僕らの朝


早朝の日課であるランニングを終え、気持ちの良い汗をタオルで拭きながら、マンションの階段を上る。
今日の朝飯は何かな、とティーダの頭の中はそれ一色になっていた。
それ位には、腹が減っているのだ。

五階の一番端から二番目にあるのが、ティーダの家である。
其処にティーダは父親と二人で住んでいるのだが、父ジェクトはプロのスポーツ選手として、一年の殆どを海外で暮らしている。
この為、ティーダは去年から一人暮らし同然の生活をしており、気儘な学生生活を送っていた。

そんな自宅を、ティーダはたったっと通り過ぎる。
隣室になる一番端の扉の前に立って、インターホンを押して、その音がゆっくりと消えるのを待ってから、ドアノブに手をかける。
かちゃ、とノブは抵抗なく回り、ドアは外側へと引き開かれた。
不用心な事と思われそうだが、これは家主が目覚めてから数十分の間だけの事なので、平時はきちんと鍵が閉められている。
このロックが開いているのは、他でもない自分の為なのだと思うと、ティーダは心が弾むのを抑えられなかった。


「ただいまー!おはよ!」


中にいるであろう家主に向かって、ティーダは元気よく挨拶をした。
帰宅の挨拶と目覚めの挨拶を同時に投げると、ティーダの鼻孔を香ばしい匂いがくすぐる。
その音の発信源であるキッチンから、ひょい、と濃茶色の髪が覗いた。


「…おはよう。あんたの家はこっちじゃないだろ」
「そんな事言って、わざわざ鍵開けててくれるスコール、好きっスよ」
「…閉め忘れたんだ」


靴を脱いで玄関を上がるティーダに、素っ気無い事を言うのはスコールだ。
この部屋に住んでいる彼は、ティーダと同じく父子家庭で、その父も海外赴任が多く不在勝ちになっており、ティーダ同様に一人暮らし生活を送っている。
小学生の頃からの付き合いなので、お互いによく知る相手なので、気兼ねも要らない仲であった。
加えて、今現在、こっそりと愛を育む仲でもある。

ティーダがキッチンを覗くと、其処には二人分の朝食の用意が作られている真っ最中だった。
普通に考えれば、それはスコールとその父ラグナの為の食事になるのだろうが、ラグナは相変わらず不在である。
スコール自身は小食なので、朝から二人分など食べられる筈もなく、明らかに誰か別の人物の為に用意されたものだと判った。
無論、その“誰か”は、考えるまでもなくティーダの事を指す。


「今日の朝飯、何?」
「……鮭」
「肉は〜?」
「朝から肉なんか食えるか」
「大事なエネルギーっスよ」
「嫌なら食べなくて良い」
「やだやだ!食べる!」


冗談だよ、と甘えるように懐いて来るティーダを、スコールは胡乱な目で見ている。
見ているだけで、鬱陶しい離れろと拒否される事がないのが、ティーダは嬉しかった。

シャワーでも浴びて来い、とスコールに言われて、ティーダはいそいそと風呂場へ向かった。
脱衣所も兼ねた洗面所へと入ると、綺麗なタオルと、白いTシャツとパンツが揃えて置かれている。
早朝ランニングをして来るであろうティーダの為に、いつしかスコールが用意するようになったものだ。
甘やかされてるなあ、と思いつつ、幼馴染の気遣いを有難く受け取る日々に、ティーダはぽかぽかと胸が暖かくなるのを感じていた。

温めのシャワーでざっと汗を流すだけでも、とても気持ちが良い。
短い水浴びで頭まで洗うと、すっきりとした気分で、ティーダは風呂を出た。
ランニングの汗が染み込んだ服は、洗面所の手洗い場で軽く揉み洗いをして、バスタブに引っ掛けさせて貰う。
浴室内の乾燥機のスイッチを入れ、リビングダイニングへ向かうと、テーブルに朝食が並べられていた。


「美味そう!」
「冷めるから早く食え」
「はーい」


犬宜しく、尻尾を振るようにテーブルに飛びついて来たティーダを、スコールは座れ、と椅子を指差して言った。
ティーダは遠慮なくお決まりの席に座らせて貰い、頂きます、と手を合わせる。
スコールは既に食べ始めていた。
適度な塩味の焼鮭を食べながら、一緒に並べられたサラダに箸をつけると、ふと気付く。
サラダの中に、細切りにされた鶏のサラミが入っていた。
レモン風味のドレッシンがかけられており、さっぱりとした味付けになっている。


「スコール、これ」
「あんたが肉はって言うから」
「へへ〜、ありがと。美味いっス」
「……ん」


頬をすっかり緩めて、嬉しそうにサラダを口に入れるティーダ。
野菜は昔からあまり好きではないのだが、スコールが作ってくれたものなら美味しいと思える。
ティーダの我儘も、面倒臭いと言う顔をしながら、きちんと応えてくれるのが嬉しかった。

栄養バランスをきちんと考えられた朝食を平らげると、ティーダは食器の片付けを申し出た。
いつもの事であるので、スコールもすんなりと「じゃあ頼む」と任せてくれる。

ティーダの早朝ランニングの日、それを終えてからスコールの家を訪ねるのは、習慣となっている事だ。
其処でスコール手製の朝食を食べさせて貰って、片付けをティーダが任せて貰うのもいつもの事。
この片付けは、ティーダにとって、食事を作って貰った礼でもあった。
スコールは基本的に朝に弱く、学校のある平日でもギリギリの時間まで寝たいと思っているのだが、ティーダの早朝ランニングを知ってからは、その日だけ気力を振り絞って目を覚まし、二人分の朝食を作っている。
放って置けばジャンクフードばかりを食べているティーダを知ってから、父を越えたいと言っているのにそんな体たらくで良いのか、と叱ってから、幼馴染の栄養管理を買って出たのが始まりだ。
お陰でティーダの食生活は大幅に改善されるようになり、ついでに朝から二人きりで過ごす事が出来るので、ティーダは嬉しくて堪らない。
────が、元々朝に起きるのが苦手なスコールを、無理に付き合わせていると言う事も確かで、その罪悪感も皆無ではなかった。
食後、ティーダが食器洗いを担うのは、そんなスコールへの細やかな恩返しなのだ。

ティーダが食器洗いを終えてリビングダイニングへ戻ると、テレビの前のソファにスコールが座っていた。
テレビの電源がついており、日曜日にいつも放送している、動物番組が流れている。
が、スコールの体は不自然な角度に傾いていて、テレビを見るには到底辛い格好をしている。

ティーダが足音を殺してそっと回り込んでみると、案の定、スコールはうつらうつらと舟を漕いでいた。


「……スコール」
「……?」


近い距離で声をかけると、ふるり、とスコールの長い睫毛が震えて、ゆっくりと瞼が持ち上がる。
心持ちぼんやりと靄のかかった蒼灰色がティーダを捉えた。


「眠い?」
「…当たり前だろ。あんな朝早くに起きるとか…」
「だよなあ」
「…なんで日曜にまで早く起きなきゃいけないんだ……」
「ごめんって。ありがとな、付き合ってくれて」


愚痴を零すスコールに、誤るティーダであったが、ティーダの食事管理について、ティーダの方からスコールに付き合わせていると言う事はない。
あくまでスコールの方から言い出した事であり、引き受けているのはスコールの勝手とも言えた。
ついでにティーダは、スコールの気持ちは有難いが、彼に無理をさせてまで自分の面倒をみてくれと言うつもりはない。
だからスコールのこの恨み言は、引き受けたと言ったからと責任感から全てティーダに寄り添おうとする、手を抜く事が出来ない自分への愚痴である。
ティーダもそれが判っていて、愚痴るスコールの気持ちを引き受けつつ、感謝してると伝えるのが常の事だった。

ふあ、と欠伸を漏らすスコール。
猫手で目許を擦る仕草が、普段の大人びた雰囲気とは全く違って、ティーダは可愛い、と思う。
それを口にすれば、病院で検査を受けた方が良い、と至極真面目な顔で言われるのだが。

ティーダはスコールの隣に座って、眠そうなスコールの白い頬に手を伸ばす。
余り温度が高くないスコールの頬は、運動して温まったティーダの手に比べると、少し冷たく感じられる。
スコールもティーダの手の熱を感じるのか、触れる手に頬を寄せると、ほう、と息を吐いた。


「スコール、ほっぺ冷たい」
「……あんたは熱い」
「気持ち良い?」
「……まあ、な」


素直ではないが、拒否をしないと言う点は素直なスコールに、ティーダはくすくすと笑った。

スコールの意識がゆらゆらと宙を彷徨っているのは、傍目にも判る。
日曜日だし、このまま寝るかなあ、とティーダはスコールの横顔を見ながら思っていた。
出来れば、スコールと一緒にショッピングモールに行って、行き付けのシルバーアクセサリーの店でも見たいと思っていたのだが、この調子で今から出掛けると言うのは先ず無理だろう。
昼になったら行けるかな、と思っていると、


「…ティーダ」
「何?」


名を呼ぶ声に返事をした後だった。
頬に当てていた手を離されたと思うと、ぽすん、とティーダの肩に重みが乗る。
へ、と首を動かせば、ティーダの肩に頭を乗せているスコールがいた。


「眠い」
「へあっ。う、うん」
「…枕になってろ」
「……あ。うん」


ティーダの体に実を寄せた格好で、スコールは目を閉じていた。
そのまま遅い二度寝をしようとしているのだと気付き、ティーダは小さく頷いた。

程無く、スコールの寝息が聞こえ始め、力の抜けた体がすっかりティーダへと寄り掛かる。
それを少しの間見詰めて確認してから、ティーダはスコールを起こさないようにと身動ぎを始めた。
ソファに座ったまま寄り掛かるスコールの体を、そっと抱いて横になるようにと傾けて行く。
ティーダの膝にスコールの頭が乗って、スコールは小さくむずかった後、またすぅすぅと規則正しい寝息を零して行った。
起こさずに済んだ事にホッとしつつ、ティーダは柔らかな濃茶色の髪の隙間に覗く瞼に、触れるだけのキスをする。


「いつもありがとな、スコール」


スコールが支えてくれるから、毎日のハードな練習も、早朝のランニングも、苦にならない。
それに甘える事を許してくれるスコールが、心の底から愛おしいと思う。

だからティーダも、スコールを甘やかすのだ。
恥ずかしがり屋な彼の為に、専らそれは眠っている時に限られているのは、少し寂しい事ではあるが、今の所は仕方がない。
それでも、いつかスコールにも伝わるように、目一杯甘やかしてやれたら良い。



緩やかな休日の午後は、緩やかに流れて行く。
スコールを膝に乗せたまま、ティーダが眠ってしまうまで、そう時間はかからなかった。




2017/10/08

10月8日と言う事で、ティスコの日。
甘え甘やかされ、な二人が好きです。