君しか見えない


枯れたとは思わないが、盛んな年齢はとうに過ぎている。
そう思う程度には、自分が既に若くはない事は、嫌が応にも判っていた。

例えば、走ると息が切れる。
これでも昔は軍人であったし、軍に属する為の(時代と風潮もあって、結構なスパルタだったと記憶している)訓練もクリアして来たし、退役してからも足一つで長旅が出来る程度の体力があった。
一所に留まざるを得なくなってから、体を動かす為の時間が減って行き、意識しなければ体を動かす機会を逃す事が増えて行く。
その事に気付いて、下腹が気になるようになって、流石にこれはカッコ悪いと思って、意識的に運動をしていた時期もある。
しかし、長く留まるにつれて、一日の拘束される時間は増えて行き、効率的な運動の時間も採れなくなって行った。
それでも当分は気持ちで誤魔化していたのだが、結局の所、それは誤魔化しでしかない。
更に誰もが逃げられない老化現象と言う物も始まって、筋力は衰え、体力も低下して行く。
流石に日々の生活でパワードスーツを身につけなければならない、なんて事にはなっていないが、昔のように綱一本でワイヤーアクションをしていたような身軽さはなくなってしまった。

悔しい事に、老眼も始まっている。
元々ラグナは目が良い方だった。
いつでも何か楽しい事、面白い物を見付けたがっていた所為か、ラグナの目は両目ともに良好な視界を持っていた。
単純な視力もそうだし、動体視力も良かったし、特に興味のある物には敏感に反応する。
その“興味のある物”の範囲が、浅い所から深い所まで、幅広くカバーされていたので、尚の事ラグナの両目はセンサーとして優秀だったのかも知れない。
しかし、デスクワークが増えると、紙面の束と睨めっこするばかりになり、液晶画面ばかりを睨んでいる事も多くなった。
眼精疲労を極力軽減させる為にと、液晶画面の開発も進み、最近のパソコンは昔よりも目への負担が軽くなっているとは言われるが、積み重ねられた摩耗を回復させる事が出来る訳ではない。
重ねて、老眼と言うものは、なりたくないと思っていても、加齢により誰でも発生する症状とされている。
個人によってその具合は異なるものの、基本的には、逃げられるものではないのだ。
だから最近のラグナは、昔は必要なかった視力矯正具を胸ポケットに常に持ち歩くようになり、書類仕事やちょっとした読書の時間には、手放せないアイテムとなっていた。

体の皺やシミも増えた。
行く先々で出会う人々からは、年齢を聞くと驚かれる。
それは実年齢よりも見た目がずっと若々しいからだと、恐らくは良い事なのだろうが、昔からラグナを知る者から見ると、やはり老いと言うものは見た目にもよく表れているそうだ。
目尻や口元の皺もそうだし、手を見れば肉が落ちて骨の節が判るようになって来たようにも思う。
筋肉は直ぐに落ちるのに、ついた脂肪は中々取れないし、新陳代謝も落ちているのだろう。
髪もよくよく見れば白髪が混じっていて、年齢を思えば仕方のない事と思いつつも、見付けた時には中々ショックであった。

例を挙げていけばキリがない。
ラグナが自分で自分をまだ大丈夫と慰めても、友人たちの顔をみると、やはり年を取ったなと思う。
と言う事は、彼ら共に歩み続けてきた自分も、やはり年を取っているのだ。
幸いなのは、その辛さや虚しさ、此処に至るまでの長い道程を、分かち合える存在がいる事だろう。
そうでなければ、基本的に楽観的に物事を考えるようにしているラグナでも、逃れようのない己の現実を受け入れるまで、まだ時間はかかったに違いない。

……と、自分の年齢について考え始めると、往々にして切ない気持ちになるラグナだが、時々、俺もまだ若いって事かなあ、と思う事がある。
それは決まって、自分と一回り以上も若い青年───否、少年と共に過ごした時であった。



明日の仕事は午後からだからと、ラグナは昨夜、スコールを抱いた。
警護任務の依頼を受けて来ている筈のスコールは、あんたが午前休でも俺には関係ないんだ、と言ったが、結局は応えてくれた。
人と接する事が苦手でも、本音は愛情に飢えている少年を篭絡するのは、狡い大人にとって簡単な事だ。
嫌だ駄目だと言いつつも、彼が本気で逃げる事も嫌がる事もない事は判っているから、熱でとろとろに溶かしてやる度、悪い大人に捕まったなあと可哀想にも思う。
思うが、だからと言って解放してやる事も、倫理的な事を理由に突き放す事も出来ないから、本当に自分は悪い大人だ。

蕩けさせて、甘やかして甘えさせて、熱を注ぎ込んだ。
離さないで欲しいと、言葉にする事を怯える代わりに、全身で訴える少年が、愛しくて堪らない。
細胞の一粒まで自分の物にしてやりたい───そんな気持ちで、愛情にも触れられる事にも不慣れな少年を、自分の色に染めて行く。
そうして最後には「らぐな」と拙い舌で名を呼んで意識を飛ばすスコールを見て、ラグナもようやく満足して眠りに就いた。

そして窓から差し込む朝の光に目を覚まし、昨夜の勢いとは裏腹に、疲れの抜けない体をベッドに沈めたまま、ラグナは昨夜の自分の勢いに呆れていた。


(なんでいつもあんな感じになるかなぁ)


昨夜はスコールがもう無理、と言っても離してやれなかった。
これは昨日が初めての事ではなく、彼を抱く度にやってしまう事だ。

スコールは大統領の身辺警護の任務によって、エスタに来ている。
ラグナが休みであるか仕事であるかに関わらず、スコールは終日任務と言う事になるから、本来ならラグナが眠っている時間まで彼は任務の為に意識を割いて居なければならない。
それをラグナが触れたいからと言って、彼をベッドに引き込むのは良くないと判ってはいる。
しかし、かと言って二人の休日と言うのは殆ど合わせる事が出来ない。
そもそもスコールが自ら休みを取る事を意識しない事が多い為か、補佐官のキスティスは、エスタ大統領警護任務としてスコールをバラムから遠ざけた上で、諸々の事情を理解しているラグナの下で半ば強制的に休養させる事を目的としている節があった。
一番はスコールが意識的に休養を取り、ラグナのスケジュールと擦り合わせて二人静かに過ごせる日を確保するのが良いのだが、双方の事情により難しいのが現実だ。
だから、二人が熱を共有するには、昨夜のように少し強引にでも始めないと、仕事以外の会話をしないまま、スコールがバラムに帰ってしまう羽目になる。

────とは言え、毎回のようにスコールが気を失うまで離さないと言うのもどうか。
言葉とは反対に、スコールが離してくれない事も少なくはないが、やはり大人である自分がそんな彼を宥める位の余裕がなければ、とも思うのだ。


(……俺、そんなに若くはないと思うんだけどな。ほんとに)


何かに、誰かに夢中になる事は、簡単なようで難しい。
それ程までに自分が求めるものに出逢える事すらも、奇跡に等しい事だからだ。
年齢を重ねる程にその軌跡は遠くなり、それもまた仕方がないと諦める事も増えて行く。

けれど、スコールを前にすると、ラグナの体は沸騰したように熱くなる。
早く声が聞きたい、顔が見たい、触れたい、囁きたい、愛したい。
抑える理性の箍が外れたように、ラグナはスコールを欲して止まなかった。
だから彼を腕の中に抱き締めると、もっと深い場所で繋がりたくて、繋がっていたくて、ついいつまでも彼を繋ぎ止めようとしてしまうのだ。


(怒られるんだろうなぁ。起きれなかった、動けないって)


同じベッドで、隣で眠っている少年を見て、ラグナは眉尻を下げる。
すぅすぅと眠るスコールは、まだ目覚める様子はないが、ラグナは彼が目を開けた瞬間、枕が飛んでくるのが容易に想像できていた。

昨夜は汗ばんで赤くなっていた頬に、そっと手を伸ばして触れる。
熱が引いた頬は白く、シャープな形の中に未だ未発達な丸みが残っていて、彼の幼さを知らしめる。
大人びた顔と言動をしても、クールな雰囲気を纏っていても、まだ発展途上の最中なのだと判ると、ラグナの胸中にじわじわと罪悪感が浮かぶ。
本当ならこんな狡い大人に捕まっていないで、彼はもっと広い世界を見るべきなのだろう。
けれど、そうなったら、もう碌な自由のない大人には構ってくれなくなりそうで、それは嫌だと思う。

だからだろうか。
不満そうな顔で、動けない、と言ってベッドに沈んでいるスコールを見る度、ラグナは仄暗い安心感を覚えてしまう。


(嫌な大人に捕まったなあ、お前)


自分は過去にあちらこちらへ飛んだ癖に、スコールにはそれをして欲しくない。
そうして、ずっと自分の所にいて欲しいと願っている。
本当に身勝手だ、と思いながら、ラグナはそっとスコールの桜色の唇を指でなぞる。

ふる、と唇が微かに緩んで、「……んん…」とむずがる声が漏れた。
起こしてしまったか、と思っている内に、スコールの長い睫毛が震え、ゆっくりと持ち上げられる。


「………」
「おはよ、スコール」
「………?……」


まだ瞼が開き切らないまま、ぼんやりとした瞳がラグナを映す。
ラグナが朝の挨拶をして、またそうっと頬を撫でても、スコールは…ぱち、…ぱち、とゆっくりと瞬きを重ねるだけだった。

過激であったり、身の危険が直ぐ傍にあるような任務の最中のスコールは、眠っている時でさえスイッチが入ったように一気に覚醒する事が出来る。
しかし、平時はどちらかと言えば寝汚い事が多いらしく、気が抜けた状態だと、目を開けていても寝ている状態が続く。
目を覚ました時にスコールがぼんやりしていると言う事は、無防備を晒しても良い場所だと無意識に感じ取っているのかも知れない。
そう思うと、ラグナはスコールのぼんやりとした寝起きの顔が可愛くて堪らなかった。


(ま、単に疲れてるだけかも知れないけどなぁ。昨日、本当に遅くまでシちゃったし)


目元にかかる前髪を撫で上げながら、ラグナは眉尻を下げる。
ごめんなあ、と胸中でのみ詫びて、ラグナはスコールの反応を待っていた。

目を開けてから一分弱が経って、スコールはようやく動き始める。
布団の中で、ふあ、と欠伸を漏らした後、もぞもぞと身動ぎして、ラグナの方へと身を寄せる。
シーツに包まりながら密着してくる少年に、寝惚けているとは言え珍しい事もあるもんだと眺めていると、スコールはぴったりとラグナにくっついたまま、またうとうとと舟を漕ぎ始めた。


「ありゃ。おいおい、スコール。そろそろ起きて飯食わないと」
「……」
「俺、正午から仕事だから、準備が」
「………」


勿体ないけど起きないと、と促すラグナであったが、スコールは動かない。
ちらりと上目に寄越された瞳は、うるさい、と言っていた。


「……ねむい……」
「うん、そうだと思うけど。飯食ったらちょっとは目が覚めるだろうからさ」
「……いらない……」
「朝飯食わないと駄目だって。俺が作ってくるから────」
「……やだ……」


布団の中で、ラグナの脚にスコールの脚が絡み付く。
すり、と太腿が擦れる感覚に、ラグナの心臓がどきりと跳ねた。

スコールはラグナの胸に顔を寄せ、ぴったりと密着した状態で、猫のように目を細めている。
二人とも裸のままでベッドにいるから、触れ合う肌から直接感じられる体温が心地良い。
ラグナが少し身動ぎすると、スコールはより一層密着しようと体を寄せてきて、離れちゃ嫌だと全身で訴える。

うつらうつらとしているスコールを見下ろして、ラグナは参ったなあ、と溜息を一つ。
しかしその表情は緩んでおり、濃茶色の髪にそっと手を当てて撫でてやれば、幼い顔が安堵したように緩むのが見えて、これには勝てないと悟る。


「…スコール」
「……ん…」
「もうちょっと寝ちまうか。疲れてるだろ?」
「……誰の…せいで……」
「うん、俺だな。だから俺が責任取るからさ、もうちょっと寝てていいぞ」
「……あんたも……」
「うん。俺ももうちょっと寝てるから」


離れないから、と頭を撫でて囁くと、スコールは小さく頷いて目を閉じた。
間もなく穏やかな寝息が聞こえて、ラグナの唇にふっと笑みが浮かぶ。

スコールを起こさないように、ゆっくりと体を動かして、ベッド横のサイドテーブルにある電話を取る。
手探りでプッシュを押して、コール音の鳴る受話器を耳に当てた。
程なく電話は通話モードへと切り替わり、


「おう、キロス、おはよ。あのさ、今日の正午からの書類仕事、午後に出来ないか?」


眠る少年を腕に抱いて、ラグナは今日のスケジュールを調整するように頼んだ。
何事にも聡い友人たちは、面倒な事を言ってくれるねと言いながら、上手く調整してくれる事だろう。




2018/08/08

若い子に夢中になってしまう大人って好きです。そんなラグスコ。
スコールもなんだかんだ言って嫌ではないので、寝起きの素直な時はべったりしてると可愛い。