世界がを壊すなら


 スコール、と呼ぶ声が聞こえて、振り返ると同時にガンブレードを握った。
空だった手がグリップを強く握り、背後に現れた気配に向けて切っ先を向け────其処にいた人物を見て、スコールは目を瞠る。


「……あんたか」


 スコール自身と同じ色味のダークブラウンの髪、青灰色の瞳、額に走った大きな傷を持った男。
ジタンやバッツによれば、面立ちも非常に似通っているらしく、顔のパーツだけを見れば双子がはたまた兄弟ではないかと彼らは言っているのだが、その辺りの事はスコールには判然とはしなかった。

 スコールに向けられる、柔らかな光を宿した瞳。
それだけを見れば、穏やかささえ感じられる表情なのだが、彼が身にまとわせている気配は、カオスの戦士のものであった。
しかしスコールは、そんな彼の前で、向けていた刃を光の粒子に戻す。
戦士として、傭兵として、敵である人物の前で、あるまじき行動である事は、スコールも理解している。
けれども────理由は自分でも判らないけれど、“この男は大丈夫”とスコールは思ってしまうのだ。
そしてその直感の通り、この男は、スコールに対して攻撃らしい攻撃を仕掛けてきた事はない。

 無防備な様で立ち尽くすスコールに、男がゆっくりと歩み寄って来る。
スコールはそれに対して警戒心を抱く事はなく、男も歯牙を覗かせる様子はない。
寧ろ、何処か喜びにも似た色を瞳に浮かべ、逸りそうになる足を堪えているように見える。


「今日も一人なんだな」
「………」
「責めてる訳じゃない。そんな顔をするな」


 そんなって、どんなだ。
そんな気持ちで眉根を寄せたスコールに、男はくつくつと笑った。


「拗ねるな」
「…誰が」


 顔を顰めるスコールに対し、男は変わらず笑っていた。

 常のスコールならば、向けられる笑顔に対して、意味を深読みしようと思考を巡らせている所だろう。
しかし、これもまた理由は判らないのだが、この男の前ではそうした条件反射的な思考の動きも停止してしまう。
代わりに、何故か反抗心とも対抗心とも違うけれど、何か言ってやらなければ、やられっ放しになっているような感覚に見舞われる。
だから、スコールは呟いた。


「あんただって、今日も一人だろ」


 手を伸ばせば触れられる距離で立ち止まった男を見上げて、スコールは言った。
すると、見下ろす青灰色はやはり柔らかな光を宿したまま、


「ああ、そうだな」


 そう言って、眦を下げる。
その様子を見て、スコールは“暖簾に腕押し”と言う諺を思い出した。

 いつまでも、何処までも、柔らかい光でスコールを見詰めるこの男の名は、レオンと言う。
混沌の戦士として、この神々の闘争の世界に召喚され、秩序側に属するスコールとは敵対する関係にある。

 しかし、姦計に富み、人の心を握り潰す事さえ厭わない者が多い混沌の戦士の中で、レオンは一風変わっていた。
異彩の混沌勢と言えば、ゴルベーザやジェクトもそうなのだが、彼らの場合、身内が敵陣営にいる事が明確であるし、ジェクトなどは性格からして混沌には不釣り合いだ。
彼ら二人は、自分達の家族のみならず、その仲間であるスコール達に対しても、敵とは思えない接し方をしてくる事があった。
己の利の為に他者を駒か道具のように見る事もなく、それはレオンも同様であったのだが、レオンはまとう空気が彼らともまた違うのだ。

 重力に従っていたレオンの手が上がって、スコールのダークブラウンの髪に触れる。
傷んでるな、と呟いたのが聞こえたが、それがどうした、とスコールは眉根を寄せた。
それを見たレオンは、眉尻を下げ、


「ストレス、溜まってるんじゃないか」
「……別に」
「お前は昔から、人の輪の中にいるのが苦手だったからな」


 レオンのその言葉に、スコールは彼から目を逸らした。
何と返せば良いのか判らなかったからだ。


(昔からって、なんだ)


 レオンは、スコールが初めて出逢った時から、こうして触れて、声をかけて来る。
初めこそ驚き、戸惑ったスコールだったが、繰り返されている内、警戒心も麻痺してしまったようで、傭兵として酷い失態だと判っているのに、どうしてか、スコールはもう彼を前に臨戦態勢を取る事が出来ない。
頭の中で、理由もなく“大丈夫”と言う言葉が聞こえて来て、それに従ってしまっている自分がいた。

 そして、レオンが度々口にする“昔から”と言う言葉。
スコール自身は、このレオンと言う男について何も知らないのだが、そうした戦士はスコール以外にも多い。
混沌の戦士はどうなのかは知らないが、少なくとも、秩序の戦士の大半は、個人差はあれど、自身の記憶を曖昧にしか思い出せていなかった。
実際、スコールの記憶もかなりの部分が虫食いになっており、スコールは自分自身の名前・所属・他幾つかの単語とそれに伴う感情しか、思い出す事が出来なかった。

 記憶が戻れば、この男の事も何か判るのだろうか。
グローブを外した、少し武骨な手でスコールの髪を撫でる男を見て、スコールは思う。


(記憶が戻って、こいつの事が判ったら……判ったら、なんだ?)


 ────判ったら、どうなると言うのだろう。
この男は、どんなに優しい眼でスコールを見ていても、カオスの陣営に属している。
そしてスコールは、カオスとは対を成すコスモスの陣営に属しているから、仮にこの男が自分と知り合いであったとしても、その道が同じ方向へ向くことはない。
下手にこの男の事を思い出して、セシルのように身内である事に葛藤を感じたり、ティーダのように言葉では括れないような感情でがんじがらめになる位なら、何も判らないままの方が良いと思う。

 思うのに、何故だろうか。
スコールは、この男の事を思い出したいと考えてしまう────もし、知っている人間であるのならば、であるが。


「スコール」


 名前を呼ばれて、意識が現実に還ったのが判った。
はっとなって顔を上げると、鼻先が掠りそうな距離から、レオンが此方を覗き込んでいた。


「……!」
「うん?」


 スコールのパーソナルスペースはかなり広い。
必要がないのなら、半径数メートルは近付かれたくない程だ。
鼻先が掠りそうな程の至近距離なんて、以ての外だ。


「ち、近い!」
「駄目か?」
「駄目だ!離れろ!」


 聞くような事じゃないだろう、と睨みつけると、レオンはまた笑い出した。
くすくすと、まるで悪戯の成功を確かめた子供のように。


「笑うな」
「ああ、すまん」


 あっさりと謝り、ついでに笑みも引っ込めたレオンに、スコールは眉間の皺を深くする。
しかし、心中はすっかり毒気を抜かれたも同然の状態だった。

 なんだか玩具にされているような気もして来たが、レオンは決して、意地の悪い表情は浮かべていなかった。
だから、スコールは余計に調子が狂ってしまう。
これがジタンやバッツのように、悪ノリや悪ふざけだと判るような顔をしているなら、サンダーでも落として仕返ししてやれるのに、レオンは何処までも柔らかい瞳でスコールを見詰めているばかりだ。

 髪を撫でていたレオンの手が離れると、スコールはくるりと踵を返し、背中を向けた。
堂々と敵に背中を見せているのも、これまた可笑しな話だが、やはり此処でも、スコールはレオンが奇襲して来るとは考えていなかった。
……それもまた、可笑しな話だ。


「どうした?」


 スコールの行動の意図が判らない、と言う声音で、レオンは言った。
スコールは振り返らないまま、きっぱりと答える。


「もう戻る」
「一人でか」
「一人で来たんだ。一人で帰る」


 何を当たり前の事を言っているのだろう。
理解不能と眉根を寄せ、肩越しに後ろの男を見遣れば、青灰色がとても優しい光を宿していて、


「送ってやろうか」


 ……そう言って微笑む様は、まるで小さな子供のお使いを見守っているかのよう。
寧ろ、送って行くのが当然だ、と言わんばかりの表情だった。

 スコールははっきりと顔を顰め、男を睨んだ。


「いらない」
「そうか?」
「そういう台詞は、ルーネスやティナにでも言ってやってくれ」
「大丈夫だろう、あの二人は。割としっかりしているし」


 じゃあ、俺はしっかりしていないって言うのか?

 そんな言葉を胸中に詰めて睨んだスコールに、レオンはことりと首を傾げる。
どうした、と問うてくる声は、スコールの視線の意味を理解していない────と断定するには、酷く曖昧な色を灯している。
純粋にスコールの事を心配している、ようにも見えて、


「……あんた、訳が判らない」


 自分に構い付ける事、敵なのに一度も攻撃して来ない事、昔から知っているような言動を繰り返す事。
スコール自身が何故か警戒すら出来ない事、“大丈夫”と半ば無条件に信じてしまっている事、それが揺るがない事だと思っている事。

 目の前の人物に関わる、自分自身の事象が全て、常の自分の姿と矛盾している事に、スコールは気付いていた。
此処にいるのは“敵”と“敵ではない者”の二通りだけで、それ以外は存在せず、両者には明確な違いと、線引きの基準になる事柄がある。
第一に、コスモスの戦士であるか、カオスの戦士であるか────この時点で、彼は“敵”だと断定できる。
次に“攻撃を仕掛けて来るか”否か────此処で矛盾が起きる。
“敵”なのに“攻撃を仕掛けない”者は、“敵”として認識して良いのだろうか。
その上、攻撃はおろか、彼はまるで宝物に触れるように優しく柔らかく触れて、スコールを真綿で包もうとする。

 “敵”なのか“敵ではない”のか。
判らない相手と、判らないままで会話を続けるのは、酷く気力を消耗する事だ。
探索を続ける気も失せてしまったし、会話を続ける気にもならないから、他に取れる選択肢と言ったら帰る事だけなのだが、何れにしても、きっとレオンは自分の後をついて来るに違いない。
今までもそうした事は何度もあって、スコールが聖域に帰る為にテレポストーンの下に辿り着くか、コスモスの戦士がスコールを探しに来るまでは、絶対にスコールから離れようとしなかった。
レオンは、特に進んで会話をする方ではないらしく、その道中はとても静かなものであったが、向けられる柔らかな視線にスコールが落ち着かなくなってしまう為、結局予定よりもかなり早く切り上げる事が常だった。

 スコールは正面に向き直った。
最寄のテレポストーンは、此処からそう遠くない位置にあるから、十分も歩けば着くだろう。
其処までこの男はついて来るだろうが、振り返らずに歩けば、無闇に声をかけて来る事もない筈だ。
話しかけられても黙っていれば良い。

 一歩前に踏み出して、ざく、と土を踏む音が鳴った────スコールの直ぐ後ろで。


「スコール」


 後ろにあった気配が、いつの間にか、すぐ間近に来ていた。
名を呼ぶ声に、言い知れない“何か”を感じて、スコールの背に戦慄が走り、咄嗟に振り返って身構えようとする。

 しかし、それよりも、男の方が早かった。
腕を掴まれて引き寄せられて、檻の中に囲われる────レオンの腕の中に。


「な、」


 何が起きているのか、一瞬理解が追い付かなかった。

 とすん、と逞しい胸板に柔らかく頬ぶつけたスコールの、背中へと回されている腕。
視界の端でダークブラウンが風に揺れて、頬をくすぐる。
口元が肩に乗って、耳元で呼吸する気配があって、押し当てられた胸にどくどくと鳴る鼓動の音があって。


「……スコール」


 囁くように名を呼んだその声は、何処か、泣き出しそうに聞こえた気がした。
どうしてそんな風に名を呼ばれなければいけないのか、スコールには判らない。


「レオ、」
「行くな。頼む。もう、我慢できない」


 スコールの呼ぶ声を遮るようにして、レオンは言った。

 行くな。
行くなって、何処に。
決まっている、スコールが今向かおうとしていたのは、秩序の聖域だ。

 ぎゅう、と背中を抱く腕に力が篭って、スコールは我に返り、焦る。
幾らこの男が自分に対して害意を向けた事がないとは言え、それがずっと、この世界に存在している限り、変わらないとは言えない。
何が切っ掛けで刃を交える事になるか判らないし、そもそも、この男は“敵”なのだ。
……抱き締める腕が、震えているのだとしても。


「離せ!」
「駄目だ」
「あんた、何がしたいんだ!?」


 混乱と苛立ちで叫ぶスコールに、レオンがそっと体を離す。
けれど、背に廻された腕は離れようとせず、ほんの僅かでもスコールが離れて行く事を赦そうとはしなかった。

 睨むスコールを、レオンはじっと見詰めている。
青灰色に寂しげな光が灯っている事に、スコールは気付かない。
それが益々、レオンの心を感情のままに押し流して行く事となる。

 スコール、と何度目か知れず、レオンが名を呼んだ。
スコールは睨み続け、レオンは真っ直ぐにその瞳を見詰め、


「俺と来い、スコール」


 告げられた言葉に、スコールは眉根を寄せた。


「それがあんたの目的か」
「目的?」
「俺を裏切り者にさせて、こっち側の戦力を削る腹積もりなんだろ」


 眦を吊り上げて言ったスコールに、レオンは反対に眉尻を下げる。
どうして、とでも言いたげな表情に、それはこっちの台詞だとスコールは思う。

 ……裏切られた────そんな感情がスコールの胸の内に浮かび上がっていた。
親しげに声をかけて来るのも、子供をあやすように触れて来るのも、敵意を向けて来ないのも、全てはその為か。
懐柔する為の態度であったとすれば、今までの彼の行動の全てに納得が行く。
まんまと嵌められていた自分が悔しくて、何より、時折笑いかけてくれた彼の表情すらも演技であったのかと思うと、腸が煮える思いがした。


「俺は、コスモスに召喚された。雇い主はコスモスだ。俺達が勝てば、報酬として俺達は元の世界に戻れる。この契約を破棄するつもりはない」
「……報酬、だと?」


 ぴくり、とレオンの眉根が寄せられ、顔付が険しいものになる。
それを見ずに、スコールはどうにかこの腕の檻から逃れられないものかと身を捻るが、殆ど効果は見られなかった。

 その傍ら、レオンはぶつぶつと独り言のように呟いている。


「報酬…そうか、そんな形で……記憶も、それで。そう言っているのか。あの女神は……」


 一人で納得したように零して、レオンは口を噤んだ。
ぐ、と背中に廻された彼の腕が、鷲掴むように強くなったのを感じて、スコールは息を飲む。

 ざわりと空気が変質して行くのを感じて、スコールは多量の汗が噴き出て来るのを自覚した。
目の前にいる男が、己を捕らえている男が、先程まで此処で柔らかな笑みを浮かべていた彼と同一人物である事が信じられない。
恐る恐る見上げた面は、酷く綺麗に整っていて、海の深遠のように静かな青灰色には、怒りにも似た衝動が滲んでいる。


「スコール」
「……!」


 呼ぶ声に、ぎくり、とスコールは硬直した。
喉の奥がひりついて、声が出ない。


「スコール、俺と来い。いや、連れて行く。コスモスの所になんて戻らなくて良い。帰さない」
「何……」
「大丈夫だ。こっちの連中の事は気にしなくて良い。お前は俺が守る。誰にも傷付けさせはしない」
「は…離せ!意味不明だし、あんた、可笑しいぞ」


 レオンの胸を押して体を離そうとするスコールだったが、彼はびくともしなかった。
それ所から、離れようとするスコールを諌めるように、一層強い力でスコールの背を抱くばかり。

 ゆっくりとレオンの顔がスコールの顔へと近付いて、ともすれば、唇さえも触れてしまいそうな程に近い距離。
吐息がかかるのが判って、けれどもレオンは構わず、言葉を紡ぎ続ける。


「報酬なんて嘘っぱちだ。この世界は終わらない。俺達は解放されない。お前も、元の世界になんて戻れない。大体、あんな世界にお前は戻りたいって言うのか。お前を苦しめるだけの、あんな世界に」
「そんな事……敵の口から言われて、誰が信用するか!」
「敵じゃない。俺は敵じゃない。お前の敵になんか、絶対にならない」
「あんたは敵だ!」
「違う。俺がこの世界で、一度でもお前を傷付けた事があったか?」


 それは、あんたが俺を懐柔しようとしただけだろう。
そう言おうとして、スコールは出来なかった。
見詰める青灰色が、今にも泣き出しそうに歪んで見えたからだ。

 なんで今、そんな顔するんだ。
今までにも、レオンは時折、泣きそうな、寂しそうな顔でスコールを見詰めている事があったけれど、このタイミングは絶対に可笑しい。
それとも、これも懐柔策の一つなのだろうか。
泣き落としなんて古臭い手だとスコールは思うが、前後の遣り取りを計算して、上手く挿入すれば、十分有効な手段だ。

 騙されてはいけない。
もう、流されてはいけない。
スコールは唇を噛んで、男をもう一度睨んだ。


「スコール……」


 抱き寄せられて、また閉じ込められる。
頭を撫でる手の感覚に、スコールはどうしてか泣き出しそうになっている自分に気付く。

 駄目だ駄目だ駄目だ、流されるな。
胸中で繰り返して呟きながら、触れ合った場所から伝わる温かさに、全てを持って行かれそうになる。


「俺と来てくれ、スコール。俺の事を思い出さないままでもいい。俺はもう、お前が泣くのも、傷付いて壊れて行くのも、見たくない」


 まるで縋るような声。
可笑しいだろう、あんたがそんな声で言うの。
音にない声で零したスコールの、その呟きが聞こえたかのように、強く優しく抱き締められる。

 その直後、


「スコール!!」


 聞き覚えのある呼び声に、スコールは顔を上げた。
木々の隙間から落ちる光を反射させる金色が、此方に向かって突進してくる────その手に大剣を構えて。

 離れろ、と言う言葉が、男にも自分にも向けて言われている事に、スコールは気付かなかった。
呆然として立ち尽くすスコールの腕をレオンが引き、自分の背中へと隠す。
彼の手にはいつの間にか具現化されたガンブレードが握られていた。

 ギィン、と甲高い金属の音が響き、木霊する。


「スコールを放せ!」


 金糸の男────クラウドの言葉に、レオンは不愉快と言わんばかりに顔を顰めた。


「俺の台詞だ。スコールを放せ。解放しろ」
「訳の判らない事を……!」


 クラウドが体重をかけてレオンを押し退けようとするが、レオンは体を引いてそれを往なした。
そのままレオンは、スコールを抱え、後方へ跳ぶ。


「スコール!」


 直ぐにクラウドが追撃する。
横一線に振り薙いだバスターソードを、レオンはガンブレードの腹で受け止めた。
レオンの人差し指がトリガーにかかり、引かれ、魔力を練り込んだ弾薬が破裂し、刀身に振動が伝わる。
重心がブレる感覚に、クラウドが眉を潜めた。

 刃を弾き合って、レオンとクラウドはそれぞれ距離を取って着地した。
スコールも地面に下ろされる。


「大丈夫か、スコール」
「あ、あんたの所為だろ!」
「そうだな。悪かった」


 苦し紛れに怒鳴ってやれば、酷くあっさりとした詫びの言葉が返って来た。
また毒気を抜かれてしまいそうになって、スコールは頭を振る。

 レオンの左手が、スコールの右腕を掴んでいた。
振り払おうと腕を動かしてみるが、レオンはちらと此方を見ただけで、手を離そうとはしない。
寧ろ尚強く握り締めて来る。

 がしゃん、と鈍い音がして、クラウドが大剣を構え直した。
レオンはガンブレードを握った右腕は重力に従ったまま、構えようともしない。
しかし、いつもスコールに柔らかな笑みを向けていた青灰色には、冷たく鋭い光が宿っている。


「スコールを返して貰う」
「返す?…妙なことを言うな。スコールは俺達コスモスの仲間だ。あんた達とは関係ない筈だろう」
「いいや、関係がある。少なくとも、俺とスコールの間には」


 そう言って、レオンはスコールの腕を掴む手に力を籠める。
骨まで伝わってくる程の強い力に、スコールは顔を顰めた。
それを見たクラウドが、強く地を蹴って突進する。


「ふっ!」


 ぶぉん、とバスターソードを振り上げるクラウド。
レオンは表情一つ変えず、ガンブレードを十字に交えてそれを防いだ。
碧眼と青灰色が刃越しに睨み合う。


「失望した気分だ」


 クラウドが呟いた。


「あんたがスコールを誑かそうとしてるとは思っていなかった。人を騙すような奴には見えなかったからな」
「誑かす?騙す?何の話だ?」
「人の良い顔をしてスコールに近付いて、そっち側に引き摺りこむつもりだったんだろう」


 他に何がある、と言わんばかりに睨むクラウドに、レオンは眉を吊り上げた。
同じことをスコールが先程言ったばかりだったが、その時の反応とは雲泥の差だ。
青灰色に激情のような光が灯る。


「最初に引き摺り込んだのは、どっちだ!」


 レオンが手首を返し、ガンブレードがバスターソードに押される形で回転する。
押し合う形で留まっていた力が動き出し、クラウドが姿勢バランスを崩した。
しまった、と目を瞠った瞬間、クラウドの鳩尾にレオンの膝がめり込む。

 筋肉量の所為もあって、クラウドは自身のウェイトにはそこそこ自信があった。
しかし、レオンの蹴りは凄まじく、後方へと吹き飛ばされる。
背中が木にぶつかって止まらなければ、林の向こうまで飛ばされていたかも知れない。

 噎せ返るクラウドの姿に、スコールは我に返った。


「クラウド!!」


 掴まれていた腕を振り解いて、スコールはクラウドの下へと走った。
傍に膝をついて、おい、と呼びかけると、苦しげな碧眼がスコールに向けられる。


「大丈夫だ…」
「………」


 鳩尾を押さえながらクラウドは言ったが、スコールは常の淡白さが嘘のような、不安げな表情を浮かべている。
無愛想な仮面を剥がしてしまえば、其処にいるのは、若干17歳の少年であった。

 ざ、と土を踏む音が聞こえて来る。
スコールが振り返れば、レオンがその手にガンブレードを握り、ゆっくりと歩み寄って来る姿。
一切の感情を閉じ込めた面で、見詰める青灰色だけが静かに鋭く光を帯び、此方を────クラウドを睨み付けている。


(そんな顔、知らない)


 スコールは、レオンのそんな冷たい表情を、過去に一度として見た事がなかった。
レオンはスコールの前に姿を見せる時、必ず一人で現れ、スコールの傍にジタンやバッツがいる時でもそれは同じだった。
敵対する意思がない事を示すかのように、魔物と遭遇した直後でもなければ、彼の両手は必ず空いている。
時折、スコールがいない所でフリオニールやウォーリア・オブ・ライトと剣閃を交える事はあったと言うが、その時でも、余裕のある笑みを───それも、決して邪気はなく───浮かべていたと言う。

 それが、何故、だろうか。
今、スコール達の目の前にいる男は、笑みは愚か、怒りに眉を歪める事すらしていない。

 呆然とするスコールの肩を、クラウドの手が掴んだ。
びくん、と怯えるように跳ねたスコールを、クラウドが押し退ける。
下がっていろ、とそれだけを呟いて、クラウドは落ちていたバスターソードを拾った。


「あんたにスコールは渡さない」


 立ち上がり、バスターソードを構えたクラウドの言葉に、レオンの進む足が止まる。


「スコールは俺が連れて行く。お前達には任せられない」


 ざわりと大気が動いて、レオンの纏う混沌の気配が濃くなって行く。
噴き出した氣に巻き取られた風が逆巻いて、レオンのダークブラウンの髪を躍らせた。

 レオンのガンブレードに緋色の光彩がまとわりついて、刃の形を作り出す。
スコールのライオンハートとよく似た形の、けれども異なる色を持つそれは、圧倒的なプレッシャーを放っていた。
その圧に、スコールは押し潰されそうになる。


(なんだ、これ。なんで。あんた、そんなの、そんなあんた、俺は知らない)


 冷たい顔も、冷たい声も、冷たい覇気も。
この世界で、何度も何度も繰り返された逢瀬の中で、スコールは一度も見た事がなかった。
彼はいつも、寂しげに柔らかな笑みを浮かべているだけだった。

 クラウドがバスターソードを地面に突き立てた。
魔力が練り上げられて、火炎球がレオンに向かって放たれる。
しかし、レオンが緋色のガンブレードを一閃しただけでそれは掻き消され、猛烈な風圧がスコールとクラウドを襲う。


「う、……!」
「スコール!」


 顔を伏せて風から庇うスコールの前で、クラウドが壁となる。
風が止んでも、放たれる威圧感は何も変わらない。


「スコール」


 名を呼ぶ男の声に、スコールの身体は震えた。
恐怖なのか、混乱の所為なのか、それ以外なのか、スコールにも最早判らない。

 クラウドが地を蹴って走る。
振り被ったバスターソードを、レオンが片腕で受け止めた。
眉一つ動かさない男に、クラウドは舌打ちを漏らす。


「この程度か?……やっぱり、お前達にスコールは任せられん」
「お前なら、スコールを守れるとでも言うのか」
「ああ」


 迷わず、きっぱりと言い切ったレオンに、クラウドは一度唇を噛み、叫ぶ。


「あんたにスコールは渡さない。スコールは俺達の仲間だ。俺達が────俺がスコールを守ってみせる!」


 クラウドのバスターソードに光が集まり、武骨な鉄色をしていた大剣は、青く清廉な輝きを放つ剣へと姿を変える。
緋と青がぶつかり合う音が、林の中で繰り返し響き渡った。

 取り残される形となったスコールは、俯いて顔を伏せたまま、動かない。


(俺、可笑しい)


 どくどくと心臓が早鐘を打つ中で、スコールは思った。

 レオンが自分に笑いかけていたのは、懐柔して裏切り者に仕立てる為だ。
あれだけ優しく触れていたのも、その目的の為。
スコールの事を知っている風に話をしていたのも、きっと、記憶が曖昧な世界で“己を知る人間がいる”と言うイメージを植え付けて、警戒心を削ぐ為のもの。
結局、彼は敵だったのだ。
その敵が自分に、仲間に敵意を向けて来るのは、当たり前の事だ。

 当たり前─────その筈なのに。


(なんで、信じられないとか、思ってるんだ)


 目の前に起こっている事が、彼が仲間に刃を向けている事が、信じられない。
無条件に信じていた“レオンなら大丈夫”と言う信頼は、崩れてしまったも同然なのに、その現実を受け入れられない自分がいる。


(信じられないって、なんだ。敵だぞ。敵を信じるも信じないもあるか。馬鹿を見たばかりだろう。なのに、なんで……)


 地響きのような大きな音が鳴って、スコールは恐る恐る顔を上げて、前を見る。
土埃が風に浚われて視界が晴れると、其処には、レオン一人が立っていた。
その足元で息を切らせ、俯せに倒れているのは、自分の仲間。

 ────それだけの現実を突き付けられても、まだ信じられない、信じたくないと思っている自分がいる。

 レオンは、地に伏す男を見下ろしていた。
蒼の双眸には冷たい光だけが灯り、何処か、裏切られたような、失望にも似た感情が見え隠れする。


「お前がスコールを守る?俺一人にも勝てないのに?」


 レオンの言葉を聞いて、クラウドは動かない体に唇を噛む。
何を言おうと、こんな無様な有様では、言い訳にもならない。


「皆そう言うんだ。スコールを守ると。だが、誰も気付かなかった。俺も気付けなかった。スコールが傷付いている事にも、壊れて行く事にも、誰も気付かなかった。俺がようやく気付いた時には、もう遅かった。世界中がスコールを傷付けて、追い詰めて、ボロボロにして、なのに誰もスコールが泣いているのを見ようとしない。誰もスコールを守ろうとなんかしなかった!頼りたい時だけ頼って、都合が悪くなったら責任を押し付ける!世界中が!」


 響き渡るレオンの言葉の意味を、スコールは理解できなかった。
記憶が欠如しているからなのか、レオンの言葉自体が妄言なのか、今のスコールには判らない。

 レオンは、荒げた呼吸を一度噤んで、また静かに口を開く。


「俺だけが気付いた。スコールが泣いているのを見た。苦しくて辛いと、泣いていた。連れて逃げようとしたら、大事なものもあるから捨てたくないって言った。俺はもう、そんなものはどうでも良かったんだ。スコールが傷付かなければ、それでいい。スコールを傷付けるだけの世界なんて、俺はいらない。だけど、スコールは捨てられないんだ。傷付けるだけの世界でも、大事な物も其処にあるから、それだけが捨てられないから、他のものも捨てられない」


 ガンブレードのグリップを握るレオンの手が震える。
同じように、スコールの身体も震えていた。
彼の言葉に、まるで呼応するように。


「だからこの世界にスコールが召喚されて、記憶がなくて、少し安心した事もあったんだ。俺と敵でも、俺はスコールを傷付けるつもりはないし、他の奴らがスコールを傷付けるなら、俺はそれから守ってやると決めた。裏切りがどうのと言っている奴もいたが、俺にはそれもどうでも良い。スコールが無事ならそれでいい。あの世界の事も忘れているなら、思い出さないままでいい。傷付けるだけの世界なら、思い出さないままで、この閉じた世界にいる方がいい。此処なら、スコールが守らなければならないような物もない。それなら、スコールがどうしても戦わなければならない理由もない」


 灰色の空を見上げて、レオンは言った。
何処か安寧めいた表情で。

 しかし、直ぐにその双眸が鋭いものへと変わる。


「なのに秩序の女神は、報酬なんて嘯いて、スコールに戦えと言う。記憶がないから、スコールはあの世界で起きた事も覚えてない。都合が良いだろうな。元の世界に帰った後の事だって、きっと判ってない。あいつらが自分に何をしたのかも覚えてないんだから当然だ。そして此処には、お前達がいる。スコールが“捨てられなくて”“守りたいもの”が、此処にもある」


 “捨てられないもの”がある限り、スコールは戦い続ける。
“捨てられないもの”を守る為に、その代わりに傷付く為に。

 ガンブレードがゆっくりと持ち上げられて、緋色の刃が頭上で閃いた。
対となる色を宿していたクラウドのバスターソードは、元の鉄色に戻っている。
柄を握る手は離れていなかったが、肩口からの出血が酷く、持ち上げられそうにない。


「お前達がいるから、スコールが傷付く。お前を傷から守る為に。お前の代わりに、また傷付くんだ。優し過ぎるから」


 青灰色の瞳は、乾いている。
その筈なのに、泣きそうだ、とクラウドは思った。
その向こうで座り込んでいる少年は、男よりもずっと、泣き出しそうに見えた。

 落ちて来る刃を防ぐ術を、クラウドは持っていない。
背から胸へと刃が貫く瞬間が頭を過ぎって、唇を噛んで、目を閉じる。

 ────しかし、予想していた肉を貫かれる感覚は、一向に訪れない。
何故、と瞼を持ち上げれば、クラウドの直ぐ頭上で切っ先が止まっていた。


「………スコール」


 男が呼んだ名を持つ少年は、背後から男の首に刃を突き付けていた。
涙が滲んでいるようにも見える青の瞳は、それでも鋭く尖った意思を宿し、男を睨み付けている。


「そいつを殺したら、俺があんたを殺す」
「………」
「あんたはもう、敵だ」


 はっきりとした声で告げたスコールに、レオンはクラウドの剣を突き付けたまま、後ろを振り返る。
スコールのガンブレードは変わらずレオンの眼前へと向けられていたが、その切っ先は微かに揺れていた。


「俺はお前の敵じゃない」
「俺の仲間に剣を向けるなら、あんたは俺の敵だ」
「違う!」
「違わない!あんたは、敵だ!!」


 言葉を塗り替えるように声を荒げたレオンに、スコールはそれ以上の声で叫んだ。
まるで自分自身に言い聞かせるように。

 息を詰めて睨むスコールを、レオンはじっと見つめた。
感情の一切を殺していた蒼い瞳に、寂しげに揺れる感情が覗く。
それを見付けて一瞬刃を引きかけたスコールだったが、グリップを強く握ってもう一度向ける。


「もし、あんたが本当に俺の敵じゃないなら、今直ぐ剣を退け」


 スコールの言葉に、数秒の沈黙の後、レオンは剣を退いた。
緋色が消えて、スコールのものとよく似た、リボルバーの姿へと戻る。
そして、遂にはガンブレードそのものを光の粒子へと戻してしまった。

 空いた右手で、レオンはスコールのガンブレードの刃に触れた。
下ろされていく力の作用に従って、スコールのガンブレードはレオンの眼前から遠くなって行く。
その間、レオンはずっと、刃の向こうから伝わるスコールの震えを感じ取っていた。


「スコール。俺はお前の敵じゃない。お前の敵にはならない」
「…信用できない」
「……ああ。そうだろうな。皆そう言って、お前を傷付けた。俺もきっと傷付けていた。ずっと気付かなかったから」
「…そんなの、俺は知らない」
「知らなくていいさ。思い出さなくていい、あんな事」


 刃が完全に下を向いた後、強い力がスコールを引き寄せた。
温かな温もりの中に閉じ込められて、スコールは目を瞠る。

 抱き締める腕の力は緩いもので、振り払おうと思えば簡単に出来るものだった。
それだから、スコールは、どうして良いのか判らない。
潰される程に苦しいのなら逃げれば良いのに、逃げられるように抱き締められると、「逃げたくない」と思ってしまう。
流されてしまってはいけないと、何度も自分に言い聞かせているのに、それすら捨てて、この温もりに抱かれていたいと思う自分がいる。


「…スコール……」


 自分のよく知る優しい声が聞こえて来て、帰って来た、とスコールは思った。
冷たい声も顔も眼も、スコールは知らない。
スコールが知っている“レオン”は、懐かしそうな声でスコールを呼んで、子供をあやすように触れて来る“レオン”だったから。

 慈しむように触れられて、頭を撫でられて。
一頻りスコールに愛撫を与えて、レオンはゆっくりと体を離した。


「─────」


 レオン、と名前を呼ぼうとして、スコールは口を噤んだ。
クラウドが傍にいる、それが辛うじて自制を働かせてくれた。
けれども、レオンはそんなスコールの声なき声が聞こえたかのように、くしゃりとダークブラウンの髪を撫でる。

 離れて行く手を掴まえたい衝動を、スコールは拳を握りしめて殺した。
レオンはそのまま、林の向こうへと姿を眩ませ、やがて混沌の気配そのものが周辺から感じ取れなくなった。

 それからしばらく、茫然として立ち尽くしていたスコールだったが、傍らで呻く声がして、我に返る。
振り返って見下ろせば、傷だらけの仲間がのろのろと身を起こしている所だった。


「クラウド、」


 慌てて膝をついて手を差し出すと、クラウドはそれに捕まった。
スコールは、支えながらゆっくりとクラウドを仰向けにさせ、体の具合を見分する。


「深いのは……肩と足か。ポーションが確か…」
「俺の荷物の中にある。取ってくれ」
「……あった」


 クラウドに言われて荷物袋を漁ると、瓶に入った清浄水が数本。
出血の固まらない肩と足にそれぞれ丸々一本ずつ使い、他の打撲や裂傷は手早く応急処置を済ませる。

 傷の形自体が癒えて見えなくなっても、喪われた血液までは戻って来ない。
他の傷もあるし、出来るだけ早く聖域に戻り、セシルかティナに頼んで回復して貰わなければならない。
スコールも回復魔法は一応心得ているが、専門的に使えるメンバーに比べると、回復量は微々たるものだ。
何より、今は下手に魔力と時間を浪費する訳には行かなかった。


「立てるか?」
「……ちょっと待ってくれ」


 スコールの問いに、クラウドは足の傷があった場所に触れて、具合を確認する。
ぴりりとした痛みが走ったが、全く動けない程ではないだろう。

 大丈夫そうだ、と言いかけて、クラウドは音を忘れた。
傍らで俯く少年の表情を見たからだ。


「スコール」


 名前を呼んでも、スコールは返事をせず、動かない。
噤んだ唇の中で、一体どれ程の事を考えているのか、クラウドには判然としなかった。
しかし、それでも自分が言うべき言葉がある事は、判る。


「大丈夫だ、スコール。あんたは何も間違った事をしてはいない」


 レオンの言っていた言葉が、何処まで真実であるのか、クラウドは勿論、スコールにも判らない。
あの全てを妄言と切って捨てるには、あまりにも彼が見せた感情は苛烈過ぎた。
だからと言って、真実ではないかと受け止めるには余りにも重く、一方的で、スコールの心と立場を危うくするのも間違いない。

 仲間の命の危機を前にして、スコールははっきりと道を選んだ。
彼は敵であり、守るべきは同じ方向を向いている自分の仲間であると言う事を。

 ─────それでも。


「クラウド、」
「なんだ」
「……これ、」


 言ってスコールが差し出した腕は、はっきりと震えていた。
応急処置の間も、唇を噛んで耐えていたが、どうしても止まってくれなかった。

 敵に剣を向けるのは普通の事だ。
欠落した記憶でも、幼い頃から躾けられてきたと判る傭兵としての意識の中で、それを可笑しな事だと思った事はない。
狩らなければ狩られる戦いの世界の中では、躊躇した方が負けになり、それは即ち、死を意味する。

 あそこでスコールがレオンに剣を向けなければ、クラウドは死んでいた。
だが、本当に、純粋にクラウドを助けたかっただけならば、スコールはあそこで刃を止めるべきではなかったのだ。
彼が“敵”であるとはっきりしたのであれば、尚の事、あの場で彼を切り捨てる事が最善だったと言える。

 それなのに、出来ない。
出来なかった。


(俺、レオンに)


 レオンに剣を向けた。
それが、まるで禁忌を犯してしまったかのようで、スコールは恐ろしくて堪らなくなった。

 裏切ったのは、レオンの方。
そう、それで間違いない。
間違いない筈なのに、自分の方が彼を裏切ってしまったような気がしてならない。

 青灰色に戸惑いと不安と、泣き出しそうな光を見て、クラウドは唇を噛んだ。
意識してそれを解き、息を吐くと、震えるスコールの手を握る。


「スコール、落ち付け。あんたは可笑しなことなんて何一つしていない。あんたのお陰で、俺は生きている。感謝している」


 クラウドの言葉に、スコールがゆるゆると顔を上げた。
憔悴したスコールの表情は、何処かぼんやりとして、常の大人びた雰囲気は欠片も残っていない。

 迷子になった幼子のように見つめるスコールを、クラウドは抱き寄せた。
他者との接触を好まない少年の身体が、がち、と固くなったことにクラウドは気付いていたが、知らない振りをする。
きっと此処で放してしまったら、この少年の揺れる心は、瞬く間に離れて行ってしまうに違いない。


「変なんだ」


 クラウドに抱き締められたまま、スコールは呟いた。


「変なんだ。可笑しくなったんだ、俺。きっと魔法でもかけられたんだ。あんたがボロボロになってるのに、俺、あいつがあんたを殺そうとしたって、信じられない」


 記憶もないのに、彼が一方的にスコールを知っていると言っているだけなのに、感化されてしまったのだろうか。
彼が、レオンが“そんな事をする筈がない”と頭の中で否定する声が止まない。
あれはただの性質の悪い冗談なのではないかと────仲間の死が目の前にあったと言うのに。


「俺、可笑しくなったんだ」
「大丈夫だ。あんたは可笑しくなんかない」


 虚空を見詰めて呟いたスコールに、クラウドは言った。
細い躯を強く強く抱き締める。
彼が、その心の中で笑う、青灰色に攫われないように。


「あんたは、俺を助けてくれただろう。俺があんたを守るって言ったのに、あんたに守られて…正直、悔しいが……それに、あんたはあいつについて行かなかったじゃないか。答えは、それで十分だろう」


 レオンの言葉の真偽や、彼がスコールを騙していたのか否かは、クラウドにはどうでも良い話だ。
仲間達にすら距離を置こうとするスコールが、唯一気を許しているように見えていた男の手を、振り払った。
スコールは仲間を選んだのだ。
それだけがはっきりしていれば、今のクラウドには十分だった。

 でも、だけど、俺は。
独り言のように紡がれるスコールの声に、クラウドは空を仰ぐ。
灰色に覆われた空は、晴れる様子もないのに、雨粒の匂いもしない。
いっそ土砂降りにでもなってしまえば、ぐちゃぐちゃに散らかったスコールの胸の内も、洗い流してしまえたかも知れないのに。

 きっと立ち上がる気力もないのだろう。
座り込んだまま、スコールは抱き締める男に体重を預けていた。


「スコール」


 名前を呼ぶと、ぴくり、とダークブラウンの髪が震える。
クラウド、と消え入りそうな声で名を呼ばれたのが聞こえて、その声がこれ以上遠くに行かないように、強く強く抱き締める。


「お前の事は、俺が守る。お前が守りたいものも、俺は一緒に守るから。だからお前は、何処にも行くな」


 何処にも行かなくて良い。
行かないでほしい。
優しく笑って、大切なものを壊そうとする男の所なんて、尚の事。




世界が君を壊すから、君の為に世界を壊そう
世界が君を壊すなら、君を世界から守ろう

優しい君が、世界の為に涙する事のないように




記憶がある混沌レオンと、記憶のない秩序スコール。兄弟設定でした。
ED後のつもりで、色々と設定捏造してます。その辺りはレオンの台詞に一通りぶち込んでます。

クラウドは、スコールの帰りが遅いので、心配して探しに来ました。