その世界をつくるもの


「レオン君、いいかな?」


 呼ぶ声にレオンが顔を上げると、見覚えのない女子生徒が一人。
誰だったか、と首を傾げるレオンに構わず、女子生徒は可愛らしい封筒を差し出した。


「これ、読んで下さいっ!」


 鬼気迫る声でそう言われ、レオンは目を白黒させつつ、差し出された封筒を受け取った。
途端、少女はきゃー!と黄色い悲鳴を上げて、踵を返し、脱兎の如く駆け出して行く。
おい、とレオンが思わず呼び止めようとするも、その時には声が届く距離を大幅にオーバーしていた。

 呆然と立ち尽くすレオンの背中を、誰かが強く叩いた。
じんじんとした痛みのある背中を摩りながら振り返ると、同じクラスのエドワード・ジェラルダイン───通称エッジがにやにやとした笑みを浮かべて此方を見ていた。


「よう、色男。今度は誰に何貰ったんだ?」
「……知らない女子だった」


 レオンは手の中の封筒を掲げて見せ、エッジの問いに至極真面目に答えた。
その内容がエッジには気に入らなかったようで、なんだそりゃあ、と切れ長の双眸を細める。


「知らない女からもモテモテかよ。腹立つな、お前」
「………」


 そんな事を言われても、レオンには何と返して良いか判らない。
更に言うなら、レオンは、エッジが「腹立つな」と言った理由も意味も、よくよく理解できていなかった。

 恨みがましい視線をぶつけてくるエッジを無視する事にし、レオンは廊下端のベンチに腰を下ろして、封筒の栓を切った。
可愛らしい犬がプリントされた封筒の中に入っていたのは、犬をモチーフにしたシルエットであしらわれた手紙。
読んで下さいって言っていたから、まあ、中身はこれしかないよな。
そんな事を思いつつ、レオンは綴られている文章に目を通し────溜息を吐く。


「またか……」
「なんだ、そのウンザリした反応は」
「そうだぞ、レオン。こっちは羨ましくて仕方ないってのに」


 エッジとは違う声が降って来て、レオンが顔を上げると、頭にバンダナを巻いた男子生徒───ロック・コールが立っていた。

 ロックはレオンに断りもなく(別段拒否する理由もないが)、隣に腰を下ろして、レオンの手元の手紙を覗き込んだ。
直ぐにレオンは手紙を閉じ、封筒の中に戻す。


「なんだよ、少しくらい見せてくれてもいいだろ。友達なんだからさ」
「断る。こう言うのは、プライバシーの問題に関わる。お前だって自分のテストの答案を誰彼構わず見られたくはないだろう」


 例えば、一週間前の抜き打ちテストとか。
レオンの言葉にロックがぎくっと固まり、溜息と共に肩が落ちた。

 人魂を飛ばすロックにエッジがけらけらと笑ったが、お前も他人事じゃないだろう、とレオンは思う。
寧ろテストの点数や成績で言えば、一部の苦手科目のみが目立つロックよりも、体育と戦闘実技以外の授業で赤点常連のエッジの方が重症である。
その気になれば平均点は軽く取れるタイプだと思うのだが、如何せん、彼はその勉強への“やる気”そのものが大きく欠落していた。

 ───友人の成績については、今更上げ連ねるものでもないので、レオンは早々に考える事を止めた。
そんな事よりも、今自分の手の中にある物の方が、レオンにとっては余程悩みの種だ。


「……どうしたものか……」


 溜息交じりに呟いたレオンの言葉に、エッジが腕を組んでしばし考える素振りを見せ、


「今月に入って三人目だったか?」
「だろ。今年に入ってからって数えたら、もう両手でも足りないよな」


 エッジの言葉に頷いた後、ロックが付け足した。

 渡された手紙の内容は、所謂ラブレターと言うものだった。
ずっと前から好きでした、初めて見た時から運命の人だって思いました、付き合って下さい───そんな内容が詰まった手紙。
思春期の甘酸っぱい恋心を抱いた、初々しく、精一杯の勇気を振り絞った、少女の気持ちの結晶。

 これが少なくて月に一度、多くて週に一度、レオンの下に届けられる。
送り主は様々で、クラスメイト、隣のクラスの女子生徒、先輩後輩等々、直接送られる事もあれば友達伝いである事もあり、教室の席の椅子にひっそりと置かれていた事もあった。
ついでに、レオンは誰にも言わず秘匿としたが、教師からも同様のものを向けられた事がある。
その場合は手紙等と言う慎ましやかなものではなく、誰もいない教室、若しくは教員室で迫られると言う、実に危険なシチュエーションに追い込まれた。
その際は、丁重にきっぱりと断り、逃げるようにガーデンのカードリーダーを駆け抜けたものである。

 人から好意を寄せられるのは、決して悪い気はしないし、純粋に嬉しいとも思う。
しかしこうして、想いに答えて欲しい、と言われると、レオンにはどうしようもなく、途方に暮れるしかない。


「困るんだ、こういうのは」
「選り取り見取りで困るってか」
「……エッジ」


 誰がそんな事を言った。
青灰色に怒りを滲ませて睨めば、エッジは冗談だと肩を竦める。
レオンはそれでもしばらく彼を睨んでいたが、数秒後、溜息を吐いて手元の封筒に視線を落とした。


「さっきの女子も本当に知らないんだ。逢った事もない。少なくとも、俺はそう思ってるんだが……」


 レオンが相手を知らないのに、相手がレオンを知っていると言うのは、別段珍しい事ではない。
バラムガーデンで成績最優秀者であるレオンは、全校集会などで度々名を上げられて、学園長から表彰状を貰う為、バラムガーデンの生徒ならば誰もが彼の名を一度は聞いている。
また、学園長から頼まれて教員の手伝いをしたり、ガーデン祭のような恒例行事の際は実行委員長として選ばれ、生徒達をまとめたりと、周囲からよく頼られるリーダー性を持っている。
それでいて当人の性格は穏やかなもので、面倒見が良く、幼年クラスや初等部の子供達にもよく懐かれている。
更に───女子生徒からすれば、一番目を引くのはやはり此処だろう───顔立ちも非常に整っており、額の大きな傷こそ目立つものの、それが彼の面を醜悪にさせるかと言えば、決してそうではない。
寧ろ、その傷に惹かれて顔を見た時、直ぐ傍にある静かな青灰色へと全てを攫われてしまうのだ。

 そんな訳で、バラムガーデンに所属している生徒の中で、レオンを知らない者はいない。
他校や他国から転校してきた生徒でも、三日経てばレオンの名を耳にする程の有名人だ。

 しかし、当の本人はと言うと、


「いつも思うが、俺は向こうを知らないのに、どうして相手は俺を知ってるんだろうな」


 至極不思議そうに首を傾げるレオンに、エッジとロックは顔を見合わせ、やれやれ、と肩を竦める。


「なんかムカつくよーな、可哀想なよーな」
「俺はいっそ清々しいかな。此処まで鈍感な奴、そういないぞ」


 目の前で交わされる二人の友人の会話に、これは馬鹿にされているのか?とレオンは眉根を寄せて考える。
結局その正否は判らなかったので、聞き流す事にした。


「───で、結局その手紙の返事はどうするんだ?」
「どうって……断ろうと思ってる」


 好いてくれる事、そう言った気持ちを寄せてくれる事は嬉しかったが、レオンは彼女には応えられない。
それは今手紙を渡して行った少女だけではなく、今までも、そしてこれからも(少なくとも当分は)、誰を相手にしても変わらない事だった。

 迷いなく「断る」と言うレオンに、エッジが眉尻を下げた。


「お前、なんでそう勿体ねぇ事するんだよ。さっきの女子、結構美人だったじゃねえか。胸もでかかったし」
「あまりそういう事を言うものじゃないぞ、エッジ。それに、勿体ないって……そう言われてもな。今は恋愛なんてしている暇はないし」


 仮に、レオンが彼女の告白を受け取り、付き合うようになったとしよう。
そうなると、レオンの生活は多かれ少なかれ影響を受け、今までのサイクルを変えなければならなくなる。
授業が終わると真っ先に帰路についていた事や、家に帰ると到底遊ぶ暇もなく家事に追われるのが、レオンの日常だった。
其処に恋人が出来たとなれば、彼女を優先しなければならない事も増えるだろうし、必然的に家の事に感けている時間は少なくなってしまう。

 レオンの優先順位と言うものは、明確且つ不動のものであった。
恋人が出来ても、これは恐らく、変わるまい。
どんなに恋人を大切にしようとしても、頭の中には、別の事が根付いている。
結果的に彼女と言う存在をおざなりに扱ってしまうのなら、それは想ってくれる人に対して、裏切りになってしまうのではないかとレオンは思う。
それなら最初から断った方が良い。

 真面目な顔でそう言うレオンに、エッジとロックはもう一度顔を見合わせ、深い溜息を吐いた。


「お前、もうちょっと青春ってものを楽しめよ……」
「別に楽しんでいない訳じゃない」


 何も恋愛ごとが青春時代の全てではあるまい。
目の前にいる友人達とこうして会話をするのだって、十分、青春の一つだと言える。

 しかしレオンの言葉に、そうか?とエッジが顔を顰めた。


「じゃあお前、今日の放課後の予定、どうなってるのか言ってみろ」
「どうって……いつも通りだ。家に帰って、朝干した洗濯物を片付けて、夕飯の準備をして、バイトに行く」
「夜は?」
「帰って寝る。ああ、課題をやらないといけないな」
「だあああ!なんだそりゃ、つまんねえ!」


 地団駄踏んで叫んだエッジに、周囲の生徒達が何事かと振り返る。
が、其処にいるのがいつも賑やかなエッジだと知って、ああなんだ、と納得したように各々の生活に戻って行った。

 エッジがレオンの胸倉を掴む。
ずいっと近付いた猫のような尖る眼を、レオンは表情を変えずに見返していた。


「もっと遊べって言ってんだよ。お前、そんなのじゃ人生損するぞ」
「何が損になって、損でないかは、人それぞれだろう。少なくとも、俺は損をしているつもりはないし、した覚えもない」
「馬鹿。遊んでねえ人間は損してるぞ。遊びの中でしか得られないモノってのはあるんだからな。机でする勉強なんかより、よっぽど大切なモノを学ぶ時だってあるぞ」
「それはそうかも知れないが……」


 眉尻を下げるレオンに、そうだろ、とエッジが詰め寄るように顔を近付けた。
返す言葉に詰まったように沈黙するレオンから、エッジが掴んでいた手を離す。


「よし。じゃあ今日は皆で放課後に遊びに───」
「それは無理だ」


 行こうぜ、とエッジの言葉が続くのを待たず、レオンはきっぱりと言い切った。
友人の誘いは有難いが、こればかりは、レオンも譲れない。

 なんでだよ、とばかりに睨むエッジを、ロックが間に割り込んで宥めた。


「まあ落ち着けよ、エッジ。仕方がないさ、こればっかりは───」
「レオンー!」


 元気の良い声が廊下の向こうから聞こえて来て、ロックの声が掻き消された。
声のした方向へと三人が目を向けると、金髪の子供が行き交う生徒達の隙間を縫って、此方へ向かって駆けてくる。

 レオンはベンチから腰を上げて、少年の真正面に立った。
丁度腰の辺りにある頭が跳び付いて来て、レオンは苦も無くそれを受け止めてやる。
ぐりぐりと押し付けて来る金髪を撫でてやれば、海のような青がレオンを見上げた。


「レオン、抱っこ!」
「ああ」


 無邪気に懐いて来る子供───ティーダを、レオンはひょいっと抱き上げてやった。
高くなった目線に、ティーダははしゃぐようにきゃっきゃと笑って、レオンの首に捉まってくる。


「ティーダ、一人か?」
「ううん」


 レオンの問いにティーダが首を横に振った直後、ぱたぱたと速足の足音が二つ。


「ティーダ、廊下で走っちゃ駄目だよ」
「お姉ちゃん、待って」


 お互いに手を繋いだまま、少しばかり足を縺れさせながらレオンとティーダの下に現れたのは、妹のエルオーネと、弟のスコールだ。
スコールは背中にリュックを背負っており、エルオーネは自分の鞄の他に、スコールのものと同じ大きさのリュックを腕に抱えている。
ブリッツボールのマークが入ったそのリュックは、間違いなく、ティーダのものだった。

 兄の下まで来た二人は、ふうふうと肩で息をして、しばらく呼吸を整える事に終始した。
ドキドキとしていた胸の鼓動が落ち着くと、エルオーネから手を離したスコールが、今度は兄へと手を伸ばす。


「お兄ちゃん」
「ああ。授業、楽しかったか?スコール」


 ズボンをぎゅっと握り締める小さな弟に、レオンは柔らかく笑いかけてやる。
そんな兄弟を見詰める視線があって、それに気付いたスコールは、隠れるようにレオンの腰に顔を寄せた。
レオンもスコールを視線から庇うように位置をずらす。

 スコールが顔を上げると、兄の腕に抱かれているティーダと目が合った。
途端、ぷく、とスコールの頬が膨らむ。


「ティーダばっかり、ずるい。僕も抱っこして欲しい」
「まだダメー。さっきして貰ったばっかりだもん」
「やだぁ。お兄ちゃん、僕も抱っこ」
「判った判った」


 溺愛している弟に、大きなブルーグレイに涙を浮かべておねだりされては、レオンが拒否できる訳もなく。

 ティーダを下ろして代わりにスコールを抱き上げようとすると、逸早く察したティーダが、レオンの首に力一杯しがみついた。
子供特有の手加減のなさに、一瞬呼吸が詰まったが、レオンはそれを億尾にも出さない。


「判った、ティーダ。お前は肩車してやるから」
「肩車?ほんと?」


 意地でも放さないと言う表情をしていたティーダだったが、レオンの言葉にぱっと笑顔になった。
頷いて見せれば、ティーダは早速レオンの肩を昇ろうとし始める。
そんなティーダを一度床に下ろし、背中を向けさせてから、脇下に手を入れて持ち上げる。
わー、と先刻よりも更に高くなる視界に、ティーダが嬉しそうに笑った。

 ティーダを肩の上に下ろして、頭に掴まらせる。
小さな体が落ちないように気を付けながら、レオンは待ち惚けをしていたスコールを抱き上げた。


「えへへ……」
「へへー」


 頭の上と下、近い場所で二つの笑い声。
それが無性に愛しくて、知らずレオンも口元も綻ぶ。
と、其処に鈴の音のような声がして、それには少しの刺が含まれていた。


「もう、レオン!」


 成り行きを見守っていたエルオーネである。
今年で11歳になった利発な妹は、怒ったように両腰に手を当てて、レオンを見上げた。


「レオン、あんまり二人を甘やかしちゃ駄目よ」
「抱っこぐらい構わないだろう。減るものでもないしな」
「駄目よ、癖になるんだから。ママ先生が言ってたでしょ。スコールとティーダも、我儘言ってお兄ちゃんを困らせちゃ駄目よ」


 めっ、と強い眦の栗色に見つめられて、レオンの腕の中のスコールがしょぼんと落ち込んだのが判った。
スコールは兄であるレオンと同じ位、姉のエルオーネの事が好きだから、彼女に怒られるのが嫌なのだ。
頭の上のティーダの方は、はーい、と間延びした返事。
ぱたぱたと自由な脚を遊ばせているので、此方はエルオーネに怒られた事はあまり気にしていないらしい。

 レオンはスコールの背中をぽんぽんと軽く叩いて、あやしてやった。
自分とよく似た青灰色が見上げて来て、笑いかけると、安心したようにスコールもふんわりと笑う。


「レオンってば」


 エルオーネがまた咎めるように名を呼んだ。


「そう怒るな、エル。お前だって、昔はよく抱っこしてってねだってただろう」
「お、覚えてない。それに、私が7歳の時は、もう……」
「そうだったか?寝る前によくしてやっていたと思うんだが」
「レオン!」


 赤い顔で怒る妹に、レオンはくつくつと笑う。
冗談だ、とレオンは言ったが、エルオーネの顔の赤みは中々引かない。
エルオーネは愛らしいくりくりとした瞳を精一杯尖らせて、レオンを睨んだ。

 エルオーネは顔の赤みを暑さの所為だと誤魔化すように、ぱたぱたと手団扇で自分を仰ぐ。
レオンはスコールを片腕で抱えたまま、空いた手でエルオーネの艶のある黒髪を撫でた。


「初等部の授業は、もう終わったのか」
「うん。レオンは、六限目まであるんだよね」
「ああ」
「洗濯物とか、買い物は私がしておくから、帰りはゆっくりでいいよ。冷蔵庫の中とか、足りないものって何かあった?」
「そうだな……小麦粉が減って来たから、買っておいてくれ。卵もな。それと、今日の夕飯用にイカを3杯。財布のある場所は判るか?」
「大丈夫、もう覚えたよ」


 頭の上のティーダが、レオンのダークブラウンの髪で遊んでいる。
ふわふわとした髪質のそれを一房摘まんで、指に巻いたり、解いたり。
スコールもそれにつられるようにして、レオンの長く伸ばした横髪に手を伸ばしている。
小さな手が一房摘まんで、何が不思議なのか、きょとんと小首を傾げながら、ティーダと同じように指を絡めて遊んでいた。

 そんな小さな弟達を自由に遊ばせ、レオンはエルオーネと家事についての連絡事項を進めて行く。


「お出汁、私が作って置こうか」
「やって貰えると助かる」
「レオン、今日のご飯何?」
「イカ飯だ」
「お肉食べたい」
「お肉は昨日食べたでしょ?」
「そうだな。だから、肉はまた今度、だ」
「はーい」
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
「うん?」
「ティーダがお昼ご飯のピーマン残してた」
「あ!言っちゃダメ!」
「ティーダのご飯にはピーマン追加だな」
「やだー!」


 ぐいぐいと髪を引っ張られて、いたた、とこれにはレオンも顔を顰めた。
直ぐにエルオーネが叱る。


「ティーダ、そういう事しないの。ティーダだって同じ事されたら痛いでしょ」
「だってピーマンやだ……」
「お残ししたバツです」


 きっぱりと通告するエルオーネに、ティーダが頬を膨らます。
「スコールが余計なこと言うからだ」と呟くのが聞こえて、スコールの方から「だってお残ししたらいけないんだよ」と言い返されてしまった。
頭の上でティーダが拗ねたのが感じられて、レオンは眉尻を下げて、小さな子供を見上げた。


「小さく切っておいてやるから、頑張って食べろ。デザートも作っておくから」
「ほんと?」


 ピーマンをちゃんと食べたら、ご褒美で食べても良い。
レオンの言葉に、ティーダの目が輝いた。

 つんつん、と服の襟を引っ張られて、視線を落とせば、見上げてくるブルーグレイ。


「ご褒美、ティーダだけ…?」


 ティーダのようにあれもこれもと好き嫌いが激しい訳ではないが、スコールにも嫌いな食べ物はある。
エルオーネとママ先生の努力のお陰か、本人の我慢強さのお陰か、ティーダに比べれば克服されているが、やはりスコールも人参やピーマンと言った子供の嫌いな野菜の代表格を苦手としていた。
じっくり煮込んで甘くなった人参は、食べれば気にならないけれど、口に入れるまでに非常に時間がかかる。

 バラムガーデンでの昼の過ごし方は、学年によって大きく違う。
幼年クラスと初等部は、栄養士がきちんと計算して決められた給食が手配されており、教室で食べるように決められている。
食堂や購買部で自由に昼食が選べるようになるのは、中等部以降の生徒のみとなっていた。

 栄養士がカロリー諸々を計算して決めた給食だから、勿論、子供達が嫌いな食べ物も出てくる。
人参、ピーマン、セロリ、玉葱……他にも苦みの強いものや、ぶつぶつとした触感のある子持ち魚の類等。
スコールもティーダも、その嫌いな食べ物を頑張って食べている。
なのに嫌いな食べ物を食べたご褒美がティーダだけなんてずるい───スコールはそう思ったのだ。

 じっと見つめるブルーグレイに、レオンは微笑ましくなって笑ってしまう。
そんなに不安そうな顔をしなくても良いのに、と。


「スコールとエルの分もちゃんと作るよ」
「ほんと?」
「ああ」


 頷く兄に、スコールの目がティーダに負けず劣らず、きらきらと輝いた。
頭の上と下から、同じ質問が出て来る。


「ねえ、何作るの?」
「デザートなあに?」
「内緒だ。ティーダはピーマン、スコールは人参を食べるまでお預けだからな」


 食べれば判るぞ、と言えば、二人一緒に「頑張る!」の声。


「エルも頑張れ」
「私は平気よ。嫌いな食べ物なんてないから」


 胸を張って言う姉に、スコールとティーダが尊敬のまなざしを向ける。

 ───が、レオンは知っている。
幼い頃、エルオーネがトマトが嫌いで食べられず、しかし嫌だと言っても母に許してもらえなくて泣いていた事を。
他にもピーマンや人参も嫌いだったし、ナスやグリーンピースも嫌いで、ついでに魚介類も嫌いで、今のティーダ以上に好き嫌いが激しかったのだ。
エルオーネのそんな食べ物嫌いが克服されたのは、バラムに来てスコールが生まれてからの事。
スコールや年下の子供達の手本になるようにと、我慢に我慢を重ねて食べるようになったのだ。

 ちなみにレオンの食べ物嫌いは、幼い頃から殆どない。
苦手な食べ物は幾つかあったが、母の優しくも厳しい教育のお陰で、早い段階で克服している。

 二人だけが知っているその真実に、レオンはこっそりと笑っていた。
それに気付いたエルオーネは、レオンの笑みの意味を察したらしく、僅かに拗ねたように唇を尖らせた。
が、直ぐに元の表情に戻して、頑張って食べようね、と弟達の頭を撫でてやる。


「さ、二人とも降りて。私達は帰ってお買い物と洗濯物のお片付けやらなくちゃ」
「お兄ちゃん、一緒に帰らないの?」


 ぎゅっと抱き着いて来たスコールの言葉に、レオンはそうだな、と眉尻を下げて答えた。
スコールの青灰色が泣き出しそうに歪むのが判って、こればかりはな、とレオンももどかしさに歯痒くなる。

 一昨年、設立されたばかりのガーデンに入学した時は、レオンもスコールとエルオーネと三人で一緒に帰っていた。
ガーデンからバラムの街まではバスが走っているけれど、バスターミナルから家までの道を、10歳に満たない子供を二人で帰らせるのは不安だったからだ。
当時はスコールが幼年クラス、エルオーネが初等部、レオンは中等部だった。
エルオーネは自分の就学時間が終わると、幼年クラスのスコールを迎えに行き、ガーデン内でレオンの授業が終わるのを待っていた。
そしてレオンの授業が終わると、三人で帰路につき、まだ孤児院として機能していた我が家へと帰り着いていた。

 しかし、レオンが高等部に進級するタイミングと前後して、レオン一人は遅く帰る事が多くなった。
レオンの授業時間が大幅に増えた事と、アルバイトを始めたのが原因だ。
レオンとて、未だに幼い子供達だけで家に帰らせるのは心配であったが、エルオーネも11歳になったし、先立つものと言うのは不可欠であったから、利発な妹を信じる事にし、何事か起きた際には直ぐに大人を頼るように言い付けた。
幸い、レオン達の事はバラムの街でよく知られていたので、知り合いも多く、気にかけてくれる人も沢山いる。
だが、これがスコールには寂しくて堪らないようで、今でも度々、お兄ちゃんと一緒に帰りたい、とレオンに抱き着いて離れない事がある。


「……悪いな、スコール。夕方には一度帰るから、それまでエルの手伝いをしていてくれ」
「…うん」
「いい子だ。ティーダも頼むぞ」
「うん」


 小さく頷くスコールと、大きく頷くティーダと、二人を床に下ろしてやる。
ダークブラウンと金色の髪をくしゃくしゃと撫でれば、二人揃って子猫か子犬のように目を細めた。

 一頻り撫でてから手を離すと、エルオーネが二人の乱れた髪を直すように手櫛で梳く。


「じゃあ、先に帰ってるね」
「ああ。気を付けて帰れよ」
「レオン、また後でねー!」
「お兄ちゃん、お勉強頑張ってね」
「ああ。二人とも、いい子にしてるんだぞ」


 はーい、と子供二人の声が重なる。
スコールとティーダはレオンに向かって手を振った後、それぞれエルオーネと手を繋いで、カードリーダーへと向かって行った。

 レオンは遠ざかる弟達を見送った後、流石に肩車と抱っこと同時は疲れるな、と少々固くなった肩を慣らすように動かした。
幾らレオンが体格に恵まれていて、弟達が小柄でも、そろそろ辛くなって来た。
この間までは平気だと思っていたのだが、やはり子供の成長は早いものである。
二人とも中々身長が伸びないと言って落ち込んでいたが、進級直後の身体測定の時よりは大きくなっているのは間違いない。
ティーダ等は身長の割に足が大きいから、将来性もある。
今はまだ自分の半分もない身長の弟達が、将来どれ位に成長してくれるのか、レオンは今から密かに楽しみにしていた。

 ───そんなレオンを、じっと見詰める瞳が二対。
遅まきながらにレオンはその存在を思い出し、


「悪かったな。話の腰を折ったようだ」
「いや、別に。いつもの事だしな」


 詫びるレオンに、エッジが気にしていないと肩を竦めた。
その隣で、ロックが眉尻を下げて苦笑している。
そんなロックをエッジが見て、同じような表情がエッジの顔に浮かぶ。


「…なんだ?」


 きょとんとした表情で問うレオンに、エッジがいや、なあ、と言葉を探すように口ごもった後、


「あんな面見せられたら、邪魔するこっちが悪モンみたいじゃねえか」
「そんな事はないだろう。寧ろ、お前達の誘いを断ってばかりの俺の方が……」
「いやいや。ちび共もお前が帰るの楽しみにしてるし、嬢ちゃんもお前が早く帰って来た方が安心するだろうし。そんななのに、俺らでお前を勝手に連れ回せねえよ」
「レオンも早く帰ってあいつらの顔見たいんだろ?だったら邪魔する方が野暮ってもんだ、友達としてさ」


 エッジとロックの言葉は、確かに真実であった。
高等部に進級し、それまで面倒を見て貰っていたクレイマー夫妻がガーデン経営に力を入れる事を決めたのを切っ掛けに、レオンはガーデン寮には入らず、夫妻の手を離れ、バラムの街に弟と妹と一緒に住む事を決めた。
この為にアルバイトを始め、心配に思いながらもエルオーネに弟達を任せる事を決めたレオンだったが、本心では出来るだけ傍にいてやりたいのだ。
だから授業が終わった後、アルバイトが始まるまでの時間さえも無駄にしたくなくて、遊びに行こうと言う友人達の誘いを断っている。

 エッジとロックは、レオンとその家族の遣り取りを、度々目にしている。
その度に彼らは思うのだ。


「お前の幸せ、全部あそこにあるんだなって思ってさ」


 あそこ、と言ってロックが示したのは、遠くなって行く弟達の背中。
じゃれつくティーダに振り回されながら、エルオーネはスコールが遅れないように気を付けつつ、歩いている。
その姿を見るだけで、常ならば静かな感情を宿す青灰色に、柔らかさが灯った。

 やれやれ、とエッジがわざとらしく大きな溜息を吐いて、銀色の髪をぐしゃりと掻き乱す。
にやりと笑みを含ませた口元は、決して嫌な感情を表す事はなく、寧ろ清々しささえ感じられた。


「授業が終わったら、ダッシュで帰ってやれよ。俺らの事は気にすんなよ?」
「その代わり、お前がバイトしてる喫茶店のセット一つ奢ってくれよな」
「……ああ。構わない」


 ありがとう、と。
言おうとした言葉は、気の良い友人達の笑顔を見て、飲み込んだ。





思春期や青春を弟妹達の為だけに捧げて来たように見えるレオンですが、実は当人は、周りが思っているよりも、割と学生生活を楽しんでいました。
弟達のように、ガーデン外でも逢って遊んだりする事は殆どなかったけど、"友"はちゃんといたんです。