エピソード・スタート


生徒手帳を落とした事に気付いたのは、一日の就学を終えた放課後の事だった。
いつもなら、学則に生徒手帳の所持が定められている事など気にせず、まあその内発行し直せば良いか───で済むのだが、その日は違った。

自由な校風を売りにしている学校だが、服装検査の類がほぼ全く行われない代わりに、所持品検査は厳しい所がある。
携帯電話の所持は生徒の安全上の問題として認められているものの、音楽プレーヤーや、勉強と関係のない娯楽雑誌等の持ち込みは禁止されていた。
先生に見付からなければ大丈夫、と言うスリル感の中で持ち込む者もいるが、生徒指導の教員にでも見つかれば一発で取り上げられてしまう為、それらが校内で日の目を見る機会は少なかった。
授業中に弄らなければ良い、と言う位の優しさが欲しい、と思う生徒達は少なくなく、ジタンも漫画一冊位の持ち込みは赦して欲しい、とよく思う。
が、今日のジタンが焦っているのは、『所持品検査』に置いてもう一つ重視される事項について、だ。

『所持品』についてもう一つ生徒達が面倒臭がっている事は、授業に必要なものがきちんと揃っているか確認される事だ。
教科書、ノート、筆記用具───此処までは授業に使用するものだから判るとしよう。
だが、生徒手帳の絶対所持と言う項目については、意味が解らない、と言う生徒も多い。
今のジタンが正にその一人であった。


(やばいやばいやばい!見付けないと明日の検査で何言われるか!)


人気の少なくなった教室で、ジタンは自分の席周りを何度も探していた。
机の中を覗き、鞄の中を覗き、机の回りをしゃがんでぐるぐると周り、教室後ろのロッカーも確認した。

生徒手帳の所持は、この学校の生徒達には義務として定められている。
所持品検査で最も厳しく確認されるのも、この生徒手帳だった。
失くした時でも、再発行の手続きは受け付けてくれるので、いつもなら焦りはしないのだが、明日は所持品検査がある。
発行手続きから手元に届くまで、少なくても四日から一週間は必要なので、今回はそれを待っている暇はない。

だというのに、目当ての黒壇色の生徒手帳は、一向に見付からない。


(外で失くしたのか?まさか学校の外で?だったら何処に落としたか判んねーぞ)


生徒手帳は普段、制服のブレザーの胸ポケットに仕舞われている。
他の生徒も同様で、其処ならクリーニングに出す時等を除けば取り出す必要がないので、入れっ放しにされているのだ。
だから体育などで着替える時でなければ、登下校も含め、平日は何処に行くにも、生徒手帳は持ち歩いている事になる。

落とした可能性のある場所を探す為、ジタンは今日一日を振り返った。
その傍ら、落としたのが今日でなければこんなに焦る事はなかったのに、と胸中で愚痴を零す。


(明日が検査じゃなけりゃ、もっと色んな想像して楽しめたのによ〜)


落した生徒手帳には、学校名と学籍番号と学年が記されている。
生徒手帳は何に使うものでもない───身分証明と、人によってはメモ帳代わりに使っている者もいるが───が、失くすと困るものだ。
学校名が記されているので、届け先が判るから、拾い主によってはわざわざ届けてくれる事もある。

例えばの話。
その落とした手帳を拾ってくれたのが、一人の可愛らしい少女であるとしよう。
少女は隣の区に住んでいて(何故そんな人物がジタンの生徒手帳を拾ったかについては、ジタンの方が隣地区に遊びに行った際に落としたものだと設定する)、放課後の帰り道で偶然それを見付けた。
少女は隣地区の進学校に通っており、街でも大きな家に住んでいるお嬢様で、楚々として真面目で、品行方正。
髪はロングのストレート、目尻は少し下がっていて、普段は少し儚い雰囲気だけれど、笑うと可愛い。
落し物を見付けた彼女は、早く持主に返さなくてはと思い、わざわざ土地勘のない隣地区までやって来る。
なんとか学校までやって来た少女は、偶然にもこの学校に中学生代の友達がいたと言う事で、ジタンの教室まで案内されるのだ。
友達がいたのなら、その子に預けてしまえば良いじゃないかと言う突っ込みについては、少女がとても真面目で、きちんと本人の手に返したいと願っているから───と言う事にする。
そして少女はジタンと出逢い、ジタンと生徒手帳の顔写真を確認し、ほっと安心して、微かに顔を赤らめつつ、生徒手帳を差す。
ジタンは礼を言ってそれを受け取り、拾ってくれたお礼にと少女の名前を聞き出して──────


「おーい、ジタンー?いるー?」


生徒手帳を探す手を止め、夢想にトリップしていたジタンを呼び戻したのは、良く知る友人の声だった。
良いとこだったのに、と思いつつ、遺失物捜索の件を思い出し、ジタンは我に返る。

呼ぶ声は、教室の後ろの入り口からだった。
いたいた、と手を振っているのは、一学年上の先輩であり、友人であるティーダだ。
子犬を思わせる人懐こい顔で呼んでいるティーダに、ジタンは席を立つ。


「なんだ?オレ、忙しいんだけど」
「まーまー、直ぐ済むから。ほら、こいつがジタン」


明日に控える所持品検査への焦りから、やや素っ気ない態度になったジタンを、ティーダは気にしなかった。
こいつ、と言ってジタンを指差したティーダの視線は、彼の後ろへと向けられている。

ティーダが退いて、隣地区の進学校の制服が見えた。
え、と目を丸くしたジタンに、ティーダが制服の持主を紹介する。


「こいつ、スコール。俺の幼馴染で、隣の地区に住んでるんだ。なんかジタンの生徒手帳拾ったから、届けに来たって」


ティーダの蜜色の髪とは正反対の、ビターチョコレートを思わせる濃茶色の髪。
瞳は青とも藍とも違う、生まれたばかりの猫に似た、透明感のあるキトゥン・ブルー。
長い手足、やや細身だが均整の取れた体系、制服も着崩す事なくネクタイまできちんと締めている。
高い鼻、小さな唇、シャープな輪郭、切れ長の目────そして、額に走る一閃の傷痕。

美丈夫、クールビューティ系、と言えば良いだろうか。
額の傷を見て尚、醜いとは全く思われる事のない、神が丹念に厳選を重ねたかのような秀麗な面だ。
きっと同性からはさぞかし羨ましがられ、異性は虜にされて已まないだろう。
ジタンもこれだけの美人が相手ならば、自ら進んで愛の奴隷となるに吝かではなかった。


(…………って、男かよちくしょおおおおおおお!)


がっくりと膝を折るジタンに、ティーダが「おーい?」と声をかける。
美丈夫は、きょとんとした表情で地に這ったジタンを見下ろしていた。

つい先程まで妄想していた内容と現実との剥離に、思わずショックを受けたジタンであったが、直ぐに我を取り戻した。
この際、届けてくれた人物の性別など、二の次三の次だ。
先ずは生徒手帳を拾ってくれた事と、わざわざ届けに来てくれた事に感謝を述べるべきだろう。
そう思い直して、ジタンはすっくと立ち上がった。


「ジタン、大丈夫っスか?」
「おう、悪いな、なんでもないから気にするな。で、あんたがわざわざ届けに来てくれたんだよな」
「……ああ」


ジタンの確認に、美丈夫───スコールは静かな声で頷いた。
低く主張の少ない声に、ティーダの幼馴染と言う割には随分と大人しい印象だな、とジタンは思う。

スコールは手に持っていた鞄から、黒壇の生徒手帳を取り出した。
無言で差し出されたそれを受け取り、顔写真のページを確認する。
写真、学籍番号、名前と、間違いなくジタンのものが記入されていた。


「…あんたので間違いないか」
「ああ。サンキュ、本当に助かった。これがないと大変な事になるとこだったんだ」


ジタンの言葉に、スコールが不思議そうに首を傾げる。
生徒手帳一つで何を大袈裟な、と言う表情を浮かべるスコールに、ティーダが言った。


「明日、所持品検査があるんスよ。このガッコ、生徒手帳は絶対持ってなきゃいけないんだ」
「……面倒だな」
「だよなー。スコールのとこは、そう言うのないっスか?」


ティーダの質問に、スコールは判らない、と言って首を横に振った。
きちんと整えられた制服姿を見て、あったとしても引っ掛からなそうだな、とジタンは思う。

しばらく、幼馴染だと言う二人の会話をぼんやりと眺めていたジタンだったが、話が放課後の寄り道の算段になったのを見て、ああそうだ、と思い出す。


「えーと、スコール…先輩?」


ティーダと幼馴染なら、年齢は一つ上になる筈だ。
探りながら名を呼んだジタンに、スコールが振り返る。


「……なんだ」
「あんた、隣の地区に住んでるんだよな。手帳拾ったのも、そっちで?」
「ああ」


頷くスコールを見て、一体いつ落としたのだろう、とジタンは記憶を巻き戻す。
制服のままで隣地区に遊びに行ったのは、今から一週間も前の事だ。
それから明日までに所持品検査が重ならなくて良かった、とほっと胸を撫で下ろす。


「って事は、あんたはわざわざ隣の地区から、此処まで来てくれたんだな」
「…知らない学校なら警察に届けようと思ったが、ティーダがいたからな」
「俺のお陰っスね、ジタン!」
「確かにな。お前がいなかったら、大目玉喰らうとこだった」


隣地区で拾ったものだから、届けられる警察署も、やはり隣地区のものだろう。
こういう場所に届けられたものは、落とした持主が管轄に連絡しなければ、戻ってくる事はない。
ジタンはまさか隣地区で落としているとは思わなかったから、スコールが届けてくれなければ、明日の所持品検査には絶対に間に合わなかっただろう。


「んじゃ、わざわざ御足労して頂いた訳だし。ティーダのお陰ってのもあるし。お礼になんか美味いものでもどう?」
「マジっスか!」
「は?」


目を輝かせて食い付いたティーダに対し、スコールの反応は鈍かった。
判り易く眉根に皺を寄せて顔を顰めるスコールに、失敗したかな、とジタンは眉尻を下げる。
進学校に通っているし、放課後の寄り道、飲食は禁止、と言う委員長タイプかな、とジタンが考えていると、


「いいじゃないっスか、スコール。ジタン、結構美味いもの知ってるから、期待して良いっスよ」
「俺は別にそう言うのは……大体、落し物届けた程度で、そんな事」
「言っただろ?明日、所持品検査なんスよ。生徒手帳がないと、生徒指導に目付けられる位厳しいんだ。俺も一回落とした時に検査で引っ掛かったんだけど、わざとじゃないのに、校則守れないのかってネチネチ苛められるのなんて、溜まったもんじゃないっス」
「そんなに厳しいのか?」


信じられない様子で問うスコールに、ジタンとティーダは揃って頷いた。


「まあ、そう言う訳でさ。良いタイミングで届けてくれた救世主様に、感謝の気持ちを伝えたい訳」
「……大袈裟な……」
「良いから良いから!スコールもたまには放課後の楽しみってものを知ると良いっス!」


だから行こう、とティーダはスコールの背を押して歩き出した。
スコールは戸惑う表情は消えないが、押しに弱いのか、されるがままだ。

ジタンは教室に置いたままにしていた鞄を回収し、昇降口へ向かう二人を追った。
階段を下りる所で二人に追い付くと、ジタンはティーダを真ん中にして並ぶ。


「お礼に行くとこだけど、何処が良い?」
「スコールが決めろよ。拾ったのはスコールなんだし」
「俺は別に……」


土地勘がない事も然る事ながら、放課後の寄り道自体に経験が少ない所為か、スコールからの希望はこれと言って挙げられない。
じゃあ仕方ない、と代わりにティーダが希望を挙げた。


「いつものゲーセンの向こうにさ、トンカツ屋あるじゃん。あれとかどうっスか?」
「ああ、あそこ美味いよな」
「スコールも良いよな?其処なら、鳥とか軽い奴もあるからさ」


スコールからの返事はなかったが、ティーダはそれを是と受け取ったらしい。
よし行こう!と拳を振り上げるティーダに、やはりスコールは反対を口にしなかった。

昇降口の下駄箱は学年毎に並べられている為、一年生のジタンと二年生のティーダの下駄箱は全く違う所にある。
そして来客用の下駄箱は、昇降口の一番端に設置されており、それと向かい合ってジタンのクラスの下駄箱があった。
靴を履きかえる為、自分のクラスの下駄箱に向かうティーダと一端別れると、ジタンはスコールと二人きりになった所で、彼の幼馴染に聞こえないボリュームで訊ねた。


「スコール先輩って、ひょっとして脂っこいもんとか苦手?」


背中を向け合って訊ねたが、背後でスコールが僅かに動きを止めたのは判った。
スコールは少しの間を置いてから、


「……なんで判った?」
「いや、なんとなく」


ティーダがトンカツ屋と言った時、スコールが僅かに眉を潜めたのが見えた。
鶏肉もあるから、とティーダが言った時、スコールは何も言わなかったが、横顔が少しだけ安堵したように見えた。
後は、見た目からして、余り味の濃いものや、揚げ物の類を好みそうに見えない────と言う事を説明するのが面倒で、ジタンは便利な言葉でひっくるめた。

はあ、とスコールが溜息を漏らす。
靴を履きかえている背中を見ながら、ジタンは苦笑する。


「言ってくれりゃ良かったのに」
「…別に良いと言ったのは、俺だ。一応、鶏肉もあると言っていたし」


自分で先に選択権を譲ったから、反対し難かったのか。
それとも、部活終わりで腹を減らしている幼馴染を気遣ったのか。
どっちもかな、と勝手に解釈しつつ、ジタンはこっそりと眉尻を下げる。
一番にお礼をするべきなのは、手帳を拾い、届けてくれた彼なのに、これでは意味がない。

ジタンは自分の靴を履きかえると、昇降口の出入口で幼馴染を待つスコールの下に駆け寄った。


「なあ、先輩。また今度、改めてお礼させてくれよ」
「……何度も要らない」
「そう言わないで頼むって。借りの作りっ放しは性に合わないんだ」
「借りならこれから返すだろ」
「でも脂っこいもんは好きじゃないんだろ。それじゃ礼にならないよ」
「………」


沈黙するスコールを見上げれば、彼は眉間に深い皺を寄せていた。
口を真一文字に引き結んでいる所を見ると、機嫌を損ねたように見えたが、蒼の瞳はそうではない。
どちらかと言えば困惑を示しているように彷徨う瞳に、あと一押し、とジタンは見抜く。

ジタンはポケットに入れていた携帯電話を取り出して、操作しながら訊ねる。


「先輩、携帯持ってる?校則で持ち込み禁止?」
「いや、持ってる」
「んじゃ、交換」


自分のアドレスページを開いて見せたジタンに、スコールがぱちりと瞬きを一つ。
切れ長の目が大きく見開かれると、今までと違って随分と幼い印象に見えた。
随分と雰囲気が変わるな、と思いつつ、笑ったらどんな風になるんだろう、と言う細やかな興味が沸く。

形の良い唇が薄く開いて、何かを口にしようとして、結局音にならずに紡がれる。
引き結んだ唇をそのままに、スコールはブレザーのポケットから携帯電話を取り出す。
ジタンは赤外線送信の準備をして、スコールの携帯電話に自分のそれを近付けた。
液晶画面で通信が始まったのを確認していると、ぽつり、と。


「……名前、」
「ん?」


零れた声に、ジタンが顔を上げる。
見上げ見下ろさなければ、互いの顔が見えない身長差に、密かに悔しさを感じていると、


「先輩って呼ばれるのは、変な気分だ。だから、名前で呼んで良い」




そう言って逆光の狭間に照らされた彼の顔が、微かに微笑んでいたように見えて、ジタンは胸の奥が強く弾んだ音を聞いた気がした。





2014/09/08

ジタスコ書こうとしたのに、矢印にすらならなかった。でもきっと此処から始まるよ。
スコールの方も、お礼とか先輩って呼ぶとか義理堅い感じがして、良い印象になってると思われる。