渚の幻


遠くに行きたい、と言ったスコールに、何かあったのだろうな、と思った。

色々と気になる事はあるものの、恐らくは聞かない方が良いのだろう。
その選択が正解かどうかは判らないが、少なくとも、スコールは踏み込んで欲しくないと望んでいる筈だ。
だから何も聞かずに、偶然にも丁度眺めていたバイク雑誌のツーリングコースを見せて、何処に行く?と言った。
スコールはそんな反応が返って来るとは思っていなかったようで、驚いた顔で此方を見ていた。

スコールの家庭環境は複雑だ。
幼少の頃、スコールは孤児院にいて、高校生に上がる前になって、父親が現れた。
父親は傍目に見ても優しい男で、子煩悩で、とても家族を捨てるようには見えない。
スコールが生まれた当時、彼が傍にいなかった事は、様々な不幸が重なっての事であり、恐らく彼自身にも何か事情があったのだろうと想像させるのは簡単だったが、だからと言って、15年近くも顔すら知らなかった父親が突然現れても、受け入れるのは難しいだろう。
しかし、そう言う想像をかなぐり捨ててまで父親を拒否する程スコールも子供ではなくなっていて、折角会えたのだからと言う周りからの奨め───勿論、強制ではなく、スコール自身にきちんと選択させる形で───で父親との生活が始まった。
が、突然現れた父親との距離感はどうにもぎこちない。
どうして良いか判らない、と言う気持ちと、思春期特有の大人への反発心も重なって、二人の仲は荒れてはいないが穏やかとも言い難いそうだ。

クラウドがスコールと出逢ったのは、二年前の事だった。
スコールが父親に引き取られ、今の生活が始まってから、三ヵ月と言った所らしい。
気難しい自分と違い、明るく人懐こい父親を、スコールはどう扱えば良いのか、彼の言葉の一つ一つをどう捉えれば良いのか判らず、家出気味の日々を送っていた。
放課後、夕方の街をふらふらと歩き、性質の悪い連中に絡まれた所を、偶然通りかかったクラウドが見兼ねて助けたのが切っ掛けだ。
それから、何処か危なっかしい印象の抜けないスコールをクラウドが放っておけなくなり、世話を焼いた。
始めこそ反発の強かったスコールだったが、雛が懐くように段々とクラウドに心を開き、今では恋人同士と呼ぶ間柄になっている。

出逢った頃に比べると、スコールと父との蟠りは和らいでいる。
だが、一緒にいるとスコールが息苦しさを感じる事は儘あるようだった。
父親が自分を愛していると判っても、それを受け入れる余裕が少し出来たと言っても、思春期真っ盛りの少年には、それもまたむず痒くて落ち着かない。
何かと声をかけてくる父に対し、彼が期待しているような反応をしなければ───と言うプレッシャーを感じてしまう事もあるようで、彼がそれを強要している訳ではないとしても、息苦しさを感じてしまう事もあるのだろう。
そんな時、スコールは、決まってクラウドの家へと逃げ込んでいた。

遠くに行きたい、と言うスコールの言葉も、きっとそう言った感情から降ってきたものなのだろう。
スコールの家の事情を知っており、スコールの気持ちも汲んでくれる相手と言うのは、少ない。
元々人とのコミュニケーションにやや難のあるきらいのあるスコールは、交友関係と言うものが非常に狭く限定されていた。
だから自分の気持ちを吐露する相手も、慮ってくれる人も少ない。
全くいない訳ではないようだが、同調を求める訳でもなく、理解者と呼ぶ程の共感が欲しい訳でもなく、真っ向から否定されるのも嫌で、と言う複雑な心の在り様を受け止めてくれる相手、と言うのは難しいだろう。
そう言う点に置いて、有体な同調をせず、判った振りをして理解者ぶる事をせず、正面からの否定もしない、寄り添う事を選ぶクラウドの存在は、スコールにとって決して小さくなかった。



世間は夏のバカンスシーズンで、学生は夏休みである。
となれば、出不精なスコールは一日中を家で過ごしているのが常である。
そんなスコールにとって、一日で行って帰れるような道程でも、旅行と言えば確かに旅行と言えた。

クラウドは愛用のバイクの後部にスコールを乗せて、海岸線を走っていた。
日差しは夏真っ盛りと暑いものだったが、都会の真ん中と比べれば、海辺は少し位は涼しく感じるだろう。
ガードレールの向こうに広がる水平線を見るだけでも、気持ちは随分とすっきりするのではないだろうか。

バイクを走らせながら、クラウドは背中に触れる体温を感じていた。
外気の熱と、背中の熱とが合わさって、暑いと言えば暑いのだが、恋人に抱き着かれていると言うのはやはり嬉しい。
始めの頃は、安全の為に確りと捕まる事さえ躊躇っていたスコールが、今は乗ると直ぐに腰に腕を回してくる。
他者との接触を好まないスコールが、こうした事に慣れてくれただけでも、自分への信頼の深さが見えるようで、クラウドは嬉しかった。
生活費から捻出した金で、バイクを単座から複座に替えた甲斐があったと言うものだ。

海岸線を走って行くと、海側にパーキングエリアがあった。
其処から浜辺に降りる事が出来るようだが、遊泳エリアから少しずれている所為か、利用客は少ない。
停まっている車も、釣り客が置いているものばかりのようだ。


「スコール」
「ん」
「其処のパーキングに留めるぞ。休憩にしよう」
「判った」


短い返事を聞いて、クラウドはウィンカーを出す。
一時停止の標識に従った後、角を曲がってパーキングエリアに入った。

二輪用の屋根付きの場所があったが、使っている者は誰もいない。
これなら大型バイクを置いておいても邪魔にはなるまい、とクラウドは其処に滑り込んだ。
バイクのエンジンを切って、「降りて良いぞ」と言うと、スコールがバイクを降りてヘルメットを脱ぐ。


「っふう……これ、やっぱり暑いな」


頭を左右に振って、ぱさぱさと濃茶色の髪を揺らしながら、スコールが言った。


「一応、夏用に通気のあるものでなんだが、お前はヘルメット自体被り慣れてはいないから、やっぱり苦しいか」
「……少し」
「バイクは車と違って日に当たりっぱなしだしな。ああ、自販機があるから、何か買って来よう。水分の補給も大事だぞ」
「水が良い」
「炭酸水もあるようだが」
「……普通の水が良い」


遠慮ではなく、純粋に単純に水が欲しい、と言うスコールに、クラウドは「判った」と頷いた。

自販機で水を二本買って戻ると、スコールは海を眺めていた。
浜辺の向こうにある海を、まるで初めて見たかのように見詰めているスコールに、クラウドの唇が緩む。
少しは気が晴れていると良いが、と思いつつ近付いて、買ったばかりのペットボトルをスコールの頬に当てた。


「冷た……っ」
「よく冷えてる。遊泳エリアじゃなくて良かったな。ああ言う所だと、補給と冷却が追い付かなくて、生温いのが出てきたりするし」
「……確かに、そうだな」
「海の家のものを買っても良いが、割高だしな」


スコールがペットボトルを受け取り、口を開ける。
小さな口でこくこくと水を飲むのを見て、クラウドも喉の渇きを自覚した。
冷たい水を飲みながら、クラウドはジャケットの前を開けながら訪ねる。


「此処からどうする。海に行ってみるか?」
「……行く」


此処まで来たなら、とスコールは頷いた。

パーキングエリアの脇に設置されている階段を使って浜辺に降りると、海との距離が一層近付いた。
空から降り注ぐ太陽の光が、寄せては返す波に反射して、ひらひらと眩しい。
浜一面も白く輝いて、スコールは眩しさに目を細めていた。

海沿いに点々と、釣りを楽しんでいる人の姿がある。
この暑いのによくやる、とスコールが呟いて、俺達もその暑い中をツーリングして来たんだがな、とクラウドは胸中で呟いた。
が、今日の小旅行はスコールにとってイレギュラーだし、ツーリングをして来たからこそ、暑い最中に外でじっと過ごせる事が不思議に見えるのかも知れない。


「スコール。折角だから少し海に入るか?」
「水着なんてないだろ」
「泳ぐとは言っていない。少し足を浸す位だ」
「………」


いつもなら、ズボンが濡れそうだから嫌だ、と言うだろう所を、スコールは熟考した。

波打ち際とは言え海に入るのなら、裸足になって、ズボンは捲らなければいけない。
捲っても裾は濡れるかも知れないし、足が濡れれば浜の砂がついて、後が面倒臭い。
……でも、海に来たのは随分と久しぶりだし、次にいつ来るかは全く見当がつかなかった。
泳ぐのが好きな友人が、プールに行こう、海に行こうと誘ってきたので、割と近い内に行く事になるかも知れないが、その時はこんな風に静かに過ごすのは無理だろう。
嫌だと言っても海へ引っ張られるのが想像できて、ゆっくりと楽しむなら、きっと今しかない。

────スコールが靴を脱ぎ始めたのを見て、クラウドもブーツを脱ぐ。
今日の遠出は所謂デートであったから、少し格好を決めたブーツを履いていたので手間がかかったが、無事に裸足になった。
炎天で熱くなった浜辺を急ぐように歩き、靴は波の届かない場所に置いて、波を踏む。


「冷たい」
「ああ。気持ち良いな」


スコールが零した言葉に、クラウドは頷いて言った。

寄せては返す波に足を浚われないように意識しながら、スコールが波間を歩く。
何処に行く気があるではないのだろう。
彼はただ、波の冷たい感触を楽しみながら、気の向くままに歩いているようだった。


「余り行くと、バイクに戻る時に時間がかかるぞ」
「判ってる」
「クラゲに気を付けろよ。今年は多いらしいから」
「ん」


スコールはきちんと返事をしたが、気もそぞろなのが判る。
ぱしゃ、ぱしゃ、と水を蹴るようにして歩く足元が、彼の心が弾んでいる事を滲ませていた。
そう言う所を見付けると、どんなに大人びた雰囲気を出していても、まだ17歳の少年なのだと判る。

今朝、スコールは父に何も言わずに、こっそりと家を出て来たと言う。
スコールの父は、愛した女性が子供を産んで亡くなった事すら、知り得ない環境にいたらしく、その為に息子の存在も長らく知らなかったそうだ。
そう言った事実からの罪悪感もあるのか、どうしても息子に過保護にしてしまうようで、スコールにはそれも息苦しさの原因となっているのだろう。
何をしてはいけないとか、門限等が定められている訳ではないけれど、真面目な気質のスコールは、どうしても父の反応が気になってしまうらしい。
だが、気にし続けてしまう事も癪に障るようで、反抗するように、家出同然の行動を取ってしまうようだった。
クラウドがスコールと出逢った時も似たような状態で、心配から過干渉になってしまう父と一緒にいるのが嫌で、ふらふらと街を彷徨っていたのだ。
あれから父の方もスコールの気持ちを慮って、過剰な接触は控えるように努めているそうだが、どうやら元々スキンシップが好きで触れ合う事も好きな性質らしく、抑えてもまだまだスコールには多く感じるらしい。
何処かに出掛ける時にも、何処に行くのか、いつ頃帰るのか、と仕切りに訊かれるのが鬱陶しくて、父が起きてくる前に家を出たそうだ。
それでも、父の為の一日分の食事は用意してきたそうなので、邪見に扱うばかりではなくなっているのは確かだろう。

クラウドは携帯電話を取り出して、カメラを起動させた。
波を楽しむスコールの後ろ姿を映して、撮影スイッチを押す。
カシャ、と言う音が鳴って、スコールが振り返った。


「……あんた、撮ったな?」
「ああ。一枚だけ」
「消せ!」
「それは出来ない相談だ」


駆け寄って携帯電話を取り上げようとするスコールに、クラウドは体を捻って避けた。
確認画面が出ている画面をタッチして、メール画面を起動させ、添付をそのままにして送信する。
宛先はスコールの父親だ。

寄越せ、消せ、と追い回すスコールから逃げていると、早々にメールの返事が返ってきた。
追われているので中身は確認できないが、きっと息子の不在を心配し、けれど自分から連絡を取ればまたぎくしゃくしてしまうからと、どうして良いか判らずにいた父にとって、あの写真は色んな意味で安心したのではないだろうか。
一人息子の居場所が分かった事、信頼できる人間と一緒にいる事、海を楽しんでいる事。
それらが伝わっていれば、今夜スコールが家に帰った時、気まずくなる事もないのではないだろうか。

しかし、スコールにとって、周りのこうした気遣いも、見えてしまうと苦しいのだろう。
だからクラウドはメールを送信した事は言わず、「写真の一枚くらい良いだろう」と言ってやった。
そう言われるとスコールは、ムッとした顔でクラウドを睨み、


「俺を撮るなって言ってるんだ。俺じゃなきゃ別に撮ったって良い」
「それじゃ意味がない。俺はお前の写真が欲しい」
「自分の顔でも撮ってろ!」
「ああ、それもアリだな。しかし一人じゃ詰まらないし、」


言いながら、クラウドはスコールの腕を掴んだ。
ぐっと引っ張って、蹈鞴を踏むスコールを引き寄せて、肩を抱いて携帯電話のカメラを起動させる。


「!ちょ、」
「撮るぞ」
「だから、」


俺を撮るな、と言うスコールに構わず、クラウドは撮影ボタンを押した。
カシャッ、とシャッター音が鳴り、液晶画面にプレビュー画面が表示される。
抜けるような青空と海を背景に、二人の顔がしっかりと記録されている。


「うん、中々良いな」
「良くない。消せ」
「そう言うな。お前との思い出が欲しいんだ」


保存ボタンを押しながら言うクラウドに、スコールが顔の顔が赤くなった。
視界の端で捉えたそれに、可愛いものだな、と思いつつ、もう一度カメラを起動させる。


「スコール、もう一枚」
「な……もう良いだろ。一枚あれば十分じゃないか」
「ピンボケしていた。撮り直しだ」
「……もう好きにしろ」


当たり前に肩に回される腕に、スコールは抵抗を止めて身を預けた。
抵抗を止めてくれたので、幸いとクラウドは先よりも肩を強く抱いて体を寄せる。

ピントをしっかり合わせる為に、撮影ボタンを長押しすると、ピピピ、と電子音が鳴った。
指を離す瞬間に、隣を見て少し赤らんだ頬にキスをする。
え、とスコールが目を丸くすると同時に、液晶画面から指を離して、カシャッ、とシャッターが響く。
プレビュー画面に表示された、キスの瞬間の写真を見て、スコールの顔が沸騰した。



流石にこの写真は、彼の父親には見せられない。
真っ赤になって怒る恋人を宥めつつ、クラウドはそんな事を考えていた。




2018/08/08

『クラスコ』でリクエストを頂きました。
特にシチュエーションの指定がなかったので、夏!海!バカップル!を目指してみました。

しばらくスコールは怒ってて、バイクに乗る時もブツブツ言ってるけど、くっついて移動している間に段々どうでも良くなって来る。
誰にも見せるなよって釘だけ差して、撮られた事はもう良いかってなるんだと思う。
そんでクラウドは一人で見て楽しんでるけど、その内見ている所をザックスとかに見付かるまでがテンプレートです。