メモリーズ


 バラムの街では、夏真っ盛りだ。
ガーテンの長期休みなので、実家に帰っている生徒も多く、街のあちこちで見覚えのある顔を見かける。
ゼルも一週間前は、休暇でのんびりと家族の下で過ごしたらしく、ついでに小さな暴れん坊と街を駆け回ったようで、すっかり日焼けしてガーデンに帰ってきた。
その姿を見たサイファーが、「バーベキューにしちゃ不味そうだな」と言った事で小競り合いが始まったが、キスティスのメーザーアイで喧嘩両成敗になった事は、スコールには全く関係のない話であった。
何せ、いつもの事なので。

 スコールとリノアは、リノアの希望で、海沿いの小さな喫茶店に来ていた。
スコールの朝食と兼用した昼食を済ませた後、リノアはデザートメニューのケーキを注文した。


「一回食べてみたかったんだ、此処のケーキ」
「…評判なのか」
「うん。セルフィに教えて貰ったんだ。セルフィは、アーヴァインに連れて来て貰ったって言ってたよ」
「…そうか」


 バラムの街の流行話題など、スコールは殆ど知らない。
人の噂や流行は、情報の一つとして軽視できないものだとは判っているが、そうした理屈を抜きにすると、スコールにはまるで興味が沸かないものだった。

 お待たせしました、ウェイターが運んできたケーキは、チョコレートのトルテだった。
夏の暑さの所為か、冷蔵庫から出されて間もないチョコレートコーティングの上に、水泡が浮いている。
リノアはフォークで端を取って、ぱくり、と口の中に入れた。


「甘くて美味しい。スコールも食べる?」
「…俺は良い。甘い物は苦手なんだ」
「そうだったっけ。……じゃあ、どうしよう…」


 チョコレートトルテを見下ろして呟いたリノアに、スコールは首を傾げた。


「どうって、何をどうするつもりだったんだ?」
「へっ。あっ、うん、ううん、なんでもない!独り言、独り言!」


 ぱたぱたと両手を振って、落ち込むように影を落としていた表情を取り繕うリノアに、スコールは眉間の皺を深くする。
不機嫌を何よりも判り易く示すそれを見て、リノアがうぅっ、と縮こまる。

 しかし、スコールからの追及はなかった。
何でもない、と言われてしまえば、生来から他者の領域に踏み込む事を、また踏み込まれる事を嫌うスコールが、それ以上問い質しに来る事はない。
本人が心中から納得したか否かは、別として。

 スコールからのそれ以上の問いはなかったものの、リノアは居た堪れない気分になっていた。
チョコレートトルテの二口目を食べつつ、口の中の甘さよりも、目の前の恋人の表情が気になって仕方がない。
沈黙こそがスコールの本音が吐露されている瞬間だと言ったのは、サイファーだったか、キスティスだったか。
言葉よりも雄弁な青灰色の瞳をちらちらと伺いながら、リノアはトルテにフォークを当てて、


「……あのね」


 カラン、と、スコールのグラスの中で氷のはぜる音がしたと同時に、リノアは口を開いた。
軽く力を入れたフォークが、すとん、と底まで落ちる。

 蒼灰色の瞳が、無言でリノアへと向き直った。


「スコール、今日が何の日か覚えてる?」
「……今日?」


 リノアからの問いは、スコールにとって急なものだった。

 日付な感覚など、此処暫くは無いに等しい。
必要な要件ならば日付だけでなく時間まで正確に覚えていられるが、それが終われば後はグダグダ、と言うのはよくある話だ。

 首を傾げるスコールに、リノアはくすくすと笑う。
やっぱり覚えてなかった、と呟くのが聞こえて、スコールは何の話だ、と更に眉間の皺を深くする。
それを見て、リノアは慌てて降参ポーズを取って言った。


「揶揄ってるんじゃないの。ごめん」
「……別に、あんたが俺を揶揄ってるとは思っていない」
「ほんと?ありがと。でも、一応、ごめんね。でね、今日が何日かって事なんだけど、……8月23日なんだよ」


 8月23日。
ああ、確かに昨夜───と言うより、今日の未明───に見た書類には、その日付を記載して判を押した気がする。


「……それがどうかしたのか」


 いまいち、リノアの言いたい事が判らずに、スコールは尋ねた。
途端、リノアが口を押えて噴き出す。


(……おい)


 これは、揶揄われてはいないが、馬鹿にされているのではないだろうか。
彼女に限ってそれはないと思いつつ、卑屈な思考はそんな考え方を呼び込んでしまう。
何が言いたい、と言わんばかりに、青灰色が少女を睨む。

 リノアはくすくすと一頻り笑った後、ごめん、ともう一度謝って、


「違うの、本当に揶揄ってるんじゃないの。ただ、そっくりだったから、面白くって」
「そっくり?……誰に」
「スコールの真似をした皆と」


 皆。
皆って誰だ。
思ってから、考えるまでもない、とスコールは思う。
自分の物真似をするような人間なんて、幼馴染達以外の何者でもあるまい。


「特にサイファーなんか、スコールの事だから絶対忘れてるし、言っても“それがどうかしたのか”って言うぞって。その通りになったから、なんかツボに嵌っちゃった」
(……サイファー、後で覚えてろ)


 セルフィやゼルに物真似をされるならともかく(寛容出来ると言う話ではないが)、サイファーに真似をされるのは、どうにも癪に障る気がして、スコールの眉間の皺が更に深くなる。
そんな顔をするから、眉間の傷が消えないんじゃないの?とアーヴァインに言われた事など、スコールの頭には残っていない。

 あー、可笑しかった、と言って目尻の涙を拭うリノアは、何処までも無邪気である。
その表情を見ると、スコールは彼女に怒りをぶつける訳にも行かず(彼女に悪意がないのは判り切っている事なのだから)、この場にいない幼馴染達に苛立ちの方向を向けつつ、この場は口を真一文字に噤むしかない。
そんなスコールに、リノアがもう一回ごめん、と言って、


「でね、今日の事なんだけどね。今日は、スコールの誕生日なんだよ」
「……誕……────ああ、」


 そう言えば、そんな日もあった。
呟くスコールに、リノアは眉尻を下げて笑った。


「きっとスコールは忘れてるだろうから、このまま皆で、内緒で誕生日パーティの準備をしようって言ってたの。提案したのはセルフィで、ゼルもアーヴァインもキスティスも、皆でやろうって言ってくれた。私も一緒にお祝いしてって誘われた。サイファーは色々言ってたけど、仕方ないから参加してやるって。イデアさんとシドさんも、OKしてくれて。多分、今頃は皆でケーキ作ったり、部屋の飾りつけしてたりするんじゃないかな」
「……暢気だな、皆。今更、そんな事して貰うような歳でもないだろ」


 毎日のように仕事に忙殺されているのは、スコールだけではない。
指揮官補佐であるキスティスやサイファー、正SeeDとして任務に奔走するゼル、復興中のトラビアガーデンやガルバディアガーデンとの連携で北へ西へ慌ただしいセルフィとアーヴァイン。
イデアもシドも、ガーデンの概ねの事はスコール達に委任した状態であるとは言え、何もする事がなくなった訳ではない。
英雄として褒めそやされているとは言え、スコール達はまだ未成年だ。
公の場に公人として立つ場合、ガーデン学園長であり創設者であるシド・クレイマーの存在は、まだまだ欠かせないものであった。

 それなのに、スコール一人の誕生日の為に、何やかやと準備をしたりするなど。
そんな暇があるのなら、捌かなければならない書類は幾らでもある。

 ───思いながらも、スコールの胸に去来するものは、呆れだけではなかった。
何と言うか、どうにもむず痒くて、こそばゆい。
顔の筋肉が引き攣るような感覚が合って、自分がどんな顔をすればいいのか、どういう顔をしているのかさえも判然としなかった。

 そんなスコールを知ってか知らずか、リノアはチョコレートトルテの天辺に乗った白い生クリームを見詰めながら言う。


「皆、スコールの事、お祝いしたいんだって。昔、石の家にいた頃みたいに……皆がバラバラになっちゃう前に、お祝いしていたみたいに、また」


 告げたリノアの声に、スコールは聞き覚えがあった。
何処で、と考えて、あの時だ、と思い出す。
幼馴染達の中で、唯一全ての出来事を記憶していたアーヴァインが、スコール達に真実を語った時───リノアは、今と同じ寂しげな声で「羨ましい」と言った。
幼い頃に繋がって、一度別たれてしまったけれど、もう一度集まって繋がり合う事が出来た仲間達の事が羨ましい、と。

 リノアの言う“昔”に、リノアはいない。
石の家にいた時の出来事は、スコールと幼馴染達だけが共有しているものだ。
それでも、リノアは確かにスコール達の仲間で、それは揺るがない。
けれど、頭ではそうと判っていても、リノアは時々、彼等だけに繋がり得る糸を感じて、疎外感を感じてしまう事があった。

 トルテの端を切り落として、ぱくん、とリノアはチョコレートを口に入れた。
チョコレートの甘味の中に、ダークチョコレートの仄かな苦味が感じられる。
その味を感じながら、リノアは「だからね」と言って笑った。


「だから今朝、スコールのお願いなんでも叶えてあげたかったんだ。スコールの誕生日だったから。気付いてなくても良いから、私からスコールのプレゼントって事にして、スコールのお願い、なんでも聞いてあげようって」


 結局、スコールじゃなくて私がプレゼントを貰った気分だけど。
独り言のようにそう呟いたリノアに、何の事だ?とスコールは首を傾げる。
そんなスコールに、リノアはくすりと笑って、


「スコール、知らない振りしててね。セルフィ達、昔みたいにスコールを驚かしてあげるんだって、張り切ってたから。スコールがびっくりして泣いちゃう位驚かせるんだ〜って言ってたから」


 昔のように驚かせる、と言われても、スコールにはその頃の記憶がない。
幼い頃の記憶は、G.Fの影響の所為か、殆ど思い出す事が出来なかった。
切っ掛けさえあれば思い出す事は出来ると言われても、その切っ掛けを率先して探せる程、スコールは暇ではない。

 そしてそれは、恐らく、セルフィやゼル、キスティスも同じ事だ。
バラムガーデンでSeeD試験資格を有していたサイファーも、短期間とは言えジャンクション経験は皆無ではないだろうし、何処まで覚えているものやら。
確実に覚えていると言ったらアーヴァイン位のものだろう。
小さな子供にとって、誕生日と言うものは、自分が主役になれる一大イベントなのだから、何某か記憶に残っていそうなものだが、スコール達はそれも碌に思い出す事が出来ない。
それがG.Fの恩恵を受ける代価なのだ。


(セルフィは……何か思い出したのか?)


 思案するスコールを感じ取ったのか、リノアはトルテを食べながら、セルフィの言葉を真似て見せる。


「セルフィがね。子供の頃は、誰かの誕生日が来るのがいつも待ち遠しかったんだって。その日は、イデアさんが美味しいケーキを作ってくれて、皆でバースデーソングを歌うんだって」
「……」
「覚えてない?」
「………」


 スコールは肯定も否定もしなかった。
代わりに、青灰色の視線が彷徨っているのを見付けて、リノアは眉尻を下げて笑う。
しょうがないね、と。
スコール達の記憶が、ふとした折に消えてしまう、不安定なものだと言う事を、リノアもよく知っていた。


「そうだよね。ゼルは思い出したみたいだけど、キスティスはあんまり思い出せてなかったみたい。サイファーは何も言わなかった。アーヴァインは覚えてた。そんな感じで、皆もバラバラみたい」


 幼い頃、石の家で一緒に暮らしていた事は、思い出す事が出来た。
けれど、それ以上の事───どんな風に生活していたのか、そう言う何気ない記憶は、中々思い出す事が出来ない。
日常生活の中で、デジャ・ヴュに似た感覚に見舞われて、そう言えば、とようやく思い出す。

 でも、とリノアは言った。


「だから、やりたいんだって。小さい頃の事、あんまり思い出せないから。思い出せないままでも良いんだけど、その代わりに、またあの頃みたいな思い出を作りたいんだって。セルフィは言ってた。ゼルも言ってた」


 ───まだ何も知らなかった、幼い頃。
決して裕福な生活をしていた訳ではなかったけれど、世界がどんなに広いかも知らない子供達は、それでも確かに幸せだった。
自分を愛してくれる人がいて、自分の頭を撫でてくれる人がいて、自分の手を握ってくれる人がいた。
それはとても小さく閉ざされた世界だったけれど、その世界で、子供達は十分幸せだったのだ。

 全ての運命が動き出してから、子供達ばバラバラになった。
始まりの場所に残された子供は、生きていく力を得る代わりに、愛された記憶を失った。
散り散りになった子供達も、少しずつ何かを得て、何かを失い、大切な何かを知らない内に手放していた。
けれど、得たものが子供達を育てた事は確かで、それによって子供達はもう一度その手を取り合う事が出来た。
新しい仲間と共に。

 だから、もう一度。
幼い頃のやり直しをする訳ではないけれど、落とし物を拾う為でも、新しい宝物を宝箱に詰め込む為でも良い。
失くしてしまった分だけ、新しい思い出を作りたい。


(……やっぱり、暢気だな。そんな事したって、G.Fを遣い続ける限り、そんな記憶もいつの間にか消えているかも知れないんだ)


 G.Fを使用している限り、記憶障害の弊害を拭い去る事は出来ない。
ジャンクションの危険性を認識していても、SeeDとして生きていく限り、少なくともスコールは、G.Fを手放す事は出来なかった。

 だが、セルフィやゼルの気持ちが判らない訳でもない。
今のスコールは、昔のように、思い出せない事を気にしなくて良い、と安易に片付ける事は出来なかった。
消えてしまったかも知れない記憶の中に、大切な人と過ごした記憶があると判る、今なら。


(幾ら沢山あっても、記憶は少しずつ消えて行く。だけど)


 空っぽになる前に、新しい記憶を、思い出を作って行けば、記憶が風化する事はない。
失われた記憶も、消えている訳ではなくて、記憶と記憶を繋ぐ糸が途切れてしまうだけ。
切っ掛けさえあれば思い出せるから、その切っ掛けは出来るだけ沢山あった方が良い。


「ね、スコール」


 フォークを皿に置いて、リノアが恐る恐る、スコールの顔を覗き込む。
首を傾げた彼女の肩口から、さらりと黒髪が流れ落ちた。


「内緒に出来なくて、言っちゃったけど。その……誕生日パーティ、行きたくないなんて、言わない…よね…?」


 いつものリノアらしからぬ、弱気な声で確かめるのは、スコールが賑やかな事が苦手であると知っているからだ。
それでも、折角のスコールの誕生日だから、リノアは目一杯祝いたいと思う。
仲間達の気持ちも判るし、何より、スコール自身に喜んで貰いたかったから。

 瑪瑙が心なしか泣き出しそうに潤んでいる事に、スコールは気付いていた。
泣く程の事じゃないだろ、と思いながら、持ち上げた手でリノアの頭を撫でる。
グローブ越しの不器用な手の温もりに、リノアはぱちりと瞬きして、白い頬をほんのりと赤くした。


「…パーティの参加者は、いつもの面子だけなんだろ」


 リノアの頭を撫でる手を離して、スコールは言った。
リノアはそれに小さく頷く。


「なら、別に構わない。サボって後からサイファーに逃げたなんて言われるのも腹が立つ」
「なんで逃げる事になるの?」
「なんでだろうな。その辺の理屈は、あいつに聞いてくれ」


 不思議な理論にくすくすと笑うリノアと、呆れたと言わんばかりの表情で投げやりに答えるスコール。
そんな彼の脳裏には、誕生日パーティに行かなかった場合のサイファーの反応がありありと想像されていた。

 頭に沁みつくようになったサイファーの嘲笑顔を追い払って、スコールは話を戻す。


「───多分、関係しているだろうから、ついでに聞くけど」
「何?」
「……あんたがさっき言ってた、どうしようって言うのは、何をどうしようって言う事だったんだ?」


 スコールが訊ねると、リノアはフォークを持ち直そうとした姿勢で固まり、そうだった、とがっくりと肩を落とす。


「あの、ね。さっき言ったよね、皆、今頃ケーキ作ってるって」
「ああ」
「それね、スコールの誕生日ケーキなの」
「そうだろうな」
「でね、セルフィがイデアさんに頼んで、子供の頃に食べてたみたいな甘くて美味しいのが良い!って言ってて。アーヴァインも、それならスコールも喜ぶねって。甘い物好きだったからって」


 最後のアーヴァインの一言に、スコールの眉根が寄せられる。


「それで、イデアさんも張り切ってて。サイファーはなんかニヤニヤしてたけど、あれってスコールが甘い物苦手だって事知ってたのかな?」


 絶対そうだ、とスコールは思った。
あの男は、スコールと一緒にガーデンに入学し、───いつの間にか記憶から消えていたけれど───スコールとずっと一緒にガーデンで暮らしていたのだ。
幼少の頃は置いておくとして、近年でも食堂で食事をしているだけで因縁を吹っかけられた記憶はある。
その際、一つ年上である彼は、妙な理屈でスコールを子供扱いして、デザート等の甘い食べ物を無理やり押し付けて来た事もあった。
その時、甘い物は嫌いだと言えば、好き嫌いは良くないからちゃんと食え、と宣う始末。

 甘い物を好んで食べていた時の記憶など、スコールは覚えていない。
石の家にいた頃はそうだったのかも知れないが、あれから十年以上も月日は流れているのだ。
生活環境の変化は勿論の事、味覚だって変わる。
今のスコールは、甘い物は余程疲れた時の臨時の糖分摂取の時にしか口にしない程だ。


「どうしよう。セルフィ達に伝えた方が良いかな」
「其処までしなくて良い。多分、セルフィ達の方が、昔食べていたケーキを食べたがっているんだろうから。あの頃は、誰かの誕生日の時位しか、ケーキなんて食べられなかったからな」


 スコールの言葉に、リノアが顔を上げた。
じぃ、と見詰める瑪瑙に、何だよ、とスコールの眉間に皺が寄るのは、恒例の事だ。


「スコール、子供の頃の誕生日パーティ、思い出したの?」


 リノアの指摘に、今度はスコールが目を丸くする。

 するりと口を付いて出てきた自分の言葉と、それに合致するであろう記憶が、直ぐに浮かんで来ない。
けれど、それが切っ掛けになったのだろうか。
なんとなくぼんやりとした光景が、スコールの脳裏に浮かび上がって来る。


「…なんとなく、だけど。多分こうだったんじゃないかって気がする事は、ある」


 今思い出した事だけど、と付け足す。
すると、それでも良い、とリノアがテーブルに乗り出して、スコールに顔を近付けた。


「ねえ、どんな誕生日パーティだったの?」
「…あんたが思っているような、華やかなものじゃないぞ」


 リノアの父親は、ガルバディアの軍大佐である。
昔から軍人として功績を挙げて来た家の娘なのだから、彼女は所謂“お嬢様”だ。
誕生日パーティとなれば、豪華な食事やケーキが用意されるのが当然だろう。

 だが、スコールが思い出した誕生日パーティは、彼女のように華やかなものとは程遠い。
そんなものだとスコールは言ったが、


「良いの。聞きたいの。だって、私が知らないスコールの話だもん。もっと一杯、知りたいよ」


 真っ直ぐに見詰めて言ったリノアに、スコールは物好きだな、と思った。

 聞いても大して面白い事はない。
そう前置きしてから、スコールは朧気な記憶をゆっくりと辿る。

 広大な荒地が広がるセントラ大陸の末端の岬、其処にある小さな小さな石の家で、子供達とクレイマー夫妻だけで行われる、細やかなパーティ。
イデアの手作りケーキと、他の子供達が皆で作ったオモチャや歌がプレゼント。
本当に誕生日かどうかも判らない子供もいたけれど、それを指摘する子供はいなかった。


「その日は、誕生日を迎えた子供が主役だった。その子供が喜びそうな飾りつけを他の子供がして、夕飯が少しだけ豪華になる。夕飯を食べたら、ママ先生の弾くピアノに合わせてバースデーソングを歌う。それから、ケーキに立てたロウソクの火を消して、それを皆で分けて食べるんだ。最後に、新しいオモチャとか、皆が一緒に編んだ手袋や帽子を貰って、それで終わり」
「良いなあ。皆で一緒にお祝いしてくれるんだ」
「でも、皆が一番楽しみにしていたのは、誰かのお祝いをするって事よりも、ケーキが食べられるって事だったな」


 子供らしいと言えば、子供らしい喜びかも知れない。
パーティの日は、石の家がいつもと少し違う雰囲気に包まれるから、それも楽しかったのは本当だ。
けれど、やはり子供にとっては食べ物の魅力が一番大きい。
甘い物が大好きな小さな子供となれば、尚の事。


「あの頃は、ケーキなんて誰かの誕生日の時にしか食べられなかった」
「そっか。そうだよね。皆、楽しみだったんだ。スコールも楽しみだった?」
「……多分」


 少なくとも、今よりは甘い物が好きだった。
ぼんやりと思い出した記憶の中で、姉と慕っていたエルオーネに、こっそり彼女の分を一口食べさせて貰った風景がある。
彼女に手ずから貰った一口は、先に食べた自分の分と同じ味をしている筈なのに、なんだかとても特別なものに思えた。

 青灰色の瞳が、此処ではない何処かを見ている事に、リノアは気付いていた。
共に旅をして来た仲間達が、今の彼と同じように、時折何処か遠くを眺めるように、懐かしむ表情を浮かべる事も知っている。
そんな時リノアは、少しだけ嬉しくて、少しだけ寂しい。
大切な記憶を蘇らせた仲間達を祝福しながら、其処に踏み込んで行く事が出来ない自分が、少しだけ悲しい。

 けれど、過去に踏み込む事は出来なくても、これからは共に歩んで行ける。
歩んで行くのだと、リノアは決めたから、トルテを少し大きく切り分けて、フォークに刺した。


「スコール、あーん」
「は?」


 考え事をする時、スコールが周りが見えなくなってしまう事を、リノアはよく知っている。
そして呼び掛けた時、「は?」と首を傾げて口を開ける事も。

 少し強引に、開いた口の中に、チョコレートトルテを入れた。
驚いたスコールの口が反射的に閉じて、甘いチョコレートの味が口一杯に広がる。
普段なら敬遠しているのであろう甘い味に、スコールの傷の走る眉間に、これでもかと言わんばかりの深い皺が刻まれるのを見ながら、リノアは言った。


「ハッピーバースディ、スコール。リノアちゃんから、皆より一足先にバースディプレゼントだぞ」


 フォークを手にして笑うリノアに、スコールは丸くなった目でぱちりと瞬きを一つ。
いつもの大人びた表情を崩した恋人を見て、リノアの足がテーブルの下で、嬉しそうにぱたぱたと遊んだ。

 スコールは、取り敢えず、口の中にあるものを噛んだ。
むぐ、と顎を一度動かしただけで(そうしなくとも)、甘い味が膨らんで、とろりと溶けたチョコレートが舌を撫でる。


「ど?美味し?」


 リノアやセルフィは好む甘さかも知れないが、甘い物が苦手なスコールには、美味い不味いを論じる以前の問題だ。
だが、スコールはそのまま口の中のタルトを噛んで、飲み込んだ。


「ねえ、どうだった?」
「……甘過ぎる。でも……」
「でも?」
「───……なんでもない」


 口を噤んで明後日の方向を向いたスコールに、其処まで言ってるのにずるい、とリノアが言った。
しかし、スコールはそっぽを向いたまま振り返らない。

 むぅ、とリノアは唇を尖らせる。
しかし、明後日の方向を向いたスコールの耳が、濃茶色の髪の隙間で、微かに赤らんでいるのを見付けて、リノアの表情は笑みへと変わった。






 あれをこっちに、これを其処に。
午前中に自分の仕事を終わらせたセルフィとゼルは、アーヴァインとキスティスと共に、指揮官室の飾りつけに勤しんでいた。

 いつもは殺風景で必要最低限のものしか置かれていない指揮官室が、今日はまるで幼稚園の遊戯室のように飾られている。
何度か報告書を届けに来たSeeDは、この光景に目を丸くした。
しかし、SeeDが何よりも驚き、緊張したのは、ガーデンに姿が見えない指揮官の代わりに、代理を務めるサイファーの不機嫌な顔だった。

 そして、今日何人目かのSeeDが報告書をサイファーへ提出し、彼の不機嫌な表情とは真逆に何処か浮かれた雰囲気の指揮官室をそそくさと退室した後、遂に彼の怒りは爆発した。


「だあああっ!なんで俺一人でこんな紙っぺらの相手しなきゃならねえんだよ!センセー、あんたも指揮官補佐なら手伝いやがれ!」


 常の倍以上の書類が積まれた、指揮官補佐であるサイファーのデスクから、B5サイズの紙吹雪が舞う。

 ばらばらと飛び散った書類に、キスティスがけろりとした顔で言った。


「サイファー、自分で散らかしたものは、きちんと自分で片付けて頂戴ね」
「キスティ、厳し〜」


 セルフィが上っている脚立を抑えていたアーヴァインが、キスティスに言った。
が、それでアーヴァインを睨んだのは、サイファーだ。
射殺さんばかりの眼光に、アーヴァインはひっと肩を縮めるが、キスティスは平然としたものである。


「スコールを今日一日休暇にさせるって言ったの、サイファー、貴方じゃない。その時、溜まってる書類の片付けも、貴方が自分がやるって言ったのよ。指揮官のスコールの代理をやって、スコールより優秀な所を見せてやるってね。そう言う委任状を書いて、サインしたのは貴方でしょ」


 そう言ってキスティスは、自分のデスクに置いてあった一枚の書類をぴらりと翳して見せた。
『指揮官代理任命状』と題打ったその紙には、サイファーとスコールのサインがそれぞれ書かれている。
スコールの認印は、キスティスが本人のサインを見ながらそっくりそのままトレースした代物だが、サイファーのサインは彼の意思で書かれたものだ。


「スコールはいつもその書類を一人で捌いていたから、貴方も出来なくちゃ、スコールより優秀って話にはならないわよ」
「あんただって半分位は手ェ貸してるじゃねえか」
「だってそうしないと、スコールが休まないんだから、仕方がないじゃない。倒れられたら困るわ。でも、貴方はスコールより優秀だし、無理もしないから、私がわざわざ手を貸す必要はないわよね。───ああ、ゼル、其処もうちょっと上。バランスが悪いわ」
「おう。こんな感じか?」
「そうそう」


 ぎりぎりと歯ぎしりしながらデスクに齧り突くサイファーを尻目に、キスティスはゼルとセルフィに飾り付けの指示を出している。
ゼルはキスティスの指示に合わせて、『Haapy birthday Squall!』と手書きの文字が入った横断幕を指揮官室の壁に吊り上げていた。

 指揮官室を飾る装飾品は、バラムガーデンが誇るSeeDの指揮官の誕生パーティをすると言うには、どれも幼稚なものばかりだ。
手書きの横断幕は、ガーデン祭に使う予定で無用の長物となってしまっていたもの。
壁を彩る吊るし飾りは、色紙やカラーテープを輪にして繋げたもので、窓には画用紙を切り貼りした『Happy birthday』と祝福の文字が並び、犬や猫やてんとう虫もくっついている。
この風景を見た者の、一体何人が、本当にSeeD指揮官の誕生日を祝うものだと思うだろう。
十人中九人が、幼年クラスの生徒のお誕生日会だと口を揃えるに違いない。
この飾りつけをしたのが、先の魔女戦争でスコールと共に英雄となった正SeeDと一級戦犯(未成年につき保護観察処分、現在更生期間中)だと聞いても、きっと誰も信じないだろう。

 だが、発案者のセルフィは勿論の事、ゼルもアーヴァインもキスティスも、そしてサイファーも、真面目に考えた末の決定だ。


「セフィ〜、もう其処は十分なんじゃない?」
「うーん。もうちょっと何か飾れそうなんだけど」
「あんまり一ヵ所に拘ると、全体のバランスが悪くなってしまうから、程々にして置いた方が賢明よ」
「でも、まだ用意した飾りが余ってるだろ。追加するなら、まだ十分行けるぜ」
「あんまり一杯飾りつけしたら、片付ける時が大変だよ〜。ほら、昔も一杯飾りつけし過ぎて、全部きちんと片付けるのに、二日もかかった事があっただろ?」
「え〜、そんな事あったっけ?」


 首を傾げるセルフィに、あったんだよ〜、とアーヴァインは言った。
ゼルも首を傾げ、キスティスもあったような、なかったようなと自信なさげに考え込んでいる。

 そんな四人を眺めつつ、サイファーは溜息を吐いた。
視線を手元の書類に戻すが、文字の羅列は頭には入って来ない。
それよりも、アーヴァインの話の方が、サイファーの頭を占めている。


(あったな、そう言う事が。ありゃあ確か、エルオーネの誕生日の時だった)


 いつも内向的で、姉にぴったりとくっついて離れなかったスコール。
そんな彼が、唯一積極的に行動していたのが、大好きな姉の誕生日を祝うパーティの準備だった。
何事も消極的な彼が、姉の好きな花や動物の飾りを頑張って作っていた。
エルオーネは孤児院の子供達に人気があったから、張り切ったのはスコールだけではない。
皆で総出であれもこれもと作り、それを全て飾り付けた末に、片付ける量が他の子供達の誕生日の倍増しになっていた。

 誕生日パーティの時に施した飾り付けを片付けるのは、準備をした子供達だ。
しかし、エルオーネの誕生日の時は、余りにも飾りの数が多くて片付けに手間取ってしまい、エルオーネも片付けを手伝う事となった。

 あれから十年以上────良くも悪くも、加減と言うものを知らなかった子供達も、今は若者と呼ばれる年齢になった。
大人と言うには足りないが、子供ではない。


(つっても、やっぱあいつらはガキのまんまだな)


 昔の記憶の事は、後でゆっくり考える事にしたのか、セルフィは次はあそこ、と言ってスペースの空いている壁を指差した。
ゼルは早速ダンボール箱にまとめていた飾りを取出し、何処にどうする、とセルフィと相談している。
キスティスは仕様のない、と言いたげな表情をしているが、本気で年下組の二人を止める気はないのだろう。
アーヴァインは見れば判る、彼はセルフィの希望が最優先だ。

 サイファーは、手許の書類に視線を戻した。
デスクワークが苦手なサイファーとしては、こんな面倒なものはさっさと放り出したいが、委任状に自らサインをした手前、放り出すのは癪だ。
話を聞いたスコールが、絶対に「あんたはやっぱりその程度なんだな」等と嫌味を言うに決まっている。
それは日頃のサイファーの行いへの意趣返しなのだが、どちらが先かなどと言う事は、サイファーにはどうでも良い話だ。

 つまらない紙の相手は、適当に済ませて片付けてしまおう。
こんな紙の相手をするよりも、魔女様に振り回されて帰って来るであろう幼馴染の為に、これでもかと言う程幼い飾り付けをしてやる方が楽しいに違いない。


「ママ先生の作ったケーキ、久しぶりだな〜。楽しみー!」
「セフィはそればっかりだね〜。でも、僕も楽しみだよ〜。不思議だよね、僕、あのケーキより美味しいケーキって食べた事ないんだ〜」
「スコールとリノアが帰って来るのって何時だ?」
「リノアには、7時には帰って来てって言ってあるけど」
「じゃあ、ギリギリまで飾り付けするなら、6時半までか。いや、6時で終わらせて置いた方が良いよな」
「サイファーも、それまでには書類を片付けておいてね」
「だったら少しはこっちも手伝えよ!作業分配の効率ってもんを知らねえのか、てめえら!おいヘタレ、こっち来て手伝え!」
「ええっ、僕〜!?」
「スコールより優秀な所を見せるって件はもう良いの?」
「ンなもん忘れたな。おらっ、これ半分全部お前が捌け」
「え〜っ!?キスティ、手伝ってよ〜!」


 アーヴァインの悲鳴を、キスティスは黙殺した。
確かに、自分が手助けに入った方が書類を効率的に片付ける事が出来るが、その場合、書類整理が終わるまで、セルフィとゼルだけに飾り付けを任せる事になる。
そうなったら、アーヴァインが言っていたように、造った飾りが全てなくなるまで飾って、気になる箇所にあれもこれもと集中させて、全体のバランスが悪くなってしまうに違いない。
平時のこの二人には、監督役が必要であると言う事を、教員資格を持つキスティスはよくよく理解していた。

 仕方なくサイファーの手伝いを始めるアーヴァインと、和気藹々と楽しそうに飾り付けを続けるセルフィとゼルとキスティス。
サイファーは書類にペンを走らせつつ、やっぱりガキの頃と変わってねえ、と一人思う。
あの頃と違う事と言えば、泣き虫な幼馴染の傍にいるのが破天荒で無邪気な魔女だと言う事と、彼が誰よりも慕っていた姉が此処にいない事だが、


「───すまない、邪魔をするぞ」


 コンコン、と言うノックの音とほぼ同時に、女生徒───シュウが指揮官室に入って来た。
シュウはいつにない指揮官室の様子を特に気にする事もなく、キスティスに声をかける。


「おーい、キスティス。スコールに客人が来ているんだが。入って貰って良いのか」
「ええ、構わないわ。今、ちょっと騒がしい所だけど」


 キスティスの言葉に、シュウが指揮官室のドアを大きく開ける。
促されて、お邪魔します、と指揮官室に入った女性を見て、少年少女達の目が輝いた。

 これで、全員。
プラス、彼と共にいる少女が一人。
新しく刻まれる誕生日の思い出が、次も、その次も、続いて行けば良いと、誰もが思っていた。





スコール、ハッピーバースディ!と言う訳で、リノアと幼馴染'sからお祝い。エルも一緒。
後日、某大統領からもお祝いメッセージとか貰うと思います。

判り易くスコールを振り回すリノアと、無自覚にリノアを赤面させるスコールなスコリノが可愛くて好きです。
あと、どうしたってスコールを揶揄う(構う)事に比重が傾くサイファーとか。
子供みたいな事を一所懸命やって、楽しい思い出を作ろうとするセルフィとか。
うん、皆可愛い!