いのりのあしあと


ラグナは催し物が好きだ。
それが大きな祭りなら勿論の事、小さな事でも、些細な事でも、なんでも。

夕飯の材料の買い出しに行ったスーパーに、大きな笹が飾られていた。
その細い幹枝に吊るされた細長い紙を見て、もうそんな日だったのか、と思い出す。
これと似たようなものが街の其処此処に飾られているので、今まではそれを見付けていれば、今日と言う日が近付いている事に気付いたのだが、最近はそれを見る暇もなかった。
二人の獣人と共に新しい生活を始めてから、彼等の為に、また自分自身が生活の変化に慣れる為に、忙しなくしていたのだから無理もない。

大きな笹の傍には、金箔が吹きつけられた短冊と、小さな笹が置かれていた。
ご自由にどうぞ、と書かれていたので、ラグナは遠慮なく貰って帰る事にした。
小さな笹は、店内を飾る為に用意したものの、余ってしまった処分の為に無料配布されているのだろう。
二、三日もすれば役目を終え、店に飾られた大きな笹ともども、焼き場に持って行かれてしまうが、それまではもう少し、楽しませて貰うとしよう。

一通りの買い物と、予定外の収穫物を持って家に帰ると、玄関に獣人の兄弟───レオンとスコールが立っていた。


「ただいま、レオン、スコール」
「がぁう」
「よしよし」
「…ぐぅ」
「うんうん」


返事をするレオンとスコールに、ラグナの頬がでれでれと緩む。
二人の鬣のような髪を柔らかく撫でて、廊下へ上がる。

冷蔵庫に食料を詰め込んでいるラグナを、足元でレオンとスコールがじっと見上げる。
二人は丸い鼻をふんふんと鳴らして、ラグナの匂いを検分していた。
マーキングするように、レオンがすりすりと体を寄せ、ぐぁう、と鳴き声を漏らす。

買い物袋が殆ど空になった所で、ラグナは冷蔵庫を閉め、袋の中に残っていたものを取り出した。
スーパーから持って帰って来た、短冊と小さな笹だ。
見慣れぬものだと気付いたか、スコールがラグナの手に握られたそれを見て、細い瞳孔でじぃっと見詰める。


「レオン、スコール、知ってるか?今日は七夕なんだぞ」
「……?」


ラグナの言葉に、二人は揃って首を傾げる。
円らな瞳が、全く同じタイミングで、ぱちぱちと瞬きをした。

ラグナはリビングのソファに座って、短冊と笹をローテーブルに並べる。
レオンとスコールもソファへ登り、テーブルの上の見慣れない緑をしげしげと見つめた。


「今日は織姫サマと彦星サマが、年に一度、逢える日なんだ」
「……?」
「そんで、今日は笹に願い事を書いた短冊を吊るすと、願いが叶うって言い伝えがあって…」


七夕の謂れを話すラグナを、レオンはじぃっと見上げる。
スコールは、ラグナを見て、笹を見て、テーブルの短冊に顔を近付けて、くんくんと鼻を鳴らす。
そんな弟に釣られて、レオンも短冊に顔を近付け、鼻を鳴らした後、ぺろっ、と短冊を舐める。


「あっ。コラ、レオン。それ食べ物じゃないぞ」
「がぁう……」
「美味しくなかった?そりゃそうだな〜」


紙を舐めた舌を出したまま、判り易く顔を顰めるレオンに、ラグナは笑った。
兄の反応を見たスコールは、さっさと短冊から興味を失くして、笹に顔を近付ける。

ラグナはレオンを膝に乗せて、短冊を一枚手に取り、


「これはな、お願いごとを書く紙なんだ。えーと、ボールペン、ボールペンっと……あったあった」


ラグナはポロシャツの胸ポケットに入れていたボールペンを取り出した。
何を書こうか、と数秒悩んだ後、ラグナはペンを走らせる。
その様子を、レオンとスコールがじいっと覗き込んでいた。

『レオンとスコールが健康に育ちますように』────そう書いた短冊を、ラグナは笹に括り付けた。
葉が擦れる度、さらさらと音を鳴らす笹の葉に重なって、黄色の短冊が揺れる。


「こうやってお願いを飾っておくと、織姫サマと彦星サマが叶えてくれるんだってさ」
「……?…?」
「…??」


ラグナが笹を見せると、二人は顔を近付けて、ふんふんと鼻を鳴らす。
二人の顔は不思議がっているものばかりで、ラグナの説明は殆ど聞こえていないようだ。
やっぱりまだ判らないかあ、とラグナは残念に思いつつ、二人の頭を撫でてやる。

二人が七夕を理解できない事は予想していたが、それでもやりたい事が一つあった。
買い物の傍ら、携帯電話のインターネットで調べものをして、準備に必要なものが家にあるもので十分である事、並びに注意事項も確認した。
ちょっと待っててくれな、と言って、ラグナは笹をローテーブルに置き、ソファを立つ。

ラグナは寝室に入り、デスクの引き出しを開けた。
ハンコの為に備えて置いた黒インクの朱肉と、ティッシュボックスを持って、リビングに戻る────と、


「がうっ、がうっ」
「がう、がうっ。がうぅ」
「ありゃ」


四足になったスコールが、笹の端を噛んで、首を振って遊んでいる。
笹が撓ってさらさらと葉と短冊を揺らせば、本能を刺激されたのだろう、レオンが枝葉を追うように周りを跳ねていた。

笹の葉が何の為に持ち帰られたか等、幼い獣人の二人には判るまい。
見慣れない物に興味が沸いて、食べられないのならオモチャにして遊ぼう、と思ったのだろう。
それでもラグナは構わなかったが、“ライオン”モデルの彼等が夢中になって遊んだら、細く頼りない笹はあっと言う間にボロボロになってしまうだろう。
今日の所はもう少し、笹としての役目を果たして貰わねば、とラグナはスコールの口から笹を取り上げた。


「こぉーら」
「ぐぁ?がうっ、がうぅっ」
「がうぅ、がぅう」
「オモチャでもないんだって」


オモチャを取り上げられて、スコールが抗議するようにラグナの足に飛び付いた。
レオンも一緒に飛び付いて来て、二人でラグナの足をよじよじと登って来る。
ラグナは笹を持った腕を頭上に伸ばして、二人の追撃から逃げた。


「ダメダメ!今日はオモチャじゃないの」
「がうぅうう!」
「ぐぅー……」
「めっ!」


ラグナが二人を見下ろし、眉尻を吊り上げて叱ると、レオンがずるずると滑り落ちて言った。
スコールは、ぐるぐると喉を鳴らしながら、ラグナの腰に爪を引っ掛け、ぷらんと宙ぶらりんになっている。

楽しんでいたオモチャを取り上げられ、判り易く不満そうなスコールを、ラグナは抱き上げた。
笹をテーブルに置いて、ぽんぽんとスコールの背中を叩いてやる。
そんなラグナの足下では、叱られた所為か、レオンがラグナの足に頭をぐりぐりと押し付けて謝っている。
ラグナはレオンの頭を撫でて、スコールと一緒にソファに座らせた。


「今日一日は、お願いごとしなくちゃいけないからな。オモチャにして良いのは、明日な」
「ぐぅ……」
「ぐるぅ……」
「で、今日はコレ」


ラグナは二人の前に、デスクから持って来たインクを見せた。
これもまた見慣れないものに、二人は首を傾げ、くんくんと匂いを嗅ぐ。
食べられそうなものではない事は判ったのだろう、スコールが鼻頭に皺を寄せた。

先ずは比較的大人しいレオンから、とラグナはレオンの手を取った。
獣人であるレオンの手には、人間で言う掌はなく、動物と同じ肉球が備わっている。
野生であった頃も、まだ大人のように固くはなかった肉球は、ラグナとの生活の中で、ぷにぷにとした柔らかさが保たれていた。
その肉球がある手を、蓋を開けたインクの上にぽんと乗せる。


「……ぐぅ?」
「舐めちゃダメだぞ、美味しくないからな。で、こっちにポン、と」


ラグナがテーブルを寄せ、ピンク色の短冊にレオンの手を乗せる。
直ぐに手を離してやれば、大き目の肉球がくっきりと短冊に残された。

何もなかった短冊の上に、黒い丸が残ったのを、レオンがまじまじと覗き込む。
レオンは自分の手に黒い墨が残っているのを見て、ことんと首を傾げた後、ぽん、と短冊に手を置いた。
離してみれば、また一つ、大きな丸────自分の手跡が残る。


「がう。がう」
「ん?面白かったか?」


ぽん、ぽん、と何度も短冊に手を押し付けるレオン。
房を持った尻尾がゆらゆらと揺れているのを見て、ラグナの頬が綻んだ。

次はスコールの番、とレオンがスコールの手を取る。
警戒心の強いスコールが怖がらないよう、そっとインクを近付けて、朱肉の上に肉球を乗せる。
じわりと滲む冷たい感触が嫌だったのか、スコールの手が直ぐに引っ込んだ。


「がうぅ!」
「ごめんごめん。でもスコール、一回だけ。な?直ぐに拭いてやるから」
「ぐぅう〜…!」


ラグナに頼み込むように言われ、スコールは喉をぐるぐると鳴らしながらも、その場に留まった。
良い子だなあ、ありがとうな、とラグナはスコールを宥めつつ、水色の短冊にスコールの肉球を乗せる。

早く手の中の冷たい感触を拭いたいのだろう、スコールはぐりぐりと掌を短冊に押し付けた。
ぎゅううっとプレスするように押した手を離すと、くっきりと綺麗な形の肉球拓が取れた。


「ありがとう、スコール。キレイキレイしよっか」
「がう!」
「おうっ」


ティッシュでスコールの手を噴こうとしたラグナの頬に、レオンの猫パンチが炸裂した。
いてて、とラグナが頬に手を当てると、ぬる、と何かが付着している。
まさか、と携帯電話のカメラ機能で自分の顔を映せば、ラグナの頬にもまた、綺麗な肉球拓が残されていた。


「ありゃあ〜」
「がう?」
「がうぅう」


ラグナが眉尻を下げて笑い、レオンがきょとんと首を傾げ、スコールが早く拭いてとラグナを急かす。

ラグナは先ずスコールの手のインクを拭いて、次にレオンの肉球も綺麗に拭いた。
肉球の周りにある毛に少しインクが残っているように見えるが、水溶性なので、風呂に入れれば流せるだろう。
それから、勿体ない気もしたが、自分の頬に押された肉球スタンプも拭き取る。
最近はレオンとスコールがよく顔を舐めてくれるので、頬のインクをそのままにする事は出来なかった。

ラグナはレオンとスコールの短冊を笹に吊るすと、それをベランダへと持って行った。
ベランダの物欲し竿の上に、ビニール紐で笹を括り付ける。


「これで良し」


落ちないようにしっかりと笹を固定して、ラグナは満足げに言った。

ベランダに出てはいけないと言い付けられているレオンとスコールが、窓の隙間から此方を見ている。
ラグナが開けた窓辺に座ると、レオンとスコールが膝の上に乗って来る。
落ちないように二人を腕に抱いて、ラグナは晴れ渡った空を見上げた。
この天気なら、今日は綺麗な星空が見えるだろう。



さらさらと、滑るように音を鳴らす笹の葉。
抜けるような青の中で、柔らかな緑色がよく映えていた。




2016/07/07

[けものびと]で七夕でした。

肉球スタンプって可愛い。
七夕が終わっても、この短冊はずっと保管してると思う。