雨盗人
?←スコール前提



どうして、と思わずにいられない。
どうして、そんなに苦しい事を続けているんだろう、と。
自分も同じ事をしていると判っていて、それでも、どうして、と思う。


スコールが彼に好意を寄せている事は明らかだった。
けれど、本人がそれに気付いていない。
元々人と関係を構築する事について、酷く消極的な性格である彼の事だ、自分にそんな感情があるとも思っていないのだろう。
更に言えば、幼い頃から自分に自信が持てない所があるから、自分の好意なんてものは他人にとって迷惑でしかない、と考えていても可笑しくない。
フリオニールにしてみれば、そんな事はないのに、お前に好きだって言われたらきっと誰でも嬉しくて堪らないだろうに、と思う。

けれど、そんなスコールだからこそ、フリオニールは心の何処かで安心していた。
他者と余り密接な関係を持ちたがらないスコールが、幼馴染だからと言う理由で、フリオニールとは距離が近い。
家族以外で、家族と近い、ひょっとしたらそれ以上に距離がないかも知れないポジションを、フリオニールは唯一許されていた。
その事に気付いた時、本当ならもっと沢山の人に愛されている事に気付かないスコールに、勿体ないと思う反面、彼と一番近い場所にいられるのが自分だけだと言う事に、密かな喜びを感じてもいた。

しかし、変化は突然やって来る。
ふらりと現れた人物に、スコールの心は奪われた。

ある意味で、“彼”はスコールの自分自身の理想像に近かったのだろう。
最初は恐らく憧れや羨望から始まったそれは、“彼”との距離が少しずつ近付くにつれ、形を変えて行った。
憧れの気持ちから、近くに行きたいけれど怖い、と言う気持ちで二の足を踏むスコールを、フリオニールは何度も背を押した。
それは純粋な厚意からで、少しでもスコールの喜んだ顔が見たかったからだ。
挨拶どころか、目も合わせられない程の距離から始まった“彼”とスコールの関係は、フリオニールの後押しを受けて、徐々に縮まった。
個人的に連絡を取り合う事も増え、フリオニールが間に入らなくても、会話が成立するようになった。
“彼”から送られてくるメールや電話、逢おうと約束した日が近付くと、そわそわとするスコールは、まるで遠足を前にした子供のように素直で判り易く、フリオニールの笑みを誘う。

スコールは他者との関係を強く求めない気質もあって、交友関係と言うものは極々限定されていた。
子供の頃からそれは発揮されており、沢山の子供達が遊ぶ公園に行っても、フリオニール一人の傍から離れない。
それも、フリオニールが他の子供達と遊んでいると、自分からフリオニールの下に駆け寄って行く事も出来ない消極さで、二人きりになれる時でなければ、自ら幼馴染に声をかける事さえ出来なかった。
輪に入れて、とも言えず、フリオニールと一緒に遊ぶ、と言う事も人数が多ければ言い出せないスコールに、フリオニールが先回りしてスコールと接触を保つようにしたのは、一体いつからだっただろう。
結構早い内だった、とフリオニールは記憶している。
それ以来、フリオニールは何をするにもスコールの気持ちを確認し、余程の事でなければ彼を優先するようになった。
そうする事でスコールは安心してフリオニールの傍にいる事が出来、フリオニールを介して自分の世界を拡げて行った。
スコールの世界は、隣に必ずフリオニールがいる事で、始まっていたのである。

だが、スコールももう高校生だ。
いつまでもフリオニールばかりにべったりしていられる訳ではないし、学校では同級生と話をしている場面も増えた。
フリオニールが傍にいなくても、彼の世界は確かに外と繋がっているのだ。
それを思えば、スコールが突然現れた“彼”に恋をしたのも、彼の世界がまた一つ広がる切っ掛けになったと言えるだろう。
だからフリオニールは、そんなスコールを見て喜んだ。
彼が夢中になる人が出来た事、恋をしている事、その関係を少しでも良い方向へと向けたいと、少しずつ、自ら動き出している事。
何をするにも、フリオニールの後押しが出来なかった時の事を思えば、これは良い変化だ。
フリオニールとて直に大学に進み、今以上にスコールと過ごせる時間が減るのだから、いつまでも幼馴染同士だけで過ごせる訳ではない。
だから、これは良い事だ。
良い事なのだ。


────そう自分に言い聞かせているけれど、ふとした瞬間に涙を流すスコールを見る度に、胸が痛くて苦しくなる。



嵐でも来るのだろうか、と思うような悪天候の中、バイト終わりの家路を歩くフリオニールは、その途中で公園のベンチに座っているスコールを見付けた。
直に更に雨が激しくなると予報で言っていたのに、スコールは傘も差さずに、ぼんやりと空を見上げている。

そのまま曇天の向こうへ吸い込まれていきそうなスコールを、フリオニールは思わず立ち尽くして見詰めていた。
空を見詰めていた蒼の瞳が、ゆっくりと瞬きをして、頬に雫が伝い落ちる。
それが雨なのか、それ以外のものなのかは判らなかったが、フリオニールを正気に戻すには十分だった。


「スコール!」


水溜まりを跳ねさせて駆け寄り、名前を呼んだ。
降りしきる雨に掻き消されないように大きな声で呼んだお陰で、声は彼に届いたらしい。
スコールは酷く緩慢な動きで、ゆっくりと、茫洋とした瞳を此方へ向けた。


「……フリオ?」


ことん、と首を傾げて、スコールは幼馴染の名を呼んだ。
それきり動く様子のないスコールを、フリオニールは自分の傘の中へと入れる。


「何してるんだ、こんな所で。びしょ濡れじゃないか!」
「……あ」


フリオニールの言葉で、スコールは自分の体を見下ろした。
雨水を吸ってすっかり重くなった服を見て、ようやく自分の状態を認識したような声を漏らす。

これは放っておいてはいけない、とフリオニールは直ぐに判断した。
フリオニールはスコールの手を引き、少し強引に彼を公園から連れ出した。
スコールは特に抵抗する気配もなかったが、歩く事自体が億劫なようで、足取りが重い。

いつもの歩調で行けば、五分とかからない道程を、スコールに合わせてゆっくりと歩いた。
背負った方が早いとは思ったし、何度かそれを伝えて背負うから、と言ったが、スコールは反応しなかった。
フリオニールがしゃがんで促しても、立ち尽くしたまま、動こうとしないのだ。
手を引かれて、雛のように歩く事だけが、今のスコールに出来る事だった。

両親がいないフリオニールは、幼い頃は養護施設で育ち、高校入学と同時期に独り暮らしを始めた。
日々のアルバイトは学費と生活費を賄う為に必要不可欠なもので、これも高校入学以来、スコールと逢える時間が減った理由にもなっている。
それでも、フリオニールの家の鍵はスコールも持っているから、アルバイトから帰ってきたらスコールが家で勉強していた、夕飯を作っていた、と言うのはよくある事だ。
特に最近は、思春期になって過保護な父にスコールが複雑な気持ちを抱いている事や、密かに思う“彼”の話を聞く事もあって、幼い頃程ではないが、逢う時間は頻繁に設けられていた。

築三十年と言うアパートは、壁も薄く、屋根はトタンになっていて、雨が降ると音がよく響く。
しかし、五年前に全部屋の風呂がシステムバスへとリフォームされたお陰で、風呂場だけは綺麗でしっかりしていた。
スコールを連れ帰ったフリオニールは、真っ先にスコールの服を脱がせて、風呂場に入れる。
服を脱がせる時に嫌がるかと思えばそうではなく、スコールは大人しくフリオニールにされるがまま裸になり、湯を貯めている最中のバスタブへと入れられた。
それからフリオニールは、バスタブ横に膝をついて、小さな湯桶で掬った湯をスコールの肩からかけてやる。


「熱くないか?」
「……ん……」


全身を雨に晒していたスコールの体は、かなり冷え切っている。
寒い時期ではないとは言え、あれだけ濡れていたのだから当然だ。
フリオニールは、スコールが心地良く過ごせるよう、熱過ぎず温過ぎずと言う温度で湯を貯めて行く。

フリオニールはタオルを持ってきて湯舟に浸し、絞って余分な水気を切って、スコールの前に差し出した。


「顔、拭いた方が良いぞ」
「……ん……」
「頭も後で洗おう」
「……うん……」


フリオニールに渡されたタオルを、スコールは自分の顔へと押し付けた。
タオルを握りしめるように掴んで、顔を埋めて息を殺している。


「…スコール」
「……っ……」
「スコール。良いから。我慢するなよ」


くしゃ、と濃茶色の髪を撫でると、ひく、と喉が引き攣る音が聞こえた。
本当は声を上げたいのだろうに、上げたくないとも思っていて、押し殺そうとしているのが判る。
きっと自分が此処にいるから泣けないのだ、とフリオニールも判っていたが、今のスコールを一人にする事は出来なかった。


(……“あいつ”と何かあったのか?)


声に出さずに訪ねても、スコールからの返事はない。
しかし、声に出したとしても、きっとスコールは「何もない」と首を横に振るだろう。

そう、何もないのだ。
スコールと“彼”の間に、特別な事は何もない。
スコールが“彼”を特別に思っているだけで、二人の関係は、“彼”がスコール以外のその他大勢と繋がっている事と大差ない。
傍目に見れば、“彼”もまたスコールを少し特別に見ているかも知れないけれど、それはスコールが抱いている感情と同じではないのだ。
それが時折、スコールを酷く苦しめる。

ざぷん、と言う音が鳴って、スコールがたっぷりと溜まった湯の中に頭を沈めていた。
そのまましばらく顔を上げないスコールに、おい、とフリオニールが肩を掴んで引っ張り起こす。


「っぷは……!はっ、は…けほっ、げほっ……!」
「スコール、危ない事するな!」
「…はっ…は……、ふ……っ」


咳き込むスコールを叱り宥めると、スコールはふるふると頭を振る。
いやだ、と駄々をこねているような仕草だったが、何に対して“嫌”と主張したのかはよく判らない。
今は干渉しないでくれ、と言う事だろうか。
恐らくはスコールを落ち着かせるにはそれが一番なのだろうとは思うのだが、余りに不安定な様子のスコールを見た所為か、目を離した瞬間に溺死でも試みそうで、フリオニールは傍を離れてはいけないと思っていた。

湯に沈んでいたタオルを取って絞り、スコールの顔を拭いてやる。
いやいやと逃げようとするスコールの頬を捕まえて、前髪を掻き上げてやった。
湯の熱でほんのりと赤らんだ顔に、珠粒の雫が伝い落ちて、スコールの頬を流れて行く。
涙に似た軌跡を辿るそれを見て、フリオニールは息を詰まらせた。


「……は…う……っ、……ふぅ……っ」


ひっく、ひっく、としゃっくりの音が聞こえる。
スコールは、眦に浮かんだ涙を零すまいと、必死で目を開けていた。
けれども堪え切れずに瞬きをすれば、大粒の雫が溢れ出す。


「ス、」
「見るな……!」


伸ばされたフリオニールの手を、スコールは打ち払った。
顔を背けて涙を隠そうとするスコールの姿に、フリオニールの胸の奥で、ぎりぎりとした痛みが走る。


(なんで、また)
(また泣いてるのに)
(俺じゃ駄目なんだ)


“彼”との関係について、スコールは多くを望んでいない。
自分が“彼”の傍にいても、“彼”の重荷にしかならないと思っているからだ。

しかし、スコールは少なからず、他者に依存してしまう性質を持っている。
幼馴染のフリオニールと言う存在に長らく寄りかかっていた事が当たり前だったように、スコールは自分の身を安心して預けられる存在が欲しいのだ。
好意を持った相手に対しても、そうした感情は芽生えており、出来る事なら自分と一緒にいて欲しいと思っている。
だが、それを望めば相手を自分に縛り付けてしまうから、それは嫌だ、と言うジレンマがあった。

フリオニールがスコールの事を其処まで理解できているのは、スコール自身が“彼”との関係についてフリオニールに相談したから、と言うのも理由の一つだ。
人との付き合い方が判らないスコールは、何をするにもフリオニールに相談していた経験がある。
それと同じ流れで、スコールは“彼”と親しくなりたいと言う気持ちを、フリオニールに吐露していた。
フリオニールもその気持ちを汲み、スコールが喜んでくれるならと、二人の間に立って仲立ちをしていた時期もあった。

けれど、親しくなるにつれ、スコールはもっと“彼”と近付きたいと思うようになった。
しかし、スコールがどんなに望んでも、“彼”はスコールを今以上に特別視はしないだろう。
“彼”にとって特別な人物と言うのは、既に存在しているのだから、スコールがその場所を奪おうとしない限り、現状が変わる事はない。
そしてスコール自身も、これ以上の大きな変化を望める程、強くもなかった。
今の距離感だから“彼”に嫌われる事もなく、逢った時に邪見にされる事もなく、そして今以上に距離が離れる事を怯える必要もない。
今の“彼”との距離感が、スコールが耐えられる───と思っている───距離なのだ。

だが、結局は“耐えている”だけだ。
折々に見てしまう、“彼”と特別な関係を持つ人物との光景を見ては、募る羨望と嫉妬に焦がされる。


「う……うぅ……っ、うぁあ……っ」


堪え切れなくなったのだろう、スコールの喉から痛々しい声が漏れている。
こうして声を上げて泣くスコールを見るのは、フリオニールも久しぶりだった。

幼い頃は泣き虫だったスコールは、成長していくに連れ、感情を素直に吐き出さなくなった。
半分は自分で意識しての事だが、もう半分は、意識して抑え込んでいた事による弊害だろう。
吐き出すべき感情すら、スコールは溜め込んでしまうようになったのだ。

その姿が、フリオニ─ルは痛々しくて苦しくて仕方がない。
スコールをこんなにも涙させる存在を、決して厭ってはいけないと思いながらも、憎まずにはいられない程に。


「……スコール」
「……っ!」


名前を呼んで、フリオニールはスコールの体を抱き寄せた。
濡れたスコールの背中が、フリオニールの胸に触れて、服のじっとりと染みを作って行く。

スコールを腕の中に閉じ込めて、フリオニールはピアスを刺した耳元で囁いた。


「スコール、もう止めよう」
「……は…?」
「あいつを見るのは、もう止めよう。スコール、ずっと苦しそうだ」


見てられない、と言うフリオニールに、スコールの顔がかぁっと紅くなる。
自分のみっともない姿を見られている、と言う事への恥ずかしさもあったが、それ以上に、全てを知っていて「やめろ」と言った幼馴染の言葉が許せなかった。


「あんたに…っ、あんたに何が判るって、」
「判る」
「!」


言葉を遮るように告げられたフリオニールの声に、スコールの動きが止まる。
抱き締める腕の力が強くなるのを感じて、ビクッとスコールの体が震えた。
背中から滲む、常にない雰囲気に、ゆっくりと振り返ってみれば、真っ赤に燃える紅に射貫かれた。


「あいつじゃなくて、俺を見てくれ」
「な……」
「俺は全部判ってる。スコールの事、全部」
「……」
「だから俺なら、スコールを泣かせたりしない」


見開いた瞳に、フリオニールの顔が映り込んでいる。
その目を真っ直ぐに見詰めながら、狡い事をしている、とフリオニールは自覚していた。

スコールは縋れる人が欲しいのだ。
寄りかかっても良いと自分が思える人が欲しくて、それは幼い頃からフリオニールへと向けられていた。
フリオニールなら怒らない、嫌がらない、きっと一緒にいてくれる────培われた経験から、スコールはその対象を無意識に選び、フリオニールへと定めていた。
家路へと向かう路で、スコールがフリオニールの手を振り払う事なく大人しくついて来たのも、フリオニールならどんな自分でも拒否される事はないと思っているからだろう。
情けない姿を晒しても、幻滅される事もなく、無理な発破をかけられる事もない。
弱いままの自分を嫌わずに、見捨てずに、傍にいてくれる人を、スコールはずっと欲している。

────だから、スコールがフリオニールを拒む事はない。
────出来ない。



待て、と言う声が聞こえたけれど、フリオニールは無視する。
重ねた唇が拒否される事は、なかった。




2018/08/08

『珍しく嫉妬したフリオなフリスコ』のリクを頂きました。
珍しくと言うか大分拗れた嫉妬話に……あれ……!?

スコールが恋したのは年上の誰かですが、“憧れの人”と“傍にいたい人”は別かも知れない。
憧れの人には近付けないし、一緒にいると自分の劣等感が増すので、多分スコールは見ている位が丁度良い距離感。
でも自分を特別視して欲しい気持ちも少なからずあって、拗らせた。
↑と言うスコールをずっと見ていたので、フリオニールも大分拗らせている。