渚の君を一人占め


アルバイト先で催された飲み会の、レクリエーションのビンゴ大会で、三等の旅行チケットが当たった。

旅行チケットと言っても、それ程豪華なものではない。
居酒屋のチェーンであるバイト先は、本社が色々なホテルや旅行会社と提携している関係で、よくイベント事が企画される。
店のメニューに、どこそこの地方のなんとか、と言ったものが並ぶ機会も多く、またホテルや旅行会社の方も、この居酒屋の系列店で食事をすれば何割引きとか、特別メニューとか、そう言うものがうたわれている。
クラウドが当てた旅行チケットは、そうした企画の際に用意された、余り物のチケットであった。

チケットには、ペア招待と書かれており、二人で行かなければ使えないらしい。
旅行など滅多に行かないし、どちらかと言えば出不精な性質であるので、金券ショップに持って行こうか、とも考えた。
が、ザックスから「あの子、誘えば良いんじゃね?」と言われ、一度は誘ってみようか、と思い直した。

親友の提案を、良い案だと素直に受け取れなかったのには、理由がある。
チケットに記された旅行先は、海辺の少し大きなホテルだった。
この夏の季節、海と来れば飛び付く者も少なくはないが、ザックスの言う“あの子”────クラウドの恋人である少年は、余りこう言う場所が好きではない。
まだ夏休みではないので、海水浴客はそれ程多くはない筈だが、それでも人の気配は少なくあるまい。
極端に暑いのも嫌いだし、海ではしゃげる性格でもないし、更に言えば、人の多い場所も好きではない。
ないない尽くしの恋人を連れて言っても……と思わないでもなかったが、別段、無理に海に行く必要はないのだ。
一日二日、ホテルで恋人と二人きりで、睦み合うのも悪くない。
普段、あまりのんびりと逢う時間が取れない事もあり、こんな時位は、と言うクラウドの希望も含まれている。

誘ってみると、最初は案の定、微妙な反応が返ってきた。
この暑いのに海なんて、と言いたげな表情をする恋人に、別に海には行かなくても良いんだ、と宥めた。
都会の喧騒を離れて、眺めの良いホテルで、静かに過ごせば良い。
食事もホテル側が用意してくれるし、父子二人暮らしであるが故に、家事全般を引き受けている彼の休息日と考えれば良い。
そう言うと、彼は少し考えた後、過保護な父に旅行の許可を取るべく、連絡を入れた。

クラウドにとっては幸いと言うべきか、彼の父は、旅行当日に出張が入っていた。
行っておいで、楽しんでおいで、と言う父に、息子は判った、土産は買って帰る、と返す。
恙なく父の許可を貰った事で、恋人同士の初めての宿泊旅行が決定したのだった。



海に行く必要はないとクラウドは言ったが、何せホテルから海は目と鼻の先にある。
其処まで近くにあると、興味はないと言いつつも、やはり気になるものなのだろう。
普段、自然を近くに感じる事がない都会っ子も、だからこそ余計に、少し位は────と傾いた恋人にねだられて、クラウドはホテルに着いて早速海岸へと向かった。

ハーフパンツにタンクトップ、足元はサンダルと言うビーチスタイルのクラウドの隣で、薄水色のパーカーを着込み、しっかりと前を閉じて、頭には麦藁帽子を被っている少年がいる。
彼がクラウドの恋人であるスコールだ。
スコールは、今日も今日とて燦々と輝く夏の日差しから、日焼けが出来ない白い肌を守る為、完全防備スタイルを固めている。
ボトムこそカーゴパンツを履いて、足首の上で裾を絞り、いつもよりもややラフな格好をしてはいるが、足元はメッシュのスニーカーだし、やはりガードは堅い。

そこまでガードを固めて尚、スコールは日向には出たがらない。
レンタルショップで借りたパラソルを立て、その下にレンジャーシートを敷いて、其処で本を読んで過ごしている。
クラウドはその隣で、パラソルの陰から食み出て、シートに俯せになって背中を焼いていた。

潮騒と、家族連れの子供がはしゃぐ声を遠くに聞きながら、背中に浮かぶ汗の粒を感じつつ、クラウドは隣に座っている少年を見る。
家から持って来た文庫本を見詰めているスコールは、傍目には余り楽しそうではない。
表情筋も───クラウドが人に言えた事ではないが───余り動かないので、少し機嫌が悪そうにも見える。
眉間の皺が深くないので、大丈夫なのだろうとは思うが、念の為、クラウドは訊ねてみた。


「スコール」
「……なんだ」
「今、楽しいか?」
「……それなりに」


ぱらり、とスコールの手が本のページを捲る。

少し心許ない反応ではあったが、今のはマシな方の反応だ、とクラウドは思った。
嫌なら嫌だと彼は言うし、それが言えない雰囲気であれば、沈黙によって返事とする。
現状を不満と言う程の返事ではなかったので、多分、彼なりに楽しんではいるのだろう、と受け取る事にする。

ぎらぎらと照る日差しは暑いが、海から吹く風のお陰で、体感温度は思ったより高くない。
パラソルの下にいるスコールも、首にタオルをかけているだけで済んでいた。
が、砂浜の照り返しの熱もなくはない訳で、クラウドはじわじわと体温が篭り始めるのを感じていた。


「何か飲み物でも買って来るか」


俯せていた体を起こしながら言うと、スコールが顔を上げた。
俺も欲しい、と言外に甘えてくる恋人に、クラウドは小さく笑みを零す。


「何が良い?」
「…炭酸」
「味は?」
「…その辺は任せる」


了解、と言って、クラウドはサンダルを履いた。

夏休みなら、浜辺のあちこちに出店が構えられたのだろうが、今はまだ長期休みの前段階。
早い内から開店させたのであろう店を除けば、今正に準備真っ最中と言う屋台があるだけだ。
この海岸で一番に店をオープンさせた海の家はと言うと、家族連れが多いお陰で賑やかになっており、スコールがこの喧噪を嫌った。
クラウドもどうせなら二人で静かに過ごせる方が良いと、海の家から離れた場所にパラソルを立てたのだ。

クラウドが取った場所から、最寄にあった出店は、食べ物以外には水と茶を置いていた。
クラウドはこれでも良かったが、スコールからの希望は炭酸飲料だ。
少し足を延ばした所で、パラソルとレジャーシートを借りたレンタルショップがある。
確かあそこも飲み物を売っていた、と記憶を頼りに其方へ向かった。

クラウドの思った通り、レンタルショップには缶ジュースが売られていた。
氷水に浮かせたサイダーとビールを買って、恋人の待つパラソルへと戻る。

─────と、其処にはなんとも宜しくない光景が待っていた。


「ね、キミ一人?」
「そんなトコで本ばっか読んでないでさ、一緒に泳ごーよ」
「………」


スコールが座るレジャーシートを、二人の男が挟んでいる。
如何にも軽い風体の男達に、ワンパターンなナンパ文句を向けられて、スコールの眉間に海溝よりも深い谷が出来ていた。
その光景を見たクラウドの眉間にも、恋人に負けず劣らず深い谷が刻まれる。

どうやら男達は、スコールを女だと思ってナンパしているようだ。
肌を出来るだけ露出させないようにしている事や、着込んでいても細いシルエット、中性的な整った顔立ちと、間違われるのも無理はないかも知れない。
加えて、17歳にしては大人びた雰囲気とは裏腹に、何処か危うい色香を持つスコールである。
不埒な輩に目を付けられる事は、腹立たしい事に、珍しくはなかった。
家族連れが多いからと、少し位なら平気だろうと傍を離れた事を、クラウドは後悔する。


「なあって。無視しないでよ」
「………」
「海なんだし、もっと開放的になろうぜ」
「………」


ナンパを無視して本を読み続けていたスコールだったが、彼の手には力が篭りつつある。
落ち着きのある容姿に反し、短気な所もあるスコールだ。
自分が女と勘違いされている事も腹が立っているのだろう、後数秒で爆発するのは明らかだった。

その前に、クラウドは手に持っていた缶ビールを男の後頭部に向かって投げつけた。


「ほら、行こ」
「!」
「俺らがもっと楽しい事教えてや────」


男達の手が、スコールの腕を無理やり掴んだ直後。
缶ビールの中では大きな500ml缶は、見事に鈍器となって男の頭に激突した。

相棒が蛙のような悲鳴を上げて轟沈したのを見て、残った男が何事、と振り返った。
その顔面に、今度は250mlのサイダーの缶が命中する。
鼻頭を潰さんばかりの剛速球を喰らった男は、掴んでいたスコールの腕を放して、砂浜に引っ繰り返った。

全く、と米神に青筋を浮かべながら、クラウドは転がったビールを拾い、シャカシャカと中身を振る。


「躾の悪い連中は何処にでもいるんだな」
「クラウド……」
「大丈夫か?スコール」
「……ん」


恋人が戻って来てくれたのを見て、スコールはほっと安堵の息を吐く。
そんなスコールの手首には、薄らと男の手形が残っていた。

クラウドは眉間に深い皺を寄せて、ビール缶を逆様にし、プルタブを開ける。
ぷしゅうううっ、と気泡を立てて噴射されたビールが、男達の顔面に降り注いだ。


「ぎゃああああああああ!!!」
「貴様等の恋人はこれで十分だ」
「いてえええええええ!!!!!!」


たっぷりとビール液を目鼻に浴びせられて、男達が激痛にのた打ち回る。
おうおうと泣き喘いでいる男達を、ぽかんとした表情で見ているスコール。
クラウドはビール缶が空になるまで注がせた後、空の缶を遠くのゴミ箱へと放った。

レジャーシートの上に落ちていたサイダーの缶を拾い、タオル等を入れた鞄を肩に担いで、クラウドはスコールの手を取った。
引っ張られるまま、スコールは蹈鞴を踏みながら立ち上がり、パラソルの下から離れる。


「クラウド?」
「ホテルに戻ろう。物騒だ」
「それは良いけど、あれ、レンタルだろう。返すのは……」
「この浜辺のエリアであれば、店員が片付けてくれるそうだ。気にしなくて良い」


レンタルショップも遠くはないので、店員からもパラソル下に人がいないのは見えるだろう。
連絡も、ホテルに戻ってから、レンタル時に発券されたレシートに記載された番号から電話をすれば良い。

海岸はホテルの裏から、直接出られるようになっている。
其処を海へと向かうホテル客と入れ違いに入り、エレベーターに乗って、部屋へ上がった。
7階に取られた宿泊室は、ビジネスホテルよりは広いと言う程度のもの。
部屋が比較的質素な代わりに、朝食バイキングの無料券、夕食は提携している居酒屋かレストランの割引券、更にはスパの体験利用も出来るようになっていた。
スパはともかく、朝食夕食付のホテルに無料宿泊となれば、交通費を考えても十分お釣りが来る。
海は完全に家族向けのファミリービーチで、事故防止、トラブル防止の監視員も立っており、若いカップルよりも、家族連れの方が多かった。
だから、人目を気にする性格の恋人と、ちょっとした小旅行にするなら丁度良い、と思ったのだが、まさかこんな場所でもスコールがナンパ被害に遭うとは思ってもいなかった。

部屋に入ると、クラウドはスコールをベッドへ連れて行った。
荷物を放り、スコールをベッドへと押し倒すと、彼は素直にシーツに沈む。
きょとんとした蒼灰色に見上げられ、クラウドはその眦に唇を押し当てた。


「クラウド……?」
「消毒、しよう」


クラウドの言葉に、消毒って何の、とスコールが問う。
クラウドは何も言わず、スコールの手を取って、手首に薄く残った赤い痕にキスをする。

パーカーの前を留めるジッパーが、ジィイ、と音を立てて下げられて行く。
カーゴパンツのフロントが緩められて、スコールの顔が赤くなった。

何度も落ちるキスに、スコールはむず痒さで目を細めながら、スコールは自分の頬をくすぐる髪の感触の違和感に気付き、


「クラウド……風呂、入りたい」
「後でな」
「ベタベタするんだ。気持ちが悪い」
「ちゃんと綺麗にしてやるから」



今は、こっち。

そう言ってクラウドは、スコールの手首に甘く歯を当てた。




2016/07/08

7月8日と言う事で、クラスコ!

ベタな展開に遭遇させてみた。
この後は、もう海に出ないで部屋でいちゃいちゃしてるんだと思います。