久遠の贖


見た目の頼り甲斐と違って、決して強くはない人間だと言う事を、クラウドは知っている。

帰っているのなら手伝えと、見付かるなり首根っこを引き摺られて、ハートレス退治に駆り出された。
特に用事があった訳でなければ、探している男の手がかりについても、何も進展はない。
だから時間を持て余していたのは確かで、幼馴染達が常に人手を求めている事も理解しており、たまにしかそれに協力する機会を作っていない事も自覚があったので、暇潰しも兼ねて仕事を引き受ける事にした。

しかし、パトロールの最中に振り出した雨については、辟易する。
事前にシドやトロンから、データから算出された天気図により、午後から雨が降ると聞いてはいたが、こんなにも土砂降りに見舞われるとは思わなかった。
振り初めこそポツポツとした小雨程度であったのだが、それからものの五分としない内に、バケツをひっくり返したような雨に変わった。
幸い、門が近かったので、其処まで走って軒下に滑り込んだが、その時には二人ともすっかり濡れ鼠だ。


「散々だ」
「…そうだな……」


濡れて垂れ落ちて来る前髪を掻き揚げながらクラウドが呟けば、レオンも同じように、傷の走る額に張り付く前髪を払って頷いた。

レオンは水を吸って重くなったジャケットを脱いで、積み上げられた瓦礫の上に放った。
アンダーに来ていた白いシャツも、雨の所為で薄生地が透けてしまっている。
男とは言え、流石に此処で裸になる訳にはいかないと思うのか、レオンはそれ以上脱ぎはしなかったが、ベタつく服が鬱陶しいのだろう、襟を摘んで肌から距離を空けようとしている。
クラウドもトップスの前を広げて、服の中に籠った湿気を逃がすが、煙る雨の所為で大気も湿気ばかりとあっては、爽快さとは程遠い。

コツ、と固い靴音を鳴らしながら、レオンが近付いたのは、元々窓であったろうと思われる位置。
今はガラスも何もない、ぽっかりと穴だけが開いている其処に立って、レオンは雨に濡れる街並みを見ていた。


「……これだけ激しい雨なら、ハートレス被害も減るか」
「多分な。休憩だ、休憩」


雨が降ると人々の外出が減り、ハートレスに襲われる人も減る。
そう言う意味では、パトロールが必要とされないので、雨の日の再建委員会は休息時間でもあった。

しかし、レオンにとっては複雑な所だろう。
小雨程度のものならともかく、雨宿りが必要な程の激しい雨となると、復興作業は中断せざるを得ない。
一日でも早く、嘗ての故郷の姿を取り戻したいレオンにとっては、もどかしいものであった。
かと言って、雨が齎す恩恵や、生活に必要な貯水の事を思うと、降るなと言う訳にもいかない。

ふう、と溜息を吐いて、レオンは石の窓に寄り掛かった。
長く伸ばした濃茶色の髪から、ぽつ、ぽつ、と水滴が落ちて、瓦礫の表面に滲んでいく。


「……しばらく止みそうにないな」


レオンが見上げた空は、どんよりと濃い雲に覆われている。
雨ばかりが強く、風はほとんど感じないので、天候が停滞しているようにも見えた。
雨雲がどれ程の大きさかは判らないが、しばらくは此処で立ち往生しているしかなさそうだ。

クラウドが窓の向こうを見ると、深い谷の道があり、其処でうろうろと動き回っている影があった。
動きは鈍く、岩場の影に入ると動かないのを見ると、あれらにも雨を嫌う習性があるようだ。
濡れた所で大した意味も嫌う理由もなさそうだが、何かの心から分離して現れた生物───と言って正しいかは知らないが───だから、多くの生き物が雨に濡れる事を避けるように、その意識が根底に残っているのかも知れない。

────等と言う学者のような考察をした所で、クラウドには全くどうでも良い事だ。
ハートレスが大人しいのなら、汗水垂らして歩き回る時間は減るし、休息時間が多く取れるのな歓迎である。
そして雨が上がってハートレスの活動が活発化すれば、その時は退治していくのみ。
それ以上の情報は、クラウドには不必要なものであった。

しかし、レオンにとっては少々違う。


「……不思議だな。濡れる事を嫌がる訳でもないのに、雨は避ける」
「そうなのか」
「ああ。この習性が利用できるなら、新しいセキュリティに組み込む事も考えられるが、確信がないな…」


再建委員会として、復興作業の大まかな指示や、資材の確保に駆け回る傍ら、ハートレス対策としてパトロールをしているレオンである。
人を襲うだけでなく、作業に使う大型機械を壊したり、何かと作業を邪魔しに来るハートレスは、出来るだけその動きを鈍らせたい。
シドがトロンと共に完成させたセキュリティシステムのお陰で、幾らか作業はやり易くなったが、それでも被害報告は絶えなかった。
中型ハートレスになって来ると、知能を持つのか、セキュリティシステムが届かない場所から攻撃してくる事もある。
それを思うと、幾ら対策を講じてもいたちごっこにしかならないのだが、かと言って、対策を怠る訳にもいかない。
レオンを中心とした復興委員会のメンバーは、ハートレス退治に使える対策方法を、殆ど毎日のように考えていた。

じっと雨の中を見詰めていたレオンであったが、しばらくすると、ふう、と溜息を吐いて目を伏せた。
これと言って使える案が思い付かなかったのだろう。
その様子を眺めながら、クラウドもひっそりと溜息を零す。


(少しは休憩できないのか、お前は)


雨の所為で、どうせ動く事は出来ないのだから、休憩しようと言ったのはクラウドだ。
それは単純に体の休息だけではなく、頭の休息も指している。

再建委員会と言うものを立ち上げ、自身が其処に所属していると言う責任感か、レオンは常に街の事を考えている。
その甲斐あってか、ぽつりぽつりと故郷に戻って来た人々は、こぞって再建を頼りにし、その中でもレオンはよく声をかけられていた。
土木作業が多い事、ハートレスと戦う必要もある所為か、女性よりはレオンの方が頼りにされているように見える。
再建委員会の中では、若者たちを育てたシドの方が年長ではあるのだが、良くも悪くも彼は大雑把である。
そんなシドよりも、細々とした気配りが出来るレオンの方が、皆も頼り易いのかも知れない。

────其処まで考えて、クラウドは歪む口元を隠した。
唇の形は歪な笑みを浮かべているが、決してそれは、レオンや街の人々を嘲笑する訳ではない。
ただ、街の人々が見る“レオン”の人間像が、実物との剥離が大きい事が、無性に可笑しさを誘う。


(お前は、そんなに大層な人間じゃない。お前自身もそう思っているんだろう?)


音のない声で問うクラウドに、答える者はいない。
けれど、応じるようなタイミングで、レオンが拳を握るのが見えた。

雨の向こうに見える故郷の景色は、クラウドが幼い頃に見たものとは程遠い。
街の規模だけは大きいばかりで、中身はまだ半分も埋まっておらず、戻って来た人々も、安全が確立された場所に寄り添うように固まっている。
レオンは、そんな街を“元通りの”“それ以上の”街にしたいと言っている。
これはユフィやエアリスも同じ気持ちであったが、その根底にある感情は、レオンと彼女達とで随分と差があった。

立ち尽くすレオンの胸に去来するものが何かと聞かれれば、クラウドは間違いなく、怒りであると答える。
それは故郷を奪った者への怒りでもあったが、それ以上に、彼自身を灼く怒りでもあった。


(そんな事を気にしているのは、お前だけなのに)


レオンが“レオン”と名乗る理由を、幼馴染の面々は知っている。
シドも本人から聞いたようで、好きにしろ、と言ったそうだ。

故郷を失ったあの日、最も深い傷を負ったのは、若しかしたらレオンなのかも知れない、とクラウドは思う。
その傷の呪縛に、レオンは長い間苛まれ続け、今もその苦しみは続いている。
平静とした表情の内側で、記憶とは未だ程遠い故郷の景色を見ては、彼は歯痒い思いを抱いていた。

だが、あの日、あの時、幼かった自分達に出来た事など、幾許もないのだ。
シドに抱えられるようにして逃げ延びる以上に、幼かったクラウド達が行動できる事はなかった。
その後、故郷に戻るべく奮闘し、鍵の勇者に行く道を示しただけでも、レオンは過去の贖罪を十分に果たしたのではないだろうか。
街に戻ってからは再建委員会を立ち上げ、日々奔走しているのだから、もうレオンを責める者はいない───いや、最初からそんな者は一人としていなかったに違いない。
……今も彼を責める、彼自身を除いては。

────ふう、とクラウドが一つ大きな溜息を吐き出すと、その声が聞こえたのだろう、レオンの体が驚いたように跳ねたのが見えた。
思考の海に沈んでいたのだろう、レオンは我に返って、ふるふると頭を振っている。
クラウドはそんなレオンに近付いて、隣で窓の石枠に寄り掛かった。


「雨が降ればハートレス被害が減るなら、当分降っていて欲しいもんだな」
「……そう言う訳にはいかないだろう。作業の方が進まない」


クラウドの台詞に、レオンが馬鹿な事を言うなと眉根を寄せる。
そう言う反応になるよな、と予想に違わぬレオンの言葉に、クラウドは肩を竦める。


「だが、作業をしている連中だって、毎日休みも無しに働ける訳じゃないだろう」
「…それはそうだが。別に、休みなしで毎日出て貰っている訳でもないぞ。シドはセキュリティの監視に出て貰っているから、余り休ませてやれていないが…」
「どうせシドは外には出ないんだから、それ位はやらせていれば良い」
「お前な……案外大変なんだぞ。データの収集からエラーの修復から、全部任せてしまっているんだから」


レオンはそう言って、負担を減らす方法を考えないと、と言うが、クラウドは放って置いても大丈夫なのではないか、と思っている。
無論、シドとて若くないのだから、負担を軽減させるのは良い事だが、精神的な面ではシドはかなり頑丈だ。
適当に息を抜く事も、手を抜く事も覚えているし、そう言う点では年若い面々よりも上手く回せている。

それを思うと、やはり最も負担が大きいのは、レオンだろう。
変に真面目な性格でもあるので、引き受けた事は完璧にやり遂げないと気が済まないし、一つの事を考えている内に、其処から派生する問題まで頭が巡り始めるので、本当に休む暇がない。

今もまた、レオンは思考を巡らせているらしい。
雨の降る街を睨み、ぶつぶつと独り言を零しているレオンに、クラウドは零れかけた溜息を飲み込む。
再び思考の海に沈んでいるレオンに無言で近付くと、徐にその腕を掴んで引っ張った。
完全に油断していたレオンの躯は簡単に傾いて、クラウドはその肩を捕まえて、僅かに高い位置にある頭を自分の方へと引き寄せる。


「……っ!」


重なり合った唇に、レオンが目を瞠る。

一瞬だけ口を離せば、何を、と形が紡がれたが、クラウドは構わずにもう一度キスをした。
逃げる舌を絡め取り、撫でてやれば、鼻にかかった声がレオンの喉奥から零れる。


「……っは…、おい!」


レオンが腕を突っ張って、クラウドの躯を離そうとする。
しかし、肩を掴むクラウドの腕には確りと力が入っており、見上げる碧眼には欲の色が映っていた。

こんな場所で、とレオンは呆れるが、それもクラウドは気にしない。
逃げを打つ体が壁へと押し付けられ、クラウドの手がシャツの上からレオンの胸を撫でる。


「クラウド!」
「良いだろう、止むまでは休んでいれば。ハートレスも大人しいし、あんた一人が働く気でも、仕事がないんだから」
「……考える事は幾らでもあるんだ」
「考えても動きようがない」


クラウドの言葉は的を射ている。
幾らレオンが頭を巡らせた所で、この雨の中では、何も動きはしないのだ。
それでも今の内に決めたい事が、とレオンは思ったが、喉元に喰いつくように歯を当てられて、ようやく諦めた。


「……もう構わないが…これは、俺は休める事になるのか?」
「なるだろ」
「疲れるだけだと思うんだが」
「あんたは体を休めるのは勿論だが、頭も休ませた方が良い」


レオンは、いつも考え事で頭が一杯だ。
それは必要な事ではあるのだが、クラウドは時折、考え過ぎで頭の中がショートする事があるのではないかと思う。
……寧ろ、一度や二度はショートしてしまった方が、楽に眠れる日があるのではないか、とも。

だが、レオンが自分で思考を放棄する事はないだろう。
だからクラウドは、レオンの思考を無理やり停止させる方法を取る。



まだ濡れているシャツの中に手を入れると、じっとりと湿った肌に触れた。
蒼の瞳は諦めた色で、降り頻る雨の向こうを見ている。

クラウドがもう一度、白い首に噛み付くと、レオンが体の力を抜いたのが判った。




2017/08/08

『クラレオで切ない感じのお話』のリクエストを頂きました。

過去に縛られ続けるレオンと、どうにかしたいけど、どうにもならないとも感じているクラウド。
色々諦めてしまえば楽になるだろうに、それをしない、出来ないのも判っているから、深くは踏み込めない。
時々シャットアウトさせるのが今は自分の役目。