この温もりが何よりも


予期せぬトラブル等が起こると、否応なく仕事は詰まってしまうものである。
そうした時に人手を借りる事が出来れば、幅広くカバーし合う事で早期解決も出来るのだが、良くない事は重なる運命とでも言うのか、中々そう上手くはいかない。
結果として全て解決に導ければ良しと言いたい所だが、これに手を取られた為に、本来の仕事が終わっていないと言う事案も起こる。
トラブルによって蓄積された疲労を労わる暇もないまま、元の仕事に取りかかるのは、存外と気力を使う。

元の仕事も片付け、週明けに手を付ける予定のものを仕分けして、ウォーリアの仕事は終わった。
いつもなら週明けの仕事も少し片付けて行くのだが、今日はそんな余裕もない。
パソコンを睨み続けて重くなった目頭を摘みつつ、ウォーリアは同僚達に挨拶をしてオフィスを出た。

人の少なくなった電車に揺られながら、携帯電話を確認する。
少しだけ期待した着信記録は其処にはなく、最新のものは昨日付けのものだけ。
メールはと言うと、夕方にウォーリアが自宅で待っているであろう恋人に対して送ったメールに対し、「分かった」と言う簡素な返信があったのみ。

ウォーリアの恋人であるスコールは、ウォーリアが住んでいるマンションの近くで一人暮らしをしている。
彼は週に一度はウォーリアの家を訪ねており、食生活に感心のないウォーリアの食事管理を担っていた。
土日を跨ぐ時には泊まる事も多く、そのまま休日を共に過ごす事もある。
しかし、スコールは17歳である為、定期試験などがある時には、学業に専念する為、ウォーリアの家にも来れなくなる。
今日は晴れて試験期間が開けた為、久しぶりにスコールが家に来て食事を作ってくれる事になっており、そのまま食事の席を共にする事も考えていた。
明日も平日なのでスコールが家に泊まる事はないだろうが、それでも約十日ぶりに彼の顔が見れるとあって、ウォーリアは今日の夜を楽しみにしていた。

しかし、自宅の最寄り駅に着いた時点で、時計は23時を指している。
ウォーリアとスコールがそれぞれ一人暮らしをしているマンションは、然して遠くもなく、スコールが日常的に通って来れる位置にある。
とは言え、流石にこの時間となれば、スコールも自宅に帰っているだろう。
高校生なのだから夜間の出歩きは控えるようにとウォーリアが釘を差している事、そうでなくとも父が心配性で過保護な事もあって、スコールは外で過ごしていても、22時には自宅に帰るようにしている。

久しぶりに彼が作った、温かい食事が食べられる筈だったのに、きっとそれも冷めてしまっている事だろう。
試験明けで決して疲れていない訳ではない彼が、折角作ってくれたと言うのに、勿体ない事をした。
仕事をしている以上、其処でトラブルが起きた以上、止むを得ない事であるとは思うが、それが余計にウォーリアの罪悪感を煽る。
傍目ばかりは聞き分けの良い態度を取りつつ、本当は人一倍寂しがり屋な恋人を知っているから、尚更。


(私に、何か詫びに出来る事でもあれば良いのだが)


北風の吹く街を歩きながら、落胆している少年の顔が浮かび、申し訳なさからそんな事を考える。
彼の為に出来る事なら、ウォーリアはどんな事があっても叶えたいと思うのだが、何をすれば彼が喜んでくれるのか、未だにウォーリアは判らない。
子供の頃は率直に訊ねてみたりもしたものだが、そう言う時スコールは、「ウォルお兄ちゃんとご本が読みたい」「一緒にお昼寝がしたい」と細やかな願いばかりを口にした。
それは嘘ではなく、彼の本心からの事だったから、ウォーリアもそれを叶えて来たつもりである。
しかし、成長するに従い、幼年の頃の素直さに変わって天邪鬼がよく顔を出すようになったスコールは、そうした願い事も口にしなくなった。
物欲に関しては昔から無いようなもので、時折シルバーアクセサリーを見ている事があるので恐らく好きなのだろうとは思うのだが、これが欲しい、とウォーリアに強請った事はない。
ウォーリアが自分で見繕って贈る、と言うのも良いのだろうが、スコールが贔屓にしているアクセサリーブランドは、そこそこ値が張るものらしい。
誕生日のような時ならともかく、夕食を一緒に食べられなかった詫びに───と言う理由で贈ったら、反って彼を困惑させてしまいそうだった。

難しいものだな、と考えている間に、ウォーリアの足はマンションの玄関ロビーに辿り着いていた。
エレベーターで自宅フロアまで昇っている内に、ふう、と溜息が漏れる。
それだけで一日の疲労がどっと襲ってきたような気がして、気を抜くとこのまま寝落ちてしまいそうだ。
ウォーリアがそれだけ疲労を自覚する事は珍しく、其処には恋人と過ごす時間がふいにされてしまった事への落胆も混じっていた。

自宅玄関の鍵を開けたウォーリアは、ふう、と二度目の溜息を吐きつつ、違和感に顔を上げる。
誰も人がいない筈のリビングから、明かりが零れていた。


(消し忘れて行ったのか)


几帳面なスコールにしては珍しい事だ、と思いつつ、ウォーリアは靴を脱ぐ。
スーツジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩めながら、彼もきっと疲れていたのだろうと心中で労いながら、リビングへと入った。

リビング兼ダイニングには煌々と明かりが灯っており、食卓テーブルには一人分の食事が並んでいる。
温められるものと生サラダと皿も分けられており、全てきちんとラップで綴じられていた。
冷蔵庫に鍋に入ったスープもあると言うメモも置かれ、忘れずきちんと食べるようにと釘も差してある。
疲れて帰って来るであろうウォーリアに対し、眠りたい気持ちもあるだろうが、最低限何か口にしてからにしろと言う事だろう。
放って置けば簡単に食事を忘れてしまうウォーリアを知っているからこそ、スコールはこのメモを残したに違いない。

取り敢えず、食事の準備をしなくては、と手に持ったままだったスーツジャケットをテレビ前のソファに置こうとした時だった。


「……スコール?」


ソファの肘掛から食み出て見える、濃茶色の髪。
ウォーリアの家を訪れる人物で、その色を持つ人は一人しかいない。

呼びかけて見たが返事がなかったので、ウォーリアはソファを覗き込んだ。
其処には、肘掛を枕にし、すぅ、すぅ、と穏やかな寝息を立てている少年が横になっている。

稀有な光を宿す蒼灰色の瞳は、瞼の裏に隠れており、薄淡色の唇は無防備に緩んでいた。
人の気配の彼には珍しく、全く起きる様子はなく、深い眠りの中にる事が判る。
服装はジャケットだけを脱いだ制服のままで、ソファ前のテーブルにはノートや教科書、プリントが並べられており、課題をしている内に休憩に横になって眠ってしまったのだと言う事が感じられた。


「君は───待っていてくれたのか?」


返事がない事は判っていつつ、眠る少年に問う。
当然ながらスコールは答えなかったが、声は聞こえたのか、ふるり、と長い睫毛が揺れたのが見えた。

見詰めていると、ゆっくりと瞼が持ち上がり、茫洋とした瞳が揺れる。
リビングの明かりが眩しいのだろう、嫌がるように眉間に皺を寄せて相貌を細めるスコールに、ウォーリアはそっと手を伸ばす。
外気の冷たさが残る手で頬を撫でると、「ん……」と小さく声を漏らして、スコールの目がもう少し大きく開かれた。


「………うぉ、る……?」


確かめるように名を呼ぶスコールに、「ああ」とウォーリアは頷く。

スコールは猫のように目を細めながら、ウォーリアの手に頬を擦り寄せた。
冷たい手で嫌ではないだろうか、と思ったが、スコールの表情は柔らかく、


「おかえり……」
「ああ。ただいま」


今日は聞けないと思っていたスコールの言葉に、ウォーリアの唇も緩む。

スコールは起き上がる程に眠気が晴れている訳ではないようで、ベッドに横たわったまま、ウォーリアへと手を伸ばした。
ウォーリアが膝を折って顔を近付けると、まだ幼さの残る滑らかな手が頬に触れる。
誘われるようにウォーリアが顔も寄せれば、スコールも少しだけ頭を持ち上げて、ウォーリアに顔を寄せる。


「ん……あんた、冷たい……」
「外が寒かったからな」
「……んん……」


ウォーリアの言葉に、スコールは暖を分け与えるように、ウォーリアに頬擦りした。
これだけ抵抗なく密着してくれるのは、睡魔に捕まっている故だろう。
そんなスコールを余り悪戯に刺激しないように努めつつ、ウォーリアはそっと頭を撫でてやる。


「君は、帰らなかったのだな」
「……んぅ…」
「今日は遅くなると言っただろう。もう直に日付も変わる。家に帰っているとばかり思っていた」


ウォーリアの頬を撫でるスコールの手が滑り、銀色の髪に絡まる。
ぼんやりとした瞳がウォーリアを捉え、小さな唇がゆっくりと動き、


「あんたの顔…見てから…帰る……」


試験期間に入ってから、スコールはウォーリアの家を訪れていない。
逢う事を避けていた、と言う訳ではなかったが、勉強に集中する為にも恋人との逢瀬は後回しにしていたのは確かだ。
本当は一瞬でも良いから逢いたかった───とスコールは決して口にはしないが、試験明けの今日と言う日を密かな楽しみにしていたのも事実。
仕事の所為でウォーリアの帰りが遅くなると判っても、その気持ちは強かった。

帰りが遅くなる、と言っても、ウォーリアの事だから直に帰るだろう、と言う気持ちもあった。
だからそれまで課題でもして過ごしていよう、と待っていたのだが、試験と言う学生にとって一種のボスとも言えるイベントを終えた事で、スコールも気が緩んでいたのだろう。
集中を邪魔する睡魔に負け、少しだけ、と横になった所で、そのまま眠ってしまった。
束の間に目を覚ました今、自身が眠ってから既に数時間が経っている事にも気付かないまま。

スコールが、自分と逢いたいが為に待っていてくれたのだと知って、ウォーリアは胸の奥で熱が灯る。
ウォーリアがスコールと共に過ごす事を密かな楽しみにしていたように、スコールも逢瀬の時間を求めてくれていた。
それを聞いてウォーリアが唇を緩めている間に、彼の体からは力が抜け、


「ん……ぅ……」
「スコール?」


ウォーリアに抱き着いた格好で、寄り掛かるように体重を預け、スコールの瞼がまた閉じられる。
スコール、と名を呼んでみるが反応らしい反応はなく、すぅ、すぅ、と言う寝息がウォーリアの耳朶を擽った。

腕にかかる重みが愛おしい。
ウォーリアはその感触を記憶するように確かめながら、そっとスコールを抱き上げた。
横炊きにした体からは力が抜けており、その分体重もウォーリアの腕にかかってくるが、ウォーリアは難無くスコールの体を持ち上げる。
振動でスコールが目を覚ます様子もなく、とすん、とウォーリアの胸に頭を乗せたのみ。

ウォーリアはスコールを寝室へと運び、綺麗に整えられているベッドへと下ろしてやった。
明日も学校がある彼が体調を崩さないように、首元まで布団を被せてやる。

スコールを寝室に残し、ウォーリアはリビングダイニングへと戻り、忘れかけていた遅い夕食の準備を再開させる。
出来たてを食べる事は出来なかったが、わざわざ彼が作ってくれたのだから、有難く頂かなければ。
冷蔵庫の中に入っていたスープの鍋を取り出し、コンロに置いて火をつける。
香りの良いコンソメスープを温め、その間にメインのチキンソテーも電子レンジで温め、食事の用意を整えた。

食事を済ませ、風呂も終えた頃には、日付が変わっている時間になっていた。
するべき事がすっかり終わった気分で寝室に入れば、ベッドでスコールが丸くなって眠っている。
起こさないように気を付けながらそっとベッドに入ると、ベッドの傾きを感じたか、ころりとスコールが寝返りを打つ。
暖を求めるように身を寄せて来る少年の体を抱き寄せて、ウォーリアは目を閉じる。



おやすみ、と囁いて、返事の代わりに聞こえる心音が心地良い。

翌日、腕の中で目を覚ました恋人が困惑するとも露知らず、ウォーリアの意識は夢の中へと溶けて行った。




2018/01/08

1月8日と言う事でウォルスコ!
遅くなって家に帰ったら、もういないとばかり思っていた恋人が待ってた、と言うのが好きです。

スコールは別に寝るつもりはなくて、こんなに遅くまで帰って来ないと思ってなかったし、ウォーリアが帰って来て顔を見たら帰ろうと思ってた。
でもちょっとだけ目を覚ましたら本人がいて、やっと顔見れたと思ったら安心してまた寝落ち。
目が覚めてから、(なんでこうなってるんだ…!?)って混乱したまま固まるんだと思います。