ボーイズ・スクール・ライフ


「いたー!エッジ発見!」
「捕まえろー!!」
「お?」


 ドドドドドッ!と言う勢いで、十人近くのクラスメイト達が校舎から飛び出してきたのを見て、エッジは目を丸くした。
鬼気迫ると言わんばかりのその形相に、レオン、エッジ、ロックの三人は本能的に動く。
エッジは照明灯のポールの上へ、ロックは階段端へ、レオンはスコールとティーダを抱えてロックと反対側の階段端に飛び退いた。

 レオン達が立っていた場所に、十余人の生徒達が雪崩の如く滑り込む。
一番下になった生徒は大丈夫だろうか。
レオンとロックは、半ば他人事のように、もうもうと篭る粉塵の中で呻いているクラスメイト達を眺めて思う。
エッジも片腕でポールにぶら下がり、折り重なっている少年達を見て、大丈夫かよ、と小さく呟いた。


「くそっ……ど、どこ行った?」
「あそこだ!」
「エッジー、下りて来ーい!」


 ばらばらと起き上がった生徒達は、エッジが掴まっているポールを囲み、口々にエッジに投降を迫る。


「なんだよ、お前ら。いつもレオンとロックに任せきりにしてる癖に、今日は妙に殺気立ってるじゃねえか」
「だなぁ……何かあったのか?」


 エッジと階段端に避難していたロックが問うと、一人の生徒がエッジを指差して言った。


「お前を捕まえた奴には、地理の成績が上乗せされるんだ!」
「……はぁ?ンなの、聞いてねえぞ」
「…俺達も聞いていない」
「さっき決まったんだよ」


 ───普段、この捕物はレオンとロックの二人に丸投げされている。
エッジの行動パターンを知っているのがこの二人であり、瞬足で知られる彼を捕まえる実力を持っているのが、レオンとロックだけだからだ。
レオンは足の速さはエッジに及ばないものの、運動神経は生徒の中では群を抜いており、戦闘訓練の授業でもエッジと互角に渡り合い、打ち負かしている事も少なくない。
ロックはガーデンの内部構造の殆どを把握している為、エッジが知らない通り道や、ショートカットコースを知っている。
当然、エッジがよく利用している隠し通路の類も熟知しているので、彼の逃亡コースを予測し、先回りして待ち伏せ、捕獲する事が出来るからだ。

 しかし、幾らレオンとロックがエッジ捕縛について優秀とは言え、広いバラムガーデンに隠れている人間を見付けるのは、簡単な話ではない。
エッジも二人が自分を捕まえに来る事は知っているから、あっちへこっちへと移動して逃げ続けると言う事もある。
そうなると捕まえるには時間がかかる。
特に、エッジが隠れる事を止め、ただ只管走り続けて逃げるとなると、二人がかりでも追い付く事は難しくなり、エッジの体力が尽きるまでの根競べとなってしまい、捕縛まで更に時間を要する事になる。

 教員達としては、早くエッジを捕縛して、正規の授業を始めたいと思っているのだが、エッジが逃げ続ける限りはそれも叶わない。
無視して始めれば良いのに、と言う者もいるが、それが重なっての捕物なのだ。
これ以上は見過ごせない、厳罰処分を課さねば他の生徒への示しも付かないので、連帯責任と称してクラス全員にエッジ捕縛を命じるのだ。

 が、これに生徒が全く乗り気ではないから、事は一向に改善されない。
よりにもよって相手がエッジだと言うのが、他の生徒達のやる気を削いでいるのだが、だからこそ生徒達にはより結束してエッジの捕獲に当たって欲しいと思う。
教員十人を軽く煙に捲いてしまう彼を捕えるには、倍以上の人員を使って包囲網を敷くしかない。
なんとかしてやる気を出して貰わねば困る、と考えあぐねた末、教師は『見つけられなければ全員の成績を引く』と言う乱暴を決行した。
が、やはり生徒達のやる気の無さは変わらず(偶に責任感の強い生徒もいるが、一分もすれば撒かれている)、レオンとロックの二人が策を弄じて、授業時間一杯を使って捕縛するのが精一杯。
更なる現状打破の方法が必要とされていた。

 そして、遂に教師たちは実行したのだ。
『見つけられなければ全員の成績を引く』と同時に、『エッジを捕えた者には、潰れた教科授業の成績を上乗せする』として、生徒へ発破をかけたのである。


「そう言う事だから───俺の成績の為に犠牲になれ、エッジ!」
「いや、俺だ!」
「私よ!」
「僕だ!」


 張り合い始めたクラスメイト達を見て、レオン達は教員の思惑が裏目に出ている、と思った。
彼等はクラスメイト達を団結させ、逸早くエッジを捕縛させようとしたのだろうが、成績に目が眩んだ生徒達が争ってしまっている。
眼が血走っている生徒等は、地理の成績が絶望視なのだろう、このチャンスを逃してなるかと鬼の形相だ。

 喧々囂々としているクラスメイト達を遠目に眺めながら、レオンは呆れて溜息を吐く。
そんな兄を、両脇に抱えられている弟達が見ていた。


「レオン、溜息吐くと幸せが逃げるって」
「ママ先生が言ってたよ」
「……ああ……うん、そうだな。気を付けるよ」


 上級生たちの喧騒の理由など、まだまだ幼い弟達には判るまい。
レオンはもう一度漏れそうになった溜息を飲み込んで、騒ぎ続けているクラスメイト達を見た。


「……不毛だな」
「まあなー。でも、これが数学とか魔法化学だったら、俺もあそこに加わってるかな」


 苦手科目を並べて、暗に成績が不味い状態である事を示唆するロックだが、レオンはそれにも同調できない。
レオンにも苦手な科目と言うものは存在するが、それを克服する為に頭を捻りながら勉強しているのだ。
その甲斐あって、レオンの成績は優秀で、エッジやロックからは何度も羨ましがられている。

 傍観者になっているレオン達を尻目に、生徒達は仲違いは後回しだと結論を着けていた。
今は何より、エッジの捕縛が優先である。


「エッジ!降りて来い!」
「冗談じゃねえ。お前らの成績の為に、なんで俺が生贄にならなきゃなんねえんだよ」
「そもそもあんたが逃げ回ったりしなかったら、私達の成績が無理やり減点される事だってないのよ!」
「あー……そりゃあそうだけどなー……」


 女子生徒の言葉に、これは返す言葉がなかったのだろう、エッジはポールの上で頭を掻く。


「でも、今までレオンとロックに丸投げして収まってたろ。これからもそれで良いじゃねえか。俺も適当な所で自首するからさー」
「それじゃ俺達はお前に振り回されてるだけじゃないか!」
「俺を探すフリして、図書室で女とイチャイチャしてる奴に言われてもなー。説得力ねぇよ。そっちの女子はさっきまで食堂でケーキ食ってただろ」


 エッジの捜索と言う体で、授業中である筈の時間に教室を離れる事を楽しんでいる生徒は、少なからず存在する。
真面目にちゃんと授業を請けたいと望んでいる生徒もいるが、大抵の生徒は、イレギュラーの休憩時間を楽しんでいた。
中には、不定期に起こる大捕物の時間を楽しみにしている生徒もいて、今度はいつやるんだ、何をするんだ、と嗾ける生徒もいる。
特に今日のような退屈な授業は、後で補習になるとしても、潰してしまって欲しいと思っている者は少なくない。
エッジのサボタージュにより、教師達には嘆かわしい事に、生徒達の希望は叶えられていたのである。

 その辺はどうなんだ、と問うエッジに、ケーキの買い食いを指摘された女子生徒は、きっぱりと胸を張って言った。


「それはそれ、これはこれです」
「ひでーな。人間、欲に目が眩むとこれだけ人が変わるってか」


 正に掌を返したと言うクラスメイト達の態度に、エッジは寂しげに目を細めて言った。

 これには流石に堪えたか───と遠目に見てるレオン達は思ったが、直後、ポールにぶら下がっていたエッジが腕の力だけで大きく伸びあがり、ポールの天辺にある照明灯の上に立つ。
腕を組んで足を開き、堂々たる立ち姿を見せて、エッジは言った。


「そんな理由でこっちも捕まる気にはならねぇからな。そんなに成績が欲しけりゃ、お前ら、実力で俺を捕まえてみな!」
「何を!こっちにゃレオン達がいるんだぞ!」
「……え?」
「俺達頼りなのか。良いんだか悪いんだか」
「おいおい、言っただろ。お前らの実力で俺を捕まえろってんだ。レオンとロックが俺を捕まえたって、お前らの成績にゃ何のプラスにもならねえだろ。俺はあいつらに捕まったら、正直にあの二人に捕まったってセンセーに言うぜ。だから成績が欲しけりゃ、自力で俺をセンセーの所まで連れて行けって言ってんだよ。まっ、出来るもんなら、な」


 最後にこれでもかと言わんばかりの嫌味な口振りで挑発したエッジに、ポールを囲む生徒達から凶暴なオーラが溢れ出す。
これは不味い、とレオンはロックを促し、階段下のグラウンドへと急ぎ、集団から離れる。


「言ったな!絶対捕まえてやる!」
「つーか、もう捕まえたも同然なんだぞ。こんな状況でどうやって逃げるつもりなんだ?」


 エッジが上っている照明灯のポールは、階段の踊り場の真ん中に立っている。
踊り場はそれなりに広いが、地面はポールを囲む生徒達に占領されていた。
校舎からは数メートルの距離がある為、飛び移るのも容易ではあるまい。
階段の周囲には木が植えられているが、どれも背が低く、足場にするには枝が細い。
エッジならば一足で人垣を飛び越える事も可能だが、校舎に入るには小さな入口が一つあるだけで、その前には待ち伏せ役の生徒が二人。
グラウンドは視界を遮るものがなくて、身を隠せる場所がない。
飛び出して着地した瞬間なら、クラスメイト達にもエッジを捕えるチャンスがあるだろう。

 だが、それでエッジが捕まるのならば、ガーデンの教師達が手を煩わされる事はないのだ。
こうなって寧ろ活き活きとして逃げ果せるから、エッジはガーデン一の問題児として名を知られているのである。

 ポールの上で、エッジはにやりと凶悪な笑みを浮かべる。
付き合いの深いレオンとロックは、この時点で既に嫌な予感を感じていた。
なるべく巻き添えを食わないように、もう少し離れよう、と後ずさりをした所で、エッジは制服のジャケットの内ポケットから取り出した何かを握って、頭上へと振り被り、勢いよく地面に向かって叩き付けた。


「忍法・煙玉ァ!!!」


 ぼふんっ!!と火薬の炸裂と共に、粉塵が煙と共に舞い上がり、ポールを囲んでいた生徒達を覆い尽くす。
もうもうと立ち込める粉塵は、生徒達の視界を埋め尽くし、細かい粒子が目や鼻に沁みて痛みとなって襲ってくる。


「いって、いてぇ!鼻、目っ!」
「あんだこれ…ぶえっきし!」
「辛っ!痛っ!唐辛子!?」
「こ、コショウみたいな……へっくしゅん!」
「げほっ、げほっ、やだぁ!」


 咳き込み、くしゃみをして悶絶する生徒達。
その声は、強い風が粉塵を吹き飛ばしてくれるまで、延々と続いた。

 ようやく粉塵が消えても、唐辛子や胡椒などの強い香辛料によってダメージを食らった目や鼻は、容易く回復してはくれない。
涙や鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を、制服の袖やティッシュで拭きながら、生徒達は件の犯人を捜すが、時既に遅し。


「あっ!エッジがいない!」
「逃げたのよ!」
「くそぉっ、何処だー!」
「絶対捕まえろー!」


 ドドドドドッ!と校舎に駆け戻って行く生徒達の後ろで、まだ粉塵の影響を受けている生徒達がいた。
グラウンドに逃げたレオンとロック、そしてレオンに抱えられていたスコールとティーダである。
彼等の逃げた先が風下だった為、流れた粉塵に巻き込まれてしまったのだ。


「げほっ、ごほっ……エッジの奴…!」
「っあ〜……目ぇ痛っ。唐辛子入りとか、この前より凶悪になってるじゃんか」
「ふぇう、えっ、えっくしゅ!くしゅんっ!」
「ん、くしゅっ、くしゅんっ。ん、ん、くしゅっ」


 頭を振って粉塵を嫌ったレオンとロックは、無人になった階段───風上へと逃げた。

 ようやく痛辛い空気から逃れると、レオンは両脇に抱えていた弟達を下ろしてやった。
幼い弟達は、粉塵に含まれた唐辛子や胡椒、他諸々の刺激物を思い切り吸引してしまった為、顔中を涙と鼻水と涎塗れにしている。
レオンはポケットに入れていたティッシュで、自分の目や鼻を軽く拭いて、弟達にも顔を拭くように促す。
が、二人はくしゃみが全く止まらず、それ所ではなかった。
仕方がないので、レオンの手で二人の顔を拭き、ティッシュを鼻に宛ててやる。


「ほら、スコール。ちーん」
「ん、ふーっ……ふ、ふぁっ、くしゅっ」
「ティーダも。ちーん」
「ん、ぶーっ!ふ、んぷっ!」


 遠慮がちなスコールと、豪快に鼻水を押し出すティーダ。
それぞれの鼻を綺麗なティッシュで拭いてやりながら、ハンカチで目許を拭くようにもう一度促した。
二人は兄に言われた通り、ポケットに入れていた自分のハンカチで、ごしごしと目を擦る。

 ロックもティッシュで顔を拭いたが、目に粉塵がこびり付いているようで、滲む涙を何度も擦る。
服にもまとわりついていそうな粉塵を嫌って、制服の上着を脱いで叩く。


「どうするんだよ、エッジの奴。あんなに焚き付けて」
「……放っておいて良いだろう。楽しんでるようだから」
「エッジはそれで良いけどさ。他の奴らがなぁ……成績がかかってるってのもあるんだろうけど、必死過ぎて怖いトコあるぞ」
「余り暴走するようなら、ヤマザキ先生かカドワキ先生に怒られるだけだ。俺はあの先生達に怒られるのは御免だから、皆が落ち付くまでは関わらない事にする」
「ああ、それは俺も御免だな。───さて、チビ達は巻き込んで悪かったな。大丈夫か?」


 ロックは膝を折って、顔を拭いていたスコールとティーダに目線を合わせて言った。
ティーダが痒みの残る顔をごしごしと擦りながら、こくりと頷く。
よしよし、とロックがティーダの頭を撫でた。

 レオンはスコールとティーダの服を軽く叩いて、くっついているであろう唐辛子や胡椒の粉を落としてから、二人の服の崩れを直してやる。


「スコール、ティーダ。お前達は授業に戻れ。俺達も授業中だから」
「授業中?」
「鬼ごっこしてるんじゃないの?」


 首を傾げる弟達の言葉に、レオンは苦笑いするしかなかった。
捕まえるだの捕まらないだの、確かにあの遣り取りを見るに、───鬼気迫る雰囲気さえ除けば───追いかけっこをしているように思われても無理はない。

「何してるの?」と真っ直ぐな瞳で問う弟達に、何と言ったものかとレオンは頭を悩ませる。
気にしなくて良い、と言った所で、弟達はきっとこの出来事を覚えていて、家に帰ったら訊ねて来るに違いない。
かと言って、まさか答案用紙泥棒を捕まえる為の大騒ぎだ等と格好の悪い事は言えない。
何と言って誤魔化そう、とレオンが考えていると、


「そう。俺達のクラスは今、授業で鬼ごっこをしてるんだよ」
「そんなのあるの?」
「いいなー、俺もやりたい!」
「おい、ロック」


 いい加減な事を、とレオンが窘めようとすると、ロックが視線で「静かに」と言った。
首を傾げるレオンを尻目に、ロックは続ける。


「中等部以上になると、魔物と戦う為とか、逃げる為の授業があるって知ってるか?」
「うん。エル姉ちゃんが言ってた」
「この鬼ごっこ授業は、それなんだよ。鬼役は魔物から逃げる、俺達は鬼役を追い駆けながら、戦う方法だったり、皆と協力する方法だったりって言うのを勉強するんだ」
「ふぅん…?」
「だから、俺達は今、遊びでやってるんじゃないんだ。授業なんだよ。だからさっきの奴も、全力で逃げたし、皆も必死で追いかけてるわけ。だからお前達は、今の時間にガーデンを歩き回ってる人にはなるべく近付かないようにな。さっきみたいに巻き込まれると危ないから。判ったか?」
「はーい」
「はぁい」


 ロックの確認に、ティーダが右手を挙げ、スコールはこくんと首を縦に頷かせて返事をする。
どうやら納得したらしい。
素直な子で良かった、とレオンがほっと安堵する傍らで、ロックが「これでOK」と言うようにウィンクする。


「ほら、そう言う訳だから。お前達も早く授業に戻りな」
「……そうだな。ティーダ、面白い虫を一杯探すんだろう?頑張れよ」
「うん!」
「スコールも頑張れ。転んだりしないように気を付けるんだぞ」
「うん。お兄ちゃんも、鬼ごっこ頑張ってね」


 レオンとロックに促され、スコールとティーダは手を繋いでグラウンドへと駆けて行く。
どうやら、グラウンドの虫を探しに行く途中で、幔幕の上で眠るエッジの影を見付け、立ち止まっていた所だったようだ。

 元気で無邪気な子供達を見送って、ロックがレオンへ向き直る。


「で、どうする?エッジの方はしばらくあの調子だろうし。テストの事はよく判らないけど……手ぶらで教室に戻っても、先生がいたら大目玉だ」


 成績上乗せに目が眩んだ生徒は、恐らくあの場にいたメンバーだけではあるまい。
実力行使で捕えんとした者が我先に押し寄せただけで、知略を巡らせてガーデン校内で徒党を組んでいる者もいる筈だ。
事の発端である今日の地理授業の教師は、何かと生徒のアラを見付けては、成績をマイナスさせる事で知られている。
抗議しても殆ど取り合ってくれない為、こうした機会でもなければ、一部の生徒は成績を取り戻す事が難しい。
それを鑑みるに、クラスの半数以上はエッジ捕縛に名乗りを上げているのではないだろうか。

 レオンとロックは、これと言ってエッジの心配はしていなかった。
余りにも危険な状況に陥りそうなら、友として助け船を出そうとは思うが、泥棒行為もサボタージュも感心できたものではない。
教員からの説教は受けて然るべきものだと思うので、その点に関しては庇うつもりはなかった。
適当にほとぼりが冷めるまで待って、その時にもエッジがまだ捕まっておらず、 自首する気もないのであれば、捕縛に乗り出すつもりだ。

 ロックが問うているのは、それまで何をして過ごすか、と言う事。
授業中である筈の高等部生が、意味もなく廊下をうろついている(エッジ捕縛の為に教師から借り出された身ではあるが)のは、良くも悪くも目立つ。
エッジ捕縛に意欲的でない今、生徒指導の教員にでも見つかると、それはそれで面倒だ。
かと言って、怒り心頭が続いているであろう教師が待つ教室に、手ぶらで帰れる筈もなく。

 レオンは校舎へ戻る足を動かしながら考えた後、エッジが終始手ぶらでいた事を思い出し、


「エッジは知らないと言っていたが、答案用紙を探してみよう。テストが見当たらなくなっているは確かなようだし」
「ああ、それがあったか。じゃあ、レオンは食堂側、俺は保健室側から、分かれて探そう」
「見付けたら連絡する」
「判った。じゃあ、巻き込まれないように気を付けてな」
「お前もな」


 また後で、と手を振って、校舎には行ったレオンとロックは廊下を右と左に分かれて進む。

 エレベーターを挟んで、丁度グラウンドと反対位置にある図書室の方から、何やら賑やかな声が聞こえてきた。
どうやら、大捕物は今までに類を見ない程の大盛況にあるらしい。
盛り上がり過ぎて色々壊さなければ良いけど、と思いつつ、レオンは食堂へと続く廊下を進んで行った。




 折を見てはロックと連絡を取り合い、確認し合いながら答案用紙を探し続けたレオンだったが、ガーデン施設を幾ら巡って見ても、目当ての物は見付からなかった。
エッジとクラスメイト達も、逢い変わらず大捕物を続けている。
地道に本棚やテーブルの下、図書室では本と本の隙間まで調べているレオンとロックに対し、大捕物は非常に騒々しくなっている。
そろそろ誰かの雷が落ちるんじゃないか、と思いつつ、レオンは何度目かになる保健室の捜索を続けていた。

 テーブルやベッドの下だけではなく、ベッドマットの下まで探すレオンを、保険教諭のカドワキが眺めている。
今は保健室を利用している生徒はいない。
だからカドワキは、探し物をしていると言うレオンを咎める事なく、自由にさせていた。
レオンは触った物は元に戻すように勤めているので、探し物に託けて保健室を荒らされる、と言う心配はしていなかった。

 引っ繰り返したベッドマットを元に戻し、捲れたシーツも綺麗に整えて、レオンはふう、と溜息を吐いた。


「本当に、何処に行ったんだ…?」


 独り言を呟いて、レオンはベッドルームを出た。
腕を組んで眉根を寄せているレオンに、何かの書類を書いていたカドワキが顔を上げる。


「本当に、あんた達は毎日毎日、飽きないねぇ。今日もいつものあの子かい?」
「……はい。すいません、いつも騒がしくして」


 からからと楽しげに笑って言ったカドワキに、レオンは眉尻を下げて詫びる。
すると、構わないよ、とカドワキは言った。


「悪戯やって逃げ回る位元気があるのは良い事さ。保健室に他の子がいる時には来ないし。分別はついているようだからね」
「だと、良いんですけど」


 教員へのやり過ぎた悪戯や、盗み行為はやってはいけない事なのだが……とレオンは思いつつ、カドワキに一度頭を下げて、保健室を後にした。

 また空振り、と成果の上がらない答案用紙捜索に、レオンは溜息を吐いた所へ、


「レオン、どうだった?テスト見付かったか?」


 レオンと同じく、何度目かの図書室の捜索を終えたロックが駆け寄ってくる。
レオンが首を横に振ると、ロックは先のレオンと同じように溜息を吐いた。


「参ったな。エッジの奴が隠しそうな場所は大体探したし、それ以外の所も結構探したんだけど」
「駐車場には車がないから、隠せる所もないし……」
「寮のあいつの部屋も見たんだけど、見付からなかった。何処か見落としたかな?」


 廊下の端にあったベンチに腰を下ろして、レオンとロックは揃って唸る。
何処か新しい隠し場所を見付けたのだろうか。

 エッジの友人である二人としては、捕縛の末に彼が長時間の説教に合うのは当然の事としても、ついでとばかりにエッジが起こした訳ではない事まで、彼が責任を押し付けられると言う事態は避けたい。
その為にも、行方知れずとなっている答案用紙を探し出して、怒り心頭であろう教員に返却しなければならない。
それさえあれば、エッジが濡れ衣を着せられる事もないし、説教中の教員を学園長であるシド・クレイマーが宥めに行く切っ掛けにも出来る筈だ。

 しかし、レオンとロックの努力も虚しく、答案用紙は何処かに消えたまま。
エッジに訊ねようにも、彼は知らないと言っていたし、今はクラスメイト達との鬼ごっこに忙しく、呼び止める暇もない。
あの時───レオン達が最初に答案用紙の所在について尋ねていた時───、クラスメイト達が雪崩れ込んで来なければ、話が聞けたかも知れないのに……と愚痴めいた事を考える。


「なあ、授業始まって何分経った?」
「……30分。このままだと不味いな」


 高等部生の授業時間は50分───その半分以上が終わってしまった。
残り20分で答案用紙を探し出し、その後にエッジも捕まえると言うのは、中々厳しいものがある。

 ばたばたと騒がしい音が近付いて、二人が音のする方向を見遣れば、エッジがあっと言う間のスピードで駆け抜けて行った。
それから遅れること十秒弱と言うタイムで、クラスメイトの男子達が走り過ぎて行く。
廊下は走っては行けない、と言う風紀に関しては、気にする者は誰もいないようだ。


「エッジの奴、走って振り切る気か。鬼だな、あいつ」
「まだ大分余裕があるな」
「追い駆けてるの、男ばっかりだったな」
「女子でエッジに追い付けるのは、うちのクラスにはいないからな」
「うちのクラスに限った話じゃないし、男でも追い付けないだろ。お前が無理なんだから、皆無理だよ」
「お前は俺より足が速いだろう」
「あんまり変わらないよ。あ、周回遅れ」


 レオンとロックが眺める傍らで、エッジが自分を追い駆けるクラスメイト達を追い抜いて行く。
人垣の隙間を通り抜ける彼を捕まえようと、集団が団子になって行くか、一歩遅く、エッジは既に人垣を擦り抜けていた。

 レオンは腕時計でもう一度授業の残り時間を確認し、エッジを捕まえて、改めて答案用紙について訊ねた方が早いか、と判断する。
授業は既に半分以上が潰れているし、此処まで逃げ回って捕まれば、エッジも更に逃げようとはするまい。
隣に座っていたロックも、同じ考えに行き着いていたらしく、


「しょうがない。捕まえるか」
「……そうだな」


 腰を上げたロックに続いて、レオンも立ち上がる。

 走り回るエッジを捕まえるのに、真正面から無策で挑んでも、先ず捕まえられない。
今からレオンとロックが参加しての持久戦となれば勝ち目はあるが、残り時間と答案用紙捜索の手間を考えると、時間一杯まで粘られる訳には行かない。
手っ取り早く彼を足止めする方法を考えなければ───と、二人が有効策を考えていた時だった。


「うぉおおおっ!」
「危なーい!」


 引っ繰り返ったエッジの声と、女子生徒の悲鳴混じりの甲高い声が続き、レオンとロックは顔を見合わせた。
何かがぶつかり合ったような音も聞こえた気がするが、余り大きくはない。
音の種類からするに、ガラスに突っ込んだと言った物騒な事態は起きなかったようだが、その後、しんと一階全体が静まり返ったのが酷く不気味さを煽る。

 時間を動かしたのは、子供の鳴き声だった。
わああああん、と響いた聞き覚えのある二つの声に、レオンは考えるよりも先に体が動いた。
声のする方向へと走り出したレオンを追って、ロックも走る。

 場所は図書室に繋がる分かれ道の手前で、男子生徒達が山のように折り重なっている。
女子生徒達が駆け寄って、目を回しているクラスメイト達に声をかけていた。
その傍らで、茶髪と金髪の二人の子供がわんわんと声を挙げて泣き、女子生徒に慰められている。


「スコール!ティーダ!」


 泣いている子供達の名前を呼ぶと、二人が涙に濡れた顔をこちらに向けて、またわんわんと大きな声で泣き出した。


「おにいちゃぁぁああん!」
「レオンー!わぁああぁあん!」


 駆け寄って来た二人を受け止めれば、スコールとティーダは目一杯の力でしがみ付いて来た。
泣きじゃくる弟達を抱き締めながら、二人の身体に怪我がない事を確かめる。

 追い付いてきたロックが、惨状を見て目を丸くした。
山になっている男子生徒と、それらを介抱している女子生徒は、エッジを追い駆けていたクラスメイト達だ。
男子生徒の一番下には見慣れた銀髪が覗いており、ロックは慌てて其処に駆け寄った。


「おい、エッジ。エッジ!大丈夫か?」
「……う、お……おお……」


 のろのろと顔を上げたエッジは、体も持ち上げようとしたが、折り重なる生徒達に潰されて敵わなかった。
なんとか抜け出そうともがいてみるが、十数人の生徒が乗っていては、余程の怪力でなければ押し退ける事は出来まい。

 ロックは女子生徒達と一緒に、気絶している男子生徒達を一人一人退かして行った。
意識のある者は自分で保健室に行って貰い、気を失っている者は後で運ぶ事にして、先ずは埋もれているクラスメイト達を救助しなければならない。
レオンも手伝ってくれ、と言おうとしたロックだったが、泣きじゃくる弟達にしがみ付かれて動けない彼を見て、諦めた。

 上に重なっているクラスメイト達が退かされて行く間に、エッジは首だけを巡らせて、レオンと泣きじゃくっている子供達を見る。


「あー……怪我、してねえみたいだな。良かった良かった」
「えっ、ふえっ、えっ……うえぇえええん……」
「……でも怖がらせたな。悪かった、チビ共」


 苦笑いして謝るエッジに、スコールとティーダの声が小さくなる。
ひっく、ひっく、としゃくり上げながら潤んだ瞳で見下ろす二人に、エッジは眉尻を下げて、ごめんな、と笑って見せた。

 すん、と鼻をすする音を聞きながら、レオンは級友へと振り返り、


「一体、何がどうなったんだ?」
「うん、まあ、ちょっとな。チビ共を避け切れそうになかったから、慌てて止まろうとして、玉突き事故、っつー感じ」


 上に乗っている生徒が全員退かされて、エッジはようやく立ち上がった。
押し潰されていた背中や足を解している所を見ると、彼自身に大きな怪我はないようだ。

 詳しい状況をレオンに聞かせてくれたのは、スコールとティーダを慰めていた女子生徒だった。
事は逃げ回っていたエッジとそれを追う男子生徒の集団の下へ、図書室へと続く通路から現れたスコールとティーダが出くわした事に因る。
エッジは自分を追う後方を気にして走っていた為、通路の分かれ道から姿を見せた二人に気付くのが遅れてしまった。
そのまま走れば衝突、小さな子供達を跳ね飛ばしてしまう上、後続の集団に踏み潰され兼ねないと判断して急ブレーキをかけたのは良いが、背後を追っていたクラスメイト達が渋滞して衝突、そのまま山の下敷きになってしまった───と言う事だ。

 レオンが話を聞いている間に、スコールとティーダは落ち付いていた。
まだ鼻を啜ってはいるものの、涙は止まったようで、レオンと女子生徒が渡したティッシュで顔を拭いている。


「エッジがスコール達を庇ってくれたんだな。ありがとう」
「へっ。別にそんなのじゃねーよ」


 レオンの言葉に、エッジは素っ気なく言ったが、その頬は微かに赤らんでいる。
エッジは礼を言われる様な事ではないと言うが、彼は十人近くのクラスメイトに背中を押されながらも、スコールとティーダが巻き込まれないように踏ん張った。
二人が怪我もなく無事でいられるのは、エッジのお陰なのだ。
エッジが巻き起こした大仰な鬼ごっこのお陰で、二人が危険な目にあったとも言えるが、それは言うまい、とレオンは小さく笑う。

 エッジは辺りの惨状を見回すと、流石にこのまま逃げ果せる訳には行かないと思ったのだろう、伸びているクラスメイト達を保健室に運ぶロックを手伝う事にした。
近くにいた生徒を抱え起こしているエッジを見て、レオンははっと思い出す。


「エッジ。お前、本当に答案用紙を知らないか?」
「…またそれか?答案用紙なんか俺は盗んでないって」


 レオンの問いに、エッジは唇を尖らせて言った。


「お前はそう言うが……テストがなくなっているのは本当らしいんだ。だから、お前が犯人でも、そうじゃなくても、なくなった答案が見付からないと先生も気が済まないと思うんだ。早く見つけて返して置きたいんだが……何か心当たりはないか?」
「だから、テストなんか俺は────あ、」


 否定する言葉を途切れさせ、視線を上に向けて何かを思い出した様子のエッジに、レオンが反応の続きを待つ。


「心当たりっつーか……あれかな。昼休憩の時にセンセーに呼び出されて職員室に行った時、机の上に置いてあったからさ。ちょっと触った。それだけだな、持ち出したりなんかしてねぇよ。見終わったらちゃんと片付けたし」


 あの抜き打ちテストは、皆頭を抱えて解いていたので、返される日を憂鬱に思っている生徒は少なくなかった。
そんな生徒達に代わり、一足先に見てやろう、と思ったのだとエッジは言う。


「……そう言う事をしているから、何か事件があると真っ先に疑われるんだぞ」


 呆れたレオンに、エッジは目の前にあったから仕方ない、と開き直って言った。

 じゃあまた後で、とレオンに手を振って、エッジは気を失っているクラスメイトを抱えて、保健室へと向かった。
それを見送りながら、状況が判らないのだろう、きょとんとしているスコールとティーダを廊下端のベンチに座らせ、レオンは今尚見付からない答案用紙の行方について考える。

 昼休憩の最中と言うなら、今から丁度一時間前になる。
タイミングで考えるに、答案用紙が盗まれたと発覚する直前と見て間違いない。
その時にエッジが教職員室にいた事、彼の退室と前後して答案用紙が見当たらなくなったので、彼が盗んだ、と言う結論に至ったのだろう。

 バラムガーデンの教職員室は、レオン達が勉学に励む教室が並ぶ二階の一つ上のフロアに存在している。
フロアが違うとあってか、用事がない限り、生徒の多くは教職員室には近付かなかった。
その為、教職員室を出入りする生徒と言うのも少なく、生徒が一人でも来れば、教職員室に残っている教員達には自ずと目に留まる。
恐らく、先の昼休憩では、エッジ以外の生徒の出入りがなかったのだろう。
となると、尚の事エッジが犯人、と言う指摘は免れない。


(……待てよ。エッジの奴、“片付けた”と言ったか?)


 ふと先のエッジの言葉を思い出して、まさか、とレオンは眉根を寄せる。
それを見ていた弟達が、きょとんと首を傾げていた。




 あれだけの大騒ぎになって、見逃される訳もなく、クラスメイト達を保健室に運んでいる間に、エッジは生徒指導のヤマザキの手でお縄となった。

 レオンは、スコールとティーダを二人の担任教師の下へ連れて行った後で、教職員室へ向かう。
エレベーターホールで昇降機の到着を待っていた所に、保健室でクラスメイト達の手当をしていたロックが合流した。


「レオン、エッジの奴、大丈夫かな」
「悪戯の事は叱られた所で気にしないだろうが……答案用紙の事はエッジとは無関係だからな。そっちを突かれたら、エッジの方も爆発し兼ねない」


 教師に叱られている時は、例えポーズと言えど、潮らしくしておいた方が解放も早い。
しかし、謂れの無い事まで自分の責任にされて黙っていられる程、エッジは大人しい性格ではない。
気に入らない事があれば真っ向から反論するのがエッジなのだ。
答案用紙紛失の件で濡れ衣を着せられれば、間違いなく教職員室は大荒れになるに違いない。

 エレベーターで学園長室と教職員室のフロアに挙がったレオン達は、教職員室のドアをそっと開けた。
僅かな隙間から中を覗き込んでみると、予想通り、教師の怒声とそれに言い返すエッジの声が聞こえる。


「だぁから!俺じゃねえっつってんだろ!」
「お前以外に誰がいる!正直に白状すればまだ赦してやったものを、いつまで白を切るつもりだ!」
「知らねーよ!あんたの不注意で捨てちまったとかじゃねーの!俺は関係ないってんだよ!」
「お前が答案用紙を見ているのが目撃されているんだ。昼に此処に来た生徒はお前しかいない。お前が盗んだに違いないんだ!」
「その決め付けを止めろっての!」
「なら、何処に答案用紙があると言うのだ!?」
「だから知らねえって!確かにテストは覗いたけど、その後ちゃんと机に戻した!それとも、誰か俺がテスト抱えて出て行くのを見たってのかよ!?」


 喧々囂々と繰り返される二人の遣り取りは、とても解決の為の話し合いをしているようには見えない。
教員はエッジが答案用紙を盗んだと殆ど決め付けているし、エッジはそれを反発と共に否定しているばかり。
教職員室に残って現場に居合わせてしまった教師達は、今にも殴りかかりそうな勢いのエッジに飲まれてか、すっかり傍観状態になっている。

 いつもなら、此処まで険悪になる前に、適当な所で学園長であるシドが割り込んで宥めてくれるのだが、どうやら彼は不在らしい。
学園長室だろうか、とも思ったが、此処まで騒がしくなっても出て来ないと言う事は、妻イデアと共に何処かに出かけているのかも知れない。


「……此処に入るの、俺、嫌だな……」
「……同感だ」


 ロックの呟きに、レオンも頷く。
しかし、このまま決着のつかない争いを見続けている訳にも行かない。
放っておけば、教員がどんな横暴をしてエッジを制裁しようとするか、判ったものではないのだ。

 レオンは一度ドアを閉じて、扉に背を預けた。
ふう、と呼吸を整える為に息を吐いたレオンに、ロックがそう言えば、と訊ねる。


「俺達、手ぶらで此処に来たけど、どうするんだ?答案用紙が見付からないと、エッジの濡れ衣も晴れないだろ」
「……大丈夫だ。大体、予想が付いたから」
「本当か?」
「ああ。全く、何処を探しても見付からない筈だ」


 溜息交じりに呟いた後、レオンは教職員室のドアをノックした。
中からは喧噪のみしか聞こえてこない為、恐らく誰もノックの音に気付いていないだろうと見て、レオンは「失礼します」と断りだけ入れて、改めてドアを開けた。

 ロックと共に教職室に入ったレオンは、迷わず真っ直ぐに、言い合いをしているエッジと仮面の教師の下へ急ぐ。
それを見た教師達が、今は止めた方が、と止めようとするが、レオンの足は進み続けた。
友人の気配に気付いて、エッジが不機嫌を宿した目でレオン達を見るが、教員の方は全く気付く様子もなく、エッジに余所見をするなと声を荒げている。


「先生、すみません。良いですか」
「今忙しい!話なら後で聞いてやる!」


 なんとも横暴な言い方にレオンとロックも眉根が寄り、エッジが更に険悪な表情をした。
飛び掛からんばかりに拳を握るエッジを、ロックが肩を掴んで止める。

 レオンは努めて落ち付いた声で、教師に問う。


「エッジが先週のテストの答案用紙を盗んだと言う話ですが……濡れ衣です。エッジは答案用紙を此処から持ち出してはいません」
「なんだと?なら、一体何処にあると言うのだ。確かに此処に置いていたのに、何処にも見当たらないんだぞ!」


 此処、と言ってデスクを叩く仮面の教師に、落ち付いて、とレオンは言った。
それからレオンは、ロックが羽交い締めで抑え込んでいるエッジに向き直り、


「エッジ。お前、テストの中身を見ていたんだよな。その時、手で持っていていたんだろ?」
「……おう」
「テストは最初、机の上に置かれていた。それを見付けて、先生が少し席を離れた間、手に持って見ていた。で、その後は?」
「センセーが戻って来たから、片付けたよ」
「何処に?」


 レオンの問いに、エッジが判り易く面倒臭い、と言う表情をして見せる。


「何処って、引き出しの中だよ」


 怒りからだろう、ふてぶてしい顔をしたエッジの言葉に、仮面の教師がぴたりと動きを止めた。
途端にしんと静まり返った室内の気配を感じ取って、レオンは溜息を吐き、ロックはしばし考えた後で得心したらしく、「そういう事ね…」と小さく呟いた。

 レオンは失礼します、と断ってから、仮面の教師のデスクの引き出しを上から順に開けて行った。
三番目の引き出しを開けると、一番上の真っ白なコピー用紙を被せたその下に、バインダークリップにまとめられた答案用紙が入っている。


「ありました」


 答案用紙を差し出して言ったレオンに、仮面の教師は何も言わず、用紙を受け取る事もしない。
仮面の所為で表情が判らないが、どうやら絶句しているようだ。
若しかしたら、見失ったテストをまともに探す事をせずに生徒に責任を擦り付けたのではないか、と言う視線が周囲から向けられている事を感じ取って、顔を真っ赤にしているのかも知れない。

 気の毒と言えば気の毒だが、レオンは同情はしなかった。
エッジの普段の行いに問題があるのは確かだが、きちんと探す事を怠り、思い込みで友人を盗人扱いされた事───エッジならやりそうだとレオンも思ってはいたが───には、少なからずレオンも業腹なのだ。
レオンは答案用紙をデスクに置くと、仮面の教師と向き合い、


「エッジが色々と問題を起こしているのは確かですが、やっていない事をやったと言われる筋合いはありません。増して、テストはちゃんと先生の机の中にありました。恐らく、エッジが自分がテスト結果を見ていた事をバレないようにするつもりで、引き出しに入れてしまったんだと思いますが……何れにせよ、先生が自分の机の中をちゃんと見ていれば、此処までの騒ぎにはならなかったと思いますよ」


 レオンの言葉に、ぐうの音も出なくなったのか、仮面の教師はわなわなと肩を震わせて唸るばかり。
教員が何かを言い出す前に、用事は済んだとレオンは踵を返した。
エッジは冤罪を免れたとは言え、濡れ衣を着せられた事が我慢ならないらしく、まだ言い足りないとばかりに憤慨していたが、ロックに押されて教職員室を出る事となる。

 ロックがエッジをエレベーターに押し込んで、レオンは教室のある二階へのボタンを押す。
下降を始めた箱の中で、エッジが床を踏んで判り易く苛々としているのを、レオンとロックは好きにさせていた。

 二階の廊下は静かなものだった。
五時間目の授業時間は、まだ10分ほど残っている。
レオン達のクラスメイトは、多くが保健室送りになってしまっているし、それ以外の生徒は各々落ち着く場所に散らばっている筈だから、授業が終わるまでは戻ってくる生徒も少ないだろう。
人気のない廊下を歩いているのはレオン、ロック、エッジの三人だけで、先頭を歩くエッジの歩調は完全に怒気を含んでいる。


「エッジ、濡れ衣については先生が悪いが、半分は自分の責任だぞ」
「普段から疑われる事ばっかりしてるからなぁ」
「判ってるよ。でもやっぱり最悪だったぜ。あの野郎、こっちの話なんてまるで聞かねえんだからよ」


 バラムガーデンの教員には、生徒の奔放さを寛容してくれる教師もいるが、厳しい教師も少なくない。
特に仮面を被った教師は生徒達に対する風当たりが厳しく、生徒の部活動すら勉学の邪魔だと言って無理やり廃部に追い込む事もあった。
バラムガーデンが自由な校風であるが故に、それを制そうとする教員が悪目立ちしているのは否めないが、もう少し柔軟になってくれないものか、と思う生徒は少なくない。
せめて、今日のような出来事があった時、此方の説明すらもシャットアウトするような態度は、反って生徒達の反発を招く事が目に見えているので、改善して欲しいと思う。

 レオン達が自分の教室に戻ってみると、廊下と同じく、無人であった。
エッジが自分の席に腰を下ろして、レオンがその隣に座ると、ロックも手近な席を借りてエッジを囲む。


「五時間目はもうこのまま終わりだろうな。先生もあの調子じゃ戻って来ないだろう」
「あのムカつく顔見たくねえから丁度いいぜ」
「顔は見えないだろ、仮面してるから」
「ンな事はどうでも良いよ」


 ロックの指摘に、顔を顰めるエッジ。
仮面の教師の話題そのものが、今のエッジにとっては腸が煮えるものらしい。

 しかし、いつまでも怒りばかりを腹に抱えていても仕方がないと思ったのか、エッジは溜息一つを吐いて、学習パネルに突っ伏した。
腹の中の煮えを無理やり追い出そうとしているのが判って、レオンとロックは顔を見合わせて苦笑する。

 そうだ、とエッジが顔を上げた。


「レオン。お前の所のチビ達は大丈夫だったのか?」
「ああ。怪我もないし、お前が庇ってくれた事も判ったみたいで、“ありがとう”と言っていた」
「ティーダだっけ?金髪の方は“虫のお兄ちゃん、ありがとう”って言ってたらしいぞ」
「……だからなんだよ、虫って」
「…子供の言う事だ。悪気はないから、流してやってくれ」


 ティーダが何を以てしてエッジを“虫”と認識してしまったのか、当の本人は経緯を知らない。
レオンは虫ではないと何度もティーダに言い聞かせたが、彼を見付けた切っ掛けが切っ掛けであった所為か、“虫のお兄ちゃん”と言う印象が強く残ってしまったようだ。
しばらくは修正は無理だろうな、とレオンも彼を諭すのは諦めた。
きちんとエッジの名前を覚えれば、その内呼び方も変わって行くだろう。

 子供達の自分の印象の可笑しさに首を捻ったものの、素直な子供達の感謝の言葉には、エッジも悪い気はしない。
心なしか頬を緩める級友の姿に、レオンとロックも小さく笑みを零していた。




優等生と言われているけど、反発もするし友人贔屓だってする。
気心の知れた友達がいるのは、良いものです。