ラピット・アイズ・ムーブメント U


 朝食のトーストを3枚焼き、半熟の目玉焼きを作る。
薄く焼き色のついたベーコンも皿に並べて、昨夜の残り物のコンソメスープを温めた。
サラダは千切ったレタスと切ったトマト、刻んだタマネギを持って、自家製のドレッシングをかければ出来上がり。
電子レンジが音を立て、ミルクが温まった事を知らせる。
取り出したマグカップからは、ほこほこと温かな湯気が立ち上り、其処にハチミツを入れてくるりと掻き混ぜた。
キッチンから運んだそれらを、二脚の椅子に挟まれたテーブルに並べ、朝食の準備は完成。

 レオンは身に着けていたエプロンを外して、ガスの元栓諸々を確認した後、寝室へと向かう。
一つしかない寝室には、二つのベッドが置かれており、その内の一つは無人、もう一つにはこんもりと山がある。
山がもぞもぞと動いているのを見て、其処に引き籠ったものも、そろそろ目覚め時だと自覚していることが判った。


「ソラ」


 山の名前を読んでやれば、ぴくり、と山は動きを止めた。
が、それきり、山は動き出さず、出て来る事もしない。
やれやれ、と思いながら、レオンはベッドの端に片腕を乗せて、山の端に顔を近付けた。


「ソラ、起きてるんだろう」
「……」
「狸寝入りは下手だな」


 揶揄うように言ってやれば、数拍の間を置いた後、ひょこり、と出て来る茶色の頭。
次いで少年らしさを体現したような、青い瞳が顔を出し、見下ろす蒼とぶつかった。


「おはよう、ソラ」
「……」


 いつもの朝の挨拶をしても、少年───ソラからの返事はない。
じぃ、と見詰める青の瞳は、無音のままその心の中を雄弁に語っている。
レオンはそれを見下ろして、うん?と首を傾げてやった。
それを見たソラの眉根が寄せられて、ソラはごろりと寝返りを打ち、ベッドに俯せになってしまう。


「こら、起きろ」
「やーだー」
「朝飯、いらないのか」
「いるー」
「なら起きろ」
「まだいやー」


 間延びしたソラの声は、駄々を捏ねる小さな子供そのものだ。

 蓑虫宜しく布団に包まっているソラを食卓へ連行するべく、レオンはシーツの端を掴んだ。
引っ張ればぐっと抵抗感が返り、布団の中でソラがシーツを捕まえている事が判る。

 ソラ、ともう一度咎めようとして、その前にくぐもった声が布団の中から聞こえた。


「キスしてくれなきゃ起きないー」


 その一言に、始まった、とレオンは思った。

 ソラの朝の駄々捏ねは、レオンにとっては最早いつもの事だった。
キスしてくれなきゃ起きない、と言う我儘は、マセた子供の我儘だと思えば可愛らしい。
頬や額に触れるだけの軽いキスをすれば、それだけで嬉しそうに笑うから、一層、可愛らしく見えてくる。

 一緒に住み始めた頃は、そんな可愛らしい我儘にも、よくよく振り回されたものであった。
欲求に真っ直ぐなソラは、キスして、手を繋ごう、と思い付いたように突然言い出すから、レオンは何度も不意打ちを食らった気分だった。
それでも、自分の方が一回りも年上である矜持から、表情だけは笑顔を浮かべ、馬鹿な事を言うなと、小さな額を小突いてやった事もある。
が、ソラはそれでは屈しなかった。
キスして、手を繋いで、あーんってして、と繰り返されるリクエストは、大抵、レオンが応えてやるまで終わらない。
その内、ソラが諦めるまで押し問答をするのが面倒になり、応えてやると嬉しそうに笑うソラを見るのが楽しみになって来て、リクエストには直ぐに応えてやるようになった。
と言っても、それが往来のある外で発信されると、そう言う訳にも行かない────と言いながら、家に帰ったら応えてやるのだが。

 やれやれ、と思いながら、俯せているソラを此方に向かせようと肩を揺らそうとして、止める。
数瞬思考に耽ったレオンの中にむくむくと湧いてくるのは、遠の昔に忘れていた、小さな悪戯心だった。

 俯せになっているソラに近付いて、身体を低くする。
包まったシーツから食み出たソラの足が、ぱったぱったと遊んでいるので、きっと近付く気配には気付いているのだろう。
楽しそうに動く足は、レオンが自分の我儘を拒否しない事を知っている。
実際、その通りではあるのだが、だからと言って毎日この我儘に振り回されていると言うのは、レオンも些か腹が立つ。

 シーツの端を柔らかく掴んで、引っ張るのではなく持ち上げてやれば、今度は抵抗はなくシーツはあっさり口を開けた。
俯せになったソラの頭が見えて、其処から視線を外して行くと、首に行き着く。
華奢ではないが、まだまだ細い印象が拭えない其処に、レオンはゆっくりと近付いて、ちゅ、と触れるだけのキスをした。

 ────がばっ、とソラが起き上がると同時に、レオンはすいとベッドを離れる。


「早く着替えろ。朝飯が冷めるぞ」


 首の後ろを押さえ、呆然としている少年を肩越しに見て、レオンは寝室を出て行った。

 リビングに戻って、僅かに自分の頬が熱い事に気付く。
年甲斐もない事をした、と思いつつ、レオンの口元は笑っていた。
寝室に繋がる扉の向こうで、どたんばたんと騒がしい音を聞きながら、いつもの表情が作れるように、出来る限りの努力をした。




 ソラがトースト2枚を食べている間に、レオンは1枚のトーストを食べた。
ソラが目玉焼きとベーコンと山盛りのサラダを食べている間に、レオンは目玉焼きと少しのサラダで腹が膨れた。
いつもレオンは先に食べ終わり───何せ全体量がソラの半分以下なので───、ソラが食べ終わるまでの間、新聞を読みながらコーヒーを傾けるのが習慣になっている。

 ソラは最後に、少し冷めた甘いホットミルクを空にした。
口の周りについている白い髭を舌でぺろりと舐めるソラ。
何度見ても、幼さとやんちゃさが抜けないその仕草に、レオンはコーヒーカップで隠した口でくすりと笑う。

 ことん、とマグカップがテーブルに置かれる。


「はー、美味かった!ご馳走様っ!」
「ああ」


 満足満腹と言う顔で言ったソラに、レオンは頷いた。
同じくして、レオンもコーヒーを飲み干し、食器をまとめてキッチンの流し台へ運ぶ。

 流し台には、朝食を作る時に使ったフライパンが水に晒してある。
先ずはそれを洗おうと、スポンジに洗剤液を落とそうとして、そのボトルの中身が殆ど残っていない事に気付いた。
買い置きは、と流し台の下の収納を探ってみるが、見当たらない。
今日の所は仕方がないと諦めて、ボトルに水を入れて軽く振り、薄くなった洗剤液をスポンジに押し付けた。

 水音と小さな金属音が反響する小さなキッチンの傍らで、リビングからはばたばたと忙しない足音が行ったり来たりを繰り返している。
上着上着、手袋手袋、あ、鞄がない、と独り言が聞こえた。
自分のものは自分で管理するように、出来るだけ置く場所を決めておくか、一所にまとめて置いた方が良いと言っているのに、ソラはいつまで経ってもそれが出来ない。
一応、自分で何を何処に置いたか覚えてはいる───らしいのだが、どうしても見付からない時もあり、


「レオンー。俺の手袋、どこ?」
「ソファかベッドの下に落ちてるんじゃないか」


 フライパンの焦げ痕を洗い落としながら答えれば、またリビングから響く足音。
レオンの言葉に心当たりがあったのか、彼は寝室に駆けて行った。

 汚れのなくなったフライパンの洗剤を流して、布巾で拭いて片付ける。
レオンはタオルで濡れた手を拭いた後、調理台の端に置いていたランチボックスを持って、リビングに向かった。
ソラは既に寝室から出て来ていて、見付けた手袋を装着している最中だった。


「ソラ。昼飯だ」
「ん、ありがと。今日はなんだろな〜」


 受け取ったランチボックスを鞄に入れながら、ソラはうきうきと楽しそうに言う。
因みに、中身は白米と甘めの卵焼きとミニハンバーグ、ナポリタンなど、ボリュームたっぷりだ。
レオンはその半分以下で腹が膨れるが、ソラは成長期であるし、これからハートレスとノーバディ退治に行くので、スタミナをつける為にも、炭水化物は多目が良い。
単に、ソラがそう言ったものが好きだからと言うのもあるが。

 忘れ物がないように一通り指差チェックをした後で、ソラは玄関に向かう。
その後ろを、レオンもついて行った。

 玄関前で靴を履いたソラが振り返る。
きらきらとした青の瞳が此方を見上げているのを見て、レオンはやれやれ、と胸中で溜息を吐いた。
朝のキスだって習慣になっているのだから、玄関で行われるこの行為も習慣になってはいるのだが、レオンは此方に関してはどうにも慣れなかった。


(…多分、ソラが俺を見ているからだ)


 せめて目を閉じてくれ、と何度口に出さずに頼んだ事だろう。
言わない事を理解して貰える筈もないのだが、レオンの大人としての矜持と見栄がそれを口にする事を躊躇わせる。
結局、真っ直ぐに見上げて来る瞳に対し、目を閉じるのは、いつもレオンの方だった。

 今更、生娘のような思考を持ち合わせているレオンではないが、元々彼は理性が強い性質である。
流れ流され習慣と化した行為でも、抵抗なくその行為を行うには、それなりの理由───と言う名の言い訳───と覚悟、そして逃げ道が必要であった。

 余りにも真っ直ぐ見上げて来る青の瞳は、レオンに逃げる事を許さない。
愚直な程に正直な青の瞳は、レオンが遠い日に捨てざるを得なかったもので、その瞳に見つめられていると、自分の弱さが暴かれてしまう気がする。
そんな無様な自分に気付かれたくなくて、年上風を吹かせてやるが、真っ直ぐな少年はそれも簡単に吹き飛ばしてしまう。

 ────と、そんな思考の海に落ちている時間は、それ程長いものではなかった。
しかし、数秒の間が開いていた事は確かで、ソラはそんな間も、じっとレオンの事を見上げていた。
見上げていたそれと、改めてレオンの目が向かい合った所で、ぐ、とレオンが意を決するように喉を揺らした、その時、


「あ、そうだ」


 唐突にソラが声を上げたものだから、ぴたりとレオンの動きは止まった。


「…なんだ?」
「レオン、屈んで」


 ソラの要求に、レオンは一瞬耳が熱くなるのが判った。

 朝の挨拶はソラに強請られての事だが、玄関でのこの行為は、基本的にレオンから行うものと───いつの間にか───定着していた。
が、理性の強いレオンが中々踏み切れない時、焦れたソラの方から与えられる事もある。

 また焦らしてしまったようだ、とレオンは大人しく腰を曲げて身を屈めた。
唇を引き結ぶのは、其処に与えられるものに対しての、迎えの無意識行動である。
が、今日与えられたのは、其処ではなく、


「ん」
「────!」


 ちゅ、と首に触れた感触に、レオンは目を瞠る。
そのまま固まったものだから、触れたそれは更に深く触れて、ちゅう、とレオンの首を吸った。
ちくりと走った小さな痛みに、ようやく我に返って体を起こせば、悪戯な光を宿した青とぶつかる。

 首筋に残る感触を隠すように、レオンは其処に手を当てた。
そんなレオンを、見上げる無邪気な笑顔が、可愛いなあ、と思っている事を、彼は知らない。

 固まったまま動かないレオンを見上げて、ソラは太陽のように朗らかに笑う。


「へへっ。今朝のお返し!じゃ、行って来まーす!」


 そう言って、元気良く扉を明け放ち、太陽が高い位置へ向かう街へと飛び出して行った。

 古いアパートの通路に、階段を駆け下りて行く音が響く。
きぃい、とゆっくりとドアが音を立てて傾き、やがてバタンと閉じられた。
レオンはしばらくそれを見詰めた後、手の中でむず痒く残った温もりの感覚に気付いて、膝が折れた。

 玄関前で座り込んだまま、くすぐったさと、何とも言えない面映ゆさで、レオンの顔が熱くなる。
初心な女でもあるまいし、と思いながら、顔の熱は中々引いてくれなかった。


(……くそ。子供の癖に。生意気を)


 口の中で悪態をつきながら、痒い首下を爪で引っ掻こうとして、止める。
誤魔化すように掌で揉んで、閉じられた扉を見遣り、溜息を一つ。


(……そんな子供に参ってるんだから、俺も末期だ)


 そんな事を考えながら、レオンは静かなリビングへと戻って行った。




 掃除と洗濯を終え、夕飯の献立の為に買い物に行こうとした所で、玄関のチャイムが鳴った。
どうせ外に行くのだからと、レオンは財布をジャケットの内ポケットに突っ込み、玄関へと向かう。

 鍵を外してドアを開けると、金髪碧眼に黒服の男が立っていた。
クラウド・ストライフである。


「帰っていたのか」
「ついさっきな」


 そう言って、クラウドは家の中に入ろうとする。
が、レオンはその肩を押して、ぐるりと方向転換させた。


「ちょ、何」
「買い物に行く。付き合え」


 いつも一週間分の食材をまとめて買い込む為、レオンの買い物の荷物は多くなり勝ちだ。
それなりに体力にも腕力にも自身はあるので、重さは然程苦にならないが、幾つかの店を周り歩き、各所で良いものを購入するのがレオンのスタイルなので、沢山の荷物を一人で持って歩き回るのは面倒臭い。
其処にタイミング良くやってきたクラウドである。
使わない手はない。

 寝たいんだが、と愚痴を零すクラウドだったが、レオンは気にしなかった。
そんなに眠りたいのなら、レオンの家ではなく、誰に気付かれる所もない場所で転がっていれば良いのだ。
クラウドもそれが判っていない訳ではないだろうに、わざわざこうやって、故郷に戻ってくる度にレオンの家を訪ねる。
そして剰え夕飯を食べて行ったりするのだから、買い物程度の労働は付き合って貰っても罰は当たるまい。

 判り易く面倒臭そうに顔を顰めている年下の事は気にせず、レオンは生鮮市場へと向かう。
街の中心部が復興し、商売も盛り上がるようになり、商店街や市場と言うものも活気が出てきた。
ざわざわと人の気配でごった返す場所は、レオンは余り好きではないのだが、誰もいない廃墟同然と化していた故郷を見ていた所為か、人が集まっている事を確認する事が小さな喜びとなっていた。

 あちらこちらに飛び交う客引きの声を聞きながら、先ずレオンが向かったのは、調味料や香草などの細々としたものを買い揃えた。
市場の人々は、レオンが復興委員会の人間である事を知っているので、いつものお礼にとよくオマケをくれる。
食べ物類は大抵ソラの腹に収まってしまうのだが、食べ盛りの彼が幸せそうに食べているのを見ると、貰って良かった、とレオンも思う。

 レオンは良いものを良い値段で売っている店を探し、市場を一往復、二往復と繰り返し、その度に荷物を増やして行った。
塊で買った肉は、迷わずクラウドに持たせた。
おい、とクラウドからは抗議の声があったが、無視して次の食材を探しに行く。

 レオンの気が済んだのは、市場を四往復してからだ。
重みのあるものはクラウドに持たせたレオンだが、そんなレオンが抱えている袋も、そこそこに重量と大きさがある。
パンは軽いが嵩張るし、豆や砂糖は量が増えれば重くなる。

 それらを抱えてアパートに帰り付いた時には、時刻は午後5時を過ぎていた。
家を出たのが3時前だった事を考えると、随分と時間が経っている。


「急いで夕飯を作らないとな……」


 呟いて、レオンは買い込んだ食糧をキッチンへと運ぶ。
その後ろをクラウドもついて行き、抱えていた肉の塊大根白菜諸々を調理台の上にどさりと置いた。


「あー……重かった」
「ご苦労」
「そう思ってるなら、何か駄賃をくれ」
「晩飯くらいなら作ってやる。寝たいのなら、リビングのソファを使え」


 リビングのテレビ前に置いてあるソファは二人掛けなので、クラウドが寝転がって眠るには窮屈だろう。
せめて三人掛けなら、脚が出る事を我慢すれば使えるだろうが、生憎、この家の家具はそれぞれ二人分ずつしか存在しない。
寝室のレオンのベッドを使わせる手もあるが、ソラがレオンのベッドを他人───と言うよりもクラウド───が使った事を知ると怒るのだ。
ソラのベッドは、本人の許可もなく使わせる訳にも行くまい……と言った訳で、クラウドはこの家の寝室は使えない。

 レオンは食糧を冷蔵庫に詰め終わると、鍋を取り出して水を入れた。
コンロの火にかけて沸騰するのを待ちながら、リビングに戻ったクラウドの様子を覗き見る。

 クラウドはテレビの電源を点け、ソファに横になっていた。
二人掛けのソファに肩から尻までを収め、頭を肘掛に、脚は完全にソファからはみ出して投げ出されている。
苦しくないのだろうか、と思いつつ、レオンはまな板に白菜と玉葱を置いて、先ずはとざくざくと白菜を切り始めた。

 ────レオンが朝、昼、晩の食事を、きちんと毎日採るようになったのは、ソラとの同居が始まってからだ。
それまでは朝はコーヒー一杯、時には何も食べずに昼を迎える事が多かった。
昼食は機械を相手にしながらだったり、街のパトロール中に軽く食べ歩く程度。
夜はシドやユフィ、エアリスのお陰できちんとしたものを食べる事もあったが、一人でいるとトースト一枚を齧っただけで終わらせる事も少なくなかった。
不精と言うか、不摂生と言うか、先ず褒められた生活習慣ではなかった事は自覚している。

 食事が嫌いだったと言う訳ではないし、未だに量は余り増えないが、栄養補給は何に置いても人間の根幹的なものである事は理解しているつもりだ。
だが、時間がない、食べている間が勿体ない、それよりやるべき事がある、とおざなりにしていた。
しかし、自分一人の生活ならそれで良くても、同居人がいてはそうも行かない。
増してその相手が成長期真っ盛りの少年ともなれば尚の事、彼の為にも毎日の食事はきちんと用意するべきだと思ったし、彼の旺盛な食欲に触発されるように、レオンも食事に対する意識は変わった。

 刻んだ白菜を沸騰した鍋に入れ、続いて玉葱も入れる。
火が通った頃にコンソメスープとゴマ油を淹れ、斜め切りにしたウィンナーを入れ、またしばらく火を入れた。

 スープを焦がさないように確認しつつ、レオンは買ったばかりの白身魚を捌いて行く。


(クラウドがいるから、三人分だな。大きいのを買ってしまったから、丁度良い)


 慣れた手つきで魚を三枚おろしにして、三等分の切り身にする。
それらを二日前に作ったバジルソースに浸し、冷蔵庫に入れて、ソラが帰って来てから焼く事にする。
サラダはコールスローを作り、最後にレモンをかけてさっぱりとした味付けで完成。

 これで夕食の準備は整った。
直に帰って来るであろうソラを待って、夕飯となる。

 空腹で帰って来るであろうソラを待たせる事もなくなり、レオンはほっと息を吐いた。
後はのんびりとしていよう、とリビングに戻ると、料理を始める時と同じ姿勢でソファに転がっているクラウドの姿が目に付いた。


「……その姿勢、辛くないのか?」


 ソファの横───クラウドの頭を真っ直ぐ見下ろせる位置から訊ねると、テレビに向けられていた碧眼がレオンを見上げた。


「…慣れた」
「……そうか」


 クラウドは、レオンとソラが同居するようになって間もない頃から、この家に訪れている。
それから間もなく、クラウドは寝室を出入り禁止にされ、ソファに座るか寝転ぶのが定着した。
他に場所がないからと言う理由もあるが、本人が特に不満を持っていないのなら、これ以上は何も言うまいとレオンはくるりと背を向ける。

 が、くん、と右手を引っ張られて、レオンの足は止まった。
振り返れば、ソファに寝転んだままのクラウドの手が、レオンのそれを捕まえている。


「なんだ?」
「……ちょっと来い」


 整っているが変化の鈍い顔が、睨むようにレオンを見て言った。
唐突に不機嫌さを滲ませた男に、レオンは眉根を寄せたが、掴んだ手は振り払えそうにないので、仕方なく要求に応える事にした。

 クラウドが頭を乗せているソファの肘掛に片手を突いて、碧眼を見下ろす。


「それで、何───」


 レオンの言葉が途中で途切れたのは、首筋にクラウドの指が触れたからだ。
何かを辿るように、つ、と指が滑る感触に、レオンは眉根を寄せてクラウドの手首を掴む。
睨むレオンを見上げて、クラウドは表情を変えずに言った。


「弱いのか、首」
「何の話だ」
「ここ」


 クラウドは掴まれていない手を持ち上げ、またレオンの首に触れた。


「生意気だな」
「……何の話だ?」


 もう一度眉根を寄せ、同じ言葉を問い返せば、クラウドは溜息を一つ───その直後、首筋に触れていたクラウドの腕が、レオンの首の後ろへと回され、ぐんっ、と強い力で引き寄せられる。
な、と驚きの混じったレオンの声が漏れると同時に、熱を持ったものがレオンの首筋に押し付けられる。
ガリ、と硬いものが抉るように皮膚に当たったのを感じ取って、レオンは反射的に首に噛み付いたものを払い除けた。


「何をしている!」
「だっ」


 クラウドの後頭部が、ソファの肘掛に落ちた。
痛いな、と抗議するようにクラウドは言ったが、レオンは聞いていなかった。
首に残った違和感を嫌うように、短く切った爪を当てて擦る。


「悪ふざけも大概にしろ」
「……別にふざけちゃいない」
「なら、仕返しか?」
「仕返し?」
「買い物に付き合わせただろう」


 寝たい、と言うクラウドを強引に引っ張り出した。
その意趣返しがこの行為なのではないか、とレオンは考えている。

 そんなレオンを見て、クラウドはすぅと双眸を細めた後、盛大な溜息を吐いた。
呆れましたと言わんばかりの溜息と表情に、レオンはなんなんだ、と首筋を掻いていると、


「仕返しなんて下らない。それより俺は、駄賃が欲しいな」
「……晩飯はまだだぞ。ソラが帰って来てから───」
「晩飯はどっちでも良い。あんたの飯は美味いけど、俺が欲しいのはそれじゃない」


 じゃあなんだ、とレオンが目で問えば、碧眼がゆっくりと笑みを作る。
ソファから起き上がったクラウドが立ち上がり、僅かに高い位置にあるレオンの顔に自身の顔を近付けて、弧を描いた唇が緩み、その表情はまるで彼の肩で鈍く光る意匠によく似ていた。


「俺が欲しいのは────」

「レオーン!ただいまー!」


 クラウドの言葉は最後まで音にならず、弾けるような元気の良い声で掻き消された。
決して広くはないアパートの一室で、隣近所を省みない───住んでいるのは自分達だけなので、気にする必要もないのだが───大音量の持主が誰であるのかは、確かめるべくもない。

 くるりとレオンが首を巡らせれば、案の定、茶髪のつんつん頭が玄関扉の前に立っていた。


「ただいまっ!」
「ああ。お帰り、ソラ」


 もう一度元気良く帰宅の挨拶をしたソラに、レオンも返事をする。

 ソラは嬉しそうな足取りでレオンの元まで駆け寄ってくると、ぎゅうっとレオンに抱き着き、胸に顔を埋める。
ぽかぽかとした子供らしい高い体温に、レオンはくすりと笑い、くしゃくしゃと癖っ毛の頭を撫でてやった。


「今日は少し早かったな」
「うん。なんか今日は早く帰ろっかなーって思ったからさ」
「そんなに腹が減ってるのか?」
「そう言う理由じゃないって。腹は減ってるけど。レオン、晩飯、何?」
「白身魚のバジルソース焼きだ。今から焼くから、少し待っていろ」


 ぽんぽんと背中を叩いて離れるように促すと、ソラは一度ぎゅうっと強く抱き着いて───いや、レオンを抱き締めてから、体を離した。
その瞬間、此方を見上げたソラの目が、一瞬驚いたように見開かれたのを見て、レオンは首を傾げる。


「なんだ?」
「……首」


 訊ねれば、端的な単語が帰って来た。
が、それだけでレオンは、ソラが何を見ているのかを察して、首に浮いた赤い引っ掻き傷を右手で隠す。


「ああ、気にするな。大したものじゃない」
「結構赤くなってるよ。虫に刺された?」
「まあ……そんな所だな」


 虫と言うより、犬に噛まれた、と思いつつ、レオンはその言葉は飲み込んだ。
思い出すとまた違和感が甦って、掌を押し付けて擦る。

 レオンはキッチンに入って、冷蔵庫に入れていたバジルソースに漬けた魚を取り出す。
油を引いて熱したフライパンに切り身を並べれば、じゅうじゅうと音が鳴り、香草の香ばしい匂いが広がって行った。

 魚の皮にちりちりと焼き色が浮いて来た所で、キッチンの入り口にひょいっと金髪が顔を見せた。


「レオン、俺は帰る」
「…晩飯、食うんじゃなかったのか?」
「それはまた今度にする」


 じゃあな、と言って踵を返すクラウド。
人影のなくなったキッチンの入り口を見詰め、魚は三人分に切り分けているんだが、とレオンは思った。
買い物に付き合わせた駄賃を寄越せと言うから、夕飯を作ってやっていたのに、何やら予定を崩された気分だ。

 とは言え、クラウドの突飛な行動は毎回の事であるから、レオンも深くは気にしなかった。
魚は明日の朝か昼にでも食べてしまえば良い。
火を通しているから、一晩くらいは問題ないだろうと思い直し、レオンはコンロの火を止めて皿を用意する。

 ばたん、と遠く玄関の方から扉を閉める音がして、間もなく、ソラがキッチンに入って来た。
どんっ、と小柄な体が、フライパンから魚を上げているレオンの背中に抱き着く。


「こら、危ないだろう」
「ごめん。それよりさ、なんでクラウドを来てたの?」


 ソラは、レオンの背中にぴったりとくっついたまま離れない。
動き難いんだが、とレオンは呟いたが、ソラは頑として離れるつもりはないようだった。
腰に回された腕に力が籠められるのを感じて、甘えているようだな、とレオンはこっそりと小さく笑う。


「さあ、理由は判らないな。俺も聞いてないし」
「魚、多くない?クラウドの分?」
「そのつもりだったが、帰ってしまったからな。残りは明日食べようと思う」
「なんでクラウドの晩飯も作ってんの?」


 些か不機嫌を滲ませたようなソラの声に、レオンは苦笑する。
クラウドが家に来て、この家で夕飯を採ると言う話になると、決まってソラは渋い顔をするのだ。


「何でって───買い物に付き合わせたからな。行こうと思った所に来て、荷物持ちに良いと思ったんだ。まとめ買いするから、どうしても荷物は増えるし、重くなるし。人手はあると助かる」
「クラウドじゃなきゃ駄目だったの?」
「そう言う訳じゃないが、丁度良かったからな」 
「じゃあ、今度の買い物は俺が手伝うよ」
「お前にはお前の仕事があるだろう?」
「じゃあ、今度の休みの日とか」
「一通りのものは買ったから、しばらくは手伝いが必要な程の買い物はしないぞ。それに、正直な話、お前がいないと街の復興は成り立たないんだ。体を壊さないように、休める時はちゃんと休め」


 ソラの言葉は有難かったが、ハートレスやノーバディの駆逐は、ソラでなければならない。
ただ追い払い、安全地を一時的に確保するだけならレオンやユフィ、クラウドの力でも事足りるが、根本的な退治となると、ソラの力を借りなければ駄目だ。
買い物を手伝ってくれると言う気持ちは有難いが、レオンには、それよりもソラにやって欲しい事があった。
偶には休息をと影退治を休む日もあるが、そんな時でもソラはレオンの買い物を手伝った事はない───と言うより、レオンが殆ど手伝わせなかった。
日頃、自分達の街の為に尽力してくれているソラが休息を取っているのだから、邪魔をしたくなかったのだ。

 しかし、レオンの気遣いと、ソラの現在の心情とは著しく擦れ違っていた。
ソラは判り易く拗ねた貌で、膨らませた頬をレオンの背中に押し付けている。
毎朝の駄々とは少々空気の違う拗ね方に、参ったな、とレオンは眉尻を下げた。

 こうなると、折れるのは必ずレオンの方だ。
レオンはくっつき虫宜しく離れようとしないソラの、ツンツンと立った髪をくしゃりと撫でた。


「そう言えば、キッチンと浴室用の洗剤が切れていたのを忘れていた。明日、一緒に買いに行くか?」
「……明日?」
「ああ。ついでに、他にも何か買うかも知れないから、手伝ってくれると助かる」


 レオンの言葉に、ソラは数拍、無反応だった。
きっとソラの頭の中では、言われた事を再確認するようにレオンの台詞が反芻されているに違いない。
その理解が追い付いて行くパーセンテージを現すように、ぱあああ、と拗ねていたソラの表情が明るくなって行く。


「俺、手伝うよ!重いものとか、全部俺が持つから!」
「頼もしいな」


 ソラの言葉に笑いながら、実際には平等に持つか、レオンの方が若干負担が大きくなるだろう。
見た目にも判る大人と子供(と扱うとソラは怒るのだが)が並んで歩いて、子供の方が重い荷物を持っていると言うのはどうかと思う。
これが母と子であるなら、子が母を思い遣っているように見えるだろうが、生憎、レオンは歴とした男である。
ソラには悪いが、此処ばかりはレオンも譲れない。

 そんなレオンの胸中は露知らず、買い物に一緒に行ける、手伝いが出来るとソラは喜んでいた。
犬が懐くように背中にごろごろと(これは猫か)頬を寄せるソラに笑みを漏らしつつ、レオンは今日の夕食をリビングへと運んだ。




 食事を終え、一日の出来事を報告し合うように他愛のない会話を楽しんだ後、二人それぞれに風呂に入った。
風呂の湯船は広くはなく、まだまだ小柄な域を出ないソラには丁度良いようだが、完成した体躯をしている長身のレオンには、中々に窮屈である。
ソラは時折、二人で一緒に入りたい、と言うが、あの広さではお互いに疲れるだけだろう。
ソラの希望を叶えるのであれば、もう少し風呂の広い物件に引っ越さなければなるまい。

 転居については、全く考えていない訳ではない。
環境は閑静でレオンは気に入っているが、市場からは遠いし、復興委員会が拠点としている魔法使いの家も距離がある。
利便性としては低ランクになるにも関わらず、レオンがこの家に住む事を選んだのは、少し古びた建物が醸し出す、独特の雰囲気が気に入ったからだった。
因みにソラの意見はと言うと、彼自身が「レオンが住みたい所が良い」と言ったので、住居を決める際はレオンの趣味のみが反映される形となった。
が、住んでみると色々と不便や不満は見えてくるもので、玄関のセキュリティ性だとか、前述の利便性だとか、考え直してみる所は幾つも出て来る。

 転居するなら、今度はソラの意見を全面的に反映させてやりたい。
このアパートに住むに当たって、専ら自分の意見のみで選んだ分、レオンのその思いは強かった。
取り敢えず、二人で入れそうな広い風呂と、セキュリティがしっかりとしている事。
家具類は二人分があれば良いとソラは言うが、来客───主にクラウドではあるが、シドやユフィ、エアリスも偶には来るのだ───分の椅子はあった方が良いだろう。
他にも何か希望している事があるなら、それとなく聞いてみよう。
後は、立地条件は……と、つらつらと考えている内に、少し長くなったレオンの入浴は終わった。

 濡れた髪をタオルで拭きながらリビングに戻ると、其処にソラの姿はない。
リビングの電気を消して、レオンは寝室に入った。
二つ並んだベッドに寝転んでいる少年を見て、くすりと笑う。


「ソラ。そっちは俺のベッドだ」
「知ってるよー」


 漫画に目線を落としたまま、ソラは平然と言った。

 二人分のベッドがあるのに、ソラはよくレオンのベッドに入りたがる。
ベッドの規格も、シーツや枕も同じ物を使っているのに、レオンのが良い、と言うのだ。
其処には、単なる同居人ではなく、もっと特別な意味が含まれている。

 レオンは、ソラが寝転ぶベッドの端に腰を下ろして、まだ水分が残っている頭を拭いた。


「風呂、いつもより長かったね」
「少し考え事をしていたからな」
「悩み事?」
「それ程でもない」


 ぱたん、と本を閉じる音がして、漫画がベッド横のサイドボードに投げられた。
ベッドスプリングの軋む音がして、レオンの隣にソラが座る。

 じい、と青の瞳がレオンを見詰めていた。
お互いに座っているので、いつもよりも顔の位置が近い。
何かを探るように凝視しているソラの瞳に、レオンはことんと首を傾げる。


「なんだ?」
「……首」


 言って、ソラの指がレオンの首筋に触れる。
一瞬のくすぐったい感覚に、レオンは我知らず、一瞬唇を引き結んだ。
そんなレオンの表情を見る事なく、ソラは指で触れた場所をまじまじと見詰め、


「赤くなってるんだ、此処。虫に刺された所」


 その言葉に、ああ、とレオンも得心が行った。
夕刻、クラウドが噛み付いた場所を、何度も自分で引っ掻いていた。
食事の後にはすっかり忘れていたが、風呂に入った時に血行が良くなった所為で浮き上がって来たのだろう。

 年下の幼馴染の狼藉を思い出して、また首下が痒くなってきた。
何処で躾を間違えたのだろう、と遠い目をして記憶を呼び起こしていると、ふ、と何かが首に触れる。

 視界の端に、明るい茶色の髪と、その隙間から覗く丸い耳があった。
健康的な日焼け色をした首が見えた、と思ったら、ちゅう、と首筋を強く吸われる。


「んっ…!」


 痛み───とそれ以外の何か───が一瞬身体を駆け抜けて、レオンは唇を噛んだ。

 は、と小さく息を漏らして、首筋に触れていたものが離れる。
青と蒼がゼロに近い距離で交差して、青が笑った。


「へへ。仕返し」


 悪戯が成功した悪童のように、楽しそうに言ったソラに、レオンはむずむずとした感覚が残る首筋に手を当てて呟く。


「仕返しなら、朝もやっただろう。家を出る前に」
「じゃあ、レオンの真似」
「俺がしたのは、首の後ろだろう」


 そもそも、俺はキスしてくれと頼んではいないのだが───と言う言葉を、ソラは聞いていなかった。
じゃあ、と彼はレオンの後ろに回り込み、背中に乗って、タオルとダークブラウンの髪の隙間に覗く項にキスをする。


「こら、ソラ」
「もう一回」
「バカ、くすぐった…っ!」


 もう一回所ではなく、繰り返し降ってくるキスの雨に、レオンは堪え切れずに噴き出した。
背中にくっついた塊を振り払うようにもがくものの、それで固まりが容易く離れてくれる訳もない。
寧ろもっと、と言わんばかりにソラはレオンの首に腕を回し、しっかりとレオンを捕まえて、汗の滲んだ首に唇を押し当てた。

 体勢の崩れたレオンが横向きにベッドに倒れれば、捕まえるソラも一緒になって倒れる。
それでもソラはレオンを離さなかった。
意地でも離れてなるものか抱き締める腕は、レオンのそれよりも細く発展途上なのに、レオン以上に頑固だ。
終いには全身で以て捕獲しようとするソラに、ああもう、とレオンの唇には笑みが浮かぶ。


「ソラ、待て。判った、判ったから」
「ん?ほんと?」
「ああ。だから、ちょっと離してくれ。このままだと、お前の顔が見えない」


 首に絡んでいた腕の力が緩み、レオンは寝返りを打った。
向き合えばまた近い位置で青と蒼が交錯する。

 ソラの視線が少し下がって、レオンの首筋を映した。
あまり日焼けをしない肌に、ぽつりと赤い華が咲いているのを見て、ソラは満足げに笑う。


「痕、ついた」
「…あまり見える所につけるなよ」
「見えなきゃ意味ないよ」


 だから、もっとつける。
そう言って、ソラはレオンの唇に己のそれを押し当てた。





 ────漣の音が、遠く、近く聞こえている。
何処までも広がる暗闇の中に、無数の光がきらきらと瞬いていた。

 むくりと起き上がって、ぐるりと辺りを見回してみる。
寝転がっていたのは砂浜の中にぽつりと置かれた大きな岩の上で、ソラを挟んだ両隣には、いつものように仲間が転がっている。
寝惚けた仲間達の腹を掻く仕草も、夢の中の会話の端も、何もかも見慣れたものだ。
何もかも。


「………っはあ〜〜〜〜〜〜〜〜………」


 長く盛大な溜息が漏れた。

 判っていた。
かなり早い段階から判っていた。
微笑む彼、その隣にいる存在、それらを客観的に、まるで映画を眺めるように見ている自分。
ああこれは、と理解してから暫くの間は、楽しいような虚しいような微妙な気持ちを行ったり来たりとしていたのだが、ある時点からはそれ所ではなくなった。
新たな登場人物と、彼が殊更近い距離で過ごしているのを見て、それ以上は駄目だ、と何度叫んだ事か。
だが悲しいかな、自分は傍観者以上の席を許されてはおらず、無防備な彼と、虎視眈々とチャンスを狙う狼の間で声なき声を上げるしかなかった。
そんな所へ割り込んできた己の化身には、心の其処から親指を立てたものである。

 その後は彼と己の化身の睦まじい光景を眺め、風呂場で転寝したように思考に耽る彼を、こんなチャンス滅多にないとちゃっかりじっくり観察し、そして。
そして────目が覚めた。

 何故いつも、良い所で目が覚めるのだろう。
でも、今回は目が覚めて良かったのかも知れない。
何せ、いつもと違って傍観者として眺めるしか出来なかったのだ。
いやでも、客観的に色々と見るのも、いつもと違う彼を見る事が出来たかも。

 そう言えば。
彼とあの男が随分と親しげにしていたが、現実でも彼等はあの調子なのだろうか。
今見たものに現実を混同させるのは愚な事であるが、そんな思考は今のソラにはなかった。
意識はクリアなようで、寝起きでまだまともに働いていない所為もある。
ひょっとして、今の夢の一端は、現実の何かを臭わせるものなのではないだろうか。
所謂、予知夢だとか正夢だとか言う類の。
いや、彼はあの男の事を手のかかる弟のようなものだと言っていたし、彼が自分に特別な行為を寄せているなんて気付いてもいない。
いや待て、気付いていないからこそ、あの無防備なのだ。

 ぐるぐる、ぐるぐると思考は周る。
段々とその思考は、愚である現実と非現実の混同を始め、ソラ自身にも何が本当で、何が思い込みで、何が間違いなのかが判らなくなって来た。


「あーっ!!モヤモヤするーっ!!」


 見たかったような、見たくなかったような。
色んな事を聞きたかったような、聞きたくなかったような。

 思考の迷路に嵌り込み、眠るに眠れなくなったソラの独り言は、延々と続いた。
しばらくして「うるさい!」と言う抗議の声が飛んだが、結局その夜、ソラがもう一度眠る事はなかったのだった。





レオン視点なんだけど、ソラの夢。
普段は見れないレオンの一日を覗き見てた感じ。
其処に現れる間男(コラ)に、過ぎる不安。でもクラ×レオにはなりません。だってソラの夢だもの。