扉の向こう


哀れと言えば、哀れだ。
そう思った後、口にすればあの不機嫌な顔で睨んで来るのだろうと思った。
此処にいるのが“本来の彼”ならば、であるが。

場所はアルティミシア城内にある、美術館のように広いホールの中。
吹き抜けになった一階にある、一際大きな絵画の下に、質の良いソファが据えられており、其処を己の住処であるかのようにしている少年が一人いる。

ゴルベーザの前には、少年───スコールが虚ろな表情で、ソファに座っている。
常に不機嫌な表情を浮かべていた顔には精気もなく、顔が整っている事もあって、人形めいて見えた。
本来なら、務めた無表情の内側で、雄弁な瞳を閃かせていたと言うのに、それも見付からない。

戦っていたのか、それとも何処かで行き倒れていたのか、そんな彼をアルティミシアが拾って来たのは、十日ほど前の事。
まるで捨てられた仔猫を拾って来るような気安さで、アルティミシアは彼を連れ帰った。
どうやらスコールは記憶喪失に陥っているらしく、自分の名前と、己が“魔女の騎士”と呼ばれる役割を自負していた事以外は、何も覚えていないと言う。
無論、此処が神々の闘争の世界である事も、アルティミシアが仇敵である事も、何一つ覚えておらず、精神的にもやや退行している所があるのか、アルティミシアの言葉を擦り込みのように吸収し、彼女の言葉のみを聞いている。

拾われて以来のスコールは、人気のない、物理法則を無視した造りが続く、歯車の音が鳴る城の中で、主以外の者の誰と逢う事もなく過ごしていた。
ガーランドやエクスデスと言った面々の警戒を何処吹く風と気にもせず、彼女は獅子を愛でている。
彼女はお気に入りの少年を外に出す事を厭い、まるで閉じ込めるように、行動範囲を城の中に限定していた。
魔法まで使ってスコールの外への干渉を遮断し、スコールのいる歪に他者が侵入すれば直ぐに感知できるようにトラップまで張り巡らせており、まるでスコールは深窓の姫のような扱いを受けている。

しかし、アルティミシアの作るトラップの殆どは、魔法を組み立てて作られたものだ。
心得のあるものならある程度は解除する事が出来、ゴルベーザも、酷く手の込んだトラップでなければ簡単に外せる。
その程度の事はアルティミシアも判っているだろうに、用心深いのかそうでないのか、いまいち判らない。
クジャにしてみれば、「あの子が自分で出て行かなければ良いと思ってるんじゃないの」と言う所らしい。
確かに魔法で作られたトラップならば、元々魔法の素養の薄いスコールならば解除する事は出来ないだろうし、彼を城の中に閉じ込めるだけなら、十分な効果を発揮するだろう。

しかし、そんな事までして閉じ込める必要があるのかと言われると、ゴルベーザは首を傾げる。
何せスコールは、目の前にゴルベーザがいるにも関わらず、ただぼんやりとソファに座っているだけなのだ。


(此方を見る事もない、か)


ソファに座るスコールは、意識があるのかも危うい表情で、ぼんやりと床を見詰めている。
いつも着ている黒のジャケットを肩に羽織り、トップスに着ているのは白のシャツのみで、広い襟首から覗く肌には、所々小さな鬱血が浮いていた。
ボトムはいつも通りかと思えば、ベルトは外され、足元も素足が見えており、靴の片方はソファの下に入ってしまっている。
スコールはそんな自分を認識していないのか、気にならないのか、服を整えようともしていない。
それだけ、彼の自意識が弱くなっていると言う事なのだろう。

ゴルベーザがゆっくりと近付いて行くと、ガチャリ、ガチャリ、と金属の音が鳴る。
それすら興味がないもののように、スコールは酷く鈍い動作で顔を上げ、ようやく音の発信源を見た。

亡羊とした蒼の瞳がゴルベーザを見上げ、つい、と外される。
其処にいるのがこの城の主でないのなら、どうでも良い、と言わんばかりだ。
どうやら、番犬として此処に留まっている、と言うつもりもないらしい。


(本当に、ただ飼われているだけのようだな)


何をしろと言われている訳でもなく、本人も何かをしようと言う様子もない。
此処まで無気力だと、この少年は、本当に混沌の戦士達が知る“スコール”なのだろうかと疑問に思えてくる。

じっと見詰めるゴルベーザの前で、スコールがすう、と息を吸う。
それから、細く長く息を吐いた。
溜息と言うよりも、体に溜まった緊張を意識的に抜こうとしているように見える。

ぐら、とスコールの体が傾いて、ソファに横倒しになった。
糸の切れた糸繰人形のような倒れ方に、それまで殆ど微動だにしていなかった事もあり、ゴルベーザは兜の奥で一瞬目を瞠る。


「おい────」
「………」


思わずソファの傍らに立って声をかける。
と、スコールの瞼が微かに持ち上がって、ちらり、と蒼が此方を見た。
煩い、と言わんばかりの表情を浮かべた後、スコールはついと視線を外して、目を閉じる。

スコールは、疲れ切っていた。
体を動かす事は愚か、起き上がる事も面倒であるかのように過ごしている。
うつらうつらとしているようにも見えるので、放って置けばこのまま眠り落ちてしまいそうだった────が、


「………」


ぽそ、と小さな声がスコールの唇から零れる。
誰に聞かせる訳でもない音量に、恐らく独り言だろうとゴルベーザは悟りつつ、


(───『退屈』、か)


彼の呟いた言葉を、ゴルベーザは正確に聞き取っていた。

退屈だ、とスコールは言った。
何をするでもなく、恐らく自ら行動を起こす気力もないのだろうが、それでも心まで全く停滞していると言う訳ではないらしい。
主のいない白の中で、何処に行く事もなく、ただ無為な時間を浪費するだけである状態は、ゆっくりとだが確かに動いている彼の心に、明らかな退屈感を齎している。

じっと見下ろしているゴルベーザを、何度目になるか、蒼い瞳が見上げる。
物言いたげな瞳のそれが、音に発せられるまでには、短くはない時間を要した。


「……アルティミシアは、まだ帰って来ないのか」
「さてな」
「いつ帰って来る?」
「あれの事ならば、お前の方がよく知っているだろう。私は、何も聞いてはいない」


元々が個人行動の連中ばかりの混沌の戦士に、仲間同志で予定を確認し合うような習慣はない。
牙城にいないアルティミシアが、何処にいて何をして、いつ帰って来るかなど、ゴルベーザには知り様もない話であった。

それをきっぱりと告げてやれば、スコールの眉間の皺が深くなる。


「……退屈だ」


呟くスコールの瞳には、判り易く不満の色が滲んでいる。
しかし、それを取り除く為に自らが行動を起こす気はないのか、細い体はソファに横たわったまま、動こうとしない。


「…退屈ならば、外に出てみてはどうだ」
「……アルティミシアが、勝手に外に出るなと言った」
「それを良しとしているならば、退屈も仕様のない事だな」
「………」


アルティミシアの言いつけを守るのであれば、スコールの退屈感はどうしようもない事だ。
ゴルベーザのその言葉に、スコールの唇が心なしか尖り、表情が幼くなる。


(感情が皆無と言う訳ではないか)


眠っているのか起きているのか、判らなかったような先刻と違い、スコールの表情には露骨な感情が滲んでいる。
それは拗ねた子供のようなものだったが、無感動よりは見ていて心地が良いとゴルベーザは思った。

スコールはのそ、と起き上がって、ホールと廊下を繋ぐ扉を見た。
同じような出入口は、一階にも二階にも存在する。
が、スコールはそれをしばらく見詰めた後、興味を失ったようについと視線を逸らし、


「……どうせ出れない」


そう呟いて、またスコールはソファに倒れた。

出れない、と言うスコールに、そうだろうな、とゴルベーザは口に出さずに呟く。
城中に張り巡らされた魔法のトラップは、スコールを閉じ込める為の結界だ。
脱出する方法と言うものは、きっと既に自分で何度も試し、その末に無為な行為であると悟り、諦念で過ごすようになったのだろう。

自分の力で出れないから、アルティミシアが帰って来て、結界を解くのを待つしかない。
スコールはそう言っているようだったが、しかし魔女が帰ってきた所で、この少年が外の世界へ出る事が出来るのかと言われると、否である。
アルティミシアはスコールを外に出す事を厭い、徹底的に避け、この歯車の城の中に閉じ込め続けているのだから。
そして自分が帰って来た時に、スコールを己の思うように可愛がり、逃げる事は愚か、拒否する事すら考える事が出来ない少年を、歪み調律して行くのだ。

ゴルベーザの脳裏に、嘗て獣の如く研ぎ澄まされた蒼の眼光が蘇る。
それは目の前にあるものと全く同じ色をしている筈なのに、灯る光の強さが違うだけで、まるで別人のように見えた。


(哀れだな)


この部屋に来て、初めにスコールを見た時にも思った事が、するりと再度心に落ちた。

誰に従う事を良しとせず、己が貫く孤高の道を歩こうとしていた、一人の傭兵。
頑なに引き結ばれた唇の裏側で、様々な感情を飲み込み、前へ進む一歩を死に物狂いで踏んでいた。
一歩、あと一歩、怯めば遅れるその一歩を誰よりも早く踏み出そうと、握った剣を振り被って先陣を切った風は、今は淀んだ空気の中に落ちて、自らの足で地面を踏んで歩き出す事も忘れている。
忘れるように、魔女が仕込んでいるのだろう。

このまま魔女の造った籠の中にいれば、スコールは遠からず、外への興味も解けて消えて行くのだろう。
「魔女に捕まった子供は、いつか食べられてしまうんだ」と言ったクジャの言葉は、決して比喩には留まるまい。
アルティミシアもそのつもりだからこそ、スコールをこの狭い世界へ閉じ込めているのだから。

────だが、スコールはまだ、外への興味を失くしてはいない。
開かない扉を見詰めた彼の瞳には、その向こうへと繋がる世界への、羨望に似た感情が交じっていた。


「退屈を厭と言うのなら、外へ出ると良い」
「……あんた、話聞いてなかったのか」


ゴルベーザの言葉に、スコールは胡乱な目を寄越して行った。
出られないって言っただろう、とスコールは言ったが、


「確かに、今のお前一人では、外に出る事は出来ないだろう」
「だったら────」
「だが、扉ならば開けてやる」
「……?」


遮って続けられたゴルベーザの言葉に、スコールはことん、と首を傾げた。
どう言う事だ、と見上げる幼い瞳に、ゴルベーザは曲げていた膝をゆっくりと伸ばして、立ち上がる。

重苦しい鎧を身にまとった男に高い位置から見下ろされ、スコールはようやく、見下ろされる威圧感と言うものを感じていた。
のろのろと起き上がって、それだけでも酷く疲れる作業であったが、なんとか背凭れに伸ばした背中を預けるまで体を起こす事が出来た。
ふう、とため息交じりの息を吐いてゴルベーザを見上げると、兜の下から覗く眸のような単眼の光が、微かに笑ったように見え、また首を傾げる。

首を右へ左へと揺らすスコールを気に留めず、ゴルベーザはマントを翻した。
カシャン、カシャン、と具足の足音を立てながら、最寄りの扉へと近付く。

扉には鍵穴はなかったが、魔法で鍵がかけられていた。
腕を伸ばして扉の表面に触れると、ちりちりとした熱が手甲の掌を焼こうとする。
これでは、元より魔法に対して強い抵抗力を持たず、身を護る為のグローブも取り上げられた今のスコールでは、押し開ける為に扉に触れる事すら儘ならない。

扉も壁もまとめて吹き飛ばすのは簡単だった。
が、其処まで大仰な事をする必要もない、とゴルベーザは扉にかかった魔法のみに干渉し、解除する。
パキン、と小さくガラスが割れるような音がしたのが、解除の合図だった。


「これで開く」
「……」


ゴルベーザがそう呟くと、少年が小さく息を飲んだのが聞こえた。

そのまま、五分か、十分か、将又三十秒かと言う時間が流れて行く。
動かない少年をゴルベーザが肩越しに見遣れば、じっとりと汗を滲ませたスコールがいる。
まるで、悪い事をしようとして、親に叱られる事を考えている子供のような表情だった。


「行かないのか」
「……」
「アルティミシアが戻れば、此処はまた閉ざされる」
「……」
「それで良いと言うのであれば、それも良い」


ゴルベーザに、スコールに何かを強制する権利はない。
同時にそんな権利は、アルティミシアも持ち得てはいないのだ。
例え記憶を失ったスコールを、最初に拾い連れ帰ったのが彼女であるとしても。

ソファの上に乗っていた細い足が、ひたり、と冷たい床を踏んだ。
裸足の足音はぺたぺたと頼りなく、まるで小さな子供が歩いているようで、薄暗い荘厳を滲ませる城の景色とは随分と不釣り合いだった。

スコールは、ゴルベーザの傍らまで来ると、扉を前にして立ち止まった。
無気力、無関心ばかりであった蒼の瞳がゆらゆらと揺れ、彷徨い、迷いを露わにしている。
本当に良いのか、と言いたげにスコールの目がゴルベーザを見上げたが、ゴルベーザは何も言わなかった。
背を押すような言葉も、此処に来て押し留めるような事もせず、ただじっと見下ろすのみ。



恐々と伸びた手が、扉を押した。
キイ、と蝶番の音が鳴って、扉に隙間が生まれた瞬間、スコールは零れんばかりに目を見開いた。




城の外へと続く道を、スコールは知っているらしい。
ひたひたと歩く背中を、ゴルベーザは何も言わずに追い歩く。

────魔女が抱く執着と言うものは、得てして恐ろしいものだ。
魔女の気に入った玩具を他人が悪戯をして、どんな怒りに触れるか判ったものではない。
それでも、外へ出た瞬間、蒼の瞳が何を映すのかを見てみたいと思った。





2018/04/08

ゴルベーザ×スコールだと言い張る。
このスコールは記憶喪失からの刷り込みですが、ほぼほぼ洗脳みたいなものか。
DFFのゴルベーザは4ED後なので、スコールが秩序側だという事も含めて、このまま放って置く事はしないと良いなあと妄想。

「アルティミシアに拾われて飼い殺しにされている記憶喪失のスコールを他の混沌の戦士が連れ去る」と言う流れが超個人的に楽しい。