なつのひかり


子供達が夏休みに入り、母の監督の下、規則正しい生活を心がける日々。
朝はラジオ体操、朝食を終えたら勉強時間で夏休みの課題を進め、昼食を食べたら、午後はしばしの自由時間。
友達と遊びに出かけたり、母の買い物の手伝いをしたり、幼い弟の遊び相手をしたり。
夕方になると父が仕事から帰り、家族五人で夕食を囲んで、末っ子が眠い目を擦り始めた頃には、長男と長女もそろそろお休みモードになる。
寝落ちない内に順番に風呂に入って、長男と長女は一緒の部屋で、末っ子は父母と同じ布団で眠る───これが一家の一日の流れだ。

休みだからと怠ける事無く、健康的に過ごしているお陰で、子供達は毎日元気溌溂だ。
上がる一方の気温は両親が気を付け、子供達にはこまめに水分摂取をする事と、出掛ける時には帽子を忘れないようにと徹底させる。
幼い末っ子はまだまだ自分では気を付けようがないので、家族皆で注意した。

そんな日々の中で、父ラグナの所属する会社が、慰安旅行の企画を立ち上げた。
旅行と言う程遠くへ行く訳ではないのだが、家族同伴で行くことも出来るとあって、何かと忙しくて家族サービスの計画も難しい昨今の家庭には、有難い話でもあった。
今年の旅行先は海とあり、車を持っている者は運転して言っても良いし、そうでない者にはバスも用意されると言うので、参加希望者は少なくなかった。
ラグナも例に漏れず、折角だから皆で行こう、と提案すると、長女エルは万歳で喜び、そろそろ思春期の入り口に入った長男も、日々の暑さへの辟易もあって、海と言う単語には心躍るものがあったのだろう。
幼い弟は、海と言われてもまだピンと来るものがないようだったが、兄と姉がはしゃいでいるのを見ると、なんとなく楽しい雰囲気だけは察したようで、一緒にきゃっきゃと笑っていた。
子供達が揃って行く気になっていれば、母も少々の面倒や不安はありつつも、子供達の思い出作りと思えば、悪い気もしない。

こうした経緯から、一家は久しぶりの───末っ子にとっては人生初めての、海へと繰り出す事になったのである。


「ほら!海に着いたぞぉ!」
「海ー!」


車を降りての父の言葉に、いの一番に元気な声を上げたのは、エルオーネだった。
真っ白なワンピースの裾が翻る事も気にせず、ぴょんぴょんと跳ねて、駐車場の向こうの浜辺、その向こうに広がる海原に、きらきらと栗色の瞳を輝かせている。
そんな妹に笑みを零しつつ、レオンは車のトランクに入れていた荷物を取り出している。
母はと言うと、車の中で寝ていた末っ子スコールを、チャイルドシートのベルトから外し、抱き上げていた所だった。

抱き上げられた振動で、スコールの夢は妨げられたようだ。
むぅう、とむずがる声を零しながら、小さな手が眩しい太陽の光を嫌って、こしこしと目許を擦る。


「おっ、スコール。起きたかあ」
「……んぅ……?」
「おはよう、スコール!」
「……はよぅ……?」


目覚めの挨拶をする姉に、スコールは拙い舌でオウム返しに同じ言葉を返した。

くりくりとした目を眩しそうに細め、んんぅ、とまた唸って、スコールは母に抱き着く。
起きてすぐに浴びた眩しい光を嫌う息子に、レインは小さく苦笑して、ぽんぽんと息子の背中を叩いてやった。

バタン、と音がして、車のトランクが閉められる。


「父さん、荷物全部出したぞ」
「おっ、ありがとうな」


息子が降ろしてくれた荷物は、大きな旅行用バッグが一つと、後は小さなリュックサックが一つ。
大きなバッグには家族全員分の着替えや消耗品が、リュックサックにはお菓子が詰められている。

大きなバッグをラグナが抱え、小さなリュックはエルオーネが背負う。
レオンはエルオーネと手を繋ぎ、レインはまだ眠そうな目をしているスコールを抱いて、社員の集合場所へと向かうラグナの後を追った。

父が上司からの挨拶を聞いている間に、家族は少し離れた場所で、それぞれのスペース作りに勤しむ。
レオンは早く海に行きたがるエルオーネを宥め、スコールの面倒を任せて、母と一緒にビクニックシートを広げた。
荷物やサンダルを重石替わりにして、水筒やタオルなどを出しておく。


「こんなものかな」
「そうね。エル、いらっしゃい。水着に着替えて、日焼けしないようにお薬塗らなくちゃ」
「はーい。スコール、行こう」


浜辺の砂で遊んでいた子供達を呼ぶと、エルオーネはスコールの手を引いて戻って来た。
エルオーネをレインが、スコールをレオンが担当して、水着へと着替えさせていく。
着替え終わると早速!と海へ向かおうとした娘を、母はもう少しと捕まえて、まだ柔らかいぷにぷにとした肌に、日焼け止めオイルを塗った。
さらさらとした冷たい水の感触に、きゃっきゃと子供達は楽しそうに笑う。

上司の挨拶を終えて、ようやくラグナが合流した時には、子供達の準備は整っていた。
レオンは足ふみポンプを使って、スコールが使う子供用の足入れ浮輪を膨らませている。


「ふい〜、終わった終わった」
「お疲れ、父さん」
「皆準備できたよー」
「早いなあ。俺もすぐ着替えるぞぉ」
「じゃあ、その間に、皆準備体操しときなさいね」


着替え始めたラグナを横目に、母の指示を聞いて、はーい、と子供達の声が揃う。

学校で何度か水泳授業で体操見本をやった事があると、順番を覚えているレオンが手本になって、子供達は準備体操を始めた。
レオンの真似をして手足を伸ばすエルオーネを、スコールは少しの間きょとんとした顔で見ていたが、「スコールもやるんだよ」と言われると、小さな手足をぴょこぴょこと動かし始めた。
レオンが鏡向きになって、いちに、いちに、と声を揃えてカウントしながら体操する子供達。
微笑ましい光景に、レインとラグナは顔を見合わせ、唇を緩めた。


「よし、お終い」
「わーい!」
「こら、エル!一人で行ったら危ないぞ」


待ってましたと海に向かって駆け出す妹を、兄が慌てて追いかける。
スコールは、兄と姉が揃って駆け出したので、真似るようにその背中を追った。

全速力のエルオーネに、レオンは直ぐに追いつくが、スコールはすっかり置いてけぼりだ。
それでも一所懸命に追いかけようとするスコールを、ふわっと浮遊感が襲う。


「あう?」
「よしよし。スコールはパパと一緒に行こうな」


スコール用の浮輪を片手に、抱き上げる父の首に抱き着いて、スコールは後ろを見た。
ピクニックシートに残って日傘を差している母と目が合う。
此処にいるからね、と手を振る母に、スコールも手を振った。

白波が寄せる波打ち際で、エルオーネとレオンが遊んでいる。


「つめたいー!」
「滑らないように気を付けろよ」
「はーい。えいっ!」
「うわっ」


エルオーネが掬って撒いた水が、レオンの体を濡らす。
悪戯が成功した顔で逃げ出す妹を、レオンは水を蹴りながら追い駆けた。

ラグナは波打ち際で一度立ち止まって、不思議そうな顔で海を見つめているスコールを見る。


「スコールは海初めてだなあ。冷たくて気持ち良いんだぞ」
「……?」
「ちょっと下りてみっか」


膝を曲げて、ラグナはスコールを地面に下ろした。
その足元に、ざあっと音を鳴らして白波が寄せると、スコールはビクッと体を硬直させて、父にしがみついた。


「あはは、大丈夫大丈夫。怖くないって」
「…やああ!」


引いては寄せる波が、幼いスコールにはまるで生き物のように見えるのか。
形のはっきりとしない生き物が、何度も何度も手を伸ばすのを見て、スコールは泣き出す顔で父を見上げた。
助けて、と言わんばかりのお息子の様子に、ラグナは苦笑しつつ、曲げた膝の上に乗せてやる。


「大丈夫だぞ、スコール。怖くない。ほら、お兄ちゃんとお姉ちゃんは楽しそうだぞ」
「……んぅ……」


ラグナのシャツをしっかりと握るスコール。
そんな息子の背中をぽんぽんと撫でて宥めつつ、ラグナは早速泳ぎ出している兄姉の姿を見せてやった。

エルオーネとレオンは、浅い場所で身を屈めて、海水の冷たさを楽しんでいる。
浮輪がいるかな、と言うレオンに、エルオーネは平気、と首を横に振った。
学校のプール授業で泳ぎも覚えたし、今はまだエルオーネの足が届く場所だから、エルオーネは自信を持っているようだ。
とは言え、突然の深みと言うのも海にはよくあるもので、レオンはエルオーネから目を離さないように気を付ける。


「見てみて、レオン。おっきな貝があるの」
「何処だ?」
「ほら!きれいな形してるの」
「本当だ。他にもあるかな」


浅瀬で水を掻きながら、エルオーネは近い水底を見詰めている。
これは、とレオンが拾った貝殻を見せると、それもきれい!とエルオーネは目を輝かせた。

ラグナはスコールを抱き上げて、兄と姉の下へと連れて行く。
下ばかりを見ていた二人だったが、水音を聞いて顔を上げた。


「父さん」
「スコール!見てみて、貝がら、キレイだよ!」


綺麗な巻貝を弟に見せるエルオーネ。
スコールはきょとんとした瞳で姉の握るものを見詰めた後、小さな手を伸ばす。
ラグナに抱かれたままのスコールは、弟程ではなくとも、まだ背が低いエルオーネまで届かない。
レオンが代わりに受け取って、スコールの目線の高さまで持ち上げた。


「食べちゃダメだぞ、スコール」
「う」
「おお〜、キレイな形してるな。エルが見付けたのか」
「うん」


凄いなあ、とラグナがエルオーネの頭を撫でる。
エルオーネは照れ臭そうに顔を赤らめ、うふふ、と笑った。

スコールは小さな手に貝がらを握り、くるくると上に下にと回転させながら眺めている。
底の穴を不思議そうに見つめていると、もぞもぞと何かが動いていた。
それを見てことんと首を傾げたスコールの目の前で、ひょこり、とハサミを持った生き物が顔を出す。


「!」
「おっ、ヤドカリ」
「えっ、見せて見せて!」
「ふえ、」


ラグナが楽しそうにその生き物の正体を当て、エルオーネが興味津々に跳ねる傍ら、大きな瞳にじわあ、と雫が浮かぶ。


「ふええええええ」
「おわっ。どしたどした」
「びっくりしたのかな。エル、ヤドカリさん、海に帰すぞ」
「待って、見せて。見たい見たい」


父にしがみついて泣き出したスコールに、ラグナとレオンは苦笑する。

レオンはエルオーネに掌を出すように言って、その手にヤドカリ入りの貝を乗せた。
小さなヤドカリはうろうろとエルオーネの手の中を行ったり来たりしている。
可愛い、と笑う妹の横で、泣きじゃくる弟の対比が無性に可愛らしくて、レオンの頬が緩んだ。

一頻り眺めて満足してから、エルオーネはヤドカリを海へと帰した。
ヤドカリは波の流れに攫われつつ、いそいそと遠くへ泳いでいく。


「貝がら、キレイな形してたから、持って帰りたかったのに」
「ヤドカリさんのおうちだから、あれは駄目だな。他にもキレイな貝があるだろうから、探してみよう」
「うん。ね、スコールも探そう!」
「……んぅ……?」


誘う姉に、スコールはすんっと鼻を啜って、首を傾げた。


「そうだなあ。皆で一緒に、キレイな貝探そうか」
「スコール、海に入って大丈夫なのか?」
「それもチャレンジしてみなくちゃな。エル、スコールの浮輪、持っててくれるか?」
「はーい」


ラグナが片手に持っていた、足入れ浮輪をエルオーネの前に浮かせる。
エルオーネは浮輪が波に流されないよう、両手で持って固定する。
その背中を、転ばないようにとレオンが支えた。

ラグナはスコールを抱え直して、車の形を模した足入れ浮輪の中へと入れてやる。
スコールの右足が足入れ浮輪の布に乗って、ラグナは何度かスコールの位置を調整させた。
小さな足が上手く穴に嵌ると、スコールの体は布の支えに乗って、ぷかぷかと海に浮かぶ。


「……?…?」
「どーだぁ、スコール。冷たくて気持ちいいだろ」
「??」


ラグナが笑い掛けてみるが、スコールは状況が判っていないのだろう、不思議そうな顔できょろきょろとあたりを見回している。
そんな弟の前で、レオンがぱしゃぱしゃと水面を叩いて見せた。
きらきらと光って跳ねる水飛沫に、丸い蒼の瞳が釘付けになる。

小さな手が目一杯伸ばされて、浮輪の外側へ。
傾く体重で浮輪がひっくり返らない様に、ラグナが反対側を手で押さえつつ、スコールが浮輪から零れ落ちないように注意する。
ぱちゃん、と小さな手が水面を叩いて、跳ねた水がエルオーネの顔にかかった。


「やー、冷たい!」
「やー!」


嫌がりながらも楽しそうな姉に、スコールも楽しくなってきたようだ。
二人でぱちゃぱちゃと水面を叩いて遊び出す。

きゃっきゃとはしゃぐ妹弟の傍ら、レオンも二人が飛ばした水にかかって、笑いながら濡れた顔を拭く。
と、その視線がふと浜へと向いて、波打ち際に立っている人に気付いた。


「母さん」
「おっ、レイン!」
「あっ!」
「ふあう。あうー」


波間に立っている母を見て、エルオーネがぱちゃぱちゃと水を掻き分けていく。
スコールは離れて行くエルオーネを目で追って、一足遅れて、母が来ている事に気付いた。
大好きな母の姿にスコールは目を輝かせ、抱っこをねだって両手を伸ばす。

気持ち良いよ、一緒に遊ぼう、と娘が母の手を引く。
水着を着ていないレインは、困った顔をしながら、ワンピースの裾を少しだけ持ち上げて、白波へと足を進める。
幼い息子が、母の下へ行こうと、水の中で足を動かしていた。
ラグナはそんなスコールを抱き上げ、レオンが浮輪を持って、レインとエルオーネの下へ向かう。

抱っこを求める息子を抱いて、レインはスコールの濡れた前髪を掬い上げた。
すっきりとした視界に母を映して、スコールは嬉しそうに笑う。



いつもと違う景色の中で、いつもと変わらず笑う家族の姿に、レインは眦に熱いものがこみ上げる。


「……おかーしゃ?」


拙い舌で呼ぶ息子に、なんでもないのよと笑い掛けて、抱き締める。
触れ合う肌から、潮の匂いと、いつもと変わらない高い体温を感じた。




2017/08/08

ラグナ、レイン、レオン、エル、スコール。
皆で海へ。

末っ子の初めての海、家族揃っての小さな旅行。
終わって子供達が眠る家路まで、全てが幸せの形。