海の上のどうぶつ王国


 ホール内で流れていた楽しげな音楽が消え、アナウンスが流れた後、ぽつり、ぽつりと照明灯が消えて行く。
それに倣うように、ホールを埋め尽くす人々の声が消えて行き、ホールが暗闇に包まれた頃には、すっかり静まり返っていた。

 其処へドラムロールの音が鳴り、ステージの真ん中にスポットライトが落ちる。
スポットライトの中には、大きな蝶ネクタイをつけた、赤くて丸い大きな鼻をつけたピエロが立っている。
ピエロはその場をゆっくりと回転しながら、ホールを埋め尽くす360°の客席に向かって頭を下げて挨拶した。

 客席の後ろから沢山のバックライトが光り、ピエロの頭上で交差する。
ピエロが深々と頭を下げたかと思うと、頭を上げると同時に両手を頭上高く掲げ、軽快な音楽のスタートと共にホール内が明るくなった。
ファンファーレを思わせるラッパの音が響き、ステージに五匹の犬が駆け上がる。
犬達はステージの端で五角形を作るように伏せると、更に五匹の犬が駆け上がった。
長毛種で人懐こい顔をした犬達は、ぐるぐるとステージを駆け回り、音楽に合わせるように手を挙げるピエロと共に、伏せた仲間達をかわすようにジャンプする。
ホールの天井から空中ブランコに乗った二人の女性が現れ、手を伸ばした女性の間を、一羽の真っ赤な鳥が右へ左へと飛び移っていた。

 音楽に合わせた手拍子が鳴る中で、鈴を思わせる音が一際大きく響くと、駆け回っていた動物達がピエロの下へと集まり、背中を真っ直ぐに伸ばして座る。
それを追って、伏せていた犬達が体を起こし、ピエロの後ろに並ぶ犬の列へと加わった。
空中ブランコに座っていた二人の女性が宙返りをしながら飛び降り、ふわりとステージへと着地する。
赤い鳥がぐるりとステージの頭上を飛び回ると、きらきらとしたものがステージに降り注いで、女性とピエロが観客へと手を振った。
ホール全体が大きな拍手に包まれる。

 ピエロが犬達の前に手を翳し、位置を下げる。
すると、犬達は一斉にぺたりと伏せて、直ぐに起き上がる。
礼を思わせるその仕草に、拍手の隙間に子供達の「すごい」「かわいい」と言う声があった。
レオンの隣でも、ティーダとスコールが凄い凄いと手を叩いている。

 ピエロが犬達を連れてステージから立ち去ると、今度は二人の女性の番だった。
鮮やかな原色のトリコロールカラーの衣装を着た女性達に、ステージの外からシルクハットと各二本のステッキが投げられる。

 女性達が見せたのは、ジャグリングだった。
腕の長さ程はあろうと言うステッキを、頭上で山を描くように、くるくると回転させながら投げてはキャッチ。
そしてステージの端と端に立つと、お互いに向かって交互にシテッキを交換し始めた。
一定のリズムを崩す事なく続くラリーの中で、ステージの外から一本、また一本と新たなステッキが投げ入れられ、彼女達はそれでもリズムを保ってステッキを投げ合った。

 観客の拍手が鳴り、女性達は一本、二本、三本と高く投げたステッキを片手でキャッチし、全てのステッキを回収すると、ぺこりと頭を下げる。
もう一度、観客の拍手が鳴った。

 天井の空中ブランコに止まっていた赤い鳥が下りて来て、一人の女性の肩に止まる。
女性が被っていたシルクハットを取ると、鳥は女性の頭に飛び乗った。
女性は鳥を頭の上に乗せたまま、観客たちによく見せるように、スポットライトをお供にぐるりとステージを一周した後、鳥の上から帽子を被る。
軽快に鳴っていた音楽が静まり、チッ、チッ、チッ、と時計の針が振れるような音がした。
俄かに雰囲気の変わったホール内に、スコールとティーダが息を飲んでステージを見詰める。
女性の手がシルクハットの縁を持ち、高らかなシンバルの音が響くと同時に、シルクハットが取られる。
其処にいた筈の鳥は、すっかり姿を消していた。


「消えた!」
「鳥さん、消えちゃった!」


 拍手と音楽が鳴る中で、子供達の驚いた声が重なる。
レオンとエルオーネの隣で、スコールとティーダも「鳥さんは?」「どこ?」とステージをきょろきょろと見渡している。

 スポットライトが消えて、もう一つ別の場所を照らしだす。
もう一人の女性が其処に立っており、頭には相棒とは色の違うシルクハットが被られている。
ドラムロールが鳴って、スコールとティーダは二人で手を握り、丸い大きな瞳を一杯に開いて、ステージに見入る。

 女性がシルクハットを取り去ると、羽ばたきが聞こえた。
窮屈な世界から飛び出した自由を謳歌するかのように、赤い翼が客席の眼前を飛び渡る。
シルクハットの中で姿を消した鳥が、別のシルクハットの下から現れたのだ。


「鳥さん、すごーい!」
「しゅんかんいどうだ!」


 スコールとティーダもぱちぱちと拍手して、蒼と青の瞳をきらきらと輝かせている。
エルオーネも目を丸くして、凄い、と拍手していた。

 舞台は盛況であった。
次から次へと様々な動物達がステージを現れては様々な曲芸を拾うし、去って行く。
入れ替わり、立ち代わりやってくる動物達に、ステージを囲む客席は何度も湧き上がった。

 途中で15分の休憩を挟んだ後、後半には観客参加型のプログラムもあった。
動物に関する○×問題では、子供達が代表になって参加する。
両手で大きな○と×を出して、プログラムに参加するスコールとティーダに、レオンの口元が緩む。
エルオーネもスコールから「一緒にやろう」と誘われ、少し照れ臭そうに、弟達と一緒に考えながら答えを示す。
結局、半分程が終わった所で、スコールとエルオーネはリタイアとなり、ティーダも最後の問題で間違えてしまった。
悔しい!と地団駄を踏むティーダを、レオンが宥め、頑張ったご褒美だとフランクフルトを渡す。
焼き立ての美味しいフランクフルトを食べると、直ぐにティーダは機嫌を直した。
スコールもエルオーネと一緒にポップコーンを食べながら、ステージの続きを見詰める。

 ステージには、亜人種の人々も数多く出演していた。
スピラ大陸に住む、体の一部を楽器として常にメロディを奏でる一族や、喋り出すと止まらないペルペル族、イヴァリース大陸に住むワニのような姿をしたバンガ族などが、楽団員となり、ショーのメインパーソナリティとなり、動物達と共に芸を披露している。

 スコールとティーダは、次々と芸を披露する動物達を見て、凄い凄いとはしゃぐ。
エルオーネも凄いね、とスコールとティーダに笑い掛け、レオンはそんな妹弟を見て笑みを零していた。

 ステージが一番盛り上がったのは、動物達が主人公となって行われる、演劇ショーだ。
これに一番食い付いたのが、スコールである。

 物語のプロローグとなるナレーションと、荘厳な音楽と共に、ステージに組まれた高台へとゆっくりと上って行く獣。
ゆっくりと、しなやかに動く体の筋肉と、整然とした足取りで、獣は空を望むかのように高い天井を仰ぎながら進む。
長い尾がゆらゆらと揺れて大きな体躯のバランスを保ち、その足下は全く危なげがない。
歩が進む度、豊かに揺れる鬣は、まるで王冠のようにも見え、凛々しい面立ちと共に、王者の風格を漂わせている。

 それを見たスコールが、興奮し切った顔で隣のエルオーネの服袖を引いた。


「お姉ちゃん、お姉ちゃん!ライオン!ライオンさんがいる!」
「しーっ……!」


 思わず声を大きくしたスコールに、エルオーネは慌てて人差し指を口元に立てた。
はっとしたスコールは、両手で口を隠して、周りの様子を伺うようにきょろきょろと視線を巡らせた後、もう一度姉を見た。


「お姉ちゃん、あれ、ライオンさん」
「うん。ライオンさん」


 エルオーネが頷くと、スコールの貌がきらきらと輝いた。
ぱっとスコールが振り返り、ティーダの向こうのレオンを見る。
弟が何を伝えたいのか、無言のままで直ぐに理解したレオンは、小さく笑みを浮かべて頷いてやった。

 嬉しそうにぱたぱたと足を遊ばせてはしゃぐスコールに、ティーダがきょとんと首を傾げ、レオンを見上げて訊ねる。


「レオン、らいおんって何?」


 ティーダの問いに、ああそうか、とレオンは思い出す。
自分達が当たり前のように知っている“ライオン”は、ティーダや他の子供達にとって、それ程メジャーな動物ではない事を。

 レオンは声を潜め、ティーダの耳元で手短に説明した。


「ずっと昔にいたって言う動物なんだ」
「図鑑にいる?」
「動物図鑑には、載ってないな。でも、うちに絵本がある。帰ったら読んでみると良い」
「ライオンさんね、格好良いんだよ。凄いんだよ」
「ふぅん」


 レオンとスコールの言葉に、ティーダは興味があるのかないのか、気もそぞろな反応だ。
スコールは、そんなティーダの反応を気にしなかった。
それよりも、高台の上で遠吠えを上げるライオンの姿に夢中になっている。

 雄々しく鬣を翻すライオンの傍らに、もう一頭のライオンが現れる。
此方には鬣はなく、心持丸い顔立ちをしている所を見ると、恐らく雌なのだろう。
二頭のライオンは顔を寄せ合い、毛繕いするように顔を舐める姿は、まるで睦み合う夫婦のように見える。

 物語は雄ライオンの子供を主人公にして、子供の成長を描くものだった。
昔から言い伝えられているライオンの童話で、スコールの好きな絵本にもなっている。
それはレオンが子供の頃に父母から誕生日プレゼントとして贈られてから、バラムに来る時に唯一持ち出したもので、それがスコールへと受け継がれたのである。

 途中から舞台の物語が、自分の良く知る絵本のものだと、スコールは気付いたようだった。
先の展開が全て判っていても、絵本のような静止画ではなく、刻一刻と変化して行く会場の雰囲気や、動物達の大立ち回りなど、スコールは手に汗を握りながら舞台を具に見詰めていた。
ティーダは序盤のゆったりとした演出には退屈そうに欠伸をしていたが、派手な立ち回りの場面になると、ライオンを応援するように大きな声で声援を送る。
レオンとエルオーネも、舞台の様相に立ち上がって歓声や拍手を送る弟達に眦を細めつつ、壮大なスケールで綴られる動物達の舞台を楽しむ事が出来た。





 舞台は盛況の内に終わり、最後には舞台に登場した馬やチョコボ、体高10メートルはあろうかと言うシパーフに乗って触れ合えるコーナーがあった。
スコールはライオンに触りたがっていたが、流石にこれは叶わず、兄姉から宥められる。
代わりに雛チョコボと抽選で触れ合えるコーナーに当選し、剥れていた顔は直ぐに笑顔に戻ってくれた。
代わりに雛チョコボのコーナーで外れてしまったティーダが拗ねてしまい、レオンとエルオーネは此方を宥める事に苦心する事となる。

 結局、ティーダが機嫌を直したのは、昼食で人参を食べたご褒美にと約束していた、デザートを食べた時だった。
帰る前にとフードコートに寄って、ケーキセットを四人分注文すると、子供の分は動物型のケーキが選べると言われた。
店員に渡された動物メニューの一覧には、犬や猫、チョコボの他、モーグリやナッツイーター、ナンナ、兎、ネズミなど、様々だ。
その中に一つ見慣れないものを見付けて、これ何、とティーダが指を差す。


「レオン、“むんば”って何?」
「ムンバ……?」


 聞き慣れない名前であった。
メニュー表には、動物の絵も一緒に掲載されており、ムンバらしき動物も載っている。
動物らしく丸みのある前足は、他の動物達のように地面についてはおらず、大きな後ろ足で立っているポーズが描かれていた。
更に特徴的なのは、鶏冠───と言うよりは、鬣のように逆立った頭部の赤い毛だ。
それを見たスコールが、きらきらと目を輝かせた。


「ライオンさんみたい!」
「えー…?さっきのライオンとなんか違うよ」
「お兄ちゃん、僕、これがいい。ライオンさんがいい!」
「判った判った」


 お願い、とねだる弟に、レオンは笑って頷く。
スコールは嬉しそうにテーブルの下でぱたぱたと足を遊ばせた。


「ティーダはどれにする?」
「えーと、んーと……あっ、イルカ!イルカがいい!」


 色々と迷った末にようやく決まったティーダのイルカケーキを注文した後、レオンはシンプルな苺のショートケーキ、エルオーネはフルーツのミルフィーユケーキを頼んだ。

 動物のデコレーションケーキは、5センチ程の大きさの丸いケーキの上に、各動物を象ったゼリーが乗っていた。
色とりどりのゼリーで描かれた動物は随分と手が込んでいて、スコールとティーダはすっかり気に入ってしまい、二人とも食べるのが勿体なくなる程だ。
が、やはり食べ物の誘惑は子供には絶大な効果があるし、楽しみにしていたご褒美だから、二人はしばらくケーキを眺めた後は、あっと言う間に食べ終えた。

 ケーキを食べ終えた後は、土産物コーナーでハンカチやぬいぐるみ、クッキー缶やお菓子の詰め合わせを買った。
クッキー缶は家で食べる用、詰め合わせは明日のバラムガーデンで級友達やシド、イデア、同じ孤児院で育った子供達に配る為ものだ。
海外旅行とは違い、若しかしたら級友達も珍しい機会だからと動物園に来ているかも知れないが、食べ物なら被っても問題はあるまい。

 動物園のロゴの入ったビニール袋を手に船を出ると、時刻は夕方を迎えており、閉園時間まで後一時間となっていた。
ほぼ丸一日を動物園散策に費やす事が出来たので、ほぼ全てのエリアを見る事が出来、スコールもティーダも大満足だ。
エルオーネは少し歩き疲れたようだったが、バラムでは滅多にない体験が出来たので、此方も満足している。
妹弟達がこれだけ楽しんでくれたのなら、レオンは言わずもがな、であった。


「晩ご飯、どうしようか。食べて帰るには早いよね」


 スコールの手を引きながら、エルオーネがレオンに言った。
レオンは腕時計の時間を確認して、そうだな、と呟く。


「さっき、ケーキも食べたばかりだしな」
「でも、家で作るのは疲れたかなぁ……」
「残り物が何かあったかな。それか、少し休んでから、何処かに食べに行くか?」
「うーん……残り物があったら家で、なかった外で良いかな?」
「そうだな。そうしよう。───っと、ティーダ?」


 決まった所で、レオンと手を繋いでいたティーダがふらふらと体を揺らした。
擦れ違う人にぶつかりそうになったティーダと、レオンが慌てて手を引いてやる。

 見ると、ティーダは歩きながら寝落ちそうになっていた。


「ティーダ、大丈夫か?」
「……うん」


 返事が遅れたのを見て、大丈夫じゃないな、とレオンは苦笑する。
その傍ら、姉と手を繋いでいたスコールが、むずがるような声を漏らした。


「スコール、どうしたの?」
「……んぅ……」


 姉の手を握っていたスコールの手が解け、代わりにスカートの裾を握る。
腰に抱き着くように縋る甘えん坊のサインに、しょうがないなあ、とエルオーネは呟いた。

 エルオーネがその場にしゃがむと、スコールが彼女の背中にぽてっと倒れ込む。
ちゃんと掴まって、と促されて、スコールはエルオーネに抱き着くように腕を回し、エルオーネはスコールの足と尻を支えながらゆっくり立ち上がった。

 レオンも、最早真っ直ぐに歩く事すら覚束ないティーダの為に、膝を折ってその場にしゃがむ。
ティーダを背中側に来るように促すと、半ば習慣として覚えているのか、ティーダは素直にレオンの背中に乗った。


「はしゃぎ疲れたんだな」
「うん。スコール、もう寝ちゃった」
「後で二人ともお腹が空いて起きるんだろうな」
「そうだね」


 お決まりのパターン、とエルオーネがくすくすと笑う。


「所で、エルは大丈夫なのか。歩き疲れただろう?」
「うん。でも、家に帰るまでの辛抱だし。レオンも三人抱えて行くのは無理でしょ?」


 本音を言えば、エルオーネも誰かに負ぶって貰いたい位には疲れている。
けれど、8歳になって身長が伸び始めた(それでも小柄な域はまだまだ出ないようだが)スコールとティーダと、12歳になったエルオーネを一手に抱えるのは、流石に体格に恵まれたレオンでも無理がある。
最近はスコールとティーダを一緒に抱えるだけでも中々辛いのだ。
エルオーネには悪いが、彼女にはもう少し頑張って貰わなければ、レオンも帰るに帰れなくなる。

 悪いな、と詫びるレオンに、大丈夫、とエルオーネは言った。
帰ったらスコール達が起きるまで、自分達もゆっくり休めば良いのだから。

 夕暮れの潮騒が鳴る帰り道は、自分達と同じような親子連れがあちこちに見られた。
レオン達のように動物園に行って、はしゃぎ疲れた子供達が帰宅を待てずに眠り、父や母がそんな子供を背負って帰る。
頑張って歩く子供の姿もあったが、頭は右へ左へふらふらと傾いて、危なっかしさに見ていられなくなった親が抱き上げる。
そんな光景と、背中に感じる子供の体温を感じながら、レオンは幼い頃に父に背負われた時の事を思い出していた。


(母さんと、父さんと…エルと一緒にキャンプに行った時かな。帰り道で、俺も寝てしまったような気がする)


 あれは、何歳の時だったか。
エルオーネの両親が亡くなり、彼女を妹として引き取った後だったから、6歳か7歳か、それ位だろう。
あの時感じた父の背中は、とても大きくて温かくて、其処にいるだけでとても心が安らいだのを覚えている。
あの時はエルオーネも母に抱かれてすやすやと眠っていた。
それが今は───と、小柄な弟を背負って歩く妹を見て、レオンは目を細める。

 あちこちの家で夕餉の支度をする気配が感じられる。
その匂いを嗅ぎながら歩いていると、エルオーネがぽつりと呟いた。


「動物園、楽しかったね」
「…そうだな」


 子供達の声が余り聞こえない所為だろうか。
街は随分静かに思えて、妹の声がよく通るように感じながら、レオンは頷く。


「でも、大きい魚はいなかったね。小さいのはいたけど」
「飼育するのが難しいんじゃないか。船の上だと、揺れるしな。振動に敏感な、神経質な魚も多いだろうし」
「バラムも水族館とか作れば良いのにね。生きてる魚は、市場にいなくはないけど、あんまり見られないし」
「水族館か……」


 レオン達は、動物園は勿論、水族館にも行った事がない。
小さなバラムの島国では、そうした大型施設は、観光と並行しないと需要として中々成り立たないのかも知れない。


「仕方ないだろうな。まあ、良いじゃないか。海に潜れば割と近くにいるから」
「でも、水族館の方が安心して見られるでしょ?海だと何があるか判らないもん」


 エルオーネの言葉に、それもそうか、とレオンは思い直す。
脳裏には、今年の夏、妹弟を連れてリナール海岸に行った時の事が浮かんでいた。

 バラムの街の海辺は、観光客や地元の人間で溢れ返っているからと、ガーデンの南にある浜辺へ弟達を連れて行った。
魔物避けの魔石を常備して、始めはのんびりと過ごす事が出来たのだが、四人でビニールボートで少し沖合に出た所で、事件は起きた。
ビニールボートが引っ繰り返り、エルオーネ、スコール、ティーダの四人が溺れてしまったのだ。
直ぐにレオンが救助したので事なきを得たが、レオンは子供だけで、監視員のいない海で遊ぶと言う意味の軽率さを知った。
あの時ははしゃいだティーダがボートのバランスを崩してしまったが、風や波、海洋生物など、不確定な要素は幾らでもあるから、エルオーネの言う通り、“何が起こるか判らない”のである。

 そんな海に繰り出して魚を探すよりも、分厚いガラスで覆われた大きな水槽にいる魚を見る方が安全と考えるのは、自然な事だ。


「海の生き物は、海で見るから面白いんだって言う人もいるけど、やっぱり怖いもの。毒を持ってる危ない魚もいるんだし」
「確かに。ティーダは迂闊に触りそうだし。スコールはまだ泳げないし。それを思うと、水族館の方が良いな」
「ね?」


 子供の安全を思えばこそ、やはり危険な事は出来ない。
つい最近、危うい出来事があったから、余計に兄姉はそう思う。

 んぅ、と小さくむずがる声が聞こえた。
エルオーネの背中で眠るスコールが、むにゃむにゃと寝言を言っている。


「……らいおん…さん……」


 聞こえたスコールの声に、レオンとエルオーネは顔を見合わせて笑みを零す。


「ショーの夢、見てるのかな」
「かもな。凄く喜んでいたし」
「ティーダもなんだか楽しそうな顔してるよ」
「良い事だ」


 夢の中で、ショーの続きを見ているのか。
ひょっとしたら、自分達が主人公になって動物達と舞台に立つ夢を見ているのかも知れない。

 エルオーネは、すぅすぅと眠る弟をちらりと見遣って、小声でレオンに尋ねた。


「ねえ、レオン。あのライオン、本物なのかな?」


 舞台に登場したライオンは、立派な体格に、王冠のような鬣を頂いていた。
正しく言い伝えられている古の動物が再び降臨したかのような雄々しさすら感じられたからか、スコールはあのライオンがすっかり本物だと信じているらしい。
が、レオンもエルオーネも、“絶滅した動物”がそう簡単に現代に甦った事が信じられる程、無邪気ではない。

 レオンは、妹の背中で眠る幼い弟を見遣って、妹と同じように苦笑して声を潜める。


「いいや。あれは多分、クァールだ」
「クァール?」
「エスタやイヴァリースにいる魔獣で、とても賢いんだ。雄が一頭、雌が複数の群れで生活しているんだったかな。長い髭があっただろう?確か、あれがクァールの特徴だった筈だ。鬣は、クァールにはないから、作り物だろうな」


 クァールは美しい体毛と、均整の取れたしなやかな体躯を持った魔獣で、その姿形の美しさから、“美獣”の異名で呼び名わされている。
身体能力は勿論、頭脳も群を抜いて発達しており、プライドも高い。
一部の地域では、その美しさ故か、神の使いとして今も崇められている。
反面、美しい体毛や、細く丈夫で魔力伝達の効率が良い髭や尾毛など、非常に高値で取引される為、乱獲された時代もあったと言う。

 ライオンとはっきり違う点は、雌同様、雄に鬣がない事と、長く伸びた髭だ。
そしてライオンは“動物”であり、クァールは“魔獣”。
魔獣は強い魔力を操る事が出来る獣なので、動物とははっきりと線が引かれるのである。


「小さなライオンは?あれもクァール?」
「クァールキャットと言う小型のクァール種がいたと思うから、それじゃないかな」
「ふぅん。じゃあ、やっぱり……本物じゃないんだね」


 少し残念そうに、けれども判っていた事だと、エルオーネは小さな声で呟いた。
栗色の瞳が、背中で眠る小さな弟を見遣って、


「スコールには、内緒だね」
「ああ」


 本物のライオンが見れた、逢えたと喜んでいたスコール。
ライオンに心惹かれて已まないスコールにとって、これがどんなに嬉しい出来事だったのか、レオンにもエルオーネにもよく判る。
成長すればいずれは理解してしまう事だから、無邪気な今は、幻でも、大好きな動物に逢えた喜びに浸っていて良いだろう。

 オレンジ色の海の向こうで、沈みゆく太陽を横目に、辿り着いた家の玄関を開ける。
すやすやと眠る弟達をリビングのソファに寝かせると、レオンとエルオーネは窓辺のテーブルに落ち付いた。
腹を空かせたスコールとティーダが起きるまで、二人が一時の眠りにつくまで、そう時間はかからなかった。



バラムに動物園はなさそうなので、来て貰いました。
ちびっこ大はしゃぎ。だから帰る時には、いつもはしゃぎ疲れて、お兄ちゃんとお姉ちゃんの背中でおねむです。
レオンとエルオーネにも、良い思い出になりました。