親心子知らず、子心親知らず


「スコールが冷たいよぉおお〜……」


一杯目の酒を飲み干し、深々と長い溜息を吐くなり、そう言ってぼろぼろと泣き出した父に、レオンは仕様がないなと溜息を一つ。

今年で17歳になったレオンの弟───ラグナにとっては次男───であるスコールは、思春期真っ盛りと言う奴だ。
最も気を許せる存在である筈の家族に対して、何かと厳しい態度を取ったり、頻繁に天邪鬼が顔を出したり、判り易い所で言えば勝手に部屋に入られる事に激しく怒ったり、と言う具合だった。
特に異性に対しては敏感になる年頃なので、幼い頃からの習慣であった筈の、姉が自分の部屋を掃除しに来ると言う出来事にさえ、過敏に反応するようになった。
しかし、スコールが厳しく当たるのは、専ら父であるラグナに対してのみで、兄であるレオンと、姉のエルオーネには常と変らない態度で接している。
そうした温度差が明白である事が、子煩悩な父には寂しくて堪らないのだ。

レオンは手元のグラスを口元に運んで傾けた。
透明色のアルコールがゆっくりと喉を通り、胃に沁み渡って行くのを感じながら、レオンは突っ伏して泣きじゃくる父の頭を撫でた。


「仕方ないだろう、そういう時期なんだから。な?」
「そうだけどよ〜。寂しいんだよーはぐはぐしたいよー。スコールにちゅーしたいよー」


しくしくしく、と滔々と泣きながら訴えるラグナに、俺に言われても、とレオンは思いつつ、本人には尚の事聞かせられない台詞である事は重々判っていた。


「あーあ……小さい頃は、おとーさんおとーさんって、俺にくっついてたのになぁ……」


兄姉弟の末っ子であった所為か、幼い頃のスコールは、とても甘えたがりで寂しがり屋だった。
片時も兄姉から離れまいとし、父に抱き上げられ、抱き締められるのも大好きで、何かと抱っこやおんぶをねだったものである。
確り者の長男と、利発な長女の後に生まれた甘えたがりの末っ子を、ラグナはこれでもかと言う程に溺愛していた。
勿論、彼は長男と長女の事もとても愛してくれたが、やはり一番小さく、弟も泣虫な気質であった事も手伝い、一際手をかけてやる傾向があった。

そうして父兄姉の愛を一心に受けて育ったスコールだが、生来の人見知りは治らないままであった。
子供の頃は、知らない人間に見詰められるだけで怖がって泣いていたのが、成長に伴い、泣かない代わりに「無愛想」と言われる仏頂面が目立つようになっていた。
人見知りは人間嫌いにも近しいものになり、家族と特定の人物以外とは目も合わせようとしない。
それでも、最近は同学年の新しい友人も持てるようになり、過度の人見知りであるスコールがクラスで一人ぼっちになってはいないかと密かに心配していたラグナも、もっと安心する事が出来たのだが、それと入れ替わりに、彼は父親を拒絶するようになった。
思春期特有の一時的な反応である事は、長男と娘を育てた経験として理解しているつもりのラグナだが、やはり愛する子供に「近寄るな」と言われる寂しさと言ったら。

ぐすん、と鼻を啜ってテーブルから起き上がったラグナの顔を見て、レオンは眉尻を下げる。
涙に鼻水とで顔をくしゃくしゃになっている父に、レオンは無言でティッシュの箱を差し出した。
ラグナは箱から数枚分のティッシュをまとめて引っ張り出すと、ぢーん!と派手な音を鳴らして鼻を噛む。


「…なぁ、レオン。もうスコールが俺に笑いかけてくれる事はないのかな…」
「なんだ、随分ネガティブだな。父さんらしくもない」
「……だってよぉ〜!」


うわーん!とまたテーブルに突っ伏して泣き出した父に、今日は一段と酷いな、とレオンは思った。

スコールが思春期に入って以来、親子の酒盛りの席でラグナがこうした愚痴を零すのは、珍しくなくなっていた。
いつも明るく楽しく、子供のように振る舞っている反動のように、おいおい泣いて気難しい末っ子について頭を悩ませる。
レオンは、それを適度に聞き流しつつ、落ち込んだ父の思考を上手く上昇させるようにと努めていた。

ラグナのグラスに酒を注いで、まあ飲め、とレオンは言った。
ラグナはぐすぐすと鼻を啜りながら、グラスを取ってちびちびと飲んで行く。


「大丈夫だよ。今は丁度、ああいう時期だっていうだけだろ?」
「だと良いんだけどさ。なんか今日、決定打って言うか、さんぎょうはん叩き付けられたって言うか」
「……三行半だな。何を言われたんだ?」


父の恒例の言葉間違いを訂正しつつ、レオンは訊ねた。
ラグナは、ずーんと落ちて人魂を飛ばしながら、小さな声で答える。


「……ラグナって、呼ばれた……」
「……それだけか?」


答えを聞いて、そんなに落ち込むような変化だろうかと、思わず聞き返したレオンに、ラグナが目尻一杯の涙を浮かべて詰め寄った。


「それだけって!酷いぞレオン!ちょっと前までパパーって呼んでくれてたのに……!」
「あ、ああ、悪かった。それで?他には?」
「ご飯の用意したぞーって呼びに行ったら、後で一人で食べるって言うし!お風呂一緒に入ろうって誘ったら、やっぱり後で一人で入るって言うし!スーパーのクジ引きでライオンのぬいぐるみ当たったから、スコールに上げようと思って持って行ったら、なんか凄く冷たい目で睨まれたし!」
「……夕飯や風呂は、宿題をしていた所だったんだろう?区切りの良い所までやりたかったんじゃないのか。ぬいぐるみは、もう17歳なんだし、貰って喜べるものでもないだろう……」


呆れ交じりに、父を宥めたレオンだったが、ラグナは「いいや!」と勢いよく顔を上げる。


「レオン、知らないか?スコールって今でもぬいぐるみ大好きなんだぞ。ベッドの枕元にぬいぐるみおいてあるだろ。スコール、たまに寝ながら抱っこしてるんだぜ〜。その時の寝顔が、もう超可愛くってさ〜」


でれん、と頬を染めてにこにこと嬉しそうに語る父に、泣いたカラスみたいだな、とレオンはこっそり考えながらグラスを傾ける。

スコールの部屋に、幼い頃にずっと抱いていたぬいぐるみが今も置いてある事は、レオンもエルオーネも知っている。
成長したようで、寂しがり屋は相変わらずな弟を可愛く思うのはレオンも同じだが、17歳にもなってぬいぐるみなんて、とスコールが考えている事は予想が出来たし、それは敢えて触れないべきだと、兄姉は見ない振りをしていた。
それなのに、父が(例え愛情の表れであるとは言え)これみよがしに愛らしいぬいぐるみを持って「スコール、ライオンさん好きだろ?スコールの為に取って来たんだぜ〜!」などと言って来たら、“幼年期の自分の言動=黒歴史”と言う方程式が問答無用に成り立つ年頃の少年が憤怒するのも無理はあるまい。
ラグナの事だから、「スコールってライオンのぬいぐるみ好きだったな、今もぬいぐるみ抱っこして寝る事あるし、プレゼントすればきっと喜んでくれるぞ!」と思ってスコールに見せに行ったのだろうが、完全に空回りしている。

─────と言う事を全て口に出して伝えたら、ようやく上昇したラグナの気分はまた落ち込んで行くだろうから、レオンはアルコールを喉に通して、出かかった言葉を飲み込んだ。
ほんのりと胃の中が熱くなって行くのを感じながら、スコールの寝顔について、頬を赤らめながら楽しそうに語る父を見て、


(……………あ)


ラグナの後ろには、リビングと廊下を繋ぐ出入口がある。
ドアを締め切ってしまうと、空気が篭って蒸し暑くなるので、其処は開けっ放しになっているのだが、


「……父さん、後ろ」
「ん?なんだ?オバケでもいるのか〜?」
「……オバケの方がまだマシかもな」


へらへらと楽しそうに笑うラグナに、レオンは頬杖をついて呟いた。
青灰色が哀れむように方が細められたのを見て、ラグナはきょとんと首を傾げる。
いいから後ろ、と指を差して振り返るように示すと、ラグナはグラスを口に当てながら振り向いて、

其処に佇んでいた少年を見て、ブハッ!と吐血宜しくアルコールを噴射した。


「…………………」
「………………………………」


ぽたぽたと噴き出したアルコールを床に滴らせる父を、冷たい瞳で射抜く少年─────スコール。
二階の自室で課題を片付けていた筈の彼の手には、寝間着に使うジャージがあった。
今晩の勉強は終わりにして、風呂に入って眠ってしまおう、と思って降りてきた所だったのだろう。

なんというタイミング、とレオンはフリーズしている父を哀れに思いつつ、二人が動き出すのを待つ。
上半身を捻って振り返った姿勢で完全に停止しているラグナに対し、スコールは仁王立ちでぷるぷると震え、


「ラグナの馬鹿!!あんたなんか嫌いだ!!」
「え゙っちょっスコールぅううううう!!!」


家中に響くのではないかと思う程の声で叫んだ後、スコールはどたばたと騒々しい足音と共にバスルームへ駆け込んだ。
蒼白になったラグナが慌てて後を追うが、脱衣室には確り鍵がかけられていたようで、「スコールごめんって〜!」とドアの前で土下座している。

レオンは一つ、深い溜息を吐いて、手元のグラスを口に運んだ。
ラグナに対し、それだけは言ってやるなと、レオンとエルオーネで弟に散々言い含めた言葉が出て来てしまった。
息子娘が何より大切で、目に入れても痛くない程のラグナにとって、息子娘に嫌われるのは、この世の終わりを意味している。
例え言った本人が本気で思っての言葉ではないとしても、父には死刑宣告に等しい重さなのだ。


(後でスコールには言っておかないとな……)


そう思いつつも、口煩くはしないつもりだ。
思春期で気難しい年頃でも、父が男手一つで一所懸命に自分達を育ててくれた事はきちんと判っているし、何も本気でラグナの事が嫌いになった訳ではない。
あれは恥ずかしさで頭が沸騰して口走ってしまっただけだから、きっと風呂に入っている間に落ち付いて、「酷い事言った…」と自己嫌悪に陥るに違いない。
だからレオンがスコールに言うのは、叱る事よりも、宥めて慰めてやる事が主だった。

でも、気難しくて優しい弟を慰める前に、子供のように真っ直ぐ過ぎて空回りしている父を慰めてやらなければ。

─────トントン、と階段を下りて来る音が聞こえた。
レオンが顔を上げると、眠そうに目を擦りながら、ストールを肩に羽織ったエルオーネが立っていた。


「さっき、スコールの大きな声が聞こえた気がしたんだけど…」
「ああ……あの通り」


開け放ったままのドアの向こう、バスルームの前で通路を塞いで土下座して、賑やかにしている父を見て、エルオーネは凡その経緯を察した。


「スコールが父さんを“大嫌い”って言ったんだ」
「…またスコールが恥ずかしがるような事言ったのね」


くすくすと眉尻を下げて笑うエルオーネに、その通り、とレオンは頷く。

全く、仕様のない父だ。
でも、大事な時にはとても頼りになるし、子供達の為に精一杯頑張ってくれる事も、子供達は判っている。
その頑張りは、大抵、小学校の運動会の父兄リレーで張り切り過ぎて、終盤のカーブに盛大に転んで最下位になってしまう位、空回りしてしまうのだけれど、その一生懸命さが子供達にとっては愛おしい。

反応のない末っ子に、すっかり落ち込んで返って来た父に、レオンとエルオーネは顔を見合わせて苦笑した。



2012/08/11

8月8日で8親子!
息子娘が大好き過ぎるパパ。しかし末っ子は思春期真っ最中。
だいじょーぶ、末っ子が爆弾落しても、おにーちゃんと娘が慰めてくれるから。翌日からはまた末っ子に構いまくります。

折角だからレインさんもご存命で皆できゃっきゃしてるの書けば良かったかな……とちょっと反省している。