ずっとずっと、ここがいい


兄が首輪をつけるようになった。

首輪は、今までラグナが着けようと調達して来たものと、随分と形が変わっていた。
布で出来た脆いものでもなく、ザックスやクラウドが着けている黒い革の首輪とも違う。
硬くてきらきらと光る銀色の首輪で、首にぴったりとまとわりついている事もなく、首に引っ掛けているだけのもの。

ほんの少し前まで、兄は首輪を着ける事を酷く嫌がっていた。
ラグナはきつい首輪を着けようとはしなかったけれど、それを首に捲かれるだけで、酷く息苦しくなる気がしたのだと言う。
スコールも同様で、必要な事だからと言われても、息苦しさが我慢できなくて外していた。
こんな物があるから、と何回噛み千切った事だろう。
その度にラグナに叱られ、レオンに宥められたけれど、スコールはどうしても受け入れられなかったのだ。

首に触られるのは、あまり好きではない。
レオンに舐めて貰うのと、ラグナにくすぐられるのは、嫌いではないけれど、他の者には触らせたくなかった。
首輪なんて正しくスコールの嫌う所だったのだ。
だから嫌だと何度も訴えていたのに、ラグナはそれでも首輪を嵌めようとする。
レオンにも我慢するようにと言われたけれど、そんなレオンも首輪が嫌で、いつも爪を立てていた。
脆い布の首輪は、爪で引っ掻くと直ぐに破れて、レオンの爪は自分の首を掻いてしまう。
そうして傷の出来た兄の首を、何度も舐めて慰めていた。

それなのに、新しい首輪を着けられたレオンは、ちっとも嫌そうな顔をしない。
スコールは、なんだか兄に裏切られたような、置いてけぼりにされたような気分になっていた。

──────が。

ラグナが食料を調達に出掛けて、兄弟が一緒に昼寝をしていた時の事。
ふと目が覚めたスコールは、しばらくの間、ぼんやりと兄の隣で過ごしていた。

ラグナがいない家の中は、とても静かだ。
今日はセフィロスがザックス達を連れて来る予定もないようで、良い昼寝日和だったのに、こんな時に目が覚めてしまうなんて勿体ない。
窓から差し込む陽光は、ぽかぽかと暖かく、もう一回寝よう、と思ったのだが、何故か睡魔は訪れない。

段々と、睡魔を待つよりも、じっとしている事に飽きて、スコールは体を起こした。
隣で丸まっているレオンの背中に、ぐりぐりと頭を押し付けてみる。
が、兄はすやすやと眠っていて、今日は起きてくれそうにない。
スコールは今度はレオンの首の後ろに顔を近付けて、レオンの毛繕いを始めた。
日向で眠るレオンからは、ぽかぽかと暖かな匂いがして、彼が今、とても幸せである事が判る。

此処に来る前に暮らしていた場所では、兄は腹を空かせながら食料を取りに行って、僅かな肉を自分に分け与えていた。
あの頃のレオンは、毎日泥や土埃に塗れて、時には血を流しながら帰って来た。
痛い思いをしながら、なけなしの食糧で空腹を誤魔化し、次の日にはまたふらふらとした足取りで食糧を探しに行く。
自分は、そんな兄がいなければ生きていけない程、弱かった。
自分の存在が、兄の足枷になっている事を理解しているから、辛かった。
自分がいなければ、自分さえいなければ、兄はきっとこんなに辛い思いをしなくて良いのに────そう思ったのは、一度や二度ではない。

レオンが毎日のように日向の匂いをまとわせて、すやすやと眠れるようになったのは、此処に来てからだ。
此処は極端に熱い日も、寒い日もなく、雨が降っても濡れなくて済む。
食糧が尽きる事もないし、綺麗で美味しい水も飲めるし、猛禽類や大きな猛獣に襲われる心配もない。
時々大きな水溜りに入れられるのは辟易するが、その後、ラグナに毛繕いをされるのは、気持ちが良くて好きだ。

此処にいたい、とスコールは思う。
兄が辛い思いをする事もないし、ラグナも優しい。
此処にいたい─────けれど、その為には、あの大嫌いな首輪をつけなくてはいけないらしい。

眠るレオンの毛繕いをしていたスコールの鼻に、兄とは違う匂いが感じられた。
スコールは、よくよく鼻を近付けて、くんくんと繰り返し匂いを嗅ぐ。
太陽の匂いとは違う、石に似た硬い匂いは、最近になってついた匂いだ。
匂いの元は判っている。
数日前からレオンが首にかけるようになった、きらきら光る銀色の首輪だ。

スコールの鼻に、ぎゅうっと皺が寄せられる。
兄の首から体を離して、スコールはぷいっとそっぽを向いた。
鼻頭に皺を寄せたまま、スコールはその場を離れ、寝室のドアを開け、リビングへ移動する。

リビングは無人になっており、ラグナはまだ帰って来ていないらしい。
しんと静かな部屋の景色に、スコールは無性に詰まらなさを感じて、尻尾でぱしんと床を叩いた。
無人の部屋で暇潰しが出来るものを探してみるが、これと言って心惹かれる物は見当たらない。
そもそも、遊びたいのかと言われると、そう言う訳でもなかった。
目が覚めて、眠くならないし、レオンも起きる様子がないので、取り敢えず此方に来て見たと言うだけの事。
ラグナが帰って来ていれば、何かと構い付けて来ただろうが、玄関から扉が開く音は聞こえない。

スコールの尻尾がぷらんと垂れて、詰まらなそうに目線が泳ぐ。
けれど、どれだけ部屋の中を見回しても、面白そうなものはない────と、思った時だ。


「……?」


ローテーブルの上に、何かが乗っている。

なんだろう、とスコールがソファに上って見ると、テーブルの上に、レオンの首輪が置いてあった。
きらきらと光る首輪は、ベルトではなく鎖で出来ており、“首飾り”と呼ぶのだとラグナが言っていた。
輪になった鎖の端には、変わった形のプレートがついている。
プレートは、見ていると何かを彷彿とさせる形をしていたが、幼いスコールにはそれが何であるのか、はっきりとは判らなかった。

最近の苛立ちの理由でもある物を見付けて、ぐぅ、とスコールの喉が鳴る。


「……がうっ!」


スコールはソファから飛び上がって、ローテーブルの上に四足で着地した。
前足がレオンの首輪の鎖に引っ掛かり、ちゃりん、と金属の音が鳴る。


「ぐうぅうう…!」


低い姿勢で首輪を睨み、噛み付こうとした時だった。
この首飾りをラグナに渡された時、嬉しそうにしていたレオンの貌が頭を過ぎる。

剥き出しにしていたスコールの牙が、ゆっくりと形を潜めた。
じっと見下ろす瞳には、まだ拗ねた色が滲んでいるものの、眦の険は消えている。
スコールはローテーブルの上に乗ったまま、丸い指先でつんつんと銀色を突いてみた。


「………」


これは、苦しくないのだろうか。
これは、兄を苦しめてはいないのだろうか。
それなら、これを付けたら、自分も苦しくはならないだろうか。

体を屈めて、じいっと近い距離から首飾りを見詰めてみる。
きらきらと光る銀色が、深い蒼の瞳の中で、ひらひらと眩しく反射していた。
スコールは光る色に眩む目を、ぱちぱちと瞬きさせて、プレートに鼻先を寄せる。
くんくんと匂いを嗅いでみると、金属特有の匂いの他に、嗅ぎ慣れた兄の匂いがした。
それからもう一つ、ほんの僅かではあるものの、ラグナの匂いも感じ取れる。

スコールの力なく垂れていた尻尾が、ぷらん、ぷらんと左右に揺れる。
つんつん、つんつん、と指先で突いてみる。
首飾りは何も言わずに突かれており、ただただ、きらきらと綺麗な光を反射させていた。
いつの間にか、その光に夢中になっていたスコールは、玄関のドアが開く音に気付かなかった。


「ただいま〜……っと、あ!コラ、スコール」
「……ぐ?」
「テーブルに上るのは駄目って言っただろ?」


リビングに入って来たラグナに、スコールはぱちりと目を丸くして顔を上げる。
そのまま動こうとしないスコールに、仕方ないなあ、とラグナはスコールを抱き上げた。


「がうっ、がうっ。がうっ」
「おっととと、」


じたばたと暴れて、腕から逃げ出すスコール。
落としてしまうと慌ててもう一度捕まえようとするラグナだったが、遅かった。
スコールは身を捻ってラグナの手から逃げると、テーブルの横に四足で着地する。
それからすっくと二足になって、ローテーブルの上にあるものを覗き込んだ。

どうしたんだ、と言ったラグナであったが、直ぐにスコールが見ているものに気付いた。


「スコール、これが気になるのか?」


ラグナが首飾りを手に取ると、スコールの視線がそれを追う。
丸めた手が、揺れるプレートを捕まえようと彷徨った。

スコールは今まで、ラグナが用意した首輪を、幾つもボロボロに噛み千切って来た。
その経緯からか、ラグナはスコールの目線の高さまで首飾りを下ろすものの、それ以上は近付けようとしない。
金属なので噛み付かれても簡単には壊れないのだが、折角レオンが気に入って身に付けてくれるようになったのだ。
まだ真新しいのに傷を作ってしまっては、レオンは勿論、その原因になったスコールも可哀想と思っての事だった。

今まで首輪を目の仇のように攻撃していたスコールだったが、ラグナの予想に反して、スコールは大人しい。
兄と揃いの蒼灰色の円らな瞳が、上下左右に揺れる銀色をじっと追い駆けている。
そぉっと右手が持ち上がると、肉球のある手でプレートをぺちぺちと叩く位だった。


「スコールも、ちょっとだけ、つけてみるか?」
「……」


ラグナが訊ねてみるが、スコールからの返事はない。
だが、その場から逃げようともしなかった。

ラグナは首飾りの鎖の端を外すと、ゆっくりとスコールの胸元まで下ろした。
ふさふさとした動物の毛並に覆われた胸にプレートを当て、そっと持ち上げて行く。
スコールは、その動きをじいっと見詰めていた。
プレートが胸の少し上、首よりも下の位置に納まった所で、鎖を輪に戻す。
ラグナが手を離せば、しゃらん、と鎖の音が鳴って、スコールの胸の上で銀色がきらきらと光っていた。


「よいしょっと」



ラグナはスコールを抱き上げて、洗面所まで連れて行った。
其処には洗面台に取り付けられた鏡がある。

ラグナがスコールを鏡に向き合わせると、銀飾りを首からかけたスコールの姿が映る。


「おおっ、格好良いぞぅ、スコール」
「……がう?」
「んで、どうかな。苦しくないか?ヤじゃないか?」
「……?」


ことんと首を傾げるスコールに、大丈夫なのかな、とラグナはスコールを抱き直す。

ラグナの腕の中で、スコールは胸に当たる固い物を見下ろした。
きらきらと光る銀色を両手に挟んで、鼻先から見詰める。
変わった形をした銀色を見ていると、また何かが頭の中に浮かんできた。
なんだろう、としばらく考えていると、ふと兄の姿が浮かんで、レオンの鬣のような濃茶色の頭毛に似ているのだと気付く。

リビングに戻ったラグナは、スコールをソファに座らせて、首飾りを外した。
遠退く銀色に、スコールの手が伸びる。
銀色を捕まえようと、両手で挟んでやれば、ラグナが困ったように笑った。


「気に入ってくれたんだなあ。良かった良かった。でも、これはレオンのなんだ」
「がうぅ」


スコールの不満そうな声に、ラグナはスコールの首をくすぐってあやす。

どれが誰のもので、と言うのは、スコールにはまだよく判らない。
しかし、プレートには裏側にレオンの名前とラグナの名前、そして住所が刻印されている。
だから、これをこのままスコールにあげてしまう訳にはいかないのだ。


「お前のも直ぐに用意するよ。違うのがいいかな?それとも、お揃い?」
「がぁう」
「お揃いか。そうだな。よしよし」


くしゃくしゃとラグナの大きな手が、スコールの頭を撫でる。

ラグナは首飾りをローテーブルに置いて、スコールを抱き、寝室へ向かう。
扉を開けると、レオンが窓の傍できょろきょろと辺りを見回していた。
蒼い瞳がスコールとラグナを見付けると、房のある尻尾が嬉しそうに揺れる。

ラグナがスコールを床に下ろしてやれば、スコールは一目散に兄の下へ駆け寄って、二人はすりすりと頬を寄せ合てじゃれ合い始めたのだった。




─────弟の首に、兄と同じ銀色が光るのは、数日後の事である。





2016/07/02

二人でお揃いの首飾り。
これからも皆で一緒にいる為のもの。

ラグナがこれを選んだのは、レオンとスコールが“ライオン”モデルの獣人だから。
将来、二人がどんな風に成長しているのかは判らないけれど、格好良い子に育って欲しいと言う願いも込めて。