月に潜む


視界が悪い事、夜行性の魔物の存在───それらを鑑みて考えると、夜に歩を進めるのは決して得策ではない。
が、帰還を急ぐ場合であったり、長居するには向かない場所であったりすると、休息よりも足を進める事を優先するのは儘ある事だ。

方角だけを確認し、道なき道を進むスコールの同行者は、ティーダ一人。
聖域を出発していた時は、他にジタンとバッツ、フリオニールと言うメンバーがいたのだが、次元の歪みに巻き込まれた際に逸れてしまった。
合流しようにも、スコールとティーダは遠くに存在する仲間の気配を探る事は得手ではない。
それよりも、テレポストーンを介して秩序の聖域に帰還するのが最も堅実な道であるとして、幸いスコールが近辺の地理を把握していた事も手伝い、二人は最寄のテレポストーンへと向かう事にした。

複雑な地形をしている場所であったが為に、二人の足は意図せずして遅くなる。
勾配の上下が激しい山道に、ティーダはうんざりとしていたが、崖を上り下りする羽目になるよりはマシだろうとスコールに言われ、比例対象の極端さに呆れつつ、まあ確かにそうだと諦めた。
だが、スコールとてこの辺りの地形の面倒臭さについては辟易している。
お陰で、本来なら夕刻過ぎには戻れる筈だった秩序の聖域に、月が上った今でも到着できずにいる。

月が明るいってのが、不幸中の幸いっスかね、とティーダが言うと、スコールも確かにそうだと思った。
元の世界───記憶の回復は芳しくないが、感覚的な常識として───では、人工的な明るい光があちこちに溢れていて、遥か空の彼方に存在する光を強く意識する事は少なかった。
街から離れて野宿するとか、サバイバル訓練となればその限りではないが、そうでもなければ月明かりの恩恵と言うものに感謝する事もなかったように思う。
だが、この世界に来て改めて知った月明かりと言うものは、人工の光などよりも、ずっと明るくて遠くまで見渡す事が出来る程に優れたものであった。

その月明かりを頼りに、スコールとティーダは歩を進めていたのだが、


「……あれ?」


スコールのやや後ろを歩いていたティーダが、ぽつりと零して、足を止めた。
その気配に気付いて、スコールも立ち止まって振り返る。


「どうした」
「……今日って、満月じゃなかったっけ?」
「その筈だが」


つい先程、方角を確かめる為に、月の位置を確認したのはスコールだ。
その時に見た月は、欠ける所もなく、綺麗な形をしていた。
ティーダもその時、「お月見日和っスね」と暢気な事を言っていた筈だ。

しかし、あれ、と言ってティーダが指差した先を見て、スコールは目を瞠った。
夜道を遥か遠く、空の向こうまで光を散らしていた満月が、不自然な形に欠けている。
三分の一を欠いた状態の月を見て、ティーダが首を捻った。


「…この世界の月って、一晩であんなに形が変わるもんだっけ?違うよな?」
「……ああ」


何もかもが常識の外と言っても過言ではない闘争の世界だが、月の満ち欠けにまでそれは及んでいない。
世界の断片の中には、月が二つ、或いはそれ以上に複数の天体衛星が確認できる事もあるが、それは歪の中で見られる事だ。
歪の外で見る月の変化については、スコールやティーダが常識としている事柄と変わりなかった。

二人が空を見上げている間に、月は瞬く間に欠けて行く。
ものの三十分としない内に、月が半分になったのを見て、スコールは思い出した。


「ひょっとして、月食か?」
「月食って、月が段々見えなくなって、また見えるようになる奴?」
「……まあ、そう言うものだな」


見えなくなる訳ではなく、月に別の天体の影が落ちる事で、太陽光が反射される事によって見える範囲が狭まるもの────と言う知識の訂正については、スコールは面倒だったので口にしない事にした。

現象の正体が判れば、特に驚くような事でもない。
珍しい出来事である事は確かで、天体マニアの中にははしゃぐ人間もいるだろうが、スコールはこの手の出来事には興味がない。
ティーダは、周りが盛り上がっていれば、お祭り気分になって一緒に盛り上がる所であったが、今日の同行者はスコールだ。
珍しいもの見たな、と呟くのみで、また歩き出したスコールの後ろを追う。

空の月は段々と影を大きくして行く。
ティーダはそれを見上げながら、先行するスコールに遅れないよう、且つ足元にも気を配りつつ、凹凸の激しい道を進む。


「月、もう大分見えなくなってるっス」
「……皆既月食かも知れないな」
「全部が隠れる奴だよな。そんなの見れるなんて凄い事なんだろうなー、きっと」


ティーダが言うことは確かだが、スコールにとっては、今のタイミングで皆既月食は厄介だ。
月明かりがなくなれば、当然視界も悪くなり、まだ辛うじて見えている足元の凹凸や勾配も判らなくなってしまう。
せめて暗くなる前にテレポストーンに着いておきたい。

────が、スコールの願いも虚しく、空は刻一刻と暗闇に飲み込まれて行く。
結局、ティーダが月食の現象に気付いてから一時間と経たない内に、月は完全に光を失ってしまった。


「暗いな……」
「そっスね────っとっと!」


モグラが通った後なのか、不自然に膨らんだ地面に、ティーダが躓く。
明るければ遠目にも見えたであろう地面の起伏だが、頼りにしていた月明かりがなくなった所為で、こんなにも近くなっても全く気付かなかった。

蹈鞴を踏んだティーダは、変に負担をかけた足首を解しながら、スコールに訴える。


「こんな状態で歩き回るの、危ないっスよ。何処かで休んで、明るくなるの待った方が良いって」


ティーダの言葉は尤もだ。
視界が利かない所為で、足下の凹凸に気付けない。
更に此処で魔物やイミテーションに襲われたら、視覚が使えないスコールとティーダは忽ち危機に陥るだろう。

進む先に森を見付けた二人は、その手前で休息を取る事にした。
唯でさえ暗いと言うのに、鬱蒼とした森の中など、侵入する気にはなれない。
早く聖域に帰還したいのは山々であったが、何が生息しているか、それが何処から飛び出すか判らない森の中は、脆弱な人間にとって、針の蓆を進むようなものである。
せめて空の月が再び輝きを取り戻すまで待つのが無難な選択だ。

森の入り口で、スコールが適当な木の下に寄り掛かると、その隣にティーダが座った。
ティーダは肌寒さを誤魔化そうと、両手を揉むように擦り合せながら、天上を見上げる。


「……月、赤いっス」


ぽつりと零れたその言葉は、独り言だ。
その独り言に、釣られた訳ではなかったが、スコールも顔を上げる。

暗闇に閉ざされた広い広い世界の中で、ぽつりと浮かぶ、緋色があった。


(─────赤い、月)


輝きを失い、夜の闇に浮かぶ、紅の月。
それを見た瞬間、ぞわ、としたものがスコールの背中を奔った。


(……っなんだ……?)


怖気のようなものが奔った瞬間、赤い月を見上げるスコールの瞳に、強い嫌悪が滲み浮かぶ。
暖を取る為に抱えていた両腕に力が篭り、指先が腕に食い込むのが判る。

ずきずきと痛む頭を堪える為に目を閉じると、瞼の裏で何かが蠢いていた。
有象無象のように不規則に動くそれが、少しずつ近付いて行き、視界がクリアになるように、見えるその正体が明瞭となって行く。
だが、それが明確になって行く毎に、スコールは腹の奥で気持ち悪いものが競り上がってくるような気がした。

じわ、じわ、と膨らんで行く嫌悪感。
瞼の裏で蠢くそれも、同じように、じわりじわりと膨らんで、まるで落ちる寸前の水滴のように大きさを増して行き──────


「スコール?」
「………っ!」


直ぐ近くから聞こえた声に、スコールは目を開けた。
すると今度は、青々とした丸い瞳が、スコールを間近で見詰めている。

ひた、と温かいものがスコールの額に宛てられる。
グローブを外したティーダの手が、傷の走るスコールの額に触れていた。


「大丈夫か?汗びっしょりじゃん。どっか怪我してたとか?」
「……いや。なんでもない」


そう言うと、スコールはやんわりとティーダの手を押し退けた。
ティーダは唇を尖らせるも、目を逸らすスコールを見て、何も言わずに手を引っ込める。

どくどくと早い鼓動を打つ心臓を悟られないように、スコールはゆっくりと、静かに息を吐く。
そうしていると、知らず強張っていた肩から力が抜けて行くのが判った。
気を抜き過ぎてはいけないと思いつつも、今ばかりは、詰めた息を吐き切らなければ、体の不自然な強張りが解けそうにない。

そんなスコールの傍らで、ティーダはまた空を見上げている。
未だ赤い月を見上げるティーダを見て、スコールは呟いた。


「……月は、魔物の棲家だ」


藪から棒に呟いたスコールの言葉に、ティーダは数拍遅れてから、「……へ?」と言って振り返る。
今なんて言ったの、と言いたげに見詰める青に、スコールはもう一度、


「月は、魔物の棲家なんだ」
「……そうなんスか?」
「俺の世界ではそうだった。そう、教わったし、実際にそうだった」


いつ教わって、いつそれをこの目で確かめたのかは、スコールにも判らない。
だが、これは経験則だと、スコールは確信を持っていた。

だから、とスコールは続ける。


「だから俺の世界では、月食と言うのは、月に棲んでいる魔物が、月そのものを食っているから起きるんだ」


スコールの言葉に、ティーダは目を丸くする。

ティーダにとって、このスコールの言葉は、余りにも常識外れであった。
二人の世界は、比較的文明レベルが近い事もあって、日常的な知識や常識にも差異は少ない。
日食や月食と言う出来事についても、フリオニールやバッツ、セシルのような世界なら、ファンタジーに富んだ伝承が出て来ても可笑しくはなかったが、まさかスコールにもそんな突飛な話があったとは、思いもしていなかった。
だが、違う世界であれば、常識が違うのは勿論で、世界の理も違う。
実際に、月が魔物の棲家であると言う点も、ティーダには考えられない事であったが、違う世界であれば全く否定出来る話ではなくなる。

月そのものが食われる事で起きる、“月食”。
ならば“皆既月食”は、月が丸ごと食われていると言うことなのか。
スコールの世界の月には、どんな巨大で恐ろしい魔物が棲んでいるのか────と、ティーダが思った所で、


「………と、言う御伽噺もある」
「御伽噺かよ!」


静かなトーンで繰り出された一言に、ティーダは思わず叫んだ。


「なんスか、それ!一瞬マジかと思ったじゃんか!」
「月が魔物の棲家だと言うのは事実だぞ」
「月食の事は!?」
「御伽噺だって言っただろう。それとも、あんたの所はそう言う現象を指して“月食”って言うのか?」
「違うけど!今言ってるのは、スコールの世界の話だろ!?」


余りにも淡々とした口調でスコールが話すものだから、ティーダは完全に本気の話だと思っていた。
そもそも、スコールってこんな冗談言うような奴じゃなかった、とティーダは苦々しい表情を浮かべる。

そんなティーダを横目に見て、スコールの唇が緩む。


「月を食う魔物の話は、俺の世界ではよく聞く御伽噺だ」
「……ふーん。スコールも、子供の頃に聞いてたんスか?」
「……多分」


スコールの返答は曖昧だった。
思い出したので、聞いた事があるのは確かだが、それがいつの事であるかは判らない。
思い出した瞬間は馬鹿馬鹿しいと思ったが、同時に、その話に遠い恐怖心が思い起こされたのも事実。
御伽噺の事だし、ひょっとしたら、今は思い出せない遠い日に聞いた事があったのかも知れない。

月に棲む、沢山の異形の魔物。
それらは、自分達の世界に棲む魔物よりも、遥かに強く凶暴なものばかり。
月の魔物は常に腹を空かせていて、けれど月には豊富な餌もないから、毎日腹を空かせている。
そして餓えに耐え切れなくなった時、魔物達は自らが棲む惑星を食べ始め、やがてそれは大きな穴となり、“月食”と言う現象が起きる。
最後には月は魔物達に食べ尽くされ、それでもまだ腹が満たない魔物達は、新たな餌を求めて此方の世界へやってくる─────それが、スコールの知る“月食”の御伽噺。

その一連をスコールが話し終えても、空の月はまだ赤い。
思えば、この世界の“月食”がいつ終わるのか、それは自分達が想像している範囲の時間で終わるのかすら怪しいのだ。
若しかしたら、月が沈むまでこの“月食”現象が続く可能性もある。


「まだ暗いが……仕方ないな」
「そろそろ行く?」
「ああ」


月がないのは厄介だが、ファイアを灯にすれば、用心しながら進めるだろう。
止むを得ず浪費した時間を、此処から取り戻さなければならない。

スコールの右手に炎が灯され、未だ薄暗がりの森へと踏み出す────直前。
ぎゅっ、と握られる感触を感じて、スコールは視線を落として、自分の左手を見る。
其処には、しっかりとスコールの手を握る、ティーダの手があった。


「……何してるんだ、あんた」
「スコールが怖がらないようにと思って」
「……はあ?」


眉間の皺を深くしたスコールに、ティーダは握る手に力を籠めて言った。


「月食、恐いんだろ?」
「……違う」
「こうしてたら、恐くないし。魔物が月から落ちて来ても、俺がスコールを助けるし」
「だから、さっきの話は御伽噺で────」
「って訳で、このままレッツゴー!」
「おい!」


繋いだ手をそのまま、森に向かって歩き出したティーダに、スコールの手が引っ張られる。

離せと騒ぐ声を背中に聞きながら、スコールの手を握るティーダの手は、決して解かれる事はなかった。




2014/10/08

10月8日なのでティスコ!最後しかティスコっぽくないけど。
でもって皆既月食の日だったので!

スコールの世界は月に魔物がいるのが本当だし、授業で教わる位だから、そんな伝承くらいありそうだなと。セントラクレーターとかトラビアクレーターとかあるし。
そんなスコールに、ティーダが「月にはウサギがいるんスよ」って平和な御伽噺をしてあげてたら可愛い。