明日への祈り


ただいまー、と幼馴染の声がした。

スコールが顔を上げて窓の外を見ると、橙色に染まったバラムの海が見える。
一日の陽が長くなるこの時期、空も海も全くの夕暮れ色になる時間となると、そこそこ遅い時間と言える。
しまった、夕飯、とスコールは今し方まで読んでいた本を閉じて溜息を吐いた。

鍵をかけていた玄関の扉が、しばしガチャガチャと格闘する音を続けた後、ガチャリと開かれる。
蜂蜜色の髪に夕暮れをひらひらと反射させて、ひょこっと顔を現したのは、部活帰りのティーダだった。


「ただいま、スコール!」
「ああ」
「晩飯は?」
「まだ。これから作る」


スコールの解答に、えー、とティーダが眉尻を下げる。
判り易く残念がる顔をしながら、空腹の腹を撫でて慰めるティーダを横目に、スコールは本をソファに投げて腰を上げる。

スコールがキッチンに入った後、数秒を置いてティーダもやって来る。
彼が持っていた鞄が手元にないので、適当に投げて来たようだ。


「なあ、晩飯、何?」
「スズキが安かった」
「マヨ焼き食いたいっス〜」
「芥子は?」
「入れて!」


スコールはフライパンを用意し、少し熱してから油を入れる。
冷蔵庫から買ったばかりのスズキの切り身を取り出し、大きめの切り身が二つだけ入っているそれをフライパンに並べた。
火が通るのを待つ間に、スコールはもう一度冷蔵庫を開けて、マヨネーズとチューブの練り芥子、すり胡麻、キャベツを取り出す。

魚に絡める芥子マヨネーズを作っているスコールの横で、ティーダがそわそわとしている。
そんなに腹が減っているのか、とスコールは思ったが、ブリッツボールは水中格闘技とも呼び名わされるスポーツである。
普通に水泳をするだけでも相当カロリーを消費するのに、十分以上も潜水状態のまま、タックルしたりされたり、あちこちに飛び交うボールを追ったりすれば、昼に大量に詰め込んだ食事もカラッポになろうと言うものだろう。

待ち切れなくなって来たのか、ティーダは魚を引っ繰り返しているスコールに言った。


「なぁ、なんか手伝おうか?」
「……いい。それより、シャワー浴びて来たらどうだ」


汗臭い、とスコールが眉根を寄せて言うと、はーい、とティーダは素直にキッチンを出て行った。

夏休み中にスピラ大陸のルカで行われる、ブリッツボール学生大会に向けて、ティーダの部は強化トレーニングの真っ最中だ。
ブリッツボールの練習は、水の中で行われるものは勿論あるが、陸上でもランニングやパス練習が行われる。
ティーダはスピードはあるが、スタミナの燃費に不安要素があるので、徹底的に体力強化のメニューが執られているらしい。
メニューには泳ぎ込みもあるが、陸上での走り込みも取り入れられているようで、走り込みが主なメニューの時は、ティーダはよく汗だくになって帰って来る。
一応、バラムガーデンには生徒が自由に使えるシャワールームも設けられているのだが、女子程ではないにしろ、男子も毎日のように混雑している。
少なくともスコールは、余程汗だくになっている時か、訓練施設でグラッドの粘液を被った時でなければ、あそこは利用したくない。
ティーダも部活の後にはなるべく利用しようとするのだが、芋洗い宜しく大混雑している時は、大人しくUターンしていた。
ガーデンから家まではバスで二十分弱、タオルと制汗スプレーをフル活用して、自宅で悠々とバスタイムを満喫した方が、何倍も楽なのだから。

今日はスコールが湯船の用意をしていなかったから、ティーダはシャワーを浴びるだけだ。
それでも、決して広くはない───いや、設置されている施設自体は決して狭くはないのだが、如何せん利用人数が多い───ガーデンのシャワールームに比べれば、遥かに快適な一時だろう。
ティーダがそれを満喫している間に、スコールは魚を仕上げ、キャベツを切って更に盛り、昨日の残り物のコンソメスープを温めた。

炊けた米を盛り、夕飯を全て食卓に並べた所で、タイミング良くティーダがリビングに戻って来た。


「あー、さっぱりしたっス!」
「水」
「ありがと」


スコールが差し出したグラスを受け取って、ティーダは一気に煽る。
飲み干したティーダが「ぷはーっ!」と景気の良い声を上げるのを見て、ジェクトと同じだ、とスコールはこっそり双眸を細めて思った。


「さてと、飯飯っ……あ、そうだ」
「?」


テーブルに着こうとしたティーダは、はたっと思い出したようにもう一度席を立つ。
スコールがその動向を見守ると、彼はソファの足下に投げていた、自分の鞄に駆け寄った。

ティーダはごそごそとしばらく何かを探がした後、手に細長いものを持ってスコールに掲げて見せた。


「じゃーん!笹の葉!」


効果音付で見せるティーダは、わくわくと楽しそうな顔をしている。
が、スコールの方は、呆れたように目を細め、


「ゴミを持って帰るな」
「酷っ!ゴミじゃないっスよ!」


溜息込みで言ったスコールに、ティーダは直ぐに抗議した。

ほら、これ、これ、とティーダはスコールに笹の葉を突き出す。
存外と硬い葉先が、ちくちくと頬を刺すのが鬱陶しくて、スコールは手で払おうとした。
が、その前に、新緑色の葉の中で、目に映える黄色を見付けて手を止める。


「……それは……」
「そう、短冊っス。今日は七夕だからって、ママ先生から貰ったんだ」


ママ先生こと、イデア・クレイマー。
バラムガーデン学園長であるシド・クレイマーの妻であり、スコールにとっては母親代わり、またティーダにとっても同様の存在。
彼女から貰ったものだと聞けば、スコールももう“ゴミ”等とは言えない。

それを先に言え、と口の中で呟くスコールに、ティーダは笹とは逆の手に持っていたものを差し出す。


「ほい、こっちスコールの分な」


そう言ってスコールが受け取ったのは、長細い長方形に、小さな金粉を散りばめ、頭にサテンリボンを結んだ青い厚紙。
笹には黄色の同様の厚紙が吊るされており、癖のあるティーダの字が書かれていた。

ティーダは笹を窓辺に寝かせて、「いただきまーす!」と元気の良い声を上げ、夕飯に在り付いた。
ぱくぱくと景気よく皿の上を平らげて行くティーダの傍ら、スコールはしばしの間、短冊をじっと睨む。


「もうこんなの、信じるような歳でもないだろ……」


空の彼方で、一年に一度だけの逢瀬を許された恋人達。
その幸せに肖って、お星様にお願いすると、そのお願いが叶うのよ、と言った姉の言葉を、未だに無邪気に信じられる程、スコール達は既に幼くない。

今日何度目か、呆れたように呟いて、スコールは短冊を窓辺に置いた。
ティーダは口の中の魚をむぐむぐと噛んで飲み込んでから、


「そりゃそうだけど。良いじゃないっスか、願い事する位。叶う叶わないは別としてさ」
「………」
「それに、折角ママ先生がくれたんだし」


ティーダの言葉に、スコールの眉間に皺が寄せられる。
示しているのは不満ではなく、だからこそ余計に困るのだ、と言うもの。

自分の母の事を殆ど知らないスコールにとっては、育ての親たるイデアこそが母と言っても過言ではない。
スコールがレオンの独り立ちに伴い、エルオーネと共に彼女の直接的な手を離れてから十余年───未だに彼女は、スコールの事も、成人した兄姉の事も気にかけてくれていた。
そんな彼女から贈られたものは、例え笹一本とて無碍する気にはなれない(笹を見ての最初の一言はなかった事にして)。

しかしスコールは、育ての母が渡してくれた短冊を、少々持て余していた。


「……………」


食事をしながら、ちら、とスコールの目が窓辺を見遣る。
ティーダの短冊をつけた笹と、スコールの為にと用意された、何も書かれていない青の短冊。

……何を、書けば良いのだろう。
それがとんと判らないから、スコールは渋い表情を浮かべてしまう。

そんな幼馴染の様子を、顔は見ずとも、付き合いの長い幼馴染は察していた。


「なんでも良いんスよ」


コンソメスープをスプーンで掬いながら、ティーダは言った。
軽い一言に、スコールの眉間の皺が更に深くなる。


「……そう言うのが一番困る」
「難しく考えるからだろ」
「………」
「別に何願っちゃいけないって言う訳じゃないし。誰かに見られる事もないし。あ、俺は見るけど」
「おい」
「いーじゃないっスか、スコールが何お願いするのか気になるし!」


じろりと睨んでやっても、ティーダは全く堪えない。
幼い頃からずっと一緒に、スコールが泣き虫を卒業する過程も、した後も、彼はスコールと共に過ごしていたのだ。
スコールと言う人間をよく知っているからこそ、ティーダにスコールの睨みは通用しない。

ぱくぱくと夕飯を平らげて行くティーダに、スコールは睨むのを止めて、笹に目を向けた。
黄色の短冊は、其処に書かれたマジックペンの文字を浮き上がらせる。
其処には『親父が急性アルコールで倒れませんように』と、書きなぐったような走り書きがあった。
半ばヤケを思わせる字だが、其処にティーダがいつも口にしている父への文句や対抗心がない理由を、スコールはなんとなく察していた。
負けたくないとか勝ちたいとかは、実力で頑張るから、願い事にはしたくない───そんな所だろう。
字の汚さは、きっとそんな願い事を書いている自分が恥ずかしくて堪らなくなったのだ。
突っ込んでやれば、願い事にした理由について、「勝つまでに倒れられたり引退なんかされると困るから」と言うのだろうが、裏を返せば、それまでずっと元気でいて欲しい、と言う素直になれない気持ちの表れにも見える。
全く以て、素直になれない親子だ。

ティーダが最後の魚を口の中に入れた。
スコールはドレッシングをかけたキャベツを齧りながら、まだ眉間に皺を刻んでいる。
もごもごと顎を動かしたティーダが、ごくん、と喉を鳴らしてから、言った。


「じゃあ、ほら。レオンが怪我しませんようにとか、エル姉が元気でいますようにとか。それで良いんじゃないっスか?」


その願いの半分は、どうしたって叶えられない事を、スコールは否応なく知っていた。
常に危険に身を置く事を仕事にしているような兄に、怪我をしないでくれと言うのは、無理な話だ。
トラビアガーデンに留学中の姉は、余程の事でなければ大怪我をする事はないだろうが、時に体調を崩す事もあるだろう。
それはティーダも判っている────だが、判っているからこそ、“願い事”なのだ。
大切だから、大好きだから、怪我はして欲しくないし、無茶も無謀もして欲しくないと、“願う”のだ。

スコールは溜息を一つ吐いて、空になった皿を重ねた。
それをキッチンの流し台に運ぶ前に、窓辺の短冊を取って、テーブルの隅に置いてあるメモ用紙のペンを取る。



短冊に書かれた文字を見て、年寄り臭い、と言う幼馴染の頬を、スコールは無言で抓った。

─────其処に書かれたものが、嘗て兄が書いていたものと同じだと、彼等は知らない。




2014/07/07

知らず知らず、引き継がれて行く願い。
だって大切な人達だもの。

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