置き去りの僕を拾い集めて


 宴もたけなわとなった頃、シドのパソコンがメールの着信音を鳴らした。
その足跡を辿ってみると、レイディアントガーデンの地下にあるコンピュータールームからで、其処に存在していると言う、街全体のコンピューターシステムの管理者───トロンからのものだった。

 何か異常事態の緊急の報せだろうかと緊張したのは、ほんの数分。
開いたメールには、『Happy birthday, Leon』の文字と共に、圧縮フォルダが添付されていた。
解凍してフォルダを開いてみると、其処にはレオン達の生活風景が写真となって残されており、どうやらトロンからの彼なりの誕生日プレゼントのつもりだったようだ。
再建委員会として忙しい日々を送りつつも、束の間の休息や、ソラが訊ねて来た時の稽古風景などと言った光景が映っている。
その他にも、コンピュータールームでうたた寝しているレオンや、徹夜明けでぼんやりしている時に階段で転んだ所まで映っているのを見た時には、セキュリティ用にと街の各所に設置した監視カメラの撤去を言い出す程にレオンが顔を真っ赤にしたが、トロンに悪意がある訳じゃないからとエアリスに宥められて終わった。

 トロンからの思わぬプレゼントに、レオン達が良くも悪くも盛り上がっている間に、シドはすっかり出来上がっていた。
初めはビールを開けていたシドだったが、いつの間に取り出したのか、ワインや醸造酒を丸ごと一本ずつ開けていた。
今日はレオンの誕生日パーティだから自制すると言っていた、とエアリスは言うのだが、やはりビールでは物足りなくなったのだろう。
レオンは呆れたが、いつもの事と言えばいつもの事だ。

 時計の針が天辺を周る前に、シドは酔い潰れて眠ってしまった。
テーブルに突っ伏したまま、豪快に鼾を立てて眠るシドに、レオンは苦笑する。


「昨日も徹夜だったしな……」


 呟いて、レオンはシドの飲み残しのグラスを手に取った。
ほんの少しだけグラスの中身を口に含んでみたが、喉を通った瞬間に焼けるような強さを感じて、レオンは思わず咽せ返った。


「大丈夫?レオン」
「ん……ああ。やっぱり、慣れないものは飲まない方がいいな」


 グラスの中身は、まだ半分程残っていたが、もう飲む気にはならない。
レオンは自分達が使っていたワイングラスを持って、建物の奥のキッチンへとグラスを運んだ。

 シドが酔い潰れてから、程無くユフィも潰れてしまった。
リンゴジュースとワインを間違えて飲んでしまい、アルコールに耐性の低い彼女は、あっと言う間に目を回した。
彼女はしばらく高いテンションでレオンとエアリスに甘え倒した後、電池が切れたようにぱたりと倒れ、そのまま眠ってしまった。
今はソファですやすやと安らかな寝息を立てている。

 祝いの席と言うものは、酔った者の勝ちだ。
酔い潰れれば後の事は判らないので、片付け等と言った貧乏クジは、正気の残っている者がやらざるを得ない。
その点で、レオンはいつでも貧乏クジを引く側だった。
今日もやはりレオンは貧乏クジを引いた側になったのだが、彼の口元には小さく笑みが浮かんでいる。

 キッチンに食器を全て運び、残ったケーキやチキンはラップをして冷蔵庫に入れる。
食器を洗う為に蛇口から流れる水の音を聞きながら、エアリスがレオンを振り返って言った。


「片付け、私がやっておくよ。レオンはもう休んで」
「良いのか?皿の数、結構多いぞ」
「平気。それに、今日はレオンの誕生日だもの。だから、いいの」


 柔らかく微笑むエアリスに、レオンは素直に甘える事にした。
頼む、と言ってキッチンを出ようとすると、


「ねえ、レオン。もうこんな時間だし、今日は家に帰らないで、此処に泊まって」
「いや、子供ではないからこの位の時間なら───」
「お客さん用の部屋、何処でも好きな所使っていいよ」


 其処まで言うと、エアリスはスポンジに洗剤をつけて泡立て、食器洗いを始める。
楽しそうに鼻歌を歌うエアリスに、レオンはタイミングを外された気分でリビングへと戻る。

 そして、其処でぐうぐうと豪快な鼾を立てている男を見て、納得する。


(成る程。エアリス一人にこれを運べと言うのは、無理だな)


 今夜は蒸し暑いので、このまま二人をリビングに残していても、風邪を引いてしまうような事はないだろう。
しかし、シドはともかくユフィまでリビングで寝かせたままと言うのは宜しくない。

 レオンはソファで眠るユフィを起こさないようにそっと抱き上げると、ユフィの部屋へと向かった。
鍵の掛かっていないドアを背中で押し開ける。
年頃の少女の部屋に勝手に入るのは如何なものかとは思うが、さっさと退散すれば大丈夫だろう。


「ん〜…はーとれすがなんだぁ〜っ……むにゅぅ…」


 ベッドに下ろしたユフィが、寝言を言いながらごろんと寝返りを打つ。
夢の中でも、きっと彼女は元気が良いのだろう。

 レオンは、床に落ちていたタオルケットを軽く叩いて、ユフィの身体にかけてやった。
起こさないように足音を忍ばせて、そっと彼女の部屋を後にする。

 もう一度リビングに戻ったレオンは、テーブルに突っ伏した格好のまま動かないシドの肩を揺すった。


「シド。おい、シド」
「んが……がぁ〜……」
「…やっぱり起きないか」


 シドはごにょごにょと意味の判らない寝言を呟いた後、また鼾を鳴らしながら眠り耽る。
レオンは、仕様がないなと呟いて、シドの身体を抱え起こした。

 いつの間にかレオンはシドの身長を追い越していたが、 身長で勝っていても、意識のない人間を一人抱えて行くのは並大抵の労力ではない。
酔っ払っていても良いから、せめて少しの間だけでも目を覚まして欲しかったのだが、望みは薄い。

 レオンはシドの足を引き摺りながら、キッチンの前を通りがかった。
食器を洗っていたエアリスが顔を上げて、振り返る。


「ユフィは部屋に寝かせたぞ」
「ありがとう。レオンも、お休み」
「ああ、お休み」


 ひらりと手を挙げて、レオンはキッチン奥のシドの部屋へと向かう。
シドを抱えている為に両手が塞がっているので、ドアは足で押し開けた。


「……よっ…と、」


 レオンはシドを寝室のベッドに横たえると、重みから解放された肩を軽く回して鳴らしながら、ぐるりと部屋を見回した。


(前より汚くなっていないか?)


 シドは平時、パソコンの前に座っている事の方が多い為、寝室で過ごす時間は少ない。
レオン程ではないが、彼も眠る時ぐらいしか寝室は使わないのではないだろうか。
しかし、彼の部屋にはプログラミングや機械修繕に関する本が詰め込まれている。
シドはその本の山の中から、必要なものを取り出すと、後はその辺にポイと投げてしまう癖があった。
その所為で、彼の部屋は何度掃除しても片付かないのだ。

 シドを寝かせたベッドのシーツも、何日洗っていないのやら。
折を見て掃除に来た方が良さそうだ、と思いつつ、レオンは今夜は退散する。

 再建委員会の住居として使っている建物に泊まりに来る者など、普段は殆どいないのだが、稀にソラとその仲間達がやって来る事がある。
彼らが乗るグミシップには、シドが通信機能を取り付けた為、彼らがレイディアントガーデンに来る時には、事前に連絡が来る事が多い。
しかし、気紛れや休息にと突然立ち寄る事もあるので、その時の為に常時綺麗に整えてあるのだ。

 三つ並ぶ部屋の中から、適当に一つを選んで、レオンは扉を開けた。
レオンが街外れに持たせて貰ったアパートに比べると、客間はこぢんまりとしたものだ。
しかし、ベッドやテーブル、椅子等は一通り揃っており、眠るだけなら特に困る事はない。

 レオンはジャケットを脱いで、テーブルに投げた。
靴と靴下も脱ぎ、ベッドの上に腰を下ろす。
そのまま背中を倒せば、ぼすん、と柔らかなクッションに体を受け止められた。
瞼を閉じてゆっくりと酸素を吸って吐き出せば、体内に取り込んだ酸素が順調に血液に運ばれて全身を巡り、四肢の筋肉の緊張が解けて行く。


「……ふぅ……」


 横になった身体が、ふわふわと弱い浮力に包まれているような気がするのは、きっと睡魔の所為だろう。
コンピューターの情報の解析や、夜回りをしている時なら何時まででも起きていられるのだが、今日は違う。
ユフィやエアリス、シドのお陰で、何ヵ月振りかの完全なオフモードだ。
手招きする睡魔を振り払う気もない。

 ああでも、服くらい着替えた方が。
でも、着替えがないな。

 そんな事を考えながら、閉じていた瞼を開ける。
其処に夜の月を映した窓がある────筈だった。
しかし、目を開けて見えたものは、


「……何をしているんだ、クラウド」


 月明かりを背にして、闇の中でも映える金色の鶏冠。
硝子に似た不思議な虹彩を宿した碧色の瞳に、年齢よりも幼く見える顔立ち。
何処か仄暗いその気配を、レオンはよく知っていた。

 鍵が開いていたのか、何某かの方法を使って外したのか、クラウドは窓を開けて侵入してきた。
どうしてこの男は、正面玄関から入って来ると言う簡単な行動が出来ないのだろう。
レオンがそんな気持ちで呆れている間に、クラウドはレオンが横になっている傍らに、当たり前のように腰を下ろして落ち着いていた。


「家に帰ってこないし、城にもいないから、何処に行ったのかと思った」
「別に何処にも行っていない。俺はいつも通りだ」
「いつも通りじゃないだろう。こんな所に泊まってるなんて、聞いていない」


 拗ねたような声色のクラウドの言葉に、それはそうだろう、とレオンは胸中で呟いた。
今夜この部屋に泊まる事が決まったのは、つい数分前の事だ。
それに、クラウドがこの街に帰っていた事さえレオンは知らなかったし、わざわざ寝床を教えなければならない義務もない。

 溜息の混じった吐息を吐いていると、ぎしり、とベッドのスプリングが軋んだ。
いつもは人間一人分───それも体の成長し切っていない少年───の重みだけを支えてきたこのベッドに、男二人の重みは苦しいのかも知れない。
流石に壊れはしないだろうが、大丈夫だろうか、とレオンは些か心配になった。
だが、目の前の男はそんな事はお構いなしだ。


「あんた、今日が誕生日だろう」


 クラウドは、ベッドに横たわったレオンの上に覆い被さっていた。
重力に従って垂れた金糸が、レオンの頬を微かにくすぐる。


「ああ」
「覚えていたのか」
「いや。ユフィ達に言われるまで、忘れていた」


 寧ろ、今日が何月何日であるのかさえも、レオンは忘れていた。
そう言ってやれば、そんなものだろうな、とクラウドは呆れたように言った。


「それで、どうだった。誕生日パーティの感想は」


 真っ直ぐに見下ろす碧眼は、無感動に見えながら、存外とよく喋る。
そう言ったら、あんたに言われたくない、と言われた。

 クラウドは、レオンに沈黙を赦さなかった。
誤魔化しの返答も許さず、正直に言え、と無言の圧力がかかって来る。

 レオンは数秒間の沈黙の後、小さく口を開いて言った。


「……困った、と言うのが、正直な所なんだろうな」


 呟いた時、青灰色の瞳にいつも凛と強い意思の光はなく、ただ頼りなく揺れる感情だけが映し出されている。
それは恐らく、クラウドだけが知る彼の心の内なのだろう。

 レオンの手が自分の胸元に重ねられて、指先が冷たい金属に触れる。
いつも首にかけられている銀色の獅子を、強い力で握り締めた。


「シドや、ユフィや、エアリスに祝って貰える事は、嬉しかった。ソラやマーリン様、トロンからもプレゼントを貰った。この歳になって誕生日を祝って貰って、少し驚いたけど、悪い気分はしなかったのは本当だ」


 いつもよりもずっとはしゃいでいたユフィや、楽しそうに笑っていたエアリス、酒を片手に二人が作った料理を褒めていたシド。
故郷の再建の為、毎日のように慌ただしく過ごす彼女達が、あんなに楽しそうに笑っているのを見たのは、久しぶりの事だった。
それは彼女達の所為ではなくて、目の前の事に必死になって、彼女達の姿を鑑みる事が出来なかったレオンに原因がある。

 街の復興は優先すべき事だ。
だが、故郷を失ってからもう一度戻って来るまで、三人とは長い時間を共に過ごしてきた。
レオンは、あの笑顔も守りたい。
その為に、二度と失う事のないように、レオンは弱い自分を捨てて強くなろうと決めたのだ。

 だから、彼女達が計画してくれた誕生日パーティは、素直に嬉しかった。
むず痒さもあったが、それは決して悪い感情ではなく、不慣れな温かさにどんな顔をして喜べば良いか判らなかっただけ。


「……ただ───」


 胸の銀色を握り締めて、レオンはか細い声で紡ぐ。


「祝われて良いのかと、思ったんだ。確かに今日は、俺が生まれた日だけど。俺は今は“レオン”だから」


 26年前の今日、レオンはこの世に、この地に生を受けた。
けれど、その日其処にいたのは“レオン”ではない。

 レオンは10年前、故郷が失われたあの日、何も出来なかった弱い自分を捨てた。
あの日失った全てを取り戻す日が来るまでは、レオンは元の名前を名乗らない。
それなのに、“レオン”である自分が、今日と言う日を祝福されるのは可笑しいのではないか───レオンはそんな思考が拭えない。

 ずきずきと、胸の奥が悲鳴を上げている気がして、レオンは唇を噛んだ。
一度考え始めてしまった思考は、あっと言う間に坂道を転げ落ちて、レオンを深い場所で絡め取ろうとする。
息が出来なくなってしまいそうな気がして、レオンは銀獅子を握り締めて蹲る。

 そんなレオンを、覆い隠すように、男の腕が抱き締める。


「馬鹿だろう、あんた」


 耳元で囁かれた言葉に、レオンは目を開ける。
触れ合う人の熱に気付いて、レオンは男を押し退けようとするが、クラウドは更に強い力でレオンの背を抱き締めた。


「クラウド!」
「一々下らない事に悩むな。そんなのだから、あんたは面倒臭いんだ」
「……っお前に言われたくない!」


 面倒なのはどっちだ、と叫びかけたレオンの口を、クラウドの手が塞ぐ。
人差し指を立てて「静かに」と忠告するクラウドに、今が夜半である事、いつものように自分の家にいる訳ではない事を思い出す。

 ぎり、と唇を噛むレオンに、クラウドはレオンの口を塞いでいた手を離して、わざとらしく大きな溜息を吐いて見せる。


「あんたは深く考え過ぎなんだ。誕生日の時ぐらい、素直に喜べばいい。あんたが誕生日を喜べなくても、周りの奴がそれを喜んでいるのなら、それに喜んでやればいい」
「………でも、俺は、」
「大体、過去の自分を捨てたからって、自分が生まれた日の事まで捨てる必要はないだろう」


 捨てた過去の自分が生まれた日でも、26年前の今日と言う日、本当に産声がなかったとしたら、レオンは今此処に存在していないのだ。

 クラウドを見上げる蒼灰色の瞳から、緩やかに揺らぎが消えて行く。
それでも何処か、道に迷った子供のように不安げな表情をしているレオンを、クラウドは慰めるように額の傷に唇を押し付けた。


「まあ───あんたが今日って言う日をどう思っていようと、俺はあんたの誕生祝をするけどな」
「……俺の意思は無視か」
「あんたの意思を一々確認してたら、プレゼントの一つも渡せない」


 そう言って、クラウドはもう一度レオンの額にキスを落とす。
武骨な手がレオンの頬を撫でて、ダークブラウンの髪を梳く。

 瞼の上にキスが落ちて、レオンは目を閉じた。
眦をくすぐるように舌がなぞって、頬を撫でて、レオンの唇に重ねられる。
レオンが薄く唇を開けば、するりと咥内に侵入者がやって来て、レオンの舌を絡め取る。

 しばらく其処にいるかと思っていた侵入者は、思いの外早い内に出て行った。
呼吸を赦されたレオンが目を開ければ、暗闇の中で獣のように強く光る碧眼が目の前に在る。

 レオンはクラウドの首に腕を回して、顔を近付けて言った。


「それで、お前のプレゼントと言うのは何処にある?」
「決まってるだろう。俺自身だ」


 ────自信満々に言った男に、ベタだな、と返したレオンの瞳は、もう彷徨ってはいなかった。





ハッピーバースディ、レオン!
過去を捨てたと言っても、“レオン”であっても、やっぱり皆にお祝いくらいされても良いと思うんだ。
生まれた事を祝福してくれた人はきっといて、今でもレオンは誰かに求められている訳だから、この日はなくてはならなかった日だと思う。