この世界の為に出来ること after
後日談


 エルオーネは、犯人であった隣クラスの生徒について、レオンからゆっくりと説明を受けた。
全く身に覚えのない事で、一ヶ月にも渡って受けた苦痛に理不尽な怒りは沸くものの、それを何処かにぶつけようと言う気にはならない。
それよりも今は、不必要に周囲を警戒しなくて良い事、怯えなくて良くなった事が嬉しくて、その解放感に浸っていたいと思う。

 兄妹弟の休学は、犯人が判った翌週の月曜日まで続いた。
一週間ぶりにガーデンに顔を見せたエルオーネを、真っ先に迎えたのはレイラである。
顛末をレオンの友人から聞いたと言う彼女は、良かった良かったと言って泣いていた。
事情を知らない他の生徒達も、珍しいエルオーネの休学に心配を募らせていたようで、何があったの、とこぞって訪ねてきた。
ストーカー事件の事は、まだ余り思い出したくなかったので、説明する事は出来ない。
言い訳に詰まるエルオーネに代わり、レイラが適当な理由をつけて、クラスメイト達の質問攻めを交わしてくれた。

 シドとイデアには、事件の解決の後に礼の電話を入れたが、ガーデンに登校して改めて直接礼を言った。
休んでいる間に作ったクッキーをお礼にと渡せば、シドとイデアは笑顔でそれを受け取り、血色が良くなったエルオーネの頬を撫でてくれた。

 初等部では、揃って休んだスコールとティーダも、何があったの、と質問攻めを受けていた。
返す言葉に詰まったスコールの隣で、ティーダは「エル姉を守ってた!」と胸を張って言った。
クラスメイト達は首を傾げたが、ティーダは自信満々の表情で、それ以外の事は言わなかった。
スコールも一緒に守ったとティーダが言うので、子供達は首を傾げつつ、それ以上の質問は途絶える事となる。

 高等部では、誰も、何も、レオンに問わなかった。
事情を知っているエッジとロックは当然として、他の生徒達も何も訊ねようとしない。
最近、レオンの周り───主に家族を中心として───に何某かの事件が起きている事は、聡い生徒ならば気付いている。
同時に、それは容易く踏み込んで良い事か否かも、生徒達はぼんやりと感じ取っていた。
そして一週間の休学を挟み、久しぶりに登校してきたレオンには、「久しぶりに顔を見た」と言うだけに留め、授業の遅れを取り戻そうとする彼に、各々がノートを貸すだけであった。

 そして、事件が一応の終息となり、日常が取り戻されてから更に一週間後───昼休憩の時間に、エルオーネはレイラと共に食堂に来ていた。
二人はAランチセットを手に、きょろきょろと食堂内を見回す。


「えーっと……」
「レオン兄が一緒に待ってるんだよね」
「うん、そう言ってた」


 辺りを見回す二人の少女が探しているのは、レオンだ。
沢山の生徒が昼を過ごす食堂は賑やかで、たった一人の人間を見付けるのは骨が折れそうだった。

 が、人込みの隙間を縫って手を振る人物を見付け、少女達の表情がぱっと変わる。


「レオン!」
「レオン兄!」


 駆け寄ってくる二人の妹を、レオンは笑顔で迎えた。


「悪いな、呼び出して」
「ううん」
「レイラもすまない」
「良いよ。どうせ食堂にはご飯食べに来るんだしね」


 詫びるレオンに、エルオーネとレイラは小さく首を横に振って言った。

 レオンは二人分の椅子を引いて、座るようにと促す。
ランチセットを乗せたトレイをテーブルに置いて、エルオーネとレイラが座ると、エルオーネを挟む形でレオンも腰を下ろす。
お腹空いたな、とトレイを見たエルオーネだったが、此処に呼ばれた理由を思い出し、顔を上げた。
其処には、見事なブロンドの髪に小さなリボンを結んだ、精悍な顔立ちをした男が座っている。


「この間の件で、カメラを用意してくれた、大学部の先輩だ」
「はじめまして、私の名はエドガー・ロニ。宜しく、可愛いお嬢さん」
「え、あっ。え、エルオーネです」


 男───エドガーが差し出した手を、エルオーネは慌てて握って挨拶した。
女性受けの良さそうな甘いマスクに対し、皮膚の厚い、しっかりとした男の手に少し驚いて、エルオーネは目を丸くする。

 エルオーネがエドガーの手を放すと、その手はすいっと隣に座っているレイラに向けられた。


「其方のお嬢さんも、宜しく」
「……ども。レイラです」


 まさか自分に矛先が向けられるとは思っていなかったのだろう、レイラは虚を突かれた表情で、なんとか自己紹介を済ませた。
握手を求めるエドガーに、レイラは触れるだけの握手をして、直ぐに手を引っ込める。

 レオンとエドガーは既に昼食を終えたのか、テーブルにはコーヒーカップが置かれているだけだった。
エルオーネとレイラは顔を見合わせ、いつ昼食に手をつけようかと悩む。
出来れば、今日の一押しである煮込みハンバーグが冷めてしまう前に食べたいが、じっと見詰める男の視線に晒されながらの食事と言うのは、どうにも落ち着かない。


「え、えっと……」
「ああ、こっちの事は気にしないで、食べて良いよ」
「…先輩がずっと見ているから、食べ難いんだと思いますが…」
「そうか。すまない、可愛い子がいるとつい、ね」
「はあ……取り敢えずエル、レイラ、気にせず食べて良いって。俺達はもう食べ終わったから」
「う、うん。頂きます…」
「頂きまーす」


 育ての母にしっかりと躾けられた通り、エルオーネとレイラは揃って手を合わせ、食膳の挨拶をしてから、フォークを手に取る。
そんな二人を見て、エドガーはにこにこと笑みを深め、


「品が良いね。レオンもそうだな、イデア先生のお陰か?」
「そう、ですね。こういう所は厳しい人でしたから」
「俺もイデア先生のような人に育てて貰いたかったな。いや、育ててくれたばあやには、とても感謝しているけどね。怒ると怖い人だが、とても綺麗で聡明なんだ。そう考えたら、イデア先生と通じるものがあるかも知れないな」
「はあ……」


 エドガーの話に、レオンは生返事しか返せない。
エルオーネは千切ったパンにバターを塗りながら、ちらりと隣の兄を伺い見る。
社交的な兄にしては珍しく、エドガーの話にぎこちない反応しか返せない辺り、まだ親しくなって時間は経っていないようだった。
ストーカー事件でカメラを調達してくれた人だと言うが、然程親しくない人に、遠慮し勝ちな兄がよく頼めたな、と思う。

 Aランチを半分食べた所で、エルオーネは少し休憩を挟む事にした。
饒舌に喋るエドガーと、苦笑いを浮かべつつ相槌を打つレオンの間に遠慮気味に入る。


「あ、あのー……エドガー、先輩?」
「ん?ああ、エドガーで良いよ。気軽に呼んでくれ」
「はあ……じゃ、えっと、エドガーさん。この度…と言うか、先日と言うか……あの、カメラの事、ありがとうございました。あのカメラのお陰で、解決できたので、本当に感謝してます」


 ぺこりと頭を下げるエルオーネに、エドガーはくすぐったそうに笑った。


「お役に立てて良かったよ。大急ぎで作ったものだったから、色々手を抜いてしまわなければならない所も多かったんだが、そう言って貰えると嬉しい」
「あの小さいカメラ、本当に先輩が作ったの?」


 エルオーネの席に設置されていた小さなカメラを思い出して、レイラが訊ねる。
勿論、とエドガーは頷いた。


「機械いじりは昔から得意でね。組立の真似事は子供の頃からやってて、自分で設計するようになったのはガーデンに入ってから。ちゃんと使えるものが作れるようになったのは、最近だ」
「えー…なんか凄い……」
「材料とかも自分で探したって聞いたんですけど」
「ああ。バラムで売ってるものは、安くてもそれなりに品質が良いんだが、やっぱり拘るならザナルカンドのものが良くてね。完成品はブランド物みたいなものだから、どうしてもザナルカンド産は高くなり勝ちなんだが、材料はそうでもない、寧ろ逆なんだ。機械都市って言う位だから、材料の類はバラムの比じゃないペースで作られていて、その分、コストパフォーマンスも良くなっている。電子機器となると尚更だな、グラフィックチップもスペックの高いものが手頃な値段で売られている。インターネットが発達した時代で良かったよ、バラムに住んでいてもザナルカンドのものが買えるんだ。輸送費がかかるのが難点だが。しかし、やっぱりザナルカンド産は質も良くて、スプリング一つとっても伸びが違うんだ。ハーモニックドライブは各国で色々作られてるんだが、ザナルカンド産が一番だし。ああ、でもザナルカンドと言えばやっぱり電子部品だな、特にDSPの……」
「先輩、先輩!」


 饒舌に語り始めたエドガーを、レオンが遮る。
おや、とエドガーが口を閉じると、二人の少女が目を点にして此方を見ていた。
その隣で、レオンが苦笑している。


「すみませんが、もうその辺で……機械の専門的な話は、彼女達にはちょっと…」
「あ───ああ、そうか。すまない、女性とするような話じゃなかったな。機械の事になるとつい。ロックも最近付き合いが悪くてな」


 残念そうに溜息を吐くエドガーに、エルオーネとレイラは顔を見合わせ、胸中で呟き合う。
変な人だ、と。

 だが、変わっているとは思うものの、嫌な人だと思うかと言うと、そうではない。
然程交流のないレオンや、逢った事もなかったエルオーネの為に、カメラを手製で用意してくれたのは彼だ。
レオンに彼と一度逢ってくれと頼まれた時、レオンも「少し変わっているけど、悪い人ではないから」と言った。

 もくもくと食事を再開させたエルオーネとレイラを、エドガーが眩しそうに目を細めてみている。
エルオーネは、顔にパンの欠片がついていないか確かめながら食事を進めた。
レイラも、飲み込み癖がある彼女にしては珍しく、口に入れたハンバークをゆっくりと噛んでいる。


「いいな、こんなに可愛い子が妹だなんて。可愛くて堪らないんだろう」
「はい」
「んぐっ」


 エドガーの言葉を、レオンが事も無げに肯定したものだから、エルオーネは思わずパンを喉に詰まらせた。
胸を叩いて嚥下を促し、レオンが差し出した水で無理矢理流し込む。
けほけほと咽るエルオーネを、レイラが「大丈夫?」と気遣った。

 まともな呼吸を一つした所で、エルオーネは隣に座る兄を睨んだ。
しかし、視線に気付いた兄は、真っ赤になっている妹の胸中には気付いていないようで、不思議そうに首を傾げている。
エドガーはそんな兄妹を見て、くつくつと楽しげに笑った。


「良い兄じゃないか、お嬢さん」
「………」
「エル、顔が真っ赤だよ」
「そんな事ないもん」
「熱でもあるのか?」
「ないっ」


 揶揄うレイラの言葉を否定すれば、レオンが大真面目に心配して来る。
エルオーネは益々顔を赤くして、残っていた小さなパンを口の中に入れた。
ヤケになったように食事を平らげて行く妹に、レオンはまた首を傾げ、レイラがくすくすと笑う。

 少女達がAランチを平らげた所で、エドガーも手元のコーヒーカップを空にした。
トレイを返却口に返そうと席を立とうとした二人を、エドガーが呼び止める。


「待った。お嬢さん方、それは俺が持って行こう」
「え?でも……」
「ついでに食後のデザートを取って来る。エルオーネ嬢はベリー系のケーキ、レイラ嬢は葡萄のゼリーが好き───で、合ってるかい?」
「……合ってます、けど……」


 どうして知ってるんですか、とエルオーネが訊ねる暇も無く、エドガーは二つのトレイを重ねると、その上に自分のコーヒーカップも重ねて、颯爽とした足取りで返却口へ向かう。
遠退いて行く背中をぽかんと眺めた後、エルオーネとレイラはレオンを見た。


「レオンが教えたの?」
「ああ」
「エルはこの間の件があるから判るけど、なんであたいも?あたい、ただの付き添いなんだけど」
「エルと一緒にレイラが来る事を伝えたら、レイラの好きなデザートも教えてくれと言われた。よく判らないが、女性には優しくするもの、がモットーだそうだ。フェミニスト…と言えば良いのか?とにかく、ああ言う人なんだそうだ」
「あ、私、お礼しなくちゃいけないのに、デザートなんて」


 断らなきゃ、と席を立ってエドガーを追おうとするエルオーネを、レオンの手が止める。
座って待つように促されて、エルオーネは眉尻を下げたまま、すとんと椅子に座り直した。


「俺もエルは遠慮するだろうからって断ったんだが、カメラの礼のつもりと思って付き合ってくれと言われたんだ」
「……?どういう事?」


 今度はエルオーネが首を傾げて問う。
レオンは思案するように頭を掻いて、


「エドガー先輩とは、この間の件で初めて逢ったんだ。元々はロックの友人で、俺と面識はない。ロックが間に入ってくれたから、カメラを作る事も引き受けてくれたんだ」
「ロックさんが頼んでくれたんだ……早くちゃんとお礼しなくちゃ」
「エルの手作りクッキーが食べたいと言っていたぞ」
「私もそれは聞いたけど、本当にそんなので良いの?」
「十分だ。前にロック達が家に来た時、出したんだろう。気に入ったらしい。ああ、エッジも同じものが良いと言っていた」
「……男の子って、皆食い意地張ってるのね」


 呆れたように言いながら、兄の友人達の気遣いである事は、薄々感じ取っていた。
気合を入れて作らないと、と意気込む妹に双眸を細め、レオンは続ける。


「ロックとエッジにはそれで良いとして……先輩にも、ちゃんと礼をした方が良いと思ったんだ。先輩のお陰で解決出来たし、カメラを作るのにかかる費用も、全部負担してくれた。それで、何かお礼をと言ったら、お前と一度話がしたいと言われて……」
「え?私?……なんで?」
「挨拶しておくのが礼儀だとか何とか……悪い、俺もちゃんとした理由はよく判らない。ともかく、お前も礼を言いたいと言ってたから、この際、と思って……俺も同席して良いと言うし、レイラが一緒に来る事に至っては喜んでいたし」
「……言ってる事がよく判んないよ、レオン兄」
「俺も判らないんだ……」


 何度目かになる言葉を口にして、溜息を吐くレオンに、レイラもお手上げと言うように肩を竦める。
エルオーネとレイラは顔を見合わせ、益々変な人、と胸中で呟き合った。

 お待たせ、と笑顔を浮かべて戻って来たエドガーは、苺のタルトケーキと葡萄の果肉入りゼリーを二人の少女に差し出した。
お金を払うとエルオーネが言っても、エドガーは受け取らない。
結局エルオーネとレイラは、なんだかよく判らないままに、プレゼントされる形になったデザートを食べた。
その様子を満足そうに眺めるエドガーに、二人の少女は、やっぱり変な人、と胸中で呟き合う。
けれど、きっととても良い人だ、とも呟き合った。




エドガーを書きたかった。
変な人変な人と言われてますが、生まれは由緒正しい家です。双子の弟と一緒に、社会勉強の為にガーデンに入学しました。
機械オタクで、なんでもかんでも分解し、その後、元通りに組み立てるのが趣味。
女性は宝、慈しみ守るもの。根っからの騎士気質。自分のした事で女性の笑顔が見れるなら、それが彼にとっては最高の栄誉。