深き蒼の底にて
一度で良い。
真っ直ぐに向き合いたいと思う。
其処に埋め込まれた蒼色が、とても綺麗だと思うから。
仲間達の多くが和気藹々と過ごす中で、常に一線を隔そうとする人物がいる。
それは大抵、賑やかな仲間のお陰で打破され、わいわいとじゃれあう輪の中に強制参加させられるのだが、それが終わると彼は直ぐに離れて行く。
そして、もう巻き込まれまいとするように、屋敷の自分の部屋へと篭ってしまうのである。
殊更に彼に構いつけようとするのは、主にバッツとジタンで、次点がティーダである。
時折、ティナが何かを言いたげな眼差しで彼を見詰めている事があるが、彼は気付いているのかいないのか、ティナの方もそれ以上踏み込む事が出来ないようで、此方は少年達のように声をかけるまでは至っていない。
案外と仲が良いのがクラウドで、此方は賑やかにしている訳ではなかったが、必要最低限の情報交換であったり、彼らにしか判らない話───バイクだの車だのと言う類は、ウォーリアにはまるで判らない代物であった───をしている。
彼が持つ変わった形状の武器に興味を持って、見たい、触ってみたい、と言って声をかけるのは、フリオニールとルーネスだった。
あらゆる武器を使いこなせるフリオニールと、知識欲が疼くのだろうルーネスの申し出を、彼はあからさまに断る事はない。
ただ一言「落とすなよ」とか「此処は触るな」と注意をして、自分の獲物である剣を渡す。
セシルはあまり会話らしい会話をしている所は見た事はないのだが、彼は少年を遠目に微笑ましげに見詰めている事が多く、その視線を受けた少年は、物言いたげにセシルを睨むものの、結局何も言わずに、少年の方が先に目を逸らすのがパターンであった。
彼自身は決して仲間に対して友好的な態度を取っていないが、仲間達の方は、彼に対してとても友好的に接している。
そして、彼は素っ気ない態度を見せはするものの、露骨に拒絶する事はなかった。
────それが、ウォーリアに対してだけは、酷く鋭角的に冷たかった。
彼が単純に画一的に冷酷な人物でない事は、ウォーリアも理解しているつもりだ。
そうでなければ、仲間達は彼に対してこうも友好的ではないだろうし、窮地に陥った仲間を助けに走ることもなかっただろうし、彼自身も折に触れて来る仲間の手を寛容する事もあるまい。
特に何かと構いつけて来るバッツとジタンに対しては、他の仲間達よりも幼い表情を垣間見せる事もあるようで、その話を聞けば尚の事、彼も優しい心を持つ人物なのだと言う事が感じられた。
しかしウォーリアは、彼のそうした一面を見た事がない。
いや、向けられたことがない、と言った方が正しいだろうか。
彼がバッツやジタンと一緒にいる時、ティーダがじゃれついている時……と言ったように、ウォーリアが遠くから眺めている時、彼のふとした表情の変化を目にした事は何度かある。
しかし、彼はウォーリアの存在をその目に留めた瞬間、眉間に深い皺を刻み、ついとウォーリアから目を逸らしてしまうのである。
何故、彼は自分を拒絶するのだろうか。
目を合わせる事すら許容できない程に、何が彼の壁を厚くさせてしまうのか、ウォーリアには判らない。
戦いに関する知識・知恵ならば───誰に教えられたものかは判然としないが───十分に蓄えられている筈の頭は、それ以外に対しては、からきしなのであった。
それが激しく悔やまれるのは、こんな時だ。
……また一人で無茶をしたのだろうか。
頬に大きな痣を作ってホームである秩序の聖域に戻ってきた剣士の顔を見て、ウォーリアは眉間に深い谷を作った。
剣士の眉間にも同じような谷が刻まれており、青灰色には苦々しい感情が浮かんでいる。
ウォーリアは真っ直ぐに彼の───スコールの眼を見詰めたまま、問う。
「その痣は?」
問いかけに対して、スコールは答えないまま、す、とウォーリアから目を逸らす。
痣のある頬はウォーリアから見えなくなったが、代わりに首元を覆う毛皮(彼らの世界ではファーと呼ぶらしい)の隙間から、爪に引っ掛かれたような鬱血があるのが見えた。
それを作ったのは獣か虚像の軍勢か、考えた後で、恐らく後者であろうとウォーリアは検討をつける。
若しも獣の類であるならば、引っ掻き傷はもっと細く鋭いものになっていただろうから。
ウォーリアは、スコールの首元の傷を見詰めたまま、質問を替えた。
「何処に行っていた?」
「……アース洞窟だ」
「一人でか?」
「……予定の空いている奴はいなかった」
「私がいただろう」
常ならば、平時でも一人で斥候・見回りに赴く事が多いウォーリアだったが、昨日今日はずっと屋敷で待機していた。
これは先日の闘争の際、ウォーリアが負傷した事が原因で、フリオニールとセシル、クラウドから「たまにはゆっくり休め」と言われたのが発端であった。
傷自体は回復魔法によって完治させた為、もう問題はないと一度は断ったウォーリアだったが、セシルとクラウドに「リーダーが休まないと、他のメンバーも気軽に休めない」と言われたので、今回は彼らに甘える事にしたのだ。
ウォーリアが負傷した事はスコールも知っているし、治癒が終わった事も知っている。
ウォーリアの予定が空いている事や、昨日今日と屋敷で過ごしていた事は気付いていた筈だ。
しかし、スコールはウォーリアの言葉に判り易く顔を顰めて見せた。
「……あんたは、一応怪我人だし、此処から離れる訳にはいかないだろう。それとも、陣地を空にするつもりか?」
その危険性が判らない訳ではないだろう、と青灰色がウォーリアを睨んだ。
スコールの言葉は、最もなものだった。
聖域全体はコスモスの力で結界が張られている為、イミテーションや魔物ならば弾く事が出来るが、彼女の力が弱まっている今なら、カオスの戦士のように力の強い者は強引に突破する事が出来る。
秩序の聖域はコスモスの戦士にとって、重要な拠点となる場所だから、敵に奪われる訳には行かなかった。
となれば当然、余程の時でもなければ誰か一人と待機要員とするのが常考であった。
戦場に置いて必要な知識・知恵を備えているウォーリアが、待機人員の重要性を理解できていない訳がない。
だからスコールが言っている事は正しいのだが、それでも、とウォーリアは思う。
「私の傷はもう治っている。確かに君の言う通り、聖域を無人にするべきではないのだろうが、君一人を危険な場所に行かせるのも、私は得心できない。聖域は一度奪われても、まだ取り戻す事が出来るが、君の命は一度失われたらもう取り戻す事は出来ない」
無論、一度とて聖域を奪われる事が許される訳ではない。
しかし、大切な仲間が一人で危険を冒す事で、戻って来なくなる事があるかも知れない。
スコールの強さはウォーリアもよく知っているし、彼の冷静な判断力や視野の広さは、彼が単独行動を取っても可惜に心配無用である事を知らしめている。
だが、万が一の可能性が無い訳ではなかった。
混沌の戦士は、秩序の戦士に比べて仲間意識は然程深くないようだが、利害関係の一致があれば同盟を結び、共闘する事もある。
一人で複数の敵を同時に相手取ると言うのは、如何に戦場を越えて来た者であるとしても、容易に振り切れるものではない。
秩序の戦士には策謀に長けた者が多く、そんな彼らにしてみれば、単独行動の目立つスコールは格好の的だろう。
だからウォーリアはスコールの事が心配なのだ。
何か危険に巻き込まれた時、一人では困難な場面でも、仲間が共にいればきっと心強い筈。
彼の身を案じればこそ、ウォーリアは目の前の剣士の単独行動を諌めずにはいられなかった。
しかし、スコールも頑ななもので、
「あんたに心配されなきゃいけない程、俺は弱くない」
「判っている。君はとても強い。だが、」
「判っているなら、それでこの話は終わりだ」
ふい、と青灰色がウォーリアから逸らされる。
一方的に会話の終了を言い渡して、スコールはウォーリアの隣を通り過ぎた。
その時、彼の白い頬に残された痣が目について、ウォーリアはスコールの腕を掴む。
途端、びくん、とスコールの体が緊張したように固まった。
触れる事を嫌うスコールのその反応に構わず、ウォーリアは言う。
「ならばせめて、私が君の傷の手当てをしよう」
「……必要ない。離せ」
じろりと肩越しに睨む蒼に構わず、ウォーリアはスコールの腕を引いて歩き出した。
「っ……離せ!」
「直ぐに済ませる」
「必要ないって言ってる!」
腕を掴む手を振り払おうとするスコールだったが、ウォーリアは頑として離そうとしなかった。
廊下ではずっと抵抗していたスコールだったが、リビングに入った所で諦めたのか、もがくのを止めた。
ソファに座って待っているように促すと、眉間に深い皺を刻んだまま、不承不承と言う表情で腰を下ろす。
ウォーリアがチェストから救急道具の箱を取り、彼の下に戻った時にも、スコールは表情を変えていなかった。
「上着を脱いでくれ」
頬の痣だけなら、このまま湿布を貼って終わりだが、首に残された爪痕の治療が出来ない。
だから必要な事だと促したのだが、スコールはじっとしたまま、ジャケットを脱ごうとしない。
此処にいるのがバッツやジタン、ティーダであれば、スコールの態度など気にせずに強引に脱がしにかかるのだろうが、ウォーリアは其処まで強引な性格をしていない。
脱いでくれ、ともう一度言う。
青灰色が何か言いたげに此方を睨んでくるのを、ウォーリアは受け止め、じっと見つめ返した。
そうしていると、十秒と経たない内にスコールが目を逸らし、ジャケットを肩から落とした。
黒い長袖から引き抜かれた腕を見て、ウォーリアは目を瞠る。
其処には頬の青痣よりもくっきりとした、痣が残っている。
バッツやジタン、ティーダと違って日焼けをしないスコールの腕は、白く細い所為か、痣の色も殊更に浮き上がって見えた。
「───これは?」
抑揚のない声で問うたウォーリアに、スコールは俯いたまま、小さな声で答える。
「……ジェクトのイミテーションと戦ったんだ」
名を聞いて、成程、とウォーリアは合点した。
混沌の戦士ジェクト───純粋な肉弾戦に置いて、彼に敵う者はいない。
本物であれば、人間味のある人物であある為、年若い戦士を相手取る時も何処か余裕を見せ、手加減して来るような男だが、心を持たないイミテーションとなればそうはいかない。
スコールは決して弱くはないが、クラウドやフリオニールのように筋肉には恵まれなかった体質のようで、純粋な力勝負では分が悪い。
今回は繰り出された拳を避け切れず、腕で受け止めた結果が、この痣だとスコールは言った。
「痛むか」
「あんたがさっき掴んだ所為でな」
問いかけに間髪入れずに帰って来た言葉に、ウォーリアははっとなる。
先程、スコールをリビングに連れてくる間、自分はこの痣のある腕を強く掴んでいた。
スコールが「離せ」と言ったのは、何もウォーリアの治療を拒む意味だけではなかったのだ。
言ってくれれば直ぐに離した、とはウォーリアは言わなかった。
腕を掴んだ時、スコールが身を強張らせたのを、自分はちゃんと気付いていた。
垣間見た痛みの信号を無視したのは、ウォーリアだ。
「すまなかった」
血流が悪くなって変色している腕に、やんわりと手を当てて、ウォーリアは言った。
すると、スコールが幼い顔を見上げて来る。
「なんだ?」
「……あ……、いや……」
つい、とまた直ぐにスコールの視線が逸らされて、下に落ちる。
ウォーリアは救急箱から軟膏と湿布を取出し、薬を指で掬ってスコールの首元へと手を伸ばした。
それを感じ取ったスコールが顔を上げ、伸びてくるウォーリアの手から逃げるように体を後ろに反らす。
「何してるんだ、あんた」
「薬を」
「自分で出来る」
「見えないだろう」
「鏡で」
「此処にはない」
よく磨かれた窓ならば、映る事は映るだろうが、それでも首の後ろにある引っ掻き傷は見えまい。
ウォーリアの言葉に、スコールはぐうの音も出なくなった。
「…判った。あんたに任せるから、せめて後ろからやってくれ。あんただって今のままじゃ碌に見えないだろう」
言われてから、ああそうだった、とウォーリアは気付いた。
スコールと正面から向き合ったままでは、ウォーリアも彼の首の後ろの傷を診る事が出来ない。
ウォーリアはソファに座るスコールの背に回り込み、項にかかる後ろ髪を掻き揚げて、薬を塗っていた指を乗せた。
途端、びくっとスコールの肩が揺れて、
「痛むか」
「……違う」
「しかし、今」
「…冷たかっただけだ」
ぼそぼそと、歯切れの悪い声でスコールは言った。
「…少し、我慢しては貰えないだろうか」
「……早めに終わらせてくれ」
「ああ」
言われた通り、ウォーリアは手早く軟膏を塗り広げ、患部に湿布を当てた。
ひんやりとした感触がまたスコールには辛かったようで、スコールの肩がもう一度跳ねる。
ウォーリアはスコールの前へと戻ると、湿布を痣の残った白い頬に貼った。
独特の匂いが鼻をついて、微かにスコールが顔を顰める。
それからウォーリアは、頬よりも遥かに広い範囲を侵食している腕の蒼痣に視線を落とした。
「しばらく冷やした方が良さそうだな」
「それなら、帰る道でやった」
「ならば固定すれば十分か」
「自分でやれる」
そう言ってスコールは、伸ばされようとしていたウォーリアの手から、自分の腕を庇い隠した。
痣は利き腕ではない左腕にあるから、確かに自分の手で治療する事は出来るだろう。
───しかし、ウォーリアは引き下がらなかった。
「いや、私がやろう」
「…あんた、人の話聞いてたか。自分で出来るって言ってるだろう」
「ああ、聞こえている。だが、やらせて欲しいんだ。君が無事に帰って来た事を確かめたい」
真っ直ぐに見詰めて言ったウォーリアの言葉に、スコールがぱちりと瞬きを一つ。
ことん、と首を傾げる様も相俟ってか、ウォーリアを見詰める蒼の瞳は、いつもよりも酷く幼く見えた。
「…何言ってるんだ?あんた」
意味不明だ、と呟いて、スコールはまた目を逸らす。
それを見ながら、何度目だろう、とウォーリアは思った。
ウォーリアは、遠ざけられていたスコールの腕を取って、自分の手元まで引き戻した。
患部を圧迫しないようにゆっくりと包帯を巻いて行く。
時折スコールの表情を伺ってみると、眉根を寄せて此方を見ていた───が、痛みを堪えている節はなく、ブルーグレイには心なしか戸惑いのような色が滲んでいる。
────ウォーリアが、スコールのそんな表情を見たのは、これが初めての事。
スコールがウォーリアを向き合う時、彼は大抵、眉間に皺寄せてウォーリアを睨み付けていた。
其処に敵意も悪意も感じられなかったから、ウォーリアは特別それを気にする事はなかったが、酷く警戒されている事は感じ取っていた。
この世界での闘争が始まった時、その眼差しは他の仲間達にも向けられていたが、それは徐々に軟化して行った。
そうして今現在、スコールが未だに頑なな態度を取り続けるのは、ウォーリアだけになっていた。
そんなスコールが、睨む訳でも、眉間に皺よ寄せて不機嫌を露わにする訳でもなく、幼い顔で自分を見ている。
初めて見る仲間のそんな表情に、ウォーリアは知らず言葉を漏らしていた。
「君が無事に戻って来てくれて、良かった」
包帯に覆われた白い腕。
固定する為に固く巻いた為、触れても其処から体温は伝わってこなかった。
けれど、肌身のままの掌に触れれば、生きている熱と鼓動が感じられる。
この熱が、鼓動が、万が一、戻って来ていなかったら───今こうして幼い光を宿して見詰める蒼色も、見る事が叶わなかった。
そう思ったら、いつの間にか心が音になって零れていた。
ウォーリアの呟きを聞いたスコールは、暫くぽかんとした表情でウォーリアを見詰めた後、一転してぎっと睨む。
「……何言ってるんだ、あんた。あんたに心配されなきゃいけない程、俺は弱くないって───」
「ああ、判っている」
苛立ちを滲ませて、常よりも大きな声で言い募ろうとするスコールの言葉を、ウォーリアは遮って頷いた。
重ねていた掌を掬い上げ、両手で包み込む。
「君の強さを信じている。しかし、心配するなと言われても難しい」
目の前の少年には、単独行動を強行できるだけの実力がある事も、仲間を殊更に忌避する程に冷たい人間ではない事も判っている。
仲間の手が必要な場面であれば、その時はきっと、ちゃんと仲間の手を取るだろう。
しかし、その手がいつも仲間に届くとは限らない。
孤高を貫き、孤独のままに命を落とす日が来るかも知れない。
重ねた手は温かく、戦士にしては少し薄い。
厚手の皮手袋をしている所為で、ウォーリアはそれを今日まで知らなかった。
そして、ゆらゆらと光を称える蒼い瞳が、とても澄んでいる事を、今日初めて知った。
知ってしまったら、尚の事、
「やはり私は、君の事が心配だ」
凛と遠くを見据える蒼と、幼い光を宿した蒼。
それを失いたくないと、思う。
直ぐ目を逸らすスコールと、じっと向き合うウォーリア・オブ・ライト。
目力強い人って、スコールみたいに人と向き合うのが苦手な人には、怖かったりするんですよね。
ウォーリアは無自覚に歯が浮くような台詞を言ってくれると信じてる。
しかしうちのスコールがウォーリアにデレてる所が書けません……書きたいのに!