秘密の楽園


昼休憩を迎えて、ティナは早速席を立った。
手作りのサンドイッチ弁当を片手に、足早に教室を出て行く。

ぱたぱたと、心なしか慌ただしい足取りで、ティナは一階へと降りて行った。
そのまま足は止まる事なく動き、昇降口で靴に履き替え、校舎裏へと向かう。
昼休憩の賑々しさが遠退いていく中、ティナの表情は急きながらも何処か楽しそうだった。

ティナが向かったのは、学校の第三校舎の裏にあるスペースだ。
其処は裏庭と言う程に整地されている訳ではなかったが、庭師の手は入っているようで、無用な草が生い茂る事はない。
木陰を齎してくれる程度の広葉樹の他は、十余年前に卒業した生徒が、卒業記念に残した石碑があるだけで、生徒が面白がるような物もなかった。
この為、一時はサボタージュ癖のある生徒が溜まり場にしていた事もあったそうだが、それも昔の話。
少なくとも、ティナがこの学校に入学してから、校舎裏が不良の溜まり場になっている所は見た事がない。
精々、猫が昼寝に来ている位のものであった。

時間惜しさに走って来たティナであったが、最後の角を曲がる所で、ぴたっと足を止めた。
走って来た所為で乱れた髪型を少し直してから、そっと角の向こうを覗き込んでみる。


(────良かった。今日もいた)


並ぶ広葉樹の幹の陰から、微かに覗く人影を見付けて、ティナの頬が綻んだ。

するり、とティナの足元を何かが滑り撫でて行く。
初めは驚いたその感触も、此処に通っている内にすっかり慣れた。
慌てる事なくティナが視線を落とせば、三毛色の猫がティナの足下にちょこんと座っていた。

ティナが猫に笑い掛けると、猫はにゃあん、と一声鳴いて、歩き出した。
案内するように歩く猫の後ろを、ティナはゆっくりとついて行く。
木々の隙間から覗いていた人影が近付くに連れ、ティナはおのずと高鳴る鼓動を宥めるように、意識して深呼吸をした。

人影は、石碑を囲むように並ぶ石材の一つに座っていた。
石材は長方形に研磨され、石碑を斜め四方から囲むように配置されている。
決してベンチとして置かれた者ではないのだが、形と言い高さと言い、椅子代わりに丁度良いので、よく座らせて貰っていた。
石材の周りには、昼寝に来たのであろう猫が三匹。
其処にティナを案内していた三毛猫も加わって、くるんと丸くなり、くわあ、と欠伸を漏らす。
野生の鋭さなど何処吹く風と言った猫達の姿に癒されつつ、ティナは歩みを進めていく。
近付いて行く内に、気配と足音に気付いたのだろう、人影が顔を上げて、藤と蒼が交じり合った。


「こんにちは」
「……どうも」
「今日もお邪魔して良いかな」
「…別に、わざわざ許可を取らなくても良いだろう」


此処は俺の場所と言う訳じゃない、と蒼の持ち主───スコールは言った。

挨拶や問に対し、何処かぎこちない返事が返って来るのが、ティナは嬉しかった。
初めて此処でスコールと出会った時には、会話らしい会話は愚か、目を合わせる事すらしなかったのだ。
今でも会話がキャッチボールのように続く訳ではないが、声をかければ一言二言で答えてくれる。
スコールは余り喋る性格ではないようだから、その些細な遣り取り一つ一つだけでも、彼との距離が縮んでいる証のように思えて、ティナは嬉しい。

ティナはスコールが座っているものとは別の石材に腰を下ろして、弁当箱を開けた。
もくもくとサンドイッチを食べながら、同席者を横目に見てみる。
スコールは既に食事を終えたのか、少し猫背になった姿勢で、開いた文庫本を読んでいた。
その風貌は、雰囲気も含めて随分と大人びており、ともすれば高校生らしからぬ空気を滲ませている。
しかし実の所、スコールはティナより一つ年下の17歳であった。


(初めて聞いた時、驚いたなあ。てっきり三年生だとばかり思ってたんだもの)


ティナとスコールが出逢ったのは、去年の秋の事───ティナは二年生、スコールはまだ一年生だった時だ。
その頃からスコールは今と変わらない大人びた雰囲気があり、ティナはてっきり、彼を先輩だとばかり思っていた。
眉間に走る大きな傷や、常に仏頂面である事も相俟って、今以上に近付き難い人物とも思われていた事を覚えている。
成績優秀なので全校生徒の殆どに顔を覚えられているが、醸し出す空気から敬遠している者は少なくない。
かく言うティナも同様に思っており、お気に入りの場所だったこの校舎裏に彼が現れた時は、密かに戦々恐々としていたものであった。
しかし、そんなものは単なる第一印象に過ぎず、実際にはとても可愛らしい少年であると、今のティナは知っている。

ちら、とティナがスコールを見遣ると、彼はまだ本を読んでいた。
その傍らには、昼寝に飽きた黒猫が一匹。
他の猫よりも一回り小さく、まだ子供なのであろう黒猫は、此処に集まる猫達の中で、特にスコールに懐いているように見える。

黒猫はうろうろとスコールの周りを歩き回った後、よく距離と高さを見定めて、ジャンプした。
なんとか石材の縁に前足を引っ掻けた黒猫は、後ろ足をじたばたと動かして、なんとか石材の天辺に登り、座っているスコールへと近付いた。
腰に顔を近付け、ふんふんと鼻を鳴らす黒猫を、青の瞳がちらりと見る。
小さな口が、はく、と服の端を噛むと、スコールは丸めた指の背で猫の頭を緩く押し退けた。
子猫はつるつるとした石材の上を後ろへと押し滑らされ、きょとんとした様子でスコールを見上げている。
そんな黒猫の喉元を、指先でくすぐってやれば、子猫は気持ちよさそうに両目を細めてゴロゴロと喉を鳴らした。


(良いなあ、仲が良くて)


見詰めるティナの視線には気付かず、スコールは子猫をあやしながら、視線は本へと戻す。

スコールの指先は魔法のようだ。
彼の指先に撫でられると、どんな猫でも幸せそうに喉を鳴らす。
彼の手許で、ふかふかころころと猫達が嬉しそうにじゃれるのを、ティナはいつも見ていた。
だから、集まった猫の内の一匹がその指にあやされていると、他の猫達も、自分も自分もと甘えにやって来る。
スコールは彼等を決して振り払う事はしないので、気付くと、頭の上まで登って甘えられている時もあった。

サンドイッチを食べ終えたティナは、弁当箱を風呂敷に包んで石材に置くと、腰を上げた。
丸まっていた茶色の猫がピクッと耳を動かし、頭を上げる。
猫は近付くティナをじっと見つめ、彼女が目の前で膝を曲げると、心得たようにごろんと転がった。
まるで「どうぞ」と言うように腹を見せた猫に、ティナはくすくすと笑って、その腹をそっと撫でる。


「ふかふかしてる…」
「……」


手指に当たる猫の毛並みは、とても柔らかくて心地良い。
野良ではあるが、きっと良いものを食べて、日向ぼっこをしながら眠っているのだろう。

ティナはいつまでもふかふかとした毛並みを堪能していたかったが、しばらくすると、猫がするりと逃げて行った。
あ、とティナが眉尻を下げている間に、猫はスコールの足元へと潜り込む。
足と石材の隙間を寝床にして、茶色の猫はまた丸くなって目を閉じた。
ずっと撫でていたかっただけに残念ではあったが、代わりのように、白猫が近付いてきて、ごろりと横になる。
優しいね、と呟いて、ティナは白猫の脇腹を撫でた。

猫に囲まれる中で、スコールは黙々と本を読んでいる。
時折、じゃれつく黒の仔猫をあやすように指先を貸す以外は、本から目を離そうとしない────が、


「痛っ……!」


小さな悲鳴が聞こえて、ティナは顔を上げた。
見ると、スコールの首の後ろに仔猫が昇っている。
スコールは眉根を寄せて、手探りで仔猫を捕まえ、体から離して石材の下へと下ろした。


「スコール、大丈夫?ひょっとして、噛まれたりした…?」
「……いや。爪が少し引っ掛かっただけだ」
「ちょっと見ても良い?血が出てたら大変」


スコールは答えない代わりに、くるりと方向転換してティナに背を向けた。
少し伸びた後ろ髪を持ち上げて、ティナに項を見せる。
ティナが其処を覗き込むと、薄らと赤い鬱血が浮いていたが、出血等はしていない。


「血は出てないわ。でも、待って、絆創膏持ってるの」
「別に其処までの事は」
「黴菌が入っちゃったら大変だもの。少し待ってね」


ティナはスカートのポケットを探り、絆創膏を取り出した。
スコールは後ろ髪を持ち上げたまま待っている。

剥離紙を取って、粘着部分が傷に重ならないように、ティナは角度に気を付けて絆創膏を貼る。
良いよ、と言うと、スコールはホッとしたように息を吐いて、持ち上げていた後ろ髪を下した。
柔らかな毛先が制服の後ろ襟にかかり、その隙間から僅かに絆創膏が見えている。
これなら、特に目立つ事もないだろう。

みぃ、みぃ、と子猫の鳴く声がする。
見れば、黒猫が甘えるように鳴きながら、スコールの足元を上ろうとしていた。


「……駄目だ」


仔猫を見下ろしてスコールは呟いた。
その言葉を理解した訳ではないだろうが、子猫は不満そうに、みぃ、みぃ、と鳴く。
スコールはふるふると首を横に振り、


「…駄目だ。引っ掻いただろう」


みぃい、と猫がむずがる子供のように声を大きくする。
どうしても甘えたいらしい仔猫に、スコールは眉間の皺を深くした。

優しい、とティナはこっそりと笑みを零す。
構われるのが嫌なら、この場を去るなり、酷い方法だって幾らでもあるだろうに、スコールは決してそれをしようとはしない。
他の猫達に関しても、じゃれつかれる度に眉根を寄せ、困惑した顔をうかべる事はあっても、邪険にする事はなかった。
だからこそ、此処にいる猫達は、スコールを好いているのだろう。

固まったまま動かないスコールの代わりに、ティナは仔猫に手を伸ばした。
小さな体を掬い上げ、嫌がられるかな、と思ったが、案外と子猫は大人しかい。
それを幸いに、ティナはスコールの隣に座り、仔猫を膝の上に乗せた。
仔猫はきょとんとした顔で、不思議そうにティナを見上げる。


(あ。同じ色)


己を映したキトゥン・ブルーに、ティナの鼓動が跳ねる。

深い深い、海の底のような、澄んだ蒼灰色の瞳。
吸い込まれそうな色をしたそれを見つめた後、ティナの視線は隣にいる少年へと向けられた。


「……なんだ?」
「ううん」


見詰める理由を問うスコールに、ティナは何でもない、と首を横に振った。
スコールは首を傾げたが、何も言わないまま、視線は開いたままだった文庫本へと戻る。

みぃ、とティナの膝の上で仔猫が鳴いた。
彼の下へ行こうと、もぞもぞと身動ぎするが、ティナはその小さな背中をそっと撫でて宥めてやる。
仔猫はみぃ、と小さく鳴いた後、もう一度もぞもぞと身動ぎして、ティナの膝の上で丸くなった。
良い子、と首の後ろを指先でくすぐってやると、ごろごろ、と機嫌良く喉が鳴る。

仔猫が落ち着いた所で、ティナはふと視線を感じて顔を上げた。
ばちり、と藤色と蒼灰色が交じり合う。


「……!」


見ていた事を見付かった。
そんな表情を浮かべるスコールに、ティナはくすりと笑い、


「可愛いね」
「……は?」
「猫ちゃん」
「……あ、」


ティナの言葉に思わず間の抜けた声を漏らしたスコールだったが、それが猫に向けられたものだと遅蒔きに気付くと、納得した顔になって行く。
仏頂面ばかりと思っていたら、存外と表情が豊かな少年に、ティナはまたくすくすと笑みを漏らす。


「可愛いよね」
「……ん」
「ふふ」


短い応答に、ティナは満足していた。
同時に、きっと彼は気付いていないのだろうな、とも思う。

文字の羅列を追いながら、時折ティナの膝元───其処に眠る仔猫を見る蒼。
言葉以上にお喋りな瞳に、やっぱり可愛い、とティナは思った。




2017/06/08

6月8日と言う事でティナスコ!
仲良くなりたいけど今の距離感も嫌いではないティナと、微妙な距離感にそわそわするけど嫌ではないスコール。

動物に囲まれる二人の図ってなんか和む。