重ねる時間と手のひらに


少しは洒落た格好をして行ったらどうだ、と言われて、ガラじゃねえよ、とラグナは言った。
が、やはり少しは努力してみるべきだったかも知れない、と今になって思う。

年下の青年と恋人同士と呼ばれる関係になってから、数ヵ月が経つ。
人事異動でラグナの新たな部下となった彼は、真面目で良く気配りの出来る人物で、とても優秀だった。
その優秀さの影には、彼自身の多大な努力と、周囲に対する過剰な程の気遣いがあり、ラグナはそんな彼に少しでも気を楽に過ごしてくれたらと言う気持ちから、交流を深めていた。
それが恋心にまで発展していた事には驚いたが、他の者には一切弱った所を見せない彼が、ラグナにだけは少しずつ甘える様子を見せるようになってから、ラグナの彼への庇護欲は一層増した。
不器用な彼を大事にしたい、甘やかしてやりたいと思ってから、然したる時間は置かず、ラグナは彼と深い関係となった。

が、元々職場が同じである事や、男同士である事、同僚や他の上司に気付かれて妙な噂を立てられる事を嫌って、二人の関係は秘密にされている。
ラグナは周りに何を言われても気にしなかったが、青年の方が酷く気にしていた。
それも、自分に対する噂話云々ではなく、噂によってラグナが誹謗中傷されるのではないか、と言う事を危惧している。
この為、二人は恋人同士となってからも、人前で親密な言葉を交わす事はなく、恋人らしい逢瀬の時間と言うものは、殆ど存在しなかった。

そんな青年を、なんとか宥め説き伏せて、ラグナは彼と一緒に出掛ける日を作った。
所謂、デートと言う奴だ。
浮ついた言葉に夢中になるような年齢ではないが、やはり恋人同士と出掛けると言うのであれば、そう呼ぶのが良いだろう。
青年は友人知人に見付かる事を心配していたものの、ラグナと一緒に出掛けられると決まった時には、仄かに眦を緩めて嬉しそうに笑っていたから、嫌と思ってはいないのだろう。
それさえ判れば十分だ。

そしてデートの当日、ラグナはいつもより早く起きて、しっかりと出掛ける支度を整えた。
いつもなら、ギリギリの時間に起きて、ばたばたと慌ただしく準備をし、パンを齧りながら家を出るラグナが、今日は予定の十分前には身支度を済ませていたのだから、気合の入り様も判ると言うものだろう。
その反面、流行だのお洒落だのと言うものには興味がないから、服装はいつもと大して変わらない。
流石に休日のお決まりになっているチノパンやサンダルは避けたが、シルエットは似たようなものだ。
不格好ではないようにしたから、これで良いよな、とラグナは思ったのだが────待ち合わせ場所を前にして、ラグナはそんな自分に頭を痛めていた。

人の多い所はちょっと、と彼は言ったが、やはり駅前が何処に行くにも便利だろうと、待ち合わせ場所に指定した。
休日とあって、案の定其処は人の波で溢れており、人との待ち合わせに立っている者も沢山いる。
その人込みの中で、埋もれない存在感を持っている人物が一人。
濃茶色の髪、蒼灰色の瞳を持った青年────ラグナの恋人、レオンである。

レオンは、200mlのペットボトルを片手に、太陽の下でぼんやりと立っていた。
ただ立ち尽くしているだけなのに、その姿はとても絵になる。
黒のTシャツに、白のカーディガンと、ボトムはすっきりとしたシルエットのデニムパンツと、服装だけで言えば、何処にでもいる若者と変わらない。
しかし、整った容姿、無駄な肉のない体つき、バランスの取れた長い手足等、まるでモデルのようだ。

それを見て、ラグナは今更ながら、自分の格好を後悔していた。


(あー、もうちょっと頑張るべきだったかなあ…)


余りにもラフな格好は避けたが、彼と並んで歩くには、少々心許ない気がする。
しかし、今から帰って新たに服を選んでいる時間はないし、クローゼットの中にある私服なんて、どれも似たような物しかない。
何より、この夏の炎天の下、日陰にも入らず、律儀に指定した待ち合わせ場所でじっと立っているレオンを、これ以上待たせる訳にはいかない。

周囲の人々が、その容姿に惹かれて、ちらちらとレオンを見ているのが判る。
そんな中で腹を括って、ラグナは恋人の下へと駆け寄った。


「レオン!」
「ラグナさん」


名前を呼べば、振り返った蒼が嬉しそうに窄められて、名を呼び返される。


「悪い悪い、遅れちまったかな」
「いえ、時間ぴったりですよ。俺も今来た所ですから」


レオンの言う通り、時計を見れば、待ち合わせの時間丁度。
しかし、レオンの「今来た」と言うのは嘘だろう。
その証拠に、レオンの顔は強い陽に当てられた所為で、熱を持って赤らんでいる。
ラグナは、遅刻しないなんて話ではなく、もっと早く来るべきだった、と思った。

ラグナはさりげなくレオンを日陰へと誘導した。
木陰へと入ると、やはり暑いのを我慢していたのだろう、レオンが微かにほっとした表情を浮かべる。


「えーと、んじゃ、取り敢えず……昼飯かな」
「そうですね」
「此処ら辺は、店は多いけど、何処も一杯かなあ」
「丁度昼のピークですから、埋まってそうですよね」


交差点の向こうには、ファーストフード店がずらりと並んでいるが、此処から見えるだけでも、何処も人で溢れている。
レオンは人込みはあまり好きではないし、ラグナも食べるのならゆっくりと食べたい。
少し探してみようか、とラグナが言うと、レオンは頷いた。

都心の真ん中にあって、若者たちが集う服飾店が近くにある多いお陰か、食べる場所を探すだけなら事欠かない。
大通りに面した道は勿論、路地を一つ二つ曲がっても、美味しそうな看板を掲げた店は幾らでもあった。
しかし、駅に近い場所は、何処も彼処も満席だ。
食事を終えても、当分はお喋りに費やす者も多く、直ぐに席は空いてくれそうにない。


「悪いなあ、目星つけておけば良かった」
「いえ、そんな。俺の方こそ、何も決めてなくて。食事の後の事も、まるで何も……」


すみません、と申し訳なさそうに詫びるレオンに、ラグナは首を横に振った。
どちらも何も決めずに今日と言う日を迎えたのだから、お互い様だ、と。

しばらく歩き回った末に、ラグナが見付けたのは、小さな雑貨カフェだった。
看板は小さなもので目立つものではなかったが、ランチメニューが書いてあったので、其処に入った。
女性客がターゲットなのか、メニュー表は軽食よりもデザート類が多かったが、肉料理も掲載されている。
ラグナはチキンのプレートを、レオンはサンドイッチプレートを頼み、食後のコーヒーもオーダーした。


「食べ終わったら、何処に行こうか。行きたい所とかある?」
「……ええと……」


食事の傍ら、尋ねるラグナに、レオンは口籠った。
それ見て、何も決めてないって言ったっけ、とラグナは記憶を掘る。

ラグナは味のしみ込んだチキンを齧りながら、この後の予定について考える。


(デートってなると、やっぱり映画館とか?面白そうな奴、やってるかな。でも映画館に入っちまうと、レオンと話が出来ないなあ)


じっと黙って映画を見ると言うのが、ラグナは余り得意ではない。
隣に親しい人がいるなら、ついつい口を回してしまうのがラグナであった。
しかし、映画館で喧しくするのは良くないし、レオンが映画に集中するようなら、邪魔をする訳にも行かない。

他には、と考えて浮かぶのは、デートの定番である水族館だ。
此処は都会の真ん中だが、ビルの屋上に水族館施設があるのは知っている。


「じゃあ、水族館とかどうだ?涼しいし」
「水族館……じゃあ、海の方ですか?」
「いや、近くにあるんだよ」


どうやらレオンは、この都心に水族館がある事を知らなかったようだ。
驚いた顔を浮かべるレオンに、よし、とラグナは決意する。


「水族館に行こう。俺も一回、行ってみたかったし。良いかな?」
「はい。水族館なんて、初めてだから、楽しみです」


嬉しそうに目を細めるレオンの言葉に、ラグナはほっと安堵する。

食後のコーヒーを傾けながら、以前聞いたレオンの過去から、彼が娯楽施設の類に縁がなかった事を思い出す。
となれば、水族館に限らず、動物園にも行った事がないのかも知れない。
今日は暑いので、動物園に行っても日焼けするばかりになりそうだから、また別の日に計画するのが良いだろう。

支払いをどちらが済ませるかで揉める事、しばし。
仕事の絡む飲み会や、同僚がいる場面では上司であるラグナが気前を良くして支払うのがパターンだったが、今日はデートだ。
その所為か、せめて折半で、とレオンが譲らなかった。
此処でレオンの言葉を断るのはラグナには簡単だったが、そうした場合、レオンが後々まで気にするのは目に見えている。
お互いに気兼ねなく過ごす為にも、今日は金銭の類は分け合うのが妥当であった。

水族館があるビルまでの道は、ラグナが覚えていた。
屋上にある水族館の他にも、ショッピングや飲食店、フロアによっては会議場や宴会場など、複合施設となっている為、ラグナは仕事で何度か訪れた事があったのだ。
なんとか迷うことなくビルに辿り着くと、フロアまで直行のエレベーターに乗り込む。


「ビルの屋上の水族館なんて、不思議ですね。海や大きな川の傍にあるとばかり思ってました」
「判る判る。俺もあんな所に水族館があるって聞いた時は、不思議でさ。魚も水も、どうやって持って上がったんだろうって」


エレベーターはぐんぐん昇り、ガラス窓から見える景色は、地上から遠く離れている。
少し離れた場所を見ると、天を突く程の高さを持った高層ビルが見えたが、この水族館を要するビルも相当の高さである。

水族館受付口となっているフロアに下りると、思いの外其処は空いていた。
平日の午後とあって、土日に比べると客足も落ちているのだろう。
ゆっくり見るのならこれ位の方が良いな、とラグナは思った。

大人二枚のチケットを購入し、スタッフに案内されて、もう一つ上のフロアへと昇るエレベーターへ誘導される。
中に乗り込むと、モニターが付いており、ゆっくりと昇る筐体の中で、水族館の案内映像が流れた。


「おっ。見ろよ、レオン。ペンギンの餌やりが出来るぞ」


白黒の体を左右に揺らしながら、ひょこひょこと歩くペンギンの映像。
その傍らに、餌やり体験の時間が表示されているのを見付けて、ラグナは嬉しそうに声を上げた。
レオンが腕時計を確認すると、餌やり体験まではもう五分もない。


「時間、もうすぐですね。エレベーターを降りてから間に合うか…」
「じゃあちょっと急ごう。餌やりしてから、また最初から見て回ろうぜ」


ラグナがそう言った所で、エレベーターがフロアに着いて、ドアが開いた。
急ごう、と言う言葉の通り、ラグナはレオンの手を握って、引っ張るようにエレベーターを降りる。


「え、あ、ラグナさん?」
「こう言うのって先着順だからな。急がないと一番が取られちまう」
「い、一番って」
「ほら、走ろうぜ!」
「こういう所は走っちゃ駄目なんですよ」


咎めるレオンの指摘に、おっとそうか、とラグナは駆け出そうとする足を緩めた。
それでも早歩きである事に変わりはなく、レオンはそんなラグナに引っ張られ、転ばないように急かしく足を動かした。

通路の足元には、それぞれの展示エリアへの誘導ルートが記されている。
人気のペンギンの餌やりが体験できる場所へもきちんとルートが示されており、ラグナはそれを頼りに歩きつつ、路なりの展示をきょろきょろと見回した。


「結構色んなのがいるなあ」
「そう、ですね」
「…やっぱりちょっと見て行くか?」


ペンギンの餌やりが出来るとあって、テンションが上がってレオンを引っ張って来たラグナであったが、肩越しに見たレオンが歩きながら展示を目で追っている事に気付いて、足を止めて尋ねる。
しかし、レオンは小さく首を横に振り、


「……いえ。後でゆっくり見ましょう」
「良いのか?」
「はい。ペンギン、俺も早く見たいですし」


ペンギンの餌やりなんて、レオンも見た事がない。
ラグナ程にはしゃぐ事はなくても、見てみたいし、折角なら体験もしてみたい。

行きましょう、と言ったレオンの手が、捕まえているラグナの手をぎゅっと握る。
それを感じ取って、ラグナは笑顔を浮かべ、またレオンの手を引いて歩き出した。



───通路が微かに暗くて良かった。
握った手の体温を感じながら、幸福に滲む雫をこっそりと拭って、レオンは思った。




2017/08/08

ラグレオの初デート。
デートと言うだけでも一杯一杯で、実は手を握られているだけで凄く幸せなレオンでした。