透明ガラスの向こう側
僕が優し過ぎると君は言うけれど、まだ幼さを残したその心にこそ、何物にも換えられない優しさが詰まっていると思う。
落ちて来た刃を弾き返し、柄を掴む手首を返して、円を描くように獲物を振り上げて懐を切りつける。
自分とは違う、鎧など身に付けていない薄生地の布が、僅かに切っ先を掠めた。
空転する勢いに逆らわず、スコールは後方に宙返りして、両手を地面につくと筋肉に反動をつけて後方へ跳んだ。
其処へサーチライトで追い打ちを仕掛けるが、スコールは更にバックステップを踏んで回避する。
光弾の届かない位置まで距離を取ったスコールは、光弾の撃ち止めと同時に強く地面を蹴り、突進した。
振り被った銀色の刃が空を切る。
キィイ…ン、と、甲高い音が響き、空に木霊して消えた。
凛とした光を宿したブルーグレイが、セシルの眼前にあった。
滅多に人と目線を合わせる事をしないスコールであるが、戦闘時だけは話が別だ。
標的から決して目を逸らす事はなく、鋭く尖った眦は、まるで縄張りへの侵入者を威嚇する猛獣のようにも見える。
その眼に映り込んだ自分の顔が、ゆっくりと緩み、
「参った。僕の負けだ」
セシルがそう告げると共に、白の鎧の腹に当てられていた刃が引いた。
今が本物の戦場であれば、間違いなく、セシルの腹を割いていた銀色の刃を。
スコールは数歩下がってお互いの間合いから外れると、右手に握っていたガンブレードを光の粒子へと霧散させた。
セシルも握っていた白磁の槍を仕舞い、額に滲んでいた汗を拭う。
「やっぱり君は強いね」
「……あんたも」
言葉少ない仲間の、珍しいと言えば珍しい返し方だった。
誉めれば素直に喜ぶティーダやフリオニール、少し照れ臭そうに口元を緩めるクラウドとは違い、てっきり黙殺されるかと思っていたのだが、今日は機嫌が良いのだろうか。
───そう考えてから、少し違うかな、とセシルは自問自答する。
セシルの前に立ち尽くすスコールは、常と同じ無表情のまま、唇を引き結んでいる。
彼は滅多に其処から必要以上の音を発する事はないのだが、代わりに青灰色がよく喋る。
ただ、彼は滅多にその瞳を此方に───相手に向けてくれようとしないので、無言の会話さえも難しい。
しかし、今日は違った。
目を合わせようとすると、その直前にす、と逸らされる筈の瞳が、未だにセシルへと向けられている。
「何だい?」
首を傾けて問い掛けると、「いや…」とスコールは口籠った。
続けて瞳を逸らされて、ああ失敗した、とセシルは知った。
目は口ほどに物を言うと言うが、その目さえも逸らされてしまっては、本当に会話のしようがない。
更にこのまま背中を向けられたら、それこそ完全に拒否の姿勢と言って良い。
ジタンやバッツはその背中によく突撃しているが、生憎、セシルにそう言った度胸はなかった。
なんと聞けば良かったのかな、と思っていると、また予想外の事が起きた。
スコールがその場から立ち去る事なく、じ、とセシルを見詰めるようになったのだ。
「ええと……僕の顔、何かついてるかな」
「……別に、そういう訳じゃないが……」
セシルの言葉に、スコールは判り易く眉根を寄せたが、会話のきっかけには出来たようだ。
スコールはまた幾拍かの沈黙の後、ようやっと口を開いてくれた。
「あんた、いつも本気を出してないだろう」
そう言ったスコールの眉根には、深い谷が出来ている。
不機嫌である事を如実に表わした筋に、セシルは苦笑を返す。
「そんな事はないよ。君相手に、手加減なんてしていられない」
「手加減しているとは言っていない」
返した言葉を、直ぐに否定された。
セシルがきょとんとした表情でスコールを見返すと、青灰色が更に不機嫌な色を滲ませている。
セシルは先程とは違った意味で、ああ失敗した、と思った。
比較的、他者との距離感や空気を読む術は長けている方だと思っていたのだが、この気難しい仲間にだけは中々通用しない。
ティーダやジタン、フリオニールのように明け透けにはしないし、クラウドのように複雑ながらも自身の言葉を吐露してくれる訳でもない。
感情を極端に表に出さない彼の特徴を、セシルは未だに図り兼ねていた。
───だから、彼が言わんとしている言葉を上手く想像する事も出来ずない。
止む無く、セシルはスコールに彼の言葉の意を確かめることにした。
「本気を出していない…って事もないと思うんだけど。スコールには、そうは見えなかったのかな」
「………」
返って来た無言は、恐らく肯定と取る所なのだろう。
そんな事はないけどなあ、と呟きながら、セシルはスコールの反応を待つ。
スコールは、言葉を探すように、また幾拍かの間を置いた後で、
「あんた、本気で戦えば俺に負ける事なんてないだろう」
「そんな事はないよ、スコール。君にそんな風に言って貰えるのは、嬉しいけどね」
眉尻を下げて笑んだセシルを、スコールがじろりと睨む。
瞳の中には沢山の感情が渦巻いていて、それを全て含んで言い表せる言葉は、“不満”の二文字だった。
「……俺だけじゃない。昨日、ティーダにも負けただろ」
───昨日の午後の話だ。
十人の秩序の戦士達の中で、戦闘に置いて敢えて優劣をつけると、ティーダが最も下になる。
それは元々の世界で戦事とは無縁であり、魔物すらも人々の生活の中では遠い存在であった事が理由と言える。
それでもカオス側の戦士達と戦って生き抜くだけの力があるのだが、やはり当人は、ウォーリア・オブ・ライトやフリオニールのみならず、最年少であるルーネスにも敵わないのが悔しいらしく、頻繁にクラウドやフリオニールを捉まえては稽古をつけている。
昨日はその稽古にセシルが付き合い、彼のトリッキーな動きに翻弄され、黒星を上げる事になったのだ。
それを、屋敷で過ごしていたスコールに見られていたらしい。
険しい顔付のスコールの言葉に、セシルは曖昧にぼかした表情を浮かべる。
確かにコスモスの戦士の中で、序列を作った場合、セシルがティーダに負ける事はほぼないと言って良いだろう。
しかしティーダも毎日の稽古のお陰でぐんぐん成長しているし、スポーツ選手として鍛えられた体のバネを活かしたトリッキーな動きは、騎士として経験を積んだセシルにも虚を突かせるものがある。
昨日の件は確かにセシルも聊か油断していた所はあるが、ティーダの努力が実ったものとも言えるだろう。
珍しく勝ち星を取れたティーダも無邪気に喜んでいたし、セシルも彼のその時の様子が純粋に嬉しかったから、スコールの厳しい言葉には中々頷く事が出来なかった。
「ティーダも頑張ってるからね。僕もうかうかしていられないよ」
「………」
思うように会話が成り立たない事に、スコールが苛立つように眉尻を吊り上げた。
それからスコールは、すい、とセシルから目を逸らし、
「……あんたは、優し過ぎる」
色の薄い唇が紡いだ言葉に、セシルは首を傾げた。
どういう意味だろう、と。
「さっきも、昨日のティーダも……あんたなら確実に突ける隙があった。あんたもちゃんとそれを判ってた」
ティーダの場合は動きに大振りなものが多い事、スコールならばガンブレードのトリガーを引いた直後の衝撃をいなす間の数瞬の硬直。
それは確かにセシルの眼にも明らかなものであったから、それを突けば勝ち負けが逆転していた可能性はあるだろう。
「なのにあんたは手を止めたんだ」
「下手に手を出すと、反撃を喰らうかも知れなかったからね。君もティーダも、凄く反応が早いし。僕より身軽だしね」
「……あんた、言い訳するの下手なんだな」
スコールの言葉に、君がそれを言うのか、とセシルはこっそりと思う。
何かと単独行動をウォーリアに咎められる度、言い訳をする事もせず、沈黙したままでウォーリアを睨んで威嚇しているのは、他でもないスコールなのだ。
だが、セシルとて上手い言い訳が出来ない気質であるのは確かだ。
スコールの言葉に苦笑いを浮かべれば、彼は一つ溜息に似た息を吐く。
「あんたなら、剣が届く直前で止める事だって出来るだろう」
「どうかな。人間相手って難しいからね。そんなに都合良くは行かないよ」
「…それでも、あんたの実力なら、不可能じゃない」
きっぱりと言い切る青灰色は、反論を許してはいなかった。
「多分、万が一を考えるんだろう。この一手が相手を再起不能にするんじゃないか、傷を負わせるんじゃないかって、あんたはいつもそんな事を考えて戦ってる」
相手が魔物であったり、カオス側の戦士である時は別だが───そう言い足して、スコールは理解不能とばかりに顔を顰めている。
「あんたは、優し過ぎる」
ブルーグレイがセシルを捉えて、真っ直ぐに彼はそう言った。
「そんなので、あんた……」
「生きて行けるのか、って?」
先に続こうとした言葉を先取りすると、スコールが僅かに目を瞠ったのが判った。
それから彼は、開かれていた唇を閉じて、じっとセシルを見詰める。
セシルのプラチナブロンドがふわりと揺れて、風に流れる。
それを追うように、何気なく空を見上げれば、薄雲に覆われていた。
雨が降りそうだな、とぼんやりと関係ない事を考えて、
「大丈夫。君が思う程、僕は優しい人間じゃないから」
そう言って仲間へと視線を戻せば、見慣れたものよりもずっと幼い表情をしている少年がいる。
常の冷静な色はなく、先程までの不機嫌な空気も形を潜め、其処には年相応の幼さが滲んでいた。
滅多に表情を崩さない事と、冷静とした雰囲気の為に忘れがちになるが、この少年も、元気で無邪気な太陽のような少年と同じ年齢なのだ。
セシルの記憶は、全てが鮮明となっている訳ではないが、多くは取り戻されている。
その記憶の中で、セシルは自分自身が、スコールが言うように“優しい”人間ではない事を明確に理解していた。
抵抗する術を持たない人々を、命令の名の下に屠った事もある。
そして何よりも───親友だと憚らなかった男の前で、彼が愛した女性と恋を育んだ。
時に揶揄してセシルの背を押していた彼が、どんな顔をして、どんな心を押し殺していたのか、セシルは知っている。
知っているのに、セシルは彼女と惹かれ合った。
仲間を傷付ける事を、傷付く事を、セシルは厭う。
けれども、この異世界で出逢った仲間達よりも、きっと誰よりも近くにいた存在の心を、セシルは殺し続けていたのだ。
だから、スコールの言う“優しい”人間は、此処にはいない。
「………」
何かを言い募ろうとした少年の音を、セシルは拒絶した。
口元を引き上げて笑顔の形を作ると、スコールは開きかけた口を閉じて、俯いた。
踏み込んではいけない。
境界線を察して沈黙したのであろうスコールに、セシルはひっそりと「ほらね」と胸中で呟いた。
(優しい人間は、こんな風に壁を作ったりはしないよ)
スコールも他者に対して壁を作っているが、セシルにとってそれは“壁”とは呼べないものであった。
他者と自分を隔てる境界線は確かに其処にあるけれど、其処に建っているのは分厚くて冷たい壁ではなくて、向こう側が見通せる透明なガラス窓のよう。
何かと単独行動が目立つスコールだが、彼が本当の意味で他者を拒絶する事は殆どないと言って良い。
会話が最低限である所為か、取っ付き難さが目立つが、彼は自分に構いつけてくる者を無碍にする事はない。
何かと構い付けるジタンやバッツを相手にしているのが良い例だ。
同じようにはしゃぎ回る事こそないものの、跳び付いて来る彼らを実力行使で拒もうとはしないのだ。
代わりに垣間見せるのは、物怖じせずに構いつけてくる彼らに対して、どうすれば良いのか判らない───そんな青臭さのある、戸惑いの顔。
セシルはゆっくりと立ち尽くす少年に近付いた。
具足の音が鳴る度、スコールの肩が小さく跳ねて、青灰色がじっとセシルを見詰める。
まるで警戒している猫のようだ。
目を逸らしたら何をされるか判らない、そう考えているようにも見える。
手を伸ばして、ダークブラウンの髪の上に置いた。
案外と柔らかい感触に、猫っ毛なのかな、とセシルは思う。
「ありがとう、スコール」
「……は?」
セシルの言葉に、スコールがぱちりと瞬きを一つ。
それを見下ろして、ふふ、とセシルは小さく笑う。
「君に心配して貰えるなんて、嬉しいよ」
「…別、に」
「次からは負けないように頑張るよ。君にも、ティーダにも」
セシルの指がダークブラウンの糸の隙間を梳いて行く。
スコールは、現状把握が出来ていないのか、その手を振り払う事はしなかった。
「だから君も、気を付けて。もっと仲間を頼ってよ」
常に一人で立ち続ける事は、とても辛くて、疲れる事だ。
そんな時に束の間でも寄り掛かれる存在が傍にいれば、どれだけ心強い事だろう。
スコールが何を思って単独行動を取るのか、仲間との距離を縮める事を拒むのか、セシルは知らない。
だが、人と距離を取りながらも、この大人びた少年は、人が傍にいることそのものを拒絶する事もなく、自分よりも弱い人間を切り捨てる事もしない。
だから多分───これはセシルの想像と言うよりも、願望意識に近いのだけれど───スコールが単独行動を取るのは、仲間を信じていないから、ではないのだろう。
きっとスコールは、外目に見える程、冷たい人間ではない。
何も言わない唇の代わりに、瞳の奥には沢山の言葉が垣間見える。
それを一つ一つ拾い上げて繕って繋いでいけば、この少年が殊の外、熱い心を抱いている事も判る。
撫でていた手を離して、「じゃあね」と少年から離れる。
何か言いたげが青灰色がセシルを追い駆けるのが感じられたけれど、セシルは屋敷へと向かう足を止めなかった。
(ほらね。僕は、優しくない)
甘い人間だと言われる事もある。
兄からも咎められる事もある。
けれども、自分は優しい人間ではないと、セシルは思う。
踏み込むなと言う無言の境界の前で、足踏みをした少年。
境界線の向こう側で、物言いたげな唇を噤んだままで、じっと此方を見詰める少年。
言葉少なに差し出された彼の手を、セシルはまた、殺している。
それでも、背中を見詰める青灰色は、決して刺々しくはならず。
(君の方が、きっとずっと優しいよ)
振り返って笑顔を浮かべてみれば、いつもの仏頂面で睨まれた。
その青臭さが妙に愛おしく感じられるのは、複雑そうで案外と真っ直ぐな、彼の性根を知ったからだろうか。
セシルさん難しい……
オチ要因として登場させると物凄く助かる人なんですが(お前セシルをなんだと…)。
うちのセシルは大人です。綺麗な心も持ってるし、ずるい所もある。だからティーダとかフリオニールみたいに真っ直ぐなのが少し羨ましい。
スコールは早く大人になりたくて、でもまだ大人と子供の境界線にいる子。セシルから見れば青い青い。
成人組(保護者ポジション)で言うと、基本は遠くから見守ってる人。沸点が高い。でも怒らせると一番怖いよ。