一番最初に伝えたい


出勤一時間前を知らせる、目覚し時計の音が響く。
惰性に腕だけを伸ばして音の発信源を探し、叩くようにしてボタンを押した。
静かになった部屋の中で、手招きする睡魔の甘い誘惑をどうにかこうにか振り切って、クラウドはベッドを抜け出した。

下着とズボンを穿いて、窓の外を見ると、カーテンの隙間から朝ぼらけが見えた。
夏の真っ只中の現在、朝日は午前五時前には既に登り始めている。
ベッドでは年下の恋人がすやすやと眠っており、もう一度そこに潜り込みたい衝動に駆られる。
本来なら今しばらく恋人の温もりを抱き締めていられるのに、急遽シフト変更を連絡してきた店長を恨んだ。

仕事は昼過ぎには上がるが、それまでは碌に休憩時間もないので、腹の中には詰められるだけ詰め込んでおかなければならない。
眠る恋人の頭をくしゃりと撫でて、彼の為に冷房を点け、寝室を後にする。
寝室同様に蒸し暑いリビングにも冷房を点けて、キッチンに入った。
昨夜の残りの汁物が入った鍋を取り出して、火にかける。
パンにするか米にするか悩んだ後、腹持ちを優先して、冷凍庫に保存していた米を出して、電子レンジに入れた。

ふあああ、と欠伸が出る。
体の重さと、しつこく居残る睡魔を追い払おうと、シャワーでも浴びようかと思った時だった。


「くらうど……」


呼ぶ声に振り返ってみると、サイズの合わないシャツ一枚を着たスコールがいた。
シャツはクラウドが昨夜脱いで放ったもので、下肢は細身のすらりとした太腿が晒されている。

朝から中々刺激的だ、と無表情の下で眼福を噛み締めるクラウドの下に、ふらふらと、スコールは眠い目を擦りながら歩み寄る。


「悪いな、起こしたか」
「あんた、はやい……」
「すまない」


熟睡していた筈のスコールを起こしてしまった事に詫びつつ、クラウドはスコールの頭を撫でた。
意識がはっきりとしていれば、嫌がるであろう撫でる手を、スコールは甘受している。

スコールは、ふあああ、と先のクラウドと同じように欠伸をした。


「ねむ……」
「まだ寝ていて良かったんだぞ。学校にも早いし」
「…うん……」


スコールからの反応は覚束なく、返事もクラウドへのものとは言い難い。
取り敢えず、会話の音が聞こえていると言うのが精一杯だろう。

ピーッ、ピーッ、と電子レンジが音を立てる。
それでもスコールはまだ目を覚まさず、眠い目を猫手で擦っていた。

クラウドはスコールを連れてリビングに行き、ソファに座らせた。
皺の寄ったクラウドのシャツの裾から、見えるか見えないかの狭間に、ついつい目が行く。
仕事さえなければ、と思いつつ、クラウドは朝食の準備の為にキッチンに戻ろうとした────が、くん、とズボンの端を摘まれて引き止められる。


「スコール?」


名を呼んで振り返ってみると、スコールはクラウドのズボンの端を摘んだまま、目を閉じていた。
こくっ、こくっ、と頭が揺れている所を見るに、まだまだ夢と現の間にいるようだ。

ズボンのサイドに引っ掛けるように摘む手が、甘えたがっているように見えて愛おしい。
その手を取ってキスしたら、彼は一気に目が覚めて、真っ赤な顔で逃げるだろうか。
重い瞼が持ち上がらない様子を見ると、気付かずに受け止めてくれる可能性が高い。

本当に、仕事さえなければ、もっと彼を愛でていられるのに。
そんな事を思いながら、そっと摘む手を外させようとしていると、


「……クラウド……」


手を握られたのが判ったのか、スコールは顔を上げた。
重い瞼が半分持ち上がって、潤んだ蒼色がクラウドを見詰める。
睡魔の所為で緩んだ表情が、褥の中で蕩けた彼の表情を思い出させて、クラウドはむずむずとした感覚を自制する。

握った手を逆に握られて、くい、と引っ張られる。
甘えたがっているらしい恋人に、こう言う彼が見られるのなら早起きも悪くない、と思いつつ、彼の要望に応える為に身を屈める。


「………と……」
「ん?」


顔を近付けていた所で、スコールが何かを言った。
眠気に揺られた彼の声は、とても小さく、クラウドの耳には音の形が聞き取れない。
眠そうな彼には可哀想だが、「なんだ?」と訊ねてみると、スコールは素直にもう一度口を開き、


「……おめでと……」


そう言って、柔らかな唇を、クラウドの頬に押し当てた。

何が起こったのか、何をされたのか理解出来ず、クラウドは呆然と固まった。
スコールはそんな恋人に気付いていないのか、眠気に遂に抗えなくなったようで、握っていたクラウドの手を放すと、ぽすんとソファに横になる。
すう、すう、と直ぐに穏やかな寝息が零れ始め、彼は再び、夢の世界の住人となった。

おめでとうって何が。
キスをされたのは何故。
俺はまだ寝ているのか、これは夢の続きなのか。
混乱状態に陥ったクラウドの頭を、ぐるぐると疑問が巡る中、恋人は手探りで捕まえたクッションを抱き締めて眠り続けている。
心なしか緩んで見える表情に、起こして再確認するのも躊躇われ、クラウドはソファの傍らで固まり続けるしかなかった。


(おめでとうって────あ)


繰り返し頭を巡っていた恋人の言葉の意味について、ふと思い出した事を確認すべく、ソファ前のローテーブルに置いてある電波時計を見る。
時刻の横に小さく表示された日付は、8月11日────クラウドの誕生日を指していた。

わざわざその為に、その一言を伝える為に、彼は起きて来たのだろうか。
いつもなら絶対に目覚めないであろう、太陽が昇り切らないような、こんな早い時間に。
そう思うと、クラウドは緩む口元を抑える事が出来ない。
ついでに頬に触れた柔らかな感触を思い出せば、もうどう足掻いても顔は緩み切って元に戻らない。


「……ありがとう、スコール」


眠る恋人に感謝の言葉を贈っても、返事は帰って来ない。
すやすやと、スコールは健やかな寝息を立てて、クッションに顔を埋めている。
そのクッションをそっと取って、クラウドは傷の走る額にキスをした。




2015/08/11

どうしても一番最初に「おめでとう」が言いたかったスコール。
クラウドが仕事に行ったら、絶対誰かが先に言うと思ったから、何が何でも仕事に行く前に言いたくて、頑張って起きて来た。と言う話。

この後、クラウドはニヤニヤしながら仕事に行って、ザックスあたりから「何かいい事あったな〜?」って揶揄われる。