルには出来なかった。
本人の運動神経は申し分ないのに、飛び跳ねる練習すら満足に叶わなかった最大の原因は、安全の為にTボードのエンジン出力を抑えていたから。
子供とは言え、人一人を乗せてバウンドで跳ね上がるには、エンジン出力はそこそこ高い状態にして置かなければならない。
だが、こう言った大技には、練習中の骨折や頭部強打と言った怪我は付きものだ。
幼さ故に恐れを知らない子供達は、遊びごとへの上達も早いが、怪我への危険性と言うものを直ぐに忘れてしまう。
何度も何度も練習しては悔しがるゼルに、可哀想だなと思った事がない訳ではないが、一度言い付けを破って大怪我をしているから、これ以上夫妻の心配を増やす訳には行かないと、レオンが毎回エンジン出力を合わせていたのである。

 バウンドのテンポが速く、小刻みになって行く。
それに合わせてエネルギーの噴出力も弱くなって行き、宙を跳ねていた二人が少しずつ高さを下げて行く。


「クラウド!」
「ん」


 呼びかけと共に、ザックスがデッキのノーズの角度を上げた。
クラウドも同時にノーズを上げる。

 噴き出した強いエネルギーが地面を蹴って、二人の身体が縦回転に一周する。

 デッキの裏側が天上を仰ぎ、次の瞬間には地面へと戻る。
強いエネルギーの余剰は、体を捻って蛇行する事で殺した。
ぎゅぉっ、とエンジン噴射の名残が音を鳴らした後、二人の足が地面へ降りた。


「どーだー、レオンー!」


 眺めていたレオンに向かって、ザックスが大きく手を振った。
隣でクラウドも真似をするように手を振る。

 駆け寄ってくる二人を見て、レオンは体重を預けていた柱から背中を放した。


「すげぇだろ!」
「ああ。そうだな」
「だろだろ。へっへー」


 笑みを交えて頷いたレオンに、ザックスが満足げに頬を赤らめる。


「それじゃ、これで気は済んだな?俺はもう部屋に戻る……」


 踵を返そうとしたレオンのジャケットの裾を、クラウドが引っ張った。
なんだ、と目を向けて見れば、クラウドは足下にあったTボードを手に持って、レオンに向かって差し出している。


「……俺はやらない」
「出来ないのか」
「…そういう訳じゃないが」


 出来るか出来ないのかと問われれば、出来る、と答えて良いと思う。
とは言え、それも10年以上前の話だから、今も同じようなパフォーマンスが出来るかと言われると、判らない。
普通に乗って滑る分には問題ないだろうが。

 そういった意味での返事だったのだが、


「お、レオンも出来んの?見せてくれよ!どうせだから、いっちょ派手な奴!」
「いや……」
「ほらほら。一人でやるのが恥ずかしいんなら、俺も一緒にやってやるからさ」


 クラウドからTボードを渡され、ザックスに背中を押されて、レオンは広い道の真ん中に連れ出された。

 そろそろ寝たいんだが、と溜息を零したレオンの隣で、ザックスがTボードのスイッチを入れる。
クラウドは先程までレオンがいた場所を陣取って、いつもの茫洋とした表情で此方を眺めている。
どうやら、もう少しばかり付き合わなければ、彼らは解放してくれそうにない。

 幼い頃の感覚を思い出しながら、Tボードのスイッチをゆっくりと入れる。
コー……と言う空気を割る音がしばらく聞こえた後、スイッチが中程まで入った所で、揚力がレオンの足を持ち去ろうとする。
エンジンのお陰で、Tボードはゼロから一気に加速する事が出来る。
これが案外と危険なのだ。
油断している状態で加速する事があるから、小さな子供などは特に怪我をし易く、リーシュコードもなしで踏めばボードが急速で飛び出す事になる。

 呼吸一つでタイミングを合わせて、レオンは地面を蹴った。
走り出したレオンを追って、ザックスも滑り出す。
スイッチから足を放して、エンジンが作る揚力が弱くなったのを機に、体重を傾けてカーブ、反転し、もう一度エンジンスイッチを踏んだ。


「うぇ?おっ!?」


 追走していたザックスが目を丸くする。
無理もない、レオンはザックスに向かって真っ直ぐに進んでくるのだ。
このままでは正面衝突する。

 これが戦闘時であれば、どちらともなく上手く立ち回る事が出来るだろう。
しかし今は特に何事も焦る必要のない、至って平和な一時であった。
お陰で思考スイッチが切り替わらないザックスは、大いに慌ててTボードから下りると言う手段すら忘れている。


「じっとしてろ」
「ンな事言われても!」


 ぐらぐらと進行を揺らすザックスに、レオンは更に迫る。
ぶつかる、とザックスが蒼くなったのも構わず、レオンは腰を落としてTボードを地面へ押し付けた。
上から押し付けられる圧力に反発するように生まれる強い浮力が、レオンの体ごとデッキを打ち上げる。

 ザックスの頭の上をレオンが飛び越えて行く。
それをザックスはぽかんと口を開けて、頭上を仰いで見送った。

 減速して落下を始めたTボードの上で、レオンはエンジンスイッチを踏んだ。
ヒュゴッ、とエンジンがエネルギーを吐き出して、空中でバウンドする。
体勢を直し、もう一度落下したデッキが地面に着く寸前、レオンはエンジンスイッチを踏み切った。
噴出されたエネルギーが地面を押し、Tボードが弧を描いて空へ駆けあがり、


「─────っ!」


 体が上下に反転した所で、レオンは咄嗟に両手を地面につけた。
デッキが足下から投げ出され、リーシュコードが限界まで伸び、地面に落ちる。

 がしゃん、とTボードが音を鳴らして転がり、レオンは逆立ちから腕の筋力で反動をつけて、正しい姿勢へ。


「……調子に乗り過ぎたな。やっぱり昔のようにはいかないか」


 リーシュコードを引っ張ってTボードを手繰り寄せ、壊れた所がないか検分する。
レンタル物を使っているのだから、破損があったら返品する時に修理費を払わなければならない。
見た限りではこれと言った破損は見当たらなかったので、レオンはほっと息を吐いた。

 そんなレオンの背中をザックスが思い切り叩く。


「痛……っ!何をするんだ、お前は」
「そりゃこっちの台詞だ、ビビったじゃねーか!あんな大技、やる前に一言説明しろよ!」


 喚くザックスの眦に、薄らと涙が滲んでいるように見えるのは、果たして気の所為か否か。
食いつきそうな程の勢いで迫るザックスに、レオンは少し引きつつ、悪かった、とホールドアップする。


「すまん。お前なら直ぐ対応出来るだろうと思ったものだから」
「……そーゆー事言ってくれるのは嬉しいけどよ。結構ビビったんだからな」
「さっきの、そんなにビビるのか」


 玄関横で眺めていたクラウドが、いつの間にか傍まで来ていた。
首を傾げ問う親友の言葉に、見て判んねえの、とザックスが顔を引き攣らせる。

 レオンが披露したのは、前進しながら障害物を跳び越して避けると言うパフォーマンスだ。
相手が物言わぬ無機物であれば、見る側は───技の危険度は置いておくとして───安心して見ていられるが、相手が人間となれば話は別だ。
それも静止した状態や、地面に横になっているその上を飛ぶと言うのならともかく、動いている上に立っている人間が対象となれば、それと担当する人間の側にも心の準備が必要となる。

 ザックスは意識して長い呼吸をして、まだドクドクと煩く脈打っている心臓を宥めた。


「……にしても、相変わらずお前はチートだよな」
「チート?」
「ずるいって」


 ザックスの言葉に、聞き慣れない単語だと首を傾げるレオンへ、クラウドが端的に言い直した。


「俺の何がずるいんだ?」
「運動神経っつーか、なんつーか。そういう所。いきなりあんな大技やって、しっかり成功させてるトコも」


 成功、と言われて、そうだろうか、とレオンは頭を掻く。
着地も失敗したし、幼い頃に子供達の練習に付き合っていた頃は、もう少し身軽に動けていたと思う。
10年も昔の話だし、成長した体が幼い頃に比べて重く感じるのも当然であるが。


「お前、Tボード乗り慣れてるのか?幾らチートのお前でも、一朝一夕であんな技は無理だろ」
「子供の頃にやった事があっただけだ。ゼルが……うちの孤児院にいた子供がTボードに嵌って、皆小さかったからな、俺が監督するように言われていた。その時、俺も一緒に練習してたんだ」
「って事はガキの頃からあんな大技やってたって事か!?」
「いや。障害物越えはやったが、人間を飛び越えるのは今初めてやった」
「マジで!?怖ぇことすんなよ!」
「ああ、それは悪かった。でも、万一失敗しても、お前なら避けられるだろうと思ったからな。もうやらないさ」


 言って、レオンは脚元のリーシュコードを解き、手に持っていたTボードをクラウドに差し出す。
クラウドは無言でそれを受け取り、コードを自分の足へと巻き付けた。


「なんだ、もう寝ちまうのか?レオン」
「ああ。お前達もそろそろ寝ろよ」
「へーい」


 おざなりな返事を聞きながら、レオンは部屋に戻るべく、ホテルの玄関へと向きを変えた。
殺していた欠伸を漏らしながら回転ドアを潜る。

 ─────と。


「あ、あのっ!」


 かけられた声にレオンが顔を上げると、其処にはラフな格好をした男性が1人。
髪はぼさぼさで不精髭を生やし、大きな眼鏡をかけ、高揚しているかのように顔を赤くしていた。
歳はジェクトと同じか、もう少し上かと言った所だろうか。

 じっと熱い視線を向けられて、レオンは思わず後ずさった。
が、男性は構わずに近付いて来て、レオンの顔をきらきらとした瞳で見詰めて言った。


「貴方、何処かのチームの方ですか!?」
「チーム?」
「フリーなんですか?外にいる人達も?……なんだか、見た事があるような気もするんですが、何処かの大会に出場されていましたか?いや、でもあんな凄い技を持ってる人を忘れるなんて……ひょっとして海外プレーヤーの方ですか?」


 ずいずいと近付いて来る男性に、レオンの足が無意識の内に下がる。


「いや、私は、」
「あっ、私、こういうものです!」


 どうにかかわそうと言葉を探すレオンの前に、男性は名刺を差し出した。
反射的に受け取って確認すると、其処にある文字を見て無意識に眉根が寄った。


「……テレビプロデューサー……?」
「はい、そうです!私、エスタでスポーツ系のバラエティ番組を制作している者です。今度、Tボードを特集するものを考えておりまして。それでですね、先程の貴方方のテクニックを見て、これは是非にと思いまして……」


 ─────面倒なものに捕まってしまった。
滝のように喋る男の言葉を右から左に聞き流しつつ、レオンは深い溜息を吐いたのだった。





SEED連中はナチュラルチートパラメータ。Sランクともなれば尚更。
とは言え、流石に子供の頃はレオンも無茶なパフォーマンスはしてません。弟達の手前もあるので。ゼルやサイファー、セルフィは直ぐ真似したがるし。