はじめてのおかえし


自分達の授業が終わると、いつも真っ先に姉の教室の前に来ていた筈の弟達が、何処にもいない。
可笑しいな、と思いつつ、エルオーネは一先ず弟達の教室へと向かった。
しかし、其処にいた弟達のクラスメイトは、彼等は既に帰った───教室を出て行った───と言う。
なんでも、授業終りのホームルームが終わるなり、一目散に帰って行ったとの事だが、これにエルオーネは益々可笑しいな、と思った。

エルオーネは、初等部の教室群を彼等のクラスに近い所から順に覗いて、弟達の姿を探す。
グラウンドや中庭で遊んでいるのかも知れない、と思って足を運んでみたが、それらしい影は見当たらなかった。
携帯電話を持たせて置けば良かったかな、と思いつつ、目撃証言を探してみると、何人かの生徒が、初等部の子供二人が揃ってエレベーターで上階に上って行ったのを見たと言う。
教室のあるフロアから更に上となると、あるのは教員室と学園長室だけだ。
ママ先生の所かも、と思い至って、エルオーネも学園長室へと向かうと、エレベーターを降りた所で、二人の子供が学園長室の前に立っていた。

イデア・クレイマーが手を振り、それに手を振り返している二人を見て、ほっと安堵の息を吐く。
心配した事を叱る事はしなかったが、二人の口の端には、チョコレートの食べカスがついていて、これだけはずるいなぁ、と丸い頬を軽く引っ張ってやった。

それが、今日の夕方の事。


「大変だったな」


放課後のアルバイトを終え、帰宅して遅い夕食を食べていたレオンは、愚痴混じりに話す妹に、眉尻を下げてそう言った。
エルオーネは本当だよ、と呟いて、両頬杖を突いて顔を剥れさせる。


「何処に行ったんだろうって心配してたのに、ママ先生の所でチョコレートケーキ食べてたんだって。私も食べたかったのに」


イデアが作るチョコレートケーキは、絶品物である。
子供が好む甘いチョコレートケーキなのだが、チョコクリームはふんわりと柔らかく、所々に細かく砕いたチョコチップが混ぜ込んである。
スポンジ生地はコーヒーを混ぜてあるので、ほんのり苦味が感じられるが、生クリームが甘く作られているので丁度良い。
頭には季節ごとの美味しいフルーツが乗っていて、今日は苺が乗っていたとの事。
今日スコールとティーダが食べたのはカットされたケーキだったが、孤児院にいた頃はその月々の誕生日ケーキも兼ねられていたので、ホワイトチョコのメッセージプレートが添えられている事もあった。

甘くて美味しい、でもほんの少し大人の香りもする、イデアが作ったチョコレートケーキ。
スコール達だけでずるい、と呟くエルオーネに、レオンはくつくつと笑う。


「食いしん坊だな、エルは」
「……そんなのじゃないもん。ただスコール達ばっかりずるいって思ってるだけ」


唇を尖らせるエルオーネに、レオンは益々笑う。
意地っ張りな妹の様子がツボに嵌ったのか、声を張り上げて笑う程ではないが、彼は長い間笑っていた。

余りにも兄がいつまでも笑うので、エルオーネは益々むっつりとした顔になって、今日の夕飯のメインだった厚手のハムステーキが乗ったプレート皿を取り上げた。


「おい、エル」
「レオンが笑うのが悪いの」
「悪かった。返してくれ、結構腹が減ってるんだ」


降参宣言をするレオンに、エルオーネは取り上げた皿を元の位置に戻す。
が、レオンはそれに手を付ける前に、テーブルを立った。


「忘れる訳に行かないから、今の内に渡して置こう。ママ先生から預かってるものがあるんだ」
「ママ先生から?」


キッチンに向かうレオンを、エルオーネは目で追った。

何だろう、と首を傾げている間に、レオンは小さな持ち手付きの箱を持ち出してくる。
それは、夕飯の前にエルオーネが冷蔵庫を開けた時から入っていたものだった。
妹弟から送れて帰って来たレオンが手にしていたものだったので、レオンのものなら断りなく触るまいとしていたものだ。

レオンは箱をテーブルに乗せて、可愛らしい猫のシールの貼られていた封を切る。
開けられた箱をエルオーネが覗き込んでみると、チョコレートのショートケーキが二つ並んでいた。


「レオン、これ、」
「ああ。ママ先生の作ったケーキだよ」


レオンの言葉に、エルオーネの目がきらきらと輝いた。
そんな妹の様子に、やっぱりまだまだ子供だし、女の子なんだな、とレオンはこっそり笑みを零す。


「スコールとティーダは、ママ先生の所で食べたから、これは俺とエルの分だそうだ」
「本当?いいの?」
「ママ先生本人から、そう言って渡されたんだ。バイトの前はスコールとティーダもいたから、見せられなかったけど。二人が見たら、きっと羨ましがるだろ?」


先に食べていたから我慢しなさい、と言えば二人は大人しくなるだろうが、必死で我慢している円らな瞳の熱視線と言うのは、意外と応えるものがある。
だから、アルバイトが終わって、弟達が寝付いた後に見せようと思っていたのだ。

早速食べようと、エルオーネは皿とフォークを用意する為、席を立つ。


「レオンも食べる?」
「夕飯を食べた後にするよ」
「じゃあ、これは冷蔵庫に仕舞っておくね」


常温にしておくと、折角のイデアのケーキの美味しさが損なわれてしまう。
頼むよ、と言ったレオンに頷いて、エルオーネはケーキボックスを揺らさないように両手で持って、キッチンへと運んだ。

それにしても、どうして急にママ先生はケーキを作ってくれたのだろう。
食器棚からケーキプレートとフォークを取り出しながら、エルオーネhあ首を傾げた。
週末にイデアが兄妹の下を訪れ、持参した手作りクッキーを食べながらティータイムを楽しむ事はあるが、放課後のガーデンの学園長室でケーキが振る舞われるのは珍しい。

そんな事を考えつつ、ケーキと並べる紅茶をどれにしよう、と茶葉の並んだキッチンボードを眺めていると、


「どうした、スコール、ティーダ。もう寝たんじゃなかったのか?」
「んぅ……」
「まだ眠くないー」
「スコールは寝そうだけどな」


くすくすと笑う兄と、眠くないもん、と言う、文字通り眠気の無い声と、言葉に反して何処かぼやけている声を聞きつつ、エルオーネはリビングに顔を出す。
其処には、二階に繋がる階段の前で、目を擦っているスコールと、ぱっちりと目を開けているティーダがいた。

エルオーネは手に持っていた紅茶の缶をキッチンに置いて、キッチンから出る。


「どうしたの、二人とも。夜更かしは駄目だよ」
「うん。後でちゃんと寝る」
「でも、寝る前に、わたすもの……」


スコールはこしこしと目を擦りながら、右手に持っていた物をレオンとエルオーネに見せる。
ティーダも背中に隠していた物を差し出し、二人の前に掲げた。

弟達が持っていたのは、白と水色の水玉模様があしらわれ、口を扇の形で絞ってモールで閉じた、ラッピング袋だった。
模様の所以外は透明なので、きらきらとしたものが入っているのが見える。
光っているのは、赤や青や緑色のアルミカップで、所々に何かが零れたまま固まっているのが判った。

これは一体───とぽかんと呆ける兄と姉を見て、ティーダがにーっと笑う。
ティーダは、隣で目を擦っているスコールの脇腹を、つんつんと肘で小突いた。
ほら、早く、とティーダが小声で急かすのを聞いて、スコールはうん、と頷き、目を擦っていた手を下ろし、


「んっと……お兄ちゃん、お姉ちゃん、バレンタインデーのチョコレート、おいしかったです」
「今日は、ホワイトデーで、バレンタインデーのお返しをする、日だから、チョコレートを作りました!」
「いつも、おいしいお菓子、ありがとうございます」
「僕たちからの、お礼です!」
「「受け取って下さい!」」


きっと何度も練習したのだろう。
一言一句を間違えないように、思い出しながらゆっくりと、最後には声を揃えて二人は言った。
両手できちんと持ったチョコレートを、それぞれスコールはレオンに、ティーダはエルオーネに差し出しながら。

レオンとエルオーネは、少しの間、ぽかんとした表情で弟達を見詰めていた。
ホワイトデー────そう言えばそんな日もあった、とエルオーネはぼんやりと考え、それでママ先生がチョコレートケーキを作ったのか、と合点する。
スコールとティーダは、そんな兄と姉を、緊張と期待の入り交じった表情で見詰めていた。

エルオーネがレオンを見ると、レオンもエルオーネを見ていた。
段々と今の状況への理解が追い付いて、二人は顔を見合わせたまま、どちらともなく小さく噴き出す。
くすくすと漏れる笑い声に、今度は弟達がきょとんとした顔で首を傾げる。


「お兄ちゃん?どうしたの?」
「エル姉もなんで笑ってるの?」
「ふふ。なんでもない、なんでもないよ」
「ほんと?」
「ちょっとびっくりしただけだよ。ね、レオン」


エルオーネが同意を求めれば、弟達の視線が揃ってレオンへと向けられる。
レオンは笑う声を引っ込めて、席を立って弟達の下へ向かった。


「うん、そうだな。確かに驚いた。お前達が、こんなに美味しそうなチョコを作れたなんて、知らなかったからな」


くしゃくしゃと頭を撫でながら言う兄に、スコールとティーダは顔を見合わせ、嬉しそうに頬を赤らめた。
エルオーネも、二人の頭をぽんぽんと撫でて、ティーダが持っているチョコレートに目を向ける。


「本当に美味しそうなチョコだね」
「お前達だけで作ったのか?」
「ううん。ママ先生に教えて貰ったよ」
「チョコ溶かすの、オレとスコールでやったんだよ」


こうやって、ああやって、と自分達の手で作ったチョコレートの工程を離して聞かせる弟達に、レオンとエルオーネは相槌を打ちながら聞いていた。

話をしながら、スコールはレオンに、ティーダはエルオーネにチョコレートの入った袋を差し出す。
二人が袋を受け取ると、弟達は目的が見事に達成された事が嬉しいのか、くすぐったそうに笑って手を繋ぎ、その手をぶんぶんと振って見せる。
レオンはそんな二人の頭をもう一度撫でて、


「お返し、ありがとうな、二人とも」
「うん」
「美味しく食べさせて貰うね。ありがとう」
「うん!」
「さ、二人はもう寝なさい。もう11時だよ」
「はーい。おやすみなさーい」
「おやすみなさい、お兄ちゃん、お姉ちゃん」
「おやすみ、スコール、ティーダ」


兄と姉に揃って促され、スコールとティーダはほくほくとした笑顔で、二階へ向かう
きゃっきゃと可愛い声を上げながら階段を上って行く二人に、危なっかしいな、と思いつつ、兄姉の口元は笑みに緩んでいる。

二階の寝室のドアが閉まる音が聞こえた。
再び兄妹で二人きりになったリビングは、打って変わって静寂に包まれる。
その静寂に些かの寂しさを感じつつ、レオンとエルオーネは窓辺のテーブルに着いた。


「ママ先生のチョコケーキは、明日までお預けかな」
「そうだな。ああ、ママ先生に今日のお返ししないと……」
「今度、ママ先生が家に来る時に用意しよっか」
「それか、来年のバレンタインデーだな。と言うか、今までママ先生には何も渡してなかったな。盲点だった」
「そう言えばそうだよね。ママ先生へのお返しかぁ、何が良いかなあ」


うーん、と唸りつつ、エルオーネがラッピングの封を解いて、中に入っているチョコレートを一つ取り出す。
チョコカップの縁を捲って、チョコレートからカップを外すと、一口サイズのそれを口の中に入れる。
ころん、と口の中で転がしたそれが、ゆっくりと溶けて、エルオーネの口の中は甘い味で一杯になった。


「どうだ?」
「……ふふっ」


忘れかけていた夕飯の手を再開させて訊ねる兄に、エルオーネは笑って見せる。
そんな妹を見て、楽しみだな、とレオンは言った。




2014/03/14

チビ達が頑張りました。
お兄ちゃんもお姉ちゃんも喜んでます。良かったね。