夢現の狭間


 綺麗な顔に、大きな傷。
何をどうしたら、こんな場所にこんな大きな怪我をするのか、ティーダには判らなかった───ようでいて、判るような気がして、やっぱりよく判らなかった。



 疲労の所為か、珍しくリビングのソファなどと言う場所で無防備に眠るスコールを見つけて、ティーダは大いに驚いた。
スコールは三人掛けソファの上で、長い脚を縮めて丸くなっていたので、背凭れ側から近付いたティーダは、覗き込むまで其処にスコールがいる事に気付かなかった。
外でフリオニールを相手にブリッツボールの練習───と言ってもスフィアプールもないし、フリオニールはブリッツのルールを覚えている訳ではないから、ボールの投げ合い蹴り合いで体を動かしたと言った方が正確だ───をして汗をかき、体も良い具合に疲労を蓄積した所だったので、うっかり座っていたら彼を押し潰していただろう。
気付いて良かった、と、眠るスコールを見下ろしながらティーダは思った。

 仲間内の中で、滅多に人前で眠ることをしないスコールが、皆が集まるリビングで眠っている。
相当疲れているのだろう事が伺えて、ティーダはスコールを起こすのが忍びなく思えた。
本音を言えば、ティーダもスコールが眠っている場所にごろりと横になって(後でフリオニールに行儀が悪いと怒られるだろうが、気にしない)しまいたかったのだが、これでは無理だ。
仕方なく、ティーダはテーブルを挟んだ反対側のソファに座る事にした。
此方は一人がけのソファが二つ並んでおり、肘掛があるので、スコールのように横になる事は出来ない。
しかし適度に沈むソファは座り心地が良く、こっちでも良いか、とティーダは納得した。

 キッチンに行っていたフリオニールがリビングに戻ってきた。
手にはレモン水の入ったペットボトルが二本。
一本が放り投げられて、ティーダは座ったままでペットボトルをキャッチすると、キャップを空けて口に運んだ。


「っぷはー! 美味いっ!」
「ああ。やっぱり運動した後の一杯は格別だな」


 言いながら、フリオニールもキャップを外して喉を潤す。
彼はソファに座ろうと、三人掛けソファの背凭れに手をついた所で、其処で蹲る人物に気付いた。
ぱちり、と切れ長の眼が呆けたように見開かれる。


「……スコール?」


 思わぬ人物の、思わぬ姿に、フリオニールは軽く混乱しているようだった。

 フリオニールとスコールの接点は薄い。
同じコスモスの戦士として召喚されているから、仲間である事に間違いはないのだが、この二人はあまり親しくする機会がなかった。
別段避け合っていた訳ではないのだが、フリオニールがティーダ・クラウド・セシルと行動を共にしているのに対し、スコールは単独行動か、ジタンやバッツに巻き込まれている事が多かった。
戦力の偏りを防ぐ意味でも、フリオニールとスコールがパーティを組む事はなかった為、フリオニールはスコールと言う人物に対して、多少距離感を感じていた。
それはティーダにとっても同じことが言える。

 我に返ったフリオニールは、これだけ他者が近付いても眠り続けるスコールを見下ろし、聊か手持無沙汰に頭を掻いた。
それから、このソファには座れない事に気付いて、ティーダの隣へと移動する。


「珍しいな。スコールがこんな所で眠るなんて」


 ひそひそとフリオニールの声のボリュームが落ちているのは、仲間の休息を妨げまいと言う気遣いだろう。
しかし、ティーダの方は気にしていなかった。
会話をしている声で起きるのなら、スコールはもうとっくに目覚めている筈だ。


「疲れてるんじゃないスか? 昨日も一昨日も一人で何処かに行ってて、帰って来たの今朝だったらしいし」
「そうか……そうだったな」


 昨日一昨日と、ホームである秩序の聖域に帰って来なかったスコールが、何処で何をしていたのか、ティーダもフリオニールも知らない。
今朝、帰って来たばかりのスコールと、不寝番をしていたウォーリアが揉めていたらしいが、ウォーリアもスコールの不在の理由は聞かせて貰えなかったようだ。
ウォーリアによれば、目立った外傷などはなかったとの事だが、彼は大事を取ってスコールに今日一日はホームで待機するように、との指示をした。
スコールは特に反発する事なく憮然とした表情で「了解した」とだけ言ったと言うから、疲れている事だけは確かだったのだろう。
今もこうして、眠り続けている訳だし。

 フリオニールは持っていたペットボトルをテーブルに置いて、向かい側のソファで眠るスコールを眺めた。
スコールは背凭れに顔を向け、ティーダ達に背中を向けているので、此処からでは彼の顔を見る事は出来ない。


「疲れているなら、部屋で眠ればいいのにな。寝辛いだろうに」
「だよなあ。あれ寝た気しないっスよ。起きたら腕とか足とか痺れてそう」


 こんな場所では寝返りも出来ないだろうし、枕代わりに頭の下に敷いている腕とか、絶対に血の巡りが悪くなっていると思う。


「部屋に戻るのもダルかったのかも知れないっスね」
「そうだな。じゃあ、部屋に運んだ方が良いか」


 言って、フリオニールは立ち上がり、スコールの傍へと廻り込む。
抱えようとして手を伸ばしたフリオニールだったが、


「……ん、」


 零れた寝息に、フリオニールの動きがぴたりと止まった。
それを見ていたティーダも、つられて息を殺す。

 スコールは人の気配に敏感で、眠りが浅く、些細な物音一つで目を覚ましてしまうらしい。
元の世界では幼い頃から傭兵として訓練を受けていたと言うから、身についてしまった習性なのだろう───とは、よく一緒に行動するバッツやジタンから聞いた話だ。
そんなスコールである。
今までは話し声にも、視線にも気付かずに眠っているとは言え、触れてしまったら、増して抱えあげてしまったら今度こそ目を覚ますかも知れない。

 中途半端に手を浮かした姿勢のまま、フリオニールはどうしよう、とフリーズしてしまった。
そのまま再起動するまで時間がかかりそうなフリオニールを放置して、ティーダもそっとソファから腰を上げる。
ぐるりと大回りして、スコールが眠るソファの後ろ側に廻り込むと、背凭れからそっと顔を出して、スコールの顔を覗き込んだ。


「……起きないっスね」


 スコールは、聞こえる程度の小さな寝息を一つ漏らした後は、また静かに眠り続けている。
それを確認したティーダの呟きに、フルオニールがほっと息を吐いた。


「…でも、触ったらやっぱり起きそうだな…」
「どうだろ。おーい、スコールー」


 無為に起こしてしまうような真似はするまい、と諦めるフリオニールとは対照的に、今度はティーダが手を伸ばす。
つん、と眠るスコールの頬をつついてみると、スコールが小さくむずかった。


「こら、ティーダ」


 フリオニールの咎める声があったが、ティーダは気にせず突き続ける。

 つん、つん、と突いているスコールの頬は、ティーダやジタン、ルーネスとは違い、あまり弾力がない。
これは引っ張ってもあんまり伸びないだろうな、とティーダは思った。
だからあまり表情が変わらないのかも知れない。
スコールが聞けば、呆れた顔で「関係ないだろ」と言った所なのだろうが、スコールとは対照的に表情豊かなバッツやジタンの頬は、引っ張ってみれば実によく伸びるのだ。
顔の筋肉と言うものは、やはり動かさなければ直ぐに固まってしまうものなのだろう。

 軽く頬の皮膚を摘まんでみると、スコールの腕が浮いて、ティーダの手を払った。
スコールは狭いソファの上で身動ぎすると、もぞもぞと体勢を変えて、片膝を立てて仰向けになった。

 スコールの長い前髪が落ちて、人形のように整った面が露わになる。
柔らかな印象のティナや、女装の似合う(本人は非常に不本意だそうだが)中性的な面立ちのクラウドとは違う、何処か人形めいたスコールの顔。
女性的と言っても良いかも知れないが、反面、その額には大きな傷があって。


「……これ、どうしたんだろうな」


 額の傷を指先でつん、と突いて、ティーダは呟いた。
独り言めいたその言葉に、フリオニールは「さあな」と短い返事。


「やっぱり、戦闘中に出来た傷なんじゃないか。傭兵だって言っていたし」
「でもスコールってめちゃめちゃ強いだろ。そんなスコールの、こんな所に傷作るとか、どんだけ強い奴と戦ったんスかね。やっぱモンスターかな」
「…おい、あんまり触るなよ。起きるぞ」


 今度は傷をなぞり出したティーダを、フリオニールが慌てて止める。
────が、遅かった。


「…………」
「あ」


 閉じられていたスコールの瞼が小さく震え、ゆっくりと持ち上げられる。
茫洋としたブルーグレイがティーダを捉え、ティーダはスコールの傷に触れたまま、かちりと固まってしまった。
スコールの覚醒に気付いたフリオニールも、がち、と固まる。

 やべ、起きた。
起こしちゃった。
どうしよう。
取り敢えず、先ずは傷に触れている手を引っ込めるべきなのだが、軽くパニック状態になっているティーダは、その事に気付かなかった。

 蒼の瞳に、ティーダとフリオニールが綺麗に映り込んでいる。
察しの良いスコールの事だから、自分の寝顔をじろじろと見られていた事にも気付いただろう。
用もないのに自分の顔を検分されると言うのは、誰でも気分の良いものではないし、接触嫌悪・更に言えば視線嫌悪の気があるスコールならば、尚の事不快に感じられる事だろう。
おまけに、ティーダはスコールの額に触れている。
どう言い訳しても、スコールが気分を害するのは避けられない。

 ───と、思われた。


「……邪魔」


 そう小さく呟いて、スコールはティーダの手を払い除けると、のっそりと起き上った。
瞼は半分落ちた状態で、意識がまだ半分戻り切っていない事が伺える。


「ス、スコール…」
「………」


 フリオニールが呼ぶ声に反応せず、スコールはきょろきょろと辺りを見回す。
その表情は、いつもの眉間の皺がない所為か、常の大人びた雰囲気もなく、何処か幼い子供のようにも見えた。

 ティーダが払われた手を引っ込めたのと同じタイミングで、スコールは床に足を下ろして立ち上がった。
が、意識半分の所為か、膝がふらりと揺れてバランスを崩す。
そのままテーブルに落ちそうになる細い体を、慌ててフリオニールが拾って支えた。


「大丈夫か? スコール」
「……ん」


 ごくごく短い返事をした後、


「……ありがとう」


 と小さく呟いて、スコールはフリオニールから体を離す。
その時、フリオニールは本日三度目のフリーズに陥っていた。

 スコールはふらふらとした足取りでソファから離れ、リビングを出て行く。
ティーダはソファの背凭れに後ろから寄り掛かった姿勢のまま、首だけを巡らせて、ドアの向こうへと消えていくスコールを見送った。

 壁の向こうから、賑やかな声が聞こえてくる。


「おっ、スコール!」
「スコール、起きたのかー。って訳で、うりゃー!」
「とりゃー!」


 そんな声の直後、どたんばたんと穏やかでない音が響く。
うわあああ、と二つの慌てる声が続いたが、肝心の渦中の人物の声は聞こえて来ない。
多分、まだ意識の半分が夢の中にいる所為だ。

 何事だ、と凛とした低音が響く。
勇者のご登場だ。
賑やか組の二人はきっと震えあがっているに違いない。
いつものティーダなら、これからお説教タイムであろう二人に同情する所だったのだが、生憎、今のティーダにはそんな余裕はない。

 多分、寝惚けていたのだろう。
スコールは眠りが浅く、人の気配に敏感で小さな物音一つで直ぐに目を覚ますが、ホームで過ごす朝はいつも寝汚かったりする。
酷い低血圧であるらしく、非常事態を除けば、活動スイッチが中々ONにならないようだった。
バッツやジタンなどは、この時のスコールを面白がって、あれこれ悪戯を画策していたりする。
大抵、後でスイッチが完全に切り替わったスコールの怒りを買い、踵落としを喰らっているのは、ティーダもよく見る光景だった。

 だから先のスコールは、絶対に寝惚けていたのだと思う。
だって、そうでなければ、有り得ない。
少なくとも、ティーダの中にあんなスコールはいなかった。


(ありがとう、って言った)


 それはとても些細な事で、ごくごく普通の事なのだろう。
けれど、その普通の事が、スコールと言う人物には中々結びつかなかった。

 ティーダが知るスコール・レオンハートと言う人物は、気高い孤高の獅子であった。
誰に寄り掛かる事もなく、誰に頼る事もなく、ティーダから見れば息苦しい程に孤独を貫く。
戦う時にも剣を振う手も、それがモンスターであれ、イミテーションであれ、カオスの戦士であれ───時として仲間であれ、躊躇う事なく容赦する事もない。
命を削り合う殺し合いと言うものを、スコールは躊躇わない。

 この神の戦いの世界に置いて、彼はカオスの戦士との戦闘を“任務”と呼称しており、その任務を遂行する事を最優先と考えている。
それ以外の事はまるで不要、と考えているようにも、ティーダには見えた。
例えば仲間と笑いあったり、仲間とふざけあったり───そういう“普通”が、彼には欠けているように見えていたのだ。

 けれど。


(ありがとうって言った。ありがとうって)


 たったそれだけの事だけれど、その言葉は、彼の心の一片をティーダに見せてくれた。


「……驚いた」


 ようやくフリーズから解消されて、フリオニールが呟いた。
はは、と小さく笑うフリオニールも、恐らく、ティーダと同じ心境なのだろう。

 となれば、ティーダが言う事は一つ。


「ずるいっス!」
「は!? な、何がだ?」


 ソファの背凭れに乗り上げて、ティーダはフリオニールに向かって言った。


「ずるいっス、のばらの癖にー!」
「だから何がだ!?」


 叫ぶティーダに、フリオニールは困惑しながら叫び返すのだった。





居眠り獅子。
17歳コンビがきゃっきゃしてるのと、世話焼きフリオが好きです。
フリオは貧乏くじ引きだと信じてる(酷)。

ティーダにスコールの額の傷ぐりぐりして欲しい。かわいい。
スコール見つけると跳び付きがデフォルトな59かわいい。