その瞳に映るもの


プリッシュが散策に飽きて秩序の聖域に戻った時、其処には珍しい光景があった。

歩き回って減った腹を満たそうと、食べるものを求めて、リビング向こうのキッチンに向かう。
冷蔵庫の中から林檎を見付けて失敬し、リビングでのんびりと食べようと思って戻った時だ。
ソファに座ろうと赴いたら、ジタンとバッツが静かにカードゲームに興じていた。
普段、プリッシュに負けず劣らず賑やかな彼等が、今の今までプリッシュが気付かない程に静かにしていたと言う事に少し驚く。
それから、二人の傍らで、ソファに座ったまま眠っているスコールを見て、プリッシュはもう一度驚いた。

スコールはとても物静かな人間だ。
が、その実、彼の心の中はとても賑やか───と言うか、忙しない。
その忙しなさは、半分は周囲の騒がしさによって起きているものらしく、そうでなくとも、彼は何かと考え事をする時間が多いようだった。
そんな彼が、波風一つない穏やかな眠りを晒していると言うのは、非常に珍しい事だ。
ああ、だからジタンもバッツも静かなのか、とプリッシュは納得した。

手に持っていた林檎をしゃりっと齧ると、ジタンが顔を上げた。


「よっ、プリッシュちゃん」
「おかえり」
「んんんん」


林檎を齧りながら、ただいま、とプリッシュは言った。
物を食べながら喋るのは良くない、と仲間達によく叱られるので、口は閉じたままだ。

ジタンが席をずれて、隣に座ってと促した。
遠慮なく座らせて貰うと、眠るスコールの正面位置を取る事となる。
バッツはスコールの隣でうんうん唸っているが、隣人にその唸り声は聞こえていないようだ。
スコールがそれなりに深い眠りについている事が判る。

ジタンとバッツは、トリプルトライアドに興じている。
プリッシュはカードゲームに全く興味がないので、何が面白いのかは勿論、ルールも判らない。
けれども、このカードゲームにスコールが酷く執着している事は、日々過ごしている中で知っている。

プリッシュは口の中の林檎を飲み込むと、ジタンに声をかけた。


「なあ。それって面白いのか?」
「ああ。オレは面白いと思うよ。特殊ルールもあって変化があるし」
「ふーん」


訊ねはしたものの、かと言ってプリッシュがカードゲームに興味が沸いたと言う程もない。
ただ、このカードゲームに興じている時のスコールの顔が、脳裏に浮かぶ。


「スコールってこのゲーム好きだよな」
「元々、スコールの世界のカードゲームらしいからな」
「カードを全部集める位にハマってたらしいよ」
「このカードも、こっちに来てからスコールが集めたものなんだ。見てみるか?」
「うん」


バッツが傍らに置いていたカードの山を差し出す。
プリッシュは林檎を持っていた手を拭いてから、それを受け取った。

カードには明らかに魔物と判る生物、或は怪物のようなイラストが載っている。
プリッシュが知った姿の魔物もいれば、違うようで特徴が似ている物、全く知らない物もいた。
人間の顔がプリントされたカードもあり、其処にスコールの顔が載っている物を見付ける。

プリッシュはカードを掲げて、向かいの席に座っているスコールを見た。
本人とカードの間を、藤色の瞳が行ったり来たりを繰り返し、二種類の顔を見比べる。

カードに描かれたスコールの顔は、眉根を寄せ、唇を引き結び、蒼の眦は此方を睨んでいる。
顰め面、とよく仲間達から言われている、見慣れたスコールの表情だ。
対してプリッシュの正面に座っている人物は、唇を引き結びつつもやや緩く、時折薄く隙間が開いてまた閉じる。
プリッシュの耳には何も聞こえないが、夢で見ているのか、寝言を零しているのだろうか。
特徴的な傷が奔る眉間には、いつもある筈の皺がなく、その所為か、心なしか顔立ちが常よりも幼く見える気がした。

なんとなくカードを眺めていたプリッシュの鼻に、奇妙な匂いがまとわりついた。
リビングで過ごしている時、嗅いだ事のないそれに、プリッシュは鼻に皺を寄せる。


「なあ、なんか変な匂いしないか?焦げたみたいな臭い」
「え?……あっ、ヤカン!やべっ」
「おいおい、かけっ放しかよ」


持っていたカードをテーブルに投げて、バッツが慌ててキッチンに駆けて行く。
どうやら、今日の夕飯担当のバッツが、夕飯の準備のついでにと火にかけていたヤカンを、そのまま放置していたようだ。
そういやさっきヤカンが置いてあった気がする、とプリッシュは朧な記憶を振り返った。

バタバタと言うバッツの足音が切っ掛けだろう、もぞ、とスコールが身動ぎする。
背凭れに預けていた体がゆっくりと起き上がって、猫手が目許を擦った。


「おう、スコール。悪いな、起こしちまって」
「ん……」


ジタンの詫びに、スコールの反応は鈍い。
まだ眠気が残っているのだろう、手で隠した口から欠伸が漏れた。

薄らと涙の膜を張った蒼灰色の瞳が、ぼんやりと彷徨った後、少しずつ確りとした光を宿す。
スコールはもう一度手で目許を拭った後、体を起こして、正面に座っているプリッシュに気付いた。


「……あんた、帰ってたのか」
「うん。ただいま」
「……」


スコールから“お帰り”の言葉はなかったが、プリッシュは気にしなかった。
言葉の少ない彼は、仲間との挨拶すら積極的には行わないので、いつもの事と言えばそうだ。

ぼんやりとしているスコールと、林檎の残りを齧るプリッシュの傍らで、ジタンはカードを集めて整えている。
そんな三人の下へ、キッチンからバッツが戻って来た。


「いや〜、やっちまった。お、スコール、おはよう」
「……ああ」
「やっちまったって、何やったんだ?」
「空焚きになってて、ヤカンに罅が入っちゃって。買い直しに行かないといけないんだ」


プリッシュが異臭に気付いたお陰で、火事のような大きな事になはらなかったものの、火にかけていたヤカンには罅が入った。
キッチンには電気で動くポットもあるが、湯を急ぎで欲しい時には、やはりヤカンの方が早い。
使う頻度もそこそこあるので、罅の入ったヤカンをそのままにして置く訳にはいかないだろう。


「ジタン、買いに行くの付き合ってくれるか?ついでに不足してる物も買い足したいから。スコールはまだ眠そうだし」
「オレかよ〜、仕方ねえなあ……スコール、プリッシュちゃん、留守番頼んで良いか?」
「おう。いいぞ」
「……ああ」


ジタンの言葉に、未だ睡魔が抜け切らないのか、スコールの返事は遅かった。
そんなスコールに、ジタンは集めたカードを手渡して、バッツと一緒にリビングを出て行く。

二人きりになったリビングで、スコールはまたソファに背を預けた。
賑やかな二人がいなくなったので、リビングには静けさが戻っている。
その静寂に、プリッシュは少し落ち着きのない気分を抱きつつ、あと少しになった林檎を齧る。
大きく口を開けて齧っているので、林檎の消費は早く、あと三口か四口程で食べ終えるだろう。

しゃり、とプリッシュがまた林檎を齧った所で、スコールと目が遭った。
じっと見詰めるスコールの視線に、プリッシュはことんと首を傾げた後、手に握っている林檎を見て、


「食うか?」
「………いい」


腹が減ったのかと思って林檎を差し出したプリッシュだったが、スコールは眉根を寄せて手を振った。
そうか、とプリッシュは最後の一口を齧る。

腹が減ったのではないなら、何故みられていのだろう、と思った後、プリッシュは蒼灰色の先にあるものに気付いた。
プリッシュが左手に持ったままにしていた、トリプルトライアドのカードである。


「悪い、お前のだったな」
「……ん」


カードを差し出すと、スコールは今度は受け取った。
ジタンがまとめたカード束の上に置いて、トントン、と床に落して端を揃える。

綺麗に芯だけになった林檎を、プリッシュはキッチンの三角コーナーへ持って行く。
キッチンは先程プリッシュが感じた異臭が残っていたが、換気扇が回っているので、直に消えるだろう。
深く気にせず、プリッシュはリビングへと戻った。

ソファではスコールが目を細めながら、手元をカードを捲っている。
その表情が常よりもずっと柔らかな空気を醸し出している事を感じ取って、プリッシュも伝染したように胸奥がほかほかと暖かくなる。
暖かみの感触をそのままに、プリッシュはスコールの後ろから、彼の手元のカードを覗き込んだ。


「なあ。コレって面白いのか?」
「…!」


背後に立たれていると気付いていなかったのか、スコールはビクッと肩を跳ねさせて硬直した。
眉間に皺を寄せ、じろりとプリッシュを睨み上げるスコールだったが、プリッシュは気にしない。


「な、面白いのか?」
「……ああ」


プリッシュの行動に害意は勿論、悪意も他意もない事は、スコールも理解している。
無邪気振りにややついて行けない、ともすれば迷惑そうな顔を浮かべたスコールであったが、問いには素直に答えに応じた。

スコールの短い返事に、ふうん、とプリッシュはカードに目を遣る。
スコールが持っていたのは、プリッシュには見慣れない魔物を記したものだった。
トリプル・トライアドはスコールの世界のゲームだと言うから、この魔物もスコールの世界のものなのだろうか。
シャントット辺りなら何某かの興味を示し、魔物の特性や生態について訊ねるのかも知れないが、プリッシュにはどうでも良い事だ。

じっとカードを見ていたプリッシュだったが、何か熱い視線を感じて、目線を横に流すと、蒼灰色とかち合った。
スコールと目が合うのは、プリッシュとしては珍しい事だ。
なんだ?と訊ねようとして、先にスコールの方が口を開いた。


「あんた、興味があるのか」
「興味?何が?」
「……このカード」


スコールの言葉に、プリッシュはことんと首を傾げる。


「んん?ん〜……」
「……」


考え込むプリッシュに、スコールの眉間に皺が寄ったが、プリッシュは気付かなかった。

興味があるかないかと言われると、正直に言えば、ない。
カードゲームは腹が満たされるものではないし、カードも食べれる訳ではない。
体を動かす訳でもないし、頭を使ってあれこれと策を弄するような事は、プリッシュは得意ではなかった。
けれども、カードゲームをしている仲間を見ていると、和気藹々として楽しそうだ。
普段は殆ど一人で過ごしているスコールも、カードゲームとなると、いつの間にか其処に混じっている事も少なくない。


「カードは興味ないけど」
「……そうか」
「でも、お前はこれが好きなんだよな」
「……まあ」


スコールの返事はぼやかされていたが、白い頬が僅かに赤らんでいる。
照れてる時の顔なんだ、と言っていたのは、バッツだったか。

プリッシュはソファの背凭れに後ろから寄り掛かり、スコールの肩口から身を乗り出した。
遠慮のない肩の重みにスコールの眉間の皺が深くなるも、振り払われる事はない。
カードをまじまじと覗き込むプリッシュを、スコールは好きにさせていた。


「面白いんだよな」
「……ああ」
「じゃあ、今度お前がやってる所、見ててもいいか?」
「…別に、構わない」


スコールの言葉に、プリッシュが破顔するように笑う。
興味もないのに見るのか、とスコールは思ったが、眩しい太陽を思わせる無邪気な笑顔に、毒気を抜かれたような気がした。

ジタンとバッツが帰って来たら、きっとまたカードゲームが再開されるだろう。
その時プリッシュは、スコールの隣に座って、彼を眺めているのだろう。
カードを見詰めるスコールの横顔は、いつもよりも柔らかく暖かく、少しだけ無邪気さが滲む。
プリッシュは、それを見るのが好きなのだ。



早く帰って来ないかな、と待ち侘びた声が、リビングの扉を開けるまで、そう時間はかからなかった。




2016/11/08

相変わらずこれでもプリッシュ×スコールと言い張る。
プリッシュの無邪気さを掴みかねているスコールと、なんだかんだ言って拒絶されないので懐いているプリッシュでした。