幸せを運ぶ声


 今日も今日とて、指揮官様な恋人は大忙しだ。

 致し方のない事であると、リノアも判っている。
判っているつもりだが、それで納得できないのが乙女心と言うものだ。



「え〜っ、スコール、今日も仕事なの〜?」


 目を丸くしたセルフィの言葉に、うん、とリノアは頷いた。
その瞳には寂しさが混じり、怒りも滲み、けれどやっぱり寂しさが色濃く浮かんでいる。
落とした視線の先には、しゅわしゅわと気泡を弾けさせる綺麗な半透明のオレンジ色があって、リノアが指先でストローをくるんと回す度、中で浮かぶ氷がからんからんと音を立てていた。
その音が無性に物寂しく聞こえるのは、やはり、その音を鳴らすリノアの表情が、瞳と同じ位に寂しそうにしているからだろう。

 そんな彼女と一緒にテーブルを囲んでいるのは、セルフィとキスティスだ。
彼女達は昨日まで任務でトラビアに出張していたのだが、今日の朝にそれを完了させ、昼過ぎにバラムガーデンに帰って来た。
報告書は廊下でたまたま逢った、指揮官補佐となったサイファーに預け、空っぽの胃袋を満たそうと遅い昼食にありつこうと食堂に入った所で、浮かない表情をしているリノアを見付け、席を共にしていたのである。

 セルフィは半分になったオムライスにスプーンを差し込んだ。
掬って口の中に入れて、しっかり噛んだ後、こくんと飲み込む。


「はんちょってば、相変わらず真面目だねえ」
「SeeDとしてはそれで正しいんだけど……ねえ」


 感心したような、呆れたような色の混じるセルフィの言葉に、キスティスは溜息を吐いて言った。

 ちら、とキスティスがリノアを伺えば、やはり彼女は寂しげな表情でストローを遊ばせている。
昼食は済んだのかと聞くと、食べる気しないんだ、と彼女は言った。
何が原因の食欲減退かなんて、リノアと言う人物を知っている人なら、考えなくても直ぐに判る。


「……別にね。いいんだ。仕方ないの、判ってるし」


 そう言ってリノアは、頬杖をついた。
濃茶の瞳が天井を見上げる。

 未来をかけた魔女戦争が終結してから、まだ幾らも時間は経っていない。
バラムの島は随分平和なものであったが、世界はまだまだ混乱と先の魔女戦争の爪痕が色濃く残っている。
ガルバディアは内部と外部でゴタゴタと揉め事が続いていて、それはリノアの周辺───父であるカーウェイ大佐や、レジスタンス『森のフクロウ』のメンバーも気の置けない日々が続いている。
ガルバディアガーデンやトラビアガーデンは、まだまだ戦争の被害の爪痕が残っており、復興も中々進んでいなかった。
エスタは、月の涙の影響で、凶暴なモンスターで溢れ返り、SeeDにも度々派遣要請が寄せられる。
成り行き的な経緯でSeeDの指揮官に就任したスコールは、そんな中で指揮官の仕事(例えば人選や作戦立案など)と、SeeDの仕事(現地に赴いての魔物討伐など)を同時進行させている。
これで忙しくない訳がない。

 教師をしていたキスティスは、『優等生の問題児』と言われていたスコールの性格をよく知っている。
良くも悪くも、真面目すぎる性質なのである。
幼少期の経験が原因で、人を頼る事を頑なに拒絶し続けていた彼は、以前よりは幾らか改善されたものの、相変わらず他人の力を当てにするのが下手だ。
しかし、根が真面目なので、言い付けられた課題や仕事はきっちり済ませようとする。

 ───お陰で、リノアは最近、スコールとまともに話をしていない。

 魔女を保護・監視する、と言う名目でバラムガーデンに住まわせて貰っているリノアだが、実際の生活は其処まで窮屈なものではない。
ガーデン内であれば何処でも出入りは自由だし、図書室で本を読んでいる時や、食堂で過ごしている時に監視者が張り付いている訳でもない。
何より、バラムガーデンには大好きな恋人がいて、苦楽を共にして来た仲間もいる。
バラムガーデンはスコール達にとって“家”だから、リノアにしてみれば、其処で過ごす日々と言うのは、友達の家に遊びに行って泊まらせて貰っているようなものだった。

 だが、何よりも一緒に時間を過ごしたい人は、仕事仕事で甘い時間を過ごす暇なんて滅多にない。
彼は最近、一日の殆どを指揮官室で過ごしている。
時々、指揮官室に内線を繋いで貰って、他愛ない話をする事もあるが、報告書が上がったり派遣依頼が来たりすると、到底、リノアと雑談しているような余裕はなくなってしまう。

 仕方がない。
成り行きでなったとは言え、スコールは今、指揮官と言う立場にある。
SeeDの存在は世界中で必要とされている。
その声を無視する訳には行かないし、何より、スコールが其処まで仕事に入れ込むのは、リノアの為でもあるのだ。
現代で唯一の魔女となったリノアは、当人の望む望まないに関わらず、世界の脅威となってしまった。
バラムガーデンがそれを保護する事を赦されたのは、伝説のSeeDとしてスコールの名が知れ、魔女戦争で魔女アルティミシアを打ち負かしたからだ。
何かあれば魔女を止める事が出来る力を持っており、且つ、魔女と共に人に向けて牙を向ける事はしない、と言う信頼の下で、リノアはバラムガーデンに保護されているのである。


(判ってる。スコールが頑張ってるから、私は此処にいるんだって。スコールが一所懸命、頑張ってくれてるから、私は此処で、スコールと一緒にいられるんだって)


 エスタの魔女記念館に封印される事も、何処かの国で知らない誰かに怖がられて嫌われる事もないのは、スコールが守ってくれているから。
それは、とてもとても、嬉しい事なのだ────けれど。


「スコールらしいと言えば、らしいけど」
「女心とか、絶対判んないタイプだしね〜。でもさ、やっぱり、今日位は休むべきだよ〜」


 セルフィが続けた言葉に、リノアは寂しげに苦笑する。

 それからしばしの沈黙の後、セルフィがあれ?と首を捻る。
ふと思い出したと言う様子の彼女に、リノアとキスティスが目を向けると、セルフィはことんと反対側に首を傾げ、


「今日って、スコールも休みじゃなかった?」
「……そうなの?」


 リノアがキスティスを見る。
キスティスはしばらく考えた後で、そう言えば……と呟いた。


「休み、と言う程ではないけど、午後からは開いている筈だったわね。私がトラビアに行く前は、スケジュールに予定は入っていなかったと思うけど」
「…でもスコール、今日も忙しそうだったよ」


 午前中、リノアはスコールの個人用の携帯電話にコールをかけた。
ほんの少しだけ、話が出来る時間が欲しかったのだ。
それはなんとか叶ったのだけれど、結局、五分足らずにしかならなくて、返って寂しさが募ってしまった。

 リノアの言葉に、セルフィがあれ〜?とまた首を傾げる。
其処へ、ふっと長身の影が重なった。
アーヴァイン・キニアスだ。


「お帰り、セフィ〜」
「アービン、ただいま〜」
「キスティスもお疲れ様」
「ええ、ありがとう」
「よっ、お前らも戻ってたのか」
「あら、ゼル」


 任務がなく、ガーデン待機をしていたアーヴァインの後ろからやって来たのは、セルフィ達と同じく今朝まで任務についていたゼルであった。
ゼルの任務地は、確かエスタだったと、キスティスは記憶している。

 気心の知れたもの同士の軽い挨拶を交わして、アーヴァインとゼルの二人も椅子に座る。
それから、アーヴァインがリノアに眉尻を下げて言った。


「残念だったね、リノア」
「うん?何が?」
「何って、スコールだよ。今日の午後はリノアが独り占めできる筈だったのにね〜」
「え。あいつ、久しぶりの休みだったのに、結局ナシにしたのかよ」


 アーヴァインとゼルの言葉に、やっぱり、と言ったのはセルフィだった。


「スコールはんちょ、お休み取ってたんだ」
「うん。でも、派遣予定だったSeeDが体調不良で動けなくなっちゃって、欠員埋めるのに人手が足りなくて、スコールが行くしかなかったんだ。場所がティンバーだから、半日ぐらいで帰って来るとは思うんだけど」
「今から帰って来ても、なぁ……」


 アーヴァインが食堂の壁にかけられた時計を見る。
時刻は午後三時を指しており、仮にスコールがティンバーからバラムへ向かうとしても、到着する頃には西日も大分沈んでしまっているだろう。

 そうなんだ、と呟いたリノアを慰めるように、キスティスがまだ手の付けていなかったカップケーキを差し出した。
どうぞ、と音なく告げる緑を見て、リノアも甘える事にする。
カップケーキのクラフトを剥がして、一口食べる。


「おいし」
「そう」


 リノアの笑顔に、キスティスも小さく笑う。
それを見て、仲間達も笑みを浮かべるのだった。




 仕方がないのは判っている。
彼のお陰だと言う事も判っている。
そうでなければ、自分は自由の身ではいられなかったし、彼と同じ場所で時間を過ごす事も出来なかった。

 だからリノアは、これ以上のワガママを言うつもりはない。
休みを取ろうとしてくれていた事が判っただけでも、リノアは十分だった。
結局それは果たされなかったが、ひょっとして忘れられているのかも、とも思っていただけに、アーヴァインとゼルが教えてくれた事はとても嬉しい話だったのだ。

 ───でも、と思うのは、やはり寂しさからだろうか。


(一緒に過ごしたかったな)


 だって今日は、誕生日。
夕飯の時、仲間達にも祝って貰って、それはとても嬉しかったけれど、やっぱり一番祝ってほしかった恋人は、其処にはいなかった。
セルフィに引き摺られてきたサイファーによれば、もう帰って来てはいるようだが、報告書だの予算編成だのとデスクワークに追われているらしい。
後で手伝いに行く、とサイファーが言うと、キスティスも行くと言った。
人手が増えれば、少しは仕事も早く終わらせる事が出来るだろうから、と。

 食堂でささやかな誕生日パーティをした後、リノアはスコールの部屋に来ていた。
自分の部屋に戻る気にはなれなくて、今日はこっちで寝ちゃおう、と、部屋主には言わないままに決めている。

 スコールの部屋は、物が少ない。
目につくものと言ったら、ベッドとテーブルとガンブレードケース、それからカード。
本棚に詰められた月刊武器の雑誌や、参考書の類か、分厚くて難しそうな本ばかり。
リノアが暇を潰せそうな小説や、物語を描いているものは、見当たらなかった。
だから此処に来てもリノアがやれる事は何もないのだけれど、此処にはスコールの、大好きな人の匂いや気配が残っているから、リノアは此処にいたかった。

 ベッドの上で、クッションを抱き締める。
真っ白で味気ないカラーのクッションだけれど、それもスコールらしいとリノアは思う。


「うー……」


 ぼすん、とリノアはクッションに顔を埋めた。

 仕方ない、仕方ない。
心の中で繰り返す。
そうして最後に、「やっぱり寂しい」と思う。

 時計を見ると、もう直ぐ日付が変わろうとしていた。
やっぱり無理かな、と思って、リノアはベッドの端に投げていた携帯電話を取った。
1番をプッシュしてコールを鳴らすと、少しの間を置いてから、通話が繋がった。


『……リノア?』


 聞こえた声は、大好きな人のもの。
ぎゅっとクッションを握り締めて、リノアは努めて明るい声で言った。


「スコール、今忙しい?」
『……そうだな』
「だよね。あのね、すぐ終わるから、ちょっとだけ話聞いて」


 言うと、ああ、と短い返事。
リノアは一つ息を吐いて、呼吸を整えてから、口を開いた。


「あのね。私、凄く嬉しかったよ」
『…何が?』
「色々。一杯。今日はスコールと一緒に過ごせなかったけど、こうやって話する事も出来るし、皆も一杯お祝いしてくれたし。なんか、うん。今まででいっちばん楽しい誕生日だったよ」


 言っている事に嘘はない。

 幼い頃、家族で祝って貰っていた時も、母におめでとうと言われた時も、父に頭を撫でられた時も、全部全部、嬉しかった。
友達におめでとうと言われた時も嬉しかったし、友達が集まるパーティも楽しかった。

 けれど、今年の誕生日は、もっともっと嬉しかったし、楽しかった。
食堂のおばちゃんが特別に作ってくれたケーキも美味しかったし、セルフィから誕生日プレゼントも貰えた。
ゼルとサイファーが喧嘩を始めて、アーヴァインが止めようとして巻き込まれて、キスティスに怒られていた。
風神と雷神が一発芸を見せてくれて、シドとイデアもおめでとうと言ってくれた。
世界で一番恐れられる“魔女”なのに、こんなに幸せで一杯な誕生日が迎えられるなんて、───嬉しくない訳がないのだ。

 ただ一つ、寂しかったのは、其処にスコールの姿がなかった事。
彼は誕生日パーティの時間になっても執務室に篭っており、サイファーが散々「良いから顔出せ!」と言っても聞かなかった。
終わったら直ぐに行く、とは言っていたようだったけれど、結局それは叶わず仕舞いだ。

 リノアはもう一度、呼吸を整える。
バカみたいに、明るい声で、リノアは言った。


「だからね、スコール。私、幸せだよ」


 目尻に浮かんだ涙は、知らない振りをした。
電話越しで良かったと思う。
見られていたら、寂しかった気持ちが溢れ出てしまいそうだから。

 電話の向こうは、静かだった。
切れちゃったかな、とリノアは思ったが、


『……そういう台詞は、』
「?」


 ぽつりと聞こえた声に、リノアが首を傾げた後、ドアが開く音がした。
顔を上げれば、携帯電話を耳に当てて、息を切らして肩を揺らしている恋人がいて。


「俺が祝ってから言ってくれ」


 窓から差し込む月明かりに照らされた、恋人の整った面を、リノアは見詰めた。
耳に当てていた携帯電話がするりと落ちて、その通信はもう切られて、ツーツーと電子音が鳴っている。

 スコールは携帯電話を閉じて、部屋の時計を見た。
時刻は12時前。
まだ“今日”である事を確認して、スコールはほっと息を吐いた。


「間に合った」
「……スコール、お仕事」
「さっき終わった」


 終わって、走って来たのだろうか。
スコールはまだ肩で呼吸をしていて、彼が酷く急いでいたと言う事が感じ取れる。
ああ、だから「忙しかった」のか。

 スコールがベッドに腰を下ろすと、スプリングが二人分の重みでギシリと鳴った。
リノアは、青白い光に映し出されるその背中をじっと見つめる。
すると、スコールは振り返らないまま、後ろ手でリノアに何かを差し出した。


「……これ」
「……あんたが気に入るかは、判らないが」


 掌サイズの、ラッピングされた小さな箱。
それを見て、リノアは寂しさも悲しさも、ほんの少しだけ浮かんでいた、放ったらかしにされた怒りも、消し飛んだのを感じた。

 受け取って、リボンを解いて、箱を開ける。
澄んだ銀の光が、リノアの瞳の中で反射した。
それは女の子が好みそうな可愛らしいデザイン、なんてものではなく、ごくごくシンプルな形をした、シルバーブレスレット。
ああ、好きそうだな、と、リノアは振り返らない恋人の背中を見て思った。

 リングを腕に通して、リノアはスコールの背中に抱き着いた。
こうやって触れ合うのも、何日ぶりになるだろう。
離れていた時間を埋め合わせるように、寂しかった時間を温もりの記憶に書き替えたくて、リノアはスコールを力一杯抱き締める。

 背中から前に回していた手に、スコールの手が重ねられた。
皮手袋は外されていたから、温もりが直接触れているのが感じられて、リノアは泣きそうになる。


「……リノア?」
「うん」
「……気に入らなかったか?」
「ううん」


 微かに不安を孕んだ声色に、リノアはくすくすと笑った。

 気に入らない訳がない。
だってスコールが贈ってくれたものだ。
いらない、なんて絶対に有り得ない。


「あのね、スコール」
「なんだ」
「やっぱり私、幸せだよ」


 今度は、心の底からそう言えた。

 ――――誕生日、おめでとう。
消えそうな声で呟かれた言葉に、うん、やっぱり幸せだと、リノアは思った。





リノア、誕生日おめでとう!
寂しい思いさせてごめんね、リノア。でも最後はラブラブで。

スコリノでの幼馴染メンバーは世話焼き。スコールってほら、鈍そうだし……ほっといたらどうなっちゃうんだ、このカップルは、って感じで。特にサイファー、リノアの性格も判ってるだろうから、心配も一入。