迷子の歯車


目が覚めた時、其処は歯車が噛み合う、奇妙な井出達の城の中だった。
自分がどうしてこんな場所にいるのか、此処が何処なのかも判然とせずにぼんやりと座り込んでいると、一人の魔女が音もなく現れた。
こんな所で何をしているのです、と問う魔女に、自分は答えられなかった。
そもそも、何をしていたのか判らないから、そうして座り込んでいたのだ。

魔女はしばらく此方を観察した後、突然高笑いを上げた。
何がそんなに可笑しいのか判らずに首を傾げていると、高笑いはまた突然ぴたりと止んで、魔女は今度は綺麗な顔で柔和に笑った。
金色の瞳を細め、真っ赤な紅を塗った唇を歪めたその顔は、恐ろしいものだったのかも知れない。
けれども、当時の自分はそんな事を気にする余地もなく、自分と言う存在の詳細が全く思い出せなかった事で頭が一杯になっていた。

それから、その魔女に連れて行かれて、自分の名前と“役割”を教えられた。


名前はスコール。
役割は、“魔女の騎士”。

真紅の衣に身を包んだ魔女を守る、“騎士”。




「────なんて話、本当に信じてるの?」


出会い頭に言ったクジャに、スコールは眉根を寄せた。
何か可笑しなところがあるのか、と無言で問う蒼に、クジャは肩を竦める。


「バカバカしいお遊戯に付き合わされるこっちの身にもなって欲しいねって言ってるんだよ」
「……意味不明だ」
「……まあ、君がそんな状態じゃ、仕方がないのかな」


それだけを言うと、クジャはくるりと背を向けた。
其方から振って置いて、一方的に話を切り上げるとはどう言うつもりだ。
スコールは思ったが、何かと煩い印象のクジャが自分で口を噤んでくれたのなら、彼のしつこい囀りに付き合わされないで済むので、幸いな事とも言える。
蛇が引っ込んだ藪をわざわざ突く必要もないだろうと、スコールもクジャに背を向けた。

カラカラと歯車が回る城の中、その一角にスコールの部屋が用意されている。
其処の扉を開けると、毛の長いラグが敷かれ、猫足の椅子とテーブルの他、天蓋つきのベッドが備えられている。
魔女に拾われ、連れて来られて間もない頃に与えられたものだった。

ベッドに体を放り出すと、ぼふっ、と柔らかな羽毛に受け止められる。
初めの頃は落ち着かない寝床であったが、過ごしている内に段々と慣れてきた。
ごろりと仰向けになって、薄いカーテンに覆われた天蓋を見上げながら、先のクジャの言葉の意味を考える。

クジャは隠語や比喩を多用する。
物事を指す単語として代理に並べられるのは、演劇や物語を思わせるものが多かった。


(お遊戯って何だ?遊び?何が?)


クジャは何を示して、“遊び”だと言ったのだろう。
彼は、自分がそれに付き合わされていると言っていた。
それも、バカバカしい遊戯だと言っていたから、傍目に見れば相当滑稽な何かに巻き込まれていると言う事か。

それをスコールにぶつける意味は、何処にあるのか。
クジャは回りくどい性格ではあるが、文句を言う時は、それをぶつけるべき相手に堂々と毒を吐きに行くタイプだ。
ならば、先のクジャの言葉は、間違いなくスコールに釘を差すものだったと考えられるのだが、スコールには彼に毒を吐かれる謂れが判らない。


(……アルティミシアへの当てつけか?)


スコールを保護し、この城に住まわせているのは、魔女アルティミシアだ。
彼女とクジャはどうにも反りが合わないようで、何かと冷戦を繰り広げているのをよく見る。
が、クジャが幾ら毒を吐いた所で、アルティミシアはまるで気に留めない。
業を煮やしたクジャが、アルティミシアの“騎士”であるスコールに、代わりに文句をつけに来たのかも知れない。
お前からあいつをどうにかしろ、と言う具合に。


(……そんな事されても、俺の知った事じゃない)


クジャとアルティミシアが衝突する理由を、スコールは知らない。
この神々の闘争とやらの世界では、同陣営の人間の衝突はご法度とされているらしい。
だから、幾らあの二人が口喧嘩をした所で、それが血で血を見るような騒動にはならないだろう。
であれば、“魔女の騎士”とは言え、個人の衝突まで感知する所ではないスコールが割り込むような必要はない。

────そう思っていたスコールだったが、ふと、頭の中にちらつく顔に気付いた。
それは毎日のように顔を合わせている魔女でも、先程向かい合っていたクジャでもなく、四日前に対峙した二人の敵。
此方とは敵対している、秩序の女神が召喚した戦士だと言う彼等と、スコールは戦闘した。
その時、彼等は何と言っていたか。


『スコール!?なんでお前、』
『なんでそんな所にいるんだよ!』


アルティミシア達が、混沌の神の駒として、秩序の女神の駒と戦っている事は聞いていた。
其方についてはスコールはどうでも良かったが、女神の戦士達が“魔女”のアルティミシアの敵だと言うなら、“魔女の騎士”である自分にとっても敵なのだろう。
そう言う認識で、四日前、スコールは初めて秩序の戦士達と相対した。

アルティミシアと共に現れたスコールを見て、暢気な貌をした青年と、尻尾を持った少年は目を丸くしていた。
どうしてそんな所に、心配してたんだぞ、何があったんだ、と彼等は口々に言った。
だが、スコールは彼等が何故そんなにも気安く声をかけて来たのか判らない。
惑わそうとしているのですよ、とアルティミシアに言われ、成程、と納得した。
混沌の戦士が姦計を巡らせる事に富んでいるように、バカ正直な者が多いと言われている秩序の戦士にも、知略を巡らせて敵を内部から分断させようとする者がいても可笑しくない。
だが、スコールは“魔女の騎士”である。
スコールは自分の事を殆ど覚えていなかったが、その言葉はすんなりと心に溶け込んで、自分が“そうであった”事を確信した。
ならば選ぶ選択を迷う事はない、とスコールは彼等に剣を向けたのだが、


『何やってんだよ、スコール!』
『若しかして、操られてるのか?直ぐ助けてやるからな!』


彼等は最後まで、スコールを傷付けようとはしなかった。
狙いは専らアルティミシアへと絞られており、スコールとは真っ向から向き合おうとしない。
精々、尻尾の少年が此方からの攻撃を往なしている程度であった。
舐められているのか、と頭にきたスコールだったが、しばらく応戦した後、アルティミシアに退却を促され、仕方なく戦線から引く事となった。

……あの時、スコールは、彼等の言葉を深く考えていなかった。
だが、よくよく考えれば、可笑しな事が数多く散らばっている。


(……どうして奴らは、俺の名前を知っていた?)


スコールは、ほんの数日前、混沌の神の力によってこの世界へ召喚され、アルティミシアによって拾われた。
記憶障害は新たに召喚された戦士には総じて見られる症状であると言う。
戦っていれば直に思い出しますよ、そう言う世界ですから、とアルティミシアに言われたが、スコールは今までアルティミシアに囲われるように生活していた為、記憶が回復する切っ掛けがなかった。
今日になってようやく戦いに赴く事が出来た訳で────つまり、新たに召喚されたスコールが、アルティミシアの城を出たのは、四日前が初めての事だったのだ。

それなのに、あの日相対した秩序の戦士達は、名乗りもしていないスコールの名前を知っていた。

何か可笑しい、とスコールは眉根を寄せた。
ズキズキと、頭の奥で金槌で殴られているような鈍い痛みに襲われる。
ベッドに蹲って頭を抱え、歯を食いしばって痛みに耐えていると、


「どうしました、スコール」


いつの間に部屋に入っていたのか、音もなく現れた真紅の魔女を見て、スコールの眉間に更に深い皺が寄る。


「……アルティミシア……っ」
「ええ。何です?スコール」


呼ぶ声に、アルティミシアはうっそりと嬉しそうに笑う。
何処か空々しさを感じさせる笑みを浮かべたまま、アルティミシアの獣に似た手が、スコールの頬を撫でる。


「……頭が痛い」
「傷を負いましたか?」
「……違う。中の方が痛い」


外傷の問題ではない、と言うスコールに、アルティミシアが眉を潜めた。
スコールの頭も掴めそうな大きさの手が、ゆったりとスコールの喉を滑って行く。


「誰かに悪い魔法でもかけられてしまったのかしら」
「……魔法……?」
「誰かと話をしましたか?」
「……クジャと話した」
「何を言われました?」
「……よく判らない。でも、考えていたら、あいつらの……秩序の奴等が言っていた事を思い出して。何かが可笑しい気がして、そうしたら────」


頭が痛くなって、起き上がる事も出来なくなった。
その頭痛が、どうも普通の頭痛ではないような気がしてならない。
何かを警告しようとしているような、何かが揺り起こされなければならないと言っているような、そんな。

絶えず襲う頭痛の苦しみに耐えながら、スコールはそれだけをなんとか伝えた。
アルティミシアはスコールの顔をじっと見詰め、彼の話を聞いた後、赤い唇をそっと額の傷へと押し当てた。


「可哀想なスコール。誑かされてしまったのかしらね」
「……誑かされる……?」
「あんな小男の言う事など、聞かなくて良いのですよ。ああ、こんなに沢山汗を掻いて……」


アルティミシアの手がスコールの胸に触れると、其処は布越しにも判る程、じっとりと汗を吸い込んでいた。
気持ちが悪いでしょう、と指の爪先がシャツの裾を引っ掛ける。
捲り上げられて腹に外気が触れるのを感じて、スコールがふるりと体を震わせると、アルティミシアの体がその上に覆い被さった。

柔らかな乳房が、スコールの胸に押し付けられる。
それを受け止めさせられたスコールはと言うと、思春期の少年らしい反応はなく、ぼんやりとした瞳でアルティミシアの顔を見上げていた。


「恐がらなくて良いのですよ。貴方は何も考えなくて良い」
「…アル、ティ…ミシア……?」
「貴方は魔女の騎士。私を守る、唯一人の騎士。それだけを知っていれば良い」
「……う……?」


金色の瞳に見詰められ、スコールは頭の芯がくらくらと揺れるのを感じた。
それは余り気持ちの良いものではなかったが、酷い頭痛が遠退いて行くのも感じて、どちらがマシかを考えると、身を委ねる事を選んだ。

苦悶と疑心を滲ませていた青灰色の瞳から、少しずつ光が消えて行く。
アルティミシアは、あの意志の強い瞳も気に入っていたが、こればかりは仕方がない。
ようやく手に入れたこの少年を手放す位なら、一時彼を夢に迷わせる位、大した問題ではなかった。

露わにされたスコールの胸に、アルティミシアの手が這う。
アルティミシアの手元だけを見れば、獣が人を襲おうとしているようにも見えるだろう。
だが、スコールは大人しくその手を甘受していた。
蒼灰色の瞳には、既に戸惑いの色はなく、何処かうっとりとした表情で、スコールはベッドに沈み込んでいる。


「大丈夫ですよ、スコール。貴方は私が守ってあげます」
「……ま、も…る……?」
「だから、私に委ねなさい。そうすれば、苦しい事なんて何もない」


スコールの体を守る布が、一枚一枚、ゆっくりと剥ぎ取られて行く。
時間をかけて行われる、まるで儀式のような行為に、スコールは疑問を持つ事なく従った。

裸身にされた無防備な少年の体を、魔女の手が検分するように這い回る。


「さあ、スコール」


呼ぶ声に、スコールは蹲り守っていた体を、差し出すように拓いた。



魔女に捕まった哀れな子供は、魔女の正体に気付けなければ、いつか取って食われてしまうもの。
早く猟師が来ると良いね、と他人事のように呟く青年の声を、聞く者はいない。




2016/08/08

『アルティミシア×スコール』のリクを頂きました!

混沌スコールではなく、秩序のスコールで、戦闘中にダメージのショックで記憶喪失に。
これ幸いと攫って行ったアルティミシア様でした。
スコールを囲って自分の物にしてしまおうとするアルティシミアを書くのが楽しい。