落ちた雫は君の声


レオンは、突然泣く事がある。
そういう時、彼は自分が泣いている事に気付いていない事が多い。

元々、泣く機会があまりなかったのだろう、と言うのは、彼の生い立ちを聞いてから思った。
幼くして天涯孤独の身となった彼は、早い内から自立心を芽生えさせ、それを形にするべく努力していた。
比例して他人に甘える事は減り、周囲に年下の子供が増えて行くにつれ、自身は世話をする役に徹するようになった。
お陰で彼は、15歳にして一人立ちする事が出来たのだが、共に育って行く筈だった幼く柔らかい心は、心の何処かで置き去りにされていたのだろう。

誰にも迷惑をかけないように生きる為に、彼は、甘えられる筈の少年時代に、殆ど人に甘えて来なかった。
お陰で同年代の若者達に比べると、驚く程しっかりとした好青年に育った訳だが、その代償は決して少なくない。
甘えるよりも甘えられる事の方が多かったレオンは、大人になった今でも、他人に甘える事が出来なかった。
お陰で人の仕事は率先して手伝う癖に、自分の仕事を他人に任せる事が出来ず、その癖なまじ有能な所為で、自分一人で全ての仕事を片付けられる。
それらは褒められるべき事と言って良いのだろうが、ラグナにとってはそうではなかった。
自分がやらなくて良い事まで引き受けて、体力の限界を越えてまでやる事ではない。
たまには他人を頼れ、甘えろ、と叱ったラグナを、レオンは豆鉄砲を喰らった鳩のような貌で見ていた。
あの表情は、滅多に怒らない先輩上司に叱られたと言う驚きもあったようだが、それ以上に、思いがけない事を言われた、と思ったかららしい。
“自分が誰かに頼って良い”と言う事が、レオンにとって、意識を根底から覆される様な言葉だったようだ。

それからレオンは、少しずつ周囲を頼るようになった。
元々、甘え下手な性質であるので、自分から人に頼る事は稀ではあるが、些細な事なら委ねられるようになった。
特に彼を叱り、面倒を見ていたラグナに対しては、その傾向が顕著に出た。
ラグナもしっかり者と評判の彼に頼られるのは悪い気がしなかったし、付き合いが増える内に、段々と見えて来るレオンの“歪”な意識を知ってからは、どんどん放って置けなくなった。

そうして共に過ごす時間が増え、体の関係を持つまでに至ってから、一ヶ月か二ヶ月か経った頃から、レオンはラグナの前で突然泣くようになった。
自身でも泣いていた事に気付かない程、唐突に訪れるその感情の揺れには、本人が一番戸惑っていた事だろう。
ラグナも驚きはしたが、レオンの今までの事情を鑑みれば、なんとなくその原因が想像できる気がした。
安堵か、未知の恐怖か、どう言い表せば正確なのかは判らないが、それでも、そうした感情の高ぶれや揺れは、決してレオンにとって悪いものではない筈だ。
寧ろ、今までそうしたものを強引に振り切っていた事を考えると、置き去りにされた心がその時間を取り戻すように、急激に芽吹いているのだとも思え、無理に留める必要はないとラグナは言った。
あやされる事にすら不慣れなレオンは、そうした慰めすら重荷になるようだったが、繰り返される内に彼も少しずつ慣れたのだろう。
今では、唐突に訪れた涙が止まるまで、大人しくラグナにあやされているようになった。

─────今日もレオンは、唐突に泣いた。
セックスの最中の事だったので、過ぎた快感による生理的なものかとも思ったが、行為を止めても尚止まらなかった涙に、いつもの奴だとラグナも気付いた。
ラグナは行為を完全に中断させて、レオンを抱き締めてあやす。
最近のレオンは、自分が泣いている事を自覚すると、益々涙が出て来るようになった。
ようやくそれが収まった時には、体の熱もすっかり落ち着いてしまっている。


「……すいません……」


赤らんだ顔を手で隠し、ぐす、と鼻を啜りながら、レオンが詫びる。
泣いた後のお決まりの言葉のようなものだった。

ラグナは良いの良いの、と言って、抱き締めていたレオンの背中をぽんぽんと叩いてやる。


「謝らなくて良いんだぞ。泣きたい時は泣けば良いんだからさ」
「でも…いつもこんな、急に……」


前兆もなく零れる涙で、何度ラグナを驚かせ、慌てさせた事か。
今でこそラグナも慌てずに相手をしてくれるが、初めの頃は、俺なんかしたか?と焦らせてしまっていた。
それが心苦しくて、次はないようにしようと思うのに、何かの弾みにまた零れてしまう。
その事にラグナが慣れてしまったと言うのも、それだけ彼を困らせてしまった証明のように思えて、レオンは心苦しかった。

気まずそうに視線を逸らすレオンに、気にしなくて良いのに、とラグナは思う。
何度かそれを口に出して伝えたが、どうしてもレオンは気に病んでしまうようだった。
元々、必要以上に気が回る性格なので、自身の意識でどうにもならない事で、他人の手を煩わせてしまう事にも、慣れていないのだろう。

ぐしゃぐしゃになった顔を拭くものを探して、レオンがきょろきょろとベッド周りを見回す。
ラグナはレオンを片腕に抱いたまま、逆の腕を伸ばして、ベッド横のチェストからティッシュを取った。
それを受け取ろうとするレオンだったが、ラグナの手はついと避けて、レオンの顔にティッシュを当てる。


「あ、あの……」
「んー?」
「自分でやりますから……」
「良いの良いの」


ラグナの手で顔を拭かれ、レオンは戸惑っていた。
両手がラグナを止めようと捕まえるが、ラグナは構わずに恋人の顔を拭き続ける。

散々泣いて、何度も目許を擦っていた所為で、レオンの顔はすっかり腫れている。
薄らと炎症を浮かせた皮膚をこれ以上痛めないよう、ラグナは出来るだけ優しく、彼に触れていた。
レオンは眉を下げて困り顔をしていたが、ラグナが止めてくれないのも判ったのだろう、大人しくされるがままになる。


「今日も一杯泣いたなあ」
「……すいません…」
「だから謝らなくて良いんだって。泣けるってのは、何も悪い事じゃないんだから」
「……そう、でしょうか……」


泣けば他人を困らせる、迷惑になってしまう、とレオンは思っている。
それも間違いではないだろう。
しかし、小さな子供は泣いて自分の気持ちを発露させるものだし、赤ん坊に至っては泣くのが仕事だ。
大人になってまでそれに甘んじて良い訳ではないが、大人だって哀しい時は泣くし、嬉しい時も涙が出るものだ。
レオン一人が、それを赦されない、等と言う事はないだろう。

でも、とレオンは言った。
ようやく落ち着いた蒼灰色の眦に、またじわりと薄い膜が浮く。


「……俺、ラグナさん以外の前で、こんな風になった事、ないのに……」


レオンが泣く時は、必ずラグナが傍にいる時だった。
だからレオンが泣く姿を見るのは、ラグナしかいない。
お陰でラグナは、レオンが突然泣く事について、誰かに相談するのも難しい(何度かした事はあったが、大抵「ラグナ君が困らせたんじゃないか」と言われてしまうようだった)ようだった。
だから彼がレオンの涙に慣れるまでの間、泣く度にラグナは困り果てた顔をしていたものだ。

ようやく出会えた、自分を愛してくれる人に、迷惑をかけたくない。
レオンはずっとそう思っているのに、そんな自分が一番彼を困らせてしまう。
その事を我が身で感じ取る度に、付き合ってくれる彼を愛しく思うと同時に、悔しくて堪らなかった。

またぼろぼろと涙を零し始めたレオンを、ラグナは小さく笑んで、抱き寄せる。
よしよし、と柔らかな髪を撫でてやれば、レオンはラグナの肩に額を押し付けて、ぐすぐすと鼻を啜った。


「す、すいま、せ……」
「謝らなくて良いんだって。ほら、思いっきり泣いちゃいな」
「そ、そんな事…できません……」


レオンが“出来ない”と言う理由は、ラグナに迷惑をかけたくないと言う気持ちは勿論だが、素直に自身の感情の発露が出来ないと言う事もあるだろう。
子供の頃から自分の感情を抑えるのに慣れてしまった分、今になって自分の意識で発散するやり方が判らないのだ。

う、う、と堪えるように声を零すのが、レオンの精一杯の発露だった。
ラグナはそんなレオンを抱き締めて、ベッドに身を沈める。


「レオンは、一杯苦労したんだなあ。頑張ったんだなあ」
「……ラグ、ナ…さん……」
「今も一杯頑張ってるよなあ。俺はよ〜く知ってるぞ」
「……はい……」
「一杯頑張って、一杯張り詰めて。疲れてもまた頑張って」


レオンが幼い頃から必要以上に頑張っていた事を、知る者は少ない。
人当たりは良いのに、何処かで線を引いているレオンは、特別親しい人間と言う者が殆どいなかった。
だから自分の生い立ちを知る者も限られるし、レオンの優秀な人柄が、彼自身の相当な努力の上に成り立っている事も、余り知られていない。

だから、こんなにも頑張って生きて来たのに、褒めてくれる人もいなかった。
レオン自身もそれを当たり前だと思っていたから、自分が褒められるような人間だと思っていない。


「レオンは頑張ってるよ。俺は知ってる。全部知ってる」
「……う……」
「だから、俺の前では泣いても良いんだよ」


ラグナの言葉が、最後の一押しになったのだろう。
レオンの腕がラグナの背に回されて、しがみつくように抱き付いて、レオンは泣き出した。
相変わらず声は抑えたままだったが、肩に滲む熱い雫が、止め処なく溢れては流れて行くのが判る。

レオンは長い間、声を殺して泣き続けた。
堰を壊した後、止め方を知らない彼は、いつも枯れ果てるまで泣き続ける。
声が静かになってきたと思った時には、レオンは泣き疲れて眠っており、それ以上は揺すっても朝まで目を覚ます事はない。
泣くのは存外と体力を使う事だから、深い深い夢の中に落ちてしまうのだろう。

レオンが寝息を立て始めてからしばらくして、ラグナは抱き締めていたレオンの体を少しだけ放す。
枕に沈めたレオンの横顔には、涙の痕が残っていた。
冷やしたタオルでも取ってこようかと思ったが、背中に回されたレオンの腕が解けない。
ティッシュだけを取って、涙の痕をそっと拭いてやる。


「本当に、お前はよく頑張ってるよ。もっと肩の力を抜いて良い位に」


囁くラグナの声に、反応はない。
穏やかな貌で眠る青年は、何処か幼い子供を彷彿とさせる。
その表情に気付いた時から、ラグナは彼を放って置く事が出来なくなった。

よしよし、と頭を撫でると、レオンはちいさくむずがって、ラグナへと身を寄せる。
恋人関係になったばかりの頃は、眠っている時でさえ、彼は余り甘えてくれなかった。
幼い頃から培われた意識は、今のレオンを構成させる一部であるので、ラグナはそれを強く否定するつもりはない。
けれど、もっと甘えて良いんだぞ、と思う事は少なくない。


「難しいんだろうなあ、お前には」
「……ん……」
「良いさ。ゆっくり、出来るようになって行こうな。俺はお前と一緒にいるから」


そう言って、ラグナはレオンの雫が滲んだ眦にキスをする。
もっと、と言うように頬を寄せる青年に唇を緩めて、ラグナは自分とレオンのそれを重ね合せた。




2016/08/08

うちのレオンは、幸せになったらなったで、その幸せに慣れなくて泣きそう、と言うイメージから。
特にラグナ×レオンで考えると、くっついたら幸せの許容量オーバーしそう。

そんなラグレオが読みたいんですけど落ちてないですかねって言う、ラグレオ好きさんへの催促(オイ)。